HAND & SOUL

沈黙の秋


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例年なら今頃が鎌倉の紅葉の盛りなんですが、今年はどこか変・・・、いやもともと例年などという年はないのであって、その年その年がそれぞれ固有の姿をもっていて、それらを統計的に表すのが「例年」と分かってはいるものの、それにしても今年の秋は少し違うのです。
どこが違うといって、普段なら真っ先に紅葉するウルシやナナカマドが9月の台風15号で枝を折られたり葉を落としてしまい、いやになるほどのドングリを庭に撒き散らすコナラも、多くの葉がネズミ色に変色して散ってしまったので、この時期になってもきれいな枯葉色になりません。それだけでなく異常に感じるのが、生き物の気配が乏しいのです。
例年ですと(つい言ってしまいますが)、秋虫の声がすこしづつ下火になると、代わって小鳥のさえずりが姦しくなり、実をつけた木々に鳥たちが集まって来て、リスや、カラスも混じって食料の争奪戦を繰り広げるのですが、今年は太々しいカラスの鳴き声のほかは不気味なほど静かなのです。台風のときの塩害の影響だろうと推測するものの、一夜の塩気を含んだ雨のシャワーだけで、身辺の自然がこれほどまでに敏感に反応するのかと、いつもそこにあって一見不変にみえる自然環境が繊細な感性を秘めて、ちょっとした天候にも一喜一憂していることを再認識します。



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寡黙な秋にどこか不健全なものを感じ、ふと本棚からレイチェル・カーソンの「沈黙の春」を取り出してきて改めてページを繰ってみます。1962年に出版されたこの本は、害虫や病原菌を排除することで人間の生活に福音をもたらす化学薬品が、もう一面では自然均衡の恐るべき破壊分子として作用することを、くり返しくり返し説いています。
この本が世界に強い衝撃を与えて既に半世紀が経っていますが、われわれはカーソン女史の警告を妥当なものとうなずきながらも、さらに放射能まで加えて環境の汚染を重ね続けるというエゴを抑えることができません。

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「『正しさ』の理想は、オーケストラの交響曲だ。それぞれが異なり、もっとも自分らしくしていることによって、美しい音楽を奏でることだ。」という言葉が好きなのですが、自分らしさを肥大化させ、周りとのハーモニーを無視して傍若無人な不協和音を奏でつづける人類を制御できる偉大なマエストロはいつ何処から現れるのでしょうか。
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by love-all-life | 2011-11-27 22:14 | 自然 | Comments(1)
Commented by sola-1-sola at 2011-11-28 08:20
レイチェルカールソン。「沈黙の春」是非読んでみたいと思っていた一冊です。
このところ飛行機雲の多い東京です。以前は飛行機雲で済んだものがあれはもしかして地震雲じゃないのかと、いろいろに思ってしまいます。
自然の中で暮らしていること忘れれば、恩恵からしっぺ返しがやってくるのも当り前かもしれません。