HAND & SOUL

感じるこころ

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井上ひさしさんが亡くなった。個人的なお付き合いはなかったが、拙宅と井上さんのお住まいはほんの3分ほどの距離で、鎌倉駅へ出る道は同じなので、よく少し猫背気味に歩く井上さんをお見かけすることがありました。

井上さんがコーヒーをお代わりしながら長時間外を見ながら過ごす姿がなつかしいと、駅近くの喫茶店の主の話が今朝の新聞にでていました。
井上さんが普段どれほどの行動力をもって日常を送っていたかはよく知りませんが、この話からきっと井上さんは「じっと眺める眼と、細かく感じる心」をもっていた人だったに違いないと想像しました。
というのも神谷美恵子さんが書かれた「生きがいについて」の言葉を思い出したからです。
こういう文章です。

「変化や発展というものは、たえず旅行や探検に出たり、新しい流行を追ったりしなくてはえられないものであろうか。決してそうではない。ほんとうは、おどろきの材料は私たちの身辺にみちみちている。少し心をしずめ、心の眼をくもらせている習俗や実利的配慮のちりを払いさいすれば、私たちをとりまく自然界も人間界も、たちまちその相貌を変え、めずらしいものをたくさんみせてくれる。自分や他人の心のなかにあるものもつきぬおもしろさのある風景を示してくれる。わざわざ外面的に変化の多い生活を求めなくても、じっと眺める眼、細かく感じとる心さえあれば、一生同じところに静かに暮らしていても、全然退屈しないでいられる。エミリー・ブロンテは一生ひとりで変化に乏しい生涯を送ったが、あの烈しい情熱と波瀾に富む『嵐が丘』を造り上げる心の世界をもっていた。むしろ精神の世界が豊かで、そこでの活動が烈しいほど、外界での生活に変化を求める欲求が乏しいとさえいえるかも知れない。」

言うところの年金生活に入って2年。大部分の暮らしの場が自宅と家の崖の7メートルほど下の小屋店になってしまっても、ヒマやタイクツを感じることなく毎日を過ごせているのも上の神谷さんの言葉が支えになっているような気がします。
神谷さんは同じ本で、「もっとも多く生きた人は、もっとも長生きをした人ではなく、生をもっとも多く感じた人である。」というルソーの言葉も紹介しています。

「求める人」より「感じる人」、これがこれからの残された時間を過ごすテーマです。

そういう意味で「感じる」超人は熊谷守一でしょう。
彼の言葉、

「私は石ころ一つでも十分暮らせます。
 石ころをじっと眺めているだけで、
 何日も何日も暮らせます。
 監獄に入って、一番楽々と生きて行ける人間は、
 広い世の中で、この私かもしれません。」

「感じる」大先輩に合掌。


カット:熊谷守一
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by love-all-life | 2010-04-13 23:05 | 時事・社会 | Comments(2)
Commented by remmikki at 2010-04-15 19:59 x
素晴らしい言葉ですね。神谷美恵子さんが書かれた本は美智子皇后が大事になさっていたと聞いたことがあります。石ころひとつで過ごせる、という熊谷守一さん、私には到底到達できない境地です。すばらしいお話いつもありがとうございます。
Commented by ああ at 2010-04-17 19:44 x
ジイジさま。バアバさま。
先日はありがとうございました。
ひさしぶりに2人にお会いできてとってもうれしかったです。
「感じるこころ。」のお話。
大切にしたいことを再確認できました。
ジイジさんとバアバさんは「感じる人」だけど、
「感じることを伝える人」でもありますね。
ジイジさんのこの日記、ああの日記でも紹介しても大丈夫かな?