HAND & SOUL

絵葉書にみる子供

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前回に続いて「絵葉書で見る鎌倉百景」に因んだ話題です。
絵葉書で鎌倉を懐古するということになると、主な対象は名所旧跡や街の佇まいや建造物ということになりますが、同時に写真に捉えられている時々の風俗や人々の暮らしぶりを垣間みることにもなります。なかでも今回興味をそそられたのは随所に登場する子供たちの姿です。

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[左]は、「鎌倉七里が濱」大正〜昭和初の写真ですが、子供たちは天秤を担いだり、背負子を担いだり子守をしていて、無邪気に遊ぶ子供ではありません。みんな役割を与えられて大人の仕事の分担を引き受けています。
このように演出して撮られた写真のようにも見えますが、子供を点景にした海岸の写真ということなら昨今ならさしずめ岸辺で無邪気に波と戯れる子供といった光景になりそうです。ところが上のような写真にしたのは、カメラマンがこのような情景が七里が浜を代表するにふさわしい絵柄と考えたからに違いありません。
当方の手許にある「百年前の日本」(セイラム・ピーボディ博物館所蔵のモース・コレクション/写真編)をみても、年齢差なく遊び集った子供たちの多くは赤ん坊を背負ったり幼い子の世話をしていたり、また農作業を手伝ったり、親の労働力の助っ人としての子供たちが数多く写っています。
親から勉強を強いられ、すきあらばゲームに夢中になるといった現代っ子と大きく異なった子供の姿がみられます。
[右]は、「材木座海岸の水泳」【神奈川師範学校】昭和(戦前)です。「さすが将来の先生方、褌姿も凛々しく手足がピンと伸びて揃っています」と解説がついています。
この写真をみてまず感じたのは「太った子がいない」でした。そして気持の張りが姿勢に出ている「凛々しさ」です。
思わず以前のブログで取上げた「忘れ得ぬ写真」(2010年3月25日)の、長崎の原爆の焼跡にたたずむ少年の姿を思い出しましてしまいました。
近頃、お祭りで神輿が練り歩く映像などをみても、本来なら担ぎ手はねじり鉢巻で片肌脱いだイナセはお兄ちゃんであって欲しいところですが、なにやら色白でプヨプヨ小太りの若者が多くてどこか気勢があがりません。
日向の校庭で長時間立っていられない生徒や、朝礼を講堂で座って受ける子供たちのことを見聞きすると、どうしてこんなことになってしまったんだろうという思いが拭い去れません。

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[左]は「鎌倉御用邸」です。明治32年に現在の御成町に建てられ、大正12年の関東大震災で被害を受け、昭和6年に鎌倉市に払い下げられました。
[右]は現在の写真で(絵葉書ではありません)、その敷地に昭和8年に鎌倉郡立御成尋常小学校が建てられ、いま孫たちがお世話になっている御成小学校に引き継がれました。正門は御用邸の面影をそのまま残しています。門に架けられている校名は高浜虚子の筆によるものです。
鎌倉駅から卑近の広大な敷地の跡地利用ということになれば、当今なら巨大資本が入って再開発の大型プロジェクトが進みショッピンモールか高級マンションに変ってしまうところでしょうが、小学校(その後、中学校もでき、いまは市役所になっています)を建てるという、将来を担う子供たちへ投資すると決定した当時の行政の見識を感じざるを得ません。

これらの写真をみて感じるのは、子供と社会の関わりの変遷です。
写真からは「早くから社会の一員である自覚を促し」「鍛え」「社会が子供に投資をする」という世の中の姿勢が窺えます。そうして育った子供たちが、日本を世界の一流国(一応)に築き上げたのです。(無謀な戦争もしましたが・・・)
現在はどうでしょうか。子供たちに「できるだけ楽をさせ」「保護し」、思うようにならないと「教育制度が悪い」と嘆いて、責任を誰かに転嫁して自らを省みない親たちの精神構造は、いまの楽な生活が維持できないからと消費税増税に反対し、子や孫に1千兆円の借金のつけを廻そうとする愚考と同根です。


カット写真:モース・コレクションから
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by love-all-life | 2012-07-11 15:45 | カマクラある記 | Comments(0)