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HAND & SOUL

Play now, pay later.

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今の若い人にはO1O1と書かないと分からないでしょうが、昔「丸井」の有名なキャッチフレーズに「Play now, pay later!」というのがありました。
クレジット・カード社会のアメリカで使われていた言葉をそのまま借用して、広告などでキャンペーンをはったわけですが、「消費は美徳」という世相の風をとらえ、見事なヒットとなりました。

1950年代くらいまでは、一握りのお金持ちがご用聞きや百貨店などでツケでものを買うことがあっても、普通は買物は現金でするものでした。買物の代金を後で分割して支払う月賦は、質屋通いと並んで、貧乏人がこそこそと人目を避けて仕方なくすることでした。
その月賦のイメージから貧乏臭さを払拭し、高度成長の経済に弾みをつける、カッコいいライフスタイルのイメージに変えてしまったのがPlay now, pay later.という殺し文句だったのです。
欲しいものがあったらどんどん買ってまず楽しもう!代金はあとですこしずつ払えばいい。このような態度があなたの生活をエキサイティングにし、企業も潤い、そうすればあなたの月給も上がり、結果的にみんなが豊かな社会が実現するという理屈です。いや、経済を元気づけ企業が潤うためには、結果的にPlay now, pay later.でなければというのが本当の理屈だったのかもしれません。

ジイジが子供の頃には「我慢」する、「耐える」ということをやかましく言われました。自分の欲求をむき出しにすることははしたないこと、よわい人間のすることと教えられました。「武士は喰わねど高楊枝」なんていう古い言い回しがまだ生きていました。
世の中の富の量が限定されていて格差が大きな社会では、このような倫理観が必要とされていたのでしょう。しかしこうした考え方は「ねばならぬ」という、たんなる「しばり」というだけではなく、武士道から受け継がれたある種の美意識でもあったように思います。

しかし、戦後になって民主主義の世の中になり、誰もが平等に豊かになる権利があるとされ、そこに眼もくらむようなアメリカの物質文明がツナミのようになだれ込み、戦前までの価値観や美意識は「古い」ものとしてどこかへ押し流されてしまいました。そして、新しい夢の暮らしを実現する手だてがPlay now, pay later.でした。
欲求を満たすことは世の中の活力の源泉であるとして、新しい欲求が次々と生み出され、科学技術がその実現を可能にし、人々はカタチになった欲求の対象をどん欲に消化ますが、その排泄物としての公害や自然環境の破壊を自分で処理しようとはしません。

こう書いてきて、ん?どこかで似たものがあったなと気付いたのが「原発」です。使用済み核燃料の最終処理の手だてもなしに、エネルギーは必要なんだからと原発を後から後からつくり、平気でツケを後世に廻す発想こそPlay now, pay later.の最たるものではないか。
つまり現代社会のPlay now, pay later.的ライフスタイルの行き着く先が原発だったということではなかったかと思い至ります。
だとすれば今回の福島第一原発事故も、東京電力や原発や政府の対応だけをいくら責めてもコトの根本解決にはならないわけで、われわれのPlay now, pay later.的暮らしを改めることなしには解決の道はないのです。
昭和11年生まれのジイジとしては、人々がPlayの前に少しでけでも「我慢」や「忍耐」を日々の暮らしで試みてはどうかなと思うのです。そして、そういう試みを「つらい」とか「古い」としないで,「美しい」と考えてはどうかとも思うのですが、いかがですか。


[カット:1950年代のアメリカ漫画「ブロンディ」(チック・ヤング作)から]
by love-all-life | 2011-05-04 19:31 | 時事・社会