HAND & SOUL

ビーチコミング

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ビーチコミングという言葉は近頃かなり知られてきていて、実践する人も少なくないようです。
湘南の海岸では落ちているモノよりビーチコマーの数の方が多いなどという冗談も聞かれるほどです。

このビーチコミングで、「何事も過ぎたるは・・・」という体験をしました。

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先日のアメリカ西海岸の旅行で、宿がベニスビーチのど真ん中だったので喜んで、ホテルに着いて早速ビニール袋を片手に砂浜に飛び出たまではよかったのですが、ベージュ色の砂のほかには見事に何もありませんでした。小石も貝も流木も、ましてやシーグラスやペットボトルなど、広い砂浜のどこを探しても何一つないのです。カモメが岸辺にいるところをみると、何かしらの獲物があるのでしょうが、わずかに海藻のかけらを波打ち際に発見するのがやっとでした。
美しい海岸を維持しようとおそらく重機で徹底的に整備したのでしょう。ビーチコミングということで言うならこれこそ究極のビーチコミングの姿なんでしょう。でもなんだか妙に落着かないのです。これはあきらかに不自然です。テーマパークと割り切るほかないような完璧さです。

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ジイジの愛読書、岡倉覚三著の「茶の本」の一節が思い出されました。
ちょっと長くなりますが、読んでみてください。

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『利休はその子紹安(じょうあん)が露地を掃除し水をまくのを見ていた。紹安が掃除を終えた時利休は「まだ充分でない」と言ってもう一度しなおすよう命じた。いやいやながらも一時間もかかってからむすこは父に向かって言った、「おとうさん、もう何もすることはありません。庭石は三度洗い石燈籠や庭木にはよく水をまき蘚苔は生き生きした緑色に輝いています。地面には小枝一本も木の葉一枚もありません。」「ばか者、露地の掃除はそんなふうにするものではない。」と言ってその茶人はしかった。こう言って利休は庭におり立ち一樹をゆすって、庭一面に秋の錦を片々と黄金、紅の木の葉を散りしかせた。利休の求めたものは清潔のみでなくて美と自然とであった。』


制作素材を求めて汚れた海岸を這いずり回って いるジイジ&バアバに言わせれば、この海岸からはなにも生産的なコトや創造的なモノは生まれないだろう、消費あるのみ、ということになります。

ま、幸か不幸か、日本の海岸ではこのようなことが起きることは生きているうちにはあり得ないでしょうけど。
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by love-all-life | 2009-07-27 22:38 | 文芸・アート | Comments(0)