HAND & SOUL

HAND & SOUL「モノ」がたり 81 <「縫い」体験>

e0153357_9362619.jpg






HAND & SOULでは、衣類や縫いぐるみ、バッグのような布ものの作品はバアバの守備範囲ということになっています。ところがすでにご紹介した「椅子になった椅子」で、椅子の座や背を麻ひもを布で巻いたロープで編む作業でミシンを使う体験をしたジイジは、「縫い」の面白さの一端に触れた気がしました。そこで、今度は端布を使ってのクッションの絵付けにチャレンジしてみました。

e0153357_9372347.jpg






顧みるとジイジにとって「縫う」という体験は初めてのことではありません。
66年前、太平洋戦争が終わって、戦前の日本の生活習慣や価値観はすべて「ホーケンテキ」という言葉で一括して排除され、代わって何事も「ミンシュシュギ」でなければならないということになり、戦後新しくなった教育制度で始まった家庭科では、「男女ドーケン」ということで、女の仕事とされていた料理や裁縫を男子生徒もやることになり、これがジイジにとっての「縫い」の初体験でした。
授業は、まず針と糸の使い方(いわゆる運針です)を雑巾づくりで教わり、家から持ってきた穴のあいた靴下の継ぎ当てをしました。次の授業では自分のパンツもつくるというきわめて実践的なものでした。
「縫う」で次に思い出すのは、母のミシンを踏む姿です。戦後の食料の不足した時代に、都市部の家庭では箪笥の中の衣類はおろか日々着ているものまで郊外の農家に持って行って、穀類や野菜などと物々交換してもらうのです。いわゆる「買い出し」で、こうした暮らしを「タケノコ生活」と言いました。必然的に当面の着る衣類に事欠きますから、主婦は家族の着るものを自分で縫うことになります。こうして洗濯機や掃除機などの家電製品が出回る前に戦後いち早く普及したのがミシンでした。
裁縫が得意だった母は戦前から足踏みのアメリカ製のシンガーミシンを持っていて、家族のものだけでなく、人さまの依頼も受けていました。そのうち横浜元町の老舗洋品店の下請けをして家計の足しにしていました。何度か母のミシンをいじくったことがありますが、まだマイカーがなかった時代、ペダルの動きに合わせて複雑に縫い進む針と糸の動きは、カチャカチャという音とともに、機械というもの威力を知る原体験としてジイジの心の片隅に体内化しています。

e0153357_938036.jpg





















今度久しぶりに触れたミシンは、音も動きも軽快でいろいろ便利な機能がついていますが、使い手の技術の方は60年を経たいまも少しも変わっていません。ヨロヨロした頼りなげな縫い目の線は、鉛筆でも、筆でも、むろんパソコンでも出せないもので、それが却って魅力に感じられました。バアバが押し入れに大事にしまい込んでいる端布を惜しげも無く割いて、無邪気にミシンで縫い付けるジイジの姿はまるで小学3年生だったずです。
[PR]
by love-all-life | 2011-10-17 09:43 | 「モノ」がたり | Comments(0)