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HAND & SOUL

日食鑑賞、どれほど怖い?

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太陽が月に隠れてリングに見える、900年ぶりとされる金環日食がいよいよ明日に近づきました。今回は日本の広い各地で観測可能とのことで、いつになく事前の情報が頻繁に報道されています。今回を逃すと次は300年後になるとかで、となると現存する日本人にとってはこれが最後の日食ですよと宣告されているわけで、見逃がすわけにはいかないという気にさせられます。
そんな日食関連情報のなかで目立つのが目を痛めない鑑賞の仕方についての注意です。なんでも専用の鑑賞グラスを使用しないといけないのだそうで、文部科学大臣自身がお手本を示して直に国民に呼びかけるわ、テレビも一斉にニュース番組で装着の仕方まで丁寧にデモンストレーションしてみせるわで、これらを守らないと視覚障害の原因になると注意を呼びかけ、ガリレオも発症したといわれる「日食網膜症」なる聞き慣れない言葉までとび出します。消費者庁も市販のグラスで不良なものがあると銘柄名まで挙げて注意を喚起したり国民を怖がらせてくれます。
これらの一連の報道は、より安全な観察を奨励するという意味では結構なことに違いはありませんが、いささか度が過ぎているような気がしないでもありません。

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かって子供の頃ガラスの破片をロウソクのばい煙で黒くして日食観察した記憶のあるジイジにしてみれば、ここまで脅されると、近頃の視力の衰えもあの頃に遠因があるのかと疑りたくもなりますが、思い起こしてみると日食翌日の朝刊は子供たちがそろってばい煙ガラスを空に向けて日食観察してる報道写真を掲げたりしたもので、いまになってみればいてって牧歌的でした。

安全な日食鑑賞をという報道はいいことと分かっいながらもちょっとイチャモンをつけるのも、この国にとくに「フクシマ」以降、どうも安全教とでもいうような新興宗教がはびこっているような気がするからなのです。
なんでも安全ならいい、安全より大切なものはないという物言いが大手を振っていて、安全の欠如に対してはいくら厳しく断罪されて当然という風潮があります。
なにも放射能が怖くないとか、不安全がいいと言っているのではありません。ただ国民や消費者や子供の安全は保護されるのが当然で、安全が脅かされるのは、脅かす方が悪く、そのリスクの責任は誰かがとるべきだという主張はどこか危うさを感じます。危うさというのは、いざ危険に遭遇した場合に自ら守る術も知恵も欠如した安全バカになってしまわないかという心配。またどんなに守っても危険のリスクは0になるということはないので、安全のためには常に膨大なコストを誰かが負担しなければならなくなるという点です。

小学生の孫に鉛筆の削り方を伝授しようとしたら、先生からナイフは危険だから鉛筆は鉛筆削り器で削るように言われているとのことです。
近頃プラットフォームのホームドアなるものの設置が奨励されあちこちの駅に実現しつつありますが、駅単位で億から10億円単位の費用がかかるそうです。設置の理由のひとつに、近頃はスマホを見ながらホームを歩くと線路に落る危険あるからだと聞きますが、まともに公共の場を歩くこともできない人間のためになんでと思いますが、ひとたび事故が起きると、世間が、マスコミが、落ちた人の責任ではなく鉄道会社を糾弾するからでしょう。
子供の鉛筆削りから原発まで、世の中いまや安全を巡ってリスク回避と責任追求の追っかけっこゲーム花盛りですが、悪いのは国であり、企業であり、自分ではなく他人だとする風潮は、結果的に自分で自分の身を守る知恵も予知能力もない無能な人間を生み出してしまわないか。安全のために人類が進歩させてきた方法論や技術が、人を能力的に原始人からどんどん退化の道を歩ませるという皮肉を生み出しているような気がしてなりません。
by love-all-life | 2012-05-19 23:37 | 時事・社会