HAND & SOUL

44年目のミルトン・グレイサー

e0153357_7314988.jpg






1967年・春、ニューヨークにいました。ワシントン広場やセントラル・パークには、水仙の花を手にしたフラワーチルドレンと称するヒッピーたちのが群れが世界平和を唱えベトナム戦争に反対し、片や5番街では、若者たちのどこかひよわな叫びを踏みにじるかのように、在郷軍人会のベテラン兵士たちを先頭とする圧倒的な大パレードが、「I proud of my son in Vietnam」と大書した横断幕を掲げて行進していました。
グラフィック・デザイナーとして百貨店の仕事などしていたアンディ・ウォーホールが一躍アートの世界の寵児としてもてはやされ、ピーター・マックスの派手なパターンが街に溢れていました。

この年、ニューヨークで親会社の広告代理店で研修を受けていたジイジには、広告デザインの世界に入る動機となった憧れの対象がありました。知的でクリエイティブなフォルクスワーゲンの広告キャンペーンを展開していたD.D.B.と、ニューヨークのエスプリとでもいえるデザインとイラストレーションの団体で、ミルトン・グレイサーやポール・デイビスやシーモア・クワストなどを擁するプッシュピン・スタジオの仕事です。
そしてそれらの仕事はどれもそのとき通っていたオフィスから歩いて数分のところで生まれていたのですから、それらはもう遠い憧れではなく、若干の妬みが加わった身近に感じられる存在でもありました。

e0153357_7323330.jpg









ある日世話をしてくれていた上役にプッシュピン・スタジオを見学したいと話すと、あっさり紹介状を書いてくれました。グランド・セントラル・ステーションにほど近いスタジオで迎えてくれたのは、なんとスタジオの創設者でありリーダーのミルトン・グレイサーで本人でした。そのとき31歳のジイジは、宝塚のスターの前に立った少女のようだったろうと思います。彼は客人に対するいんぎんな態度で、スタジオのことや作品や、隣接するスクール・オブ.ヴィジュアルアートを案内してくれて、帰り際にプッシュピン制作のポスターを紙筒に入れてプレゼントしてくれたのです。当時のジイジにとってそれはピカソの絵より価値のあるもので、このときもらった彼のデザインしたポスターは、すでに真ッ茶色になってジイジの仕事場の壁に今でも貼ってあります。


e0153357_7334494.jpg






あの日から44年。9.11から10年目を迎える、この9月2日の朝日新聞にミルトン・グレイサーのインタビュー記事が掲載されて、なつかしい彼の健在を確認することができました。82歳、自作の「I ♥ NY」に「MORE THAN EVER」を加えたポスターを前に、ゆったり腰掛ける写真の彼にまだまだ衰えの影は窺えません。(彼は44年前も同じように大人風然としていました)
ニューヨークをこよなく愛する彼はインタビューに答えて、9.11以後、テロへの恐怖と愛国心が政治に利用されて、いろいろな社会不正義がまかり通っていることを嘆き、怒りや報復を乗り越えて、「もう終わりにしよう」、他者を思いやることが大切とのロゴをデザインして情報発信をしたいと語っています。成熟した市民がすぐれたセンスとと表現力を手にしたとき、つまりすぐれたグラフィック・デザイナーがどれほど社会にとって有益な存在であるかを証明し続けているかのようで、これだけ長い年月を経ても彼は依然としてジイジにとって憧れの対象なのです。
[PR]
by love-all-life | 2011-12-12 07:34 | 時事・社会 | Comments(1)
Commented by remmikki at 2011-12-14 09:29 x
ミルトン・グレイサーさんと若かりし頃会ったお話、デザイナーとしてまだ健在とのこと、NYのいいお話ありがとうございます!