HAND & SOUL

8月15日の夢想


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子供だったジイジの戦争の記憶のひとつに、太平洋戦争末期、圧倒的な物量で怒濤の如く本土に迫る米軍にたいし、竹槍をもって波打ち際で敵を防ぐだと民間人に特訓を強いた日本軍の姿があります。米兵は臆病だから、武士道精神や大和魂もってすれば何十倍の敵であっても恐れることはないと洗脳され、それをなかば信じたがっていた日本人も、この頃にはどうもこの戦争は負け戦らしいと感じていました。

今となれば、まさに狂気としか言いようのない滑稽でかつ悲しい時代錯誤的あがきであったわけですが、8月11日付けの朝日新聞に掲載された、福島県災害対策本部が作成した、「被曝量を減らす」ための手引きとして、福島第一原発事故で、地域一帯に飛散した放射能性物質を取り除く最善の方法として紹介された図を見て、ふとあの戦争時代の記憶が甦りました。

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多分、放射能という先端技術の粋が生み出した鬼っ子に対するに、マスク、長靴、雨合羽、床ブラシで立ち向かう牧歌的な絵が、どこか時代錯誤的な雰囲気をもっていたからでしょう。
しかし、たとえ絵の雰囲気が時代錯誤的だとしても、これは生々しい現実であり、ある意味で現代社会の歪みを映し出した、最も今的な情景なのです。
なにが今的かというと、「○○ちゃん、遊んだらちゃんと後片付けをしなさい!」・・・これができていない社会なのです。
欲求や必要に応じて次から次へとモノを生み出すことが進歩だ、発展だとして、莫大な費用、技術、人知を惜しみなく注ぎ込みますが、そのモノの役割が終わった後の始末には費用も、技術も、人知も殆どおよばない。リサイクルだエコだとの声もありますが、まだまだほんの序の口にすぎないレベルです。そのなによりの証拠がフクシマの放射能飛散の後始末についての混乱、無能ぶりであり、そして前掲の絵のような時代錯誤的情景の出現です。

社会の構造として「後始末」を考える時代になったと感じます。循環・排泄重視社会とよんでもいいかもしれません。モノを食べたら消化し、栄養を得、快適な排泄をする(排泄には快感が伴うところがミソ)・・・こんなわれわれ自身の身体のような社会をつくる。つまり自然を見習えということでしょうか。
加齢で消化器系にトラブルが多くなってきたジイジはこんな夢想をします。
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by love-all-life | 2011-08-14 18:20 | 時事・社会 | Comments(0)