HAND & SOUL

絵葉書で見る鎌倉百景

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図書館で用事を済ませて、カウンターの上に「絵葉書で見る鎌倉百景」という本が置いてあるのに気づきました。手にとってみると、明治から昭和初期にかけての古い鎌倉を写した絵葉書集で、図書館と館員の所蔵資料を掲載したとあり、鎌倉市図書館の開館百周年記念で出版されたものです。
ときどき書物や街の随所で古い鎌倉の写真を目にすることはありますが、これだけまとまったものをみるのは初めてなので購入して帰り、家でページを繰っていていろいろな興味深い発見や感慨がありました。

「絵葉書で見る・・」がなかなかのアイディアだなと思いましたが、いまのように誰でもがメモするように(しかもタダで)写真を入手できない時代には、観光土産として絵葉書が重宝がられたでしょうし、情報伝達のメディアとしての役割も果たしていたのでしょう。古い写真を探し集めたら結果的に絵葉書集になってしまったということかもしれません。

さて、写真の内容をみると日頃なじみの場所が「えッ、昔はこんなだったのか」という驚きや、「あッ、確かにこんなだった」と懐かしむ楽しみがある一方で、「それほど変ってないね」という感慨もあります。たとえば東京の100年前の写真と現状を比べたときの様変わりが感じられるということはありません。もちろん絵葉書なので被写体の多くが神社仏閣だったりランドマーク的景観ということもありますが、言いかえればそれだけタイムレスなアイテムが多いということですし、古都鎌倉といわれる所以でもあるわけです。
ところで鎌倉市はいまあげて世界遺産登録に躍起になっているわけですが、正直、この写真集に写った鎌倉なら文句なく世界遺産登録の賛成に一票投じます。


鎌倉住まいの当方が騒ぐほどみなさんには興味がないであろうことは承知の上で、掲載写真をいくつかご紹介しましょう。
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[左]は、タイトルは「鶴岡八幡宮の櫻」です。参道の段葛が大正6年に整備の許可がおりたとのことですから、この風景は大正期以降のものですが、バスや乗用車がひしめき合ういまの賑わいに比してどこかのんびりした感じです。
[右]は、「七里ケ濱」で明治末から大正初の写真です。江ノ島を遠望し、江の電の線路が通っているところはいまも同じですが、荷馬車を引いている道のすぐ下に現在は国道134号線が通り、環境が一変しました。
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[左]は「鎌倉長谷町ヨリ觀音ヲ望ム」で長谷寺山門に至る道です。近頃人出が増えた長谷の商業区域ですが、このあたりは大仏も近く昔から賑わっていらしいです。賑わいといってもこのような佇まいなら許せる感じ。明治末期から大正初の写真です。
[右]は「KAIHIN-HOTEL, KAMAKURA. JAPAN」。由比ケ浜にあった外人向けリゾートホテルで、大正2年の消印があるカリフォルニア宛に投函された絵葉書です。この広々とした松林はもちろんいまはなく、ずーっと時代が下ってこの跡地にできたテニスコートでは20年ほどお世話になりました。

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この写真集には、大正12年の関東大震災の惨状を写した絵葉書が含まれています。[左]は、ペチャンコになった八幡様の正面の舞殿と楼門が見えます。[中央]は、石の台座が壊れ、30センチほど前へずれた大仏さんです。[右]は、由比ケ浜を襲ったツナミの被害状況です。中央の洋館と思しき建物の円形の部屋かベランダの残骸を留めるのみです。このような災害の記録が絵葉書として流通していたことにとても興味を覚えます。
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by love-all-life | 2012-07-05 20:53 | カマクラある記 | Comments(1)
Commented by “木形子のこころ” at 2012-07-16 21:50 x
明治末期~大正初期の鎌倉の風景を興味深く拝見しました。私も55年程前に鎌倉で暮らしたことがあり、なにか懐かしさを覚えました。断片的なレトロな鎌倉の思い出は、鎌倉駅東口の郵便局付近の「市民座」、小町通りの八幡様近くを若宮大路側に少し入ったところに「名画座」という映画館があり、市民の憩いの場でした。鎌倉駅西口側にも駅前に映画館があり、小町銀座は庶民の日々の買い物空間でした。御成小学校の門は今も健在ですが、当時はハイソなテニス倶楽部があって、現在の天皇陛下が皇太子のころプレーをなさっていたのを覚えています。江ノ電は竿型のポールをもつ一両編成のものも元気に走っていました。
これからも私たちのこころの発掘に力をお貸しください。
有難うございました。