HAND & SOUL

吉田秀和さんを偲んで

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この5月に亡くなった音楽評論家・吉田秀和さんの文章のなかに「彼は息を引き取った翌日に死んだ」という言葉がありました。
指揮者というものは世界最高の名声を得ていても、死後それを保ち続けることはフルトヴェングラーやカラヤンといった例外的な存在を除いてきわめて稀であることをについて述べている文章で、かくも名声を博したカール・ベームが、没後レコードの売上が落ちたことについて、ドイツ・グラモフォン社内でささやかれた言葉として紹介れていたものです。
うーん、うまいこと言うなと感じましたが、このところの吉田秀和さんの死を惜しむ数々の報道などをみて、吉田秀和は「彼は息を引き取った翌日に生まれた」との感があります。
吉田さんは文化勲章をもらった日本を代表する文化人ですし、ここ鎌倉でも故平山郁夫さんなどとならんで地域の文化的風土の支えのひとつとして市民の敬意の対象ではありましたが、音楽評論というジャンルは、自らなにかを創造する仕事に比べて社会的に地味な存在だったという感は否めません。
しかし吉田さんの訃報がかくも社会的事件のように扱われ、追悼のテレビ特別番組まで放映されるに及んで、彼がより巾ひろい人々の意識の中に新たな命を与えらて存在し続けるのではと感じられて、ファンの一人として、喪った彼を惜しむ気持が癒されます。

ボクは音楽を聴くことはあっても、オタマジャクシはまったくダメ、だから楽器を操ることはおろか歌ひとつまともに唱うこともできません。だから吉田さんの音楽評論はそのごく一部しか理解できていないと思いますが、それでも読書家でもないボクが吉田さんの著書を愛読するのは、吉田さんの文章が、専門の音楽評論に止まらず広く造形芸術の分野や社会現象や相撲や身の回りの暮らしと多岐に及んでいるのと、そのどれもが傾聴すべき意見として訴える力を持っていながら、ひとつひとつの文章が言葉で綴る音楽のような快い響きを持っているからです。
それはあたかも音楽が背後に構成や組立てや論理があるにしても、それらに関係なく人の心に直に働きかけ、心地よい響きとして感じられ、われわれに知的興奮や感動を与えるのと似ています。このことこそが吉田さんが超一流の音楽評論家である証であり、かつ優れた文学者であるとボクには感じられるのです。
このところ図書館で「吉田秀和全集」を1冊づつ借りてきては、ぽつぽつと読むのを楽しみとしています。吉田さんの文章の多くは、かって新聞や雑誌などに掲載された評論が主ですので、ひとつの文が短く、これもボクが吉田さんの著作を好む理由のひとつです。
何かの時間と次の時間に移る狭間に吉田さんの本を開いて一つのチャプターを読む時間は、まるでお気に入りの小径を散歩するような快感を覚えます。そうすると路地の角から見覚えのある白髪の吉田さんがヒョイと現れるのではないかとの期待を抱きながら。
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by love-all-life | 2012-08-08 14:19 | 文芸・アート | Comments(0)