HAND & SOUL

台風一過

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太平洋沿岸各地に大きな被害をもたらした台風15号。湘南に接近した21日は、ギャラリーmu-anの「HAND & SOULの仲間達展」の搬入とオープニングで長岡に行き、台風の猛威から敵前逃亡したかたちになりました。
留守番の家人から、太い枝が折れるなどして窓ガラス3枚が割れ、庭の草花の鉢は塩を含んだ強風で壊滅状態だとの被害報告があり、やれやれ、軽微とはいえわが家も自然災害の被害者となったかと、いままで災害に会わなかったことは単なる偶然の幸せだったのだと思い知りました。

e0153357_1056227.jpg折れた枝が窓ガラスにあたって割れたと聞いて、気づいたのは、わが家には雨戸というものがあるのに、台風に備えて雨戸を閉めるという気遣いを誰もしていなかったとこです。実のところ、わが家ではここ何年も雨戸を閉めたことがないのです。
昔は、毎日の雨戸の開け閉ては、暮らすということとほとんど同義語ぐらいにあたりまえのことで、それは同時に防災や防犯や家のメンテナンスのための習慣として日常に組み込まれた暮らしの知恵でした。多くの家庭ではそれは子供の日課であり、子供に家事の責任分担の意識づけをするしつけともなっていました。
しかし、窓枠サッシやホームセキュリティなどというサービスが生まれ、雨風を防ぐことも、リスク管理も、自分の知恵や身体を使うより、お金を払ってそれぞれの専門素材や専門家に任かせるのが今の世の中です。人々のエネルギーはこぞってお金を稼ぐことに注がれ、子供でさえお金を稼ぐ予備行動として受験塾通いをします。
「素人のオレより、自分が稼いだお金で、より確かで安心な専門家の技術と知恵を買って何が悪い」と言われればその通りですが、相手もビジネスである以上、彼らの想定を越えた事態まで対応してくれるわけではありません。そうなると技術もない知恵も萎えてしまった素人が、一番困難な状況に裸身で立ち向かわざるを得ないという事態が生じないとはいえません。
e0153357_1105449.jpgこれは「税金を払っているのだから、何かの時には行政が全部面倒をみてくれるのが当たり前」という発想と似ています。もちろん今回の東北の大災害の被災で二重ローンを抱えてしまったようなお気の毒な人を救済する手だてをつくすことは当然だと思いますが、どんなときにも自分自身も対峙できる力と知恵を温存しておくという心構えと日頃の訓練は必要ではないかということを、割れたガラスを片づけながら感じた次第です。
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by love-all-life | 2011-09-27 11:05 | 時事・社会 | Comments(0)