HAND & SOUL

残暑お見舞い

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連日35度を超える猛暑が続き、このまま9月を迎えそうな気配です。熱中症による死亡者数が毎日ニュースで報道され、暑さへの予防対策が連日話題になり、電力不足が懸念されるなかエアコンの室内温度設定は何度くらいと教えてくれる親切さです。
高齢化社会がもたらす新たな現象という面や、自然災害でひどい目にあった体験ということもあるでしょうが、どうも社会全体が「親切過剰」で、「安全」に対していささか過敏になり、人々は「過保護」を過保護を感じず、保護されることを権利として主張して当然という風潮です。福祉社会、安心安全社会を目指すとはこういうことなのでしょうか。

昔も熱中症(という病名はなかったにしても)で倒たり死んだ人もいたかもしれませんが、こんなに表沙汰になることはありませんでした。
それだけ人々の暮らしに無神経で野蛮な社会だったのでしょうが、だから人々は自分で身を守る工夫と賢さを持たざるを得なかったのに反して、今は、誰かが気をつけてくれている、面倒をみてくれるということで、皆が肉体的にも精神的にもヤワになってしまったような気がしてなりません。

夏が寒ければこれは異常ですが、暑くて何が異常?というのが昔から生きているジイジの率直な気持です。
日照りの海岸の砂で足の裏をやけどしそうになったり、クラゲに刺されたり、炎天下のなか滴る甘い水に負けじとアイスキャンデーを食べ急いで上あごに痺れる痛みを感じたり・・・これらは輝く太陽の光や熱がもたらす命あるものへの恵みや思いっきりの解放感についてくるちょっとしたオマケとして、全部を含めて「夏」なのだとしてきました。
夕方には路地に打ち水をし縁台を出してステテコに上半身裸のおじさんが団扇片手に将棋を打つというような、自然のなかに上手に身を置く光景は、いまや寅さんの世界か老人のノスタルジーの中だけになりました。

夏だけでなく、とりわけ日本では、春夏秋冬それぞれの季節がもつ固有の気象条件がもたらす風情や美しさを歓迎し、厳しさ辛さも併せて受け入れ、詠い、描き、踊り、言祝ぐ文化を育んできました。
ところが昨今は、辛い面を打ち消す努力ばかりが進歩の名の下にお金と科学技術が注ぎ込まれ、結果的に人々の感性も体力も精神力も萎えてきているのではないかというのがジイジの憂いなのです。
冷房の効いた部屋で冷蔵庫から出して食べるスイカと、炎天下の渓流で冷やしたスイカとどっちが美味しいか、好みはまちまちとしても、どっちが幸せを感じるかということになれば、これは後者でしょう。
自然を相手に保護され安全地帯に身をおいて、痺れるような快感を味わうことはできません。

こんな軽口が叩けるのもお陰さまで健康だからこそ。
皆さまにもくれぐれもご自愛のほどを。


写真:「風神雷神」俵屋宗達
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by love-all-life | 2012-08-24 20:34 | 自然 | Comments(1)
Commented by sola-1-sola at 2012-08-24 20:54
お久しぶりです。solaです。
仰る通り、暑いのが夏です。
でも暑い時間減って来ました。今年は全然過ごしやすいと思っています。
ウチ、エアコンがないのです。
最初は「ないのでした」けど
今は必要も感じないのです。
温暖化でたぶん昔よか幾分暑いんでしょうけど
今でもエアコン無くても大丈夫です。
身体がその方が楽みたいです。
熱中症は、夏の処し方を忘れて、
エアコンで身体を弱らせているからそうなるのだと思います。

でもごくごくたまには、涼むために出かけることもあります。