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HAND & SOUL

さくら雑感

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待ちに待ったあげくに、足早に去っていくのが桜です。

先日、盆栽で桜の開花を楽しむ男性がテレビのニュースで紹介されていました。幼い赤ちゃん連れでの外出もままならず、アパートの部屋で桜の盆栽を育て楽しむことにしたのです。ほんの丈10センチほどの桜に2、30ほどの花が見事に満開で、ご主人のよほどの甲斐甲斐しさが伺えます。ひらひらと散る花びらをオチョコで受けて飲む晩酌が至福のトキだそうです。ん〜、そうだろうなぁ。幸せを生み出す名人というほかありません。


われわれは桜となるとなぜかこころ穏やかでいられません。日本人だからと言ってしまえばそれまでなのですが、じゃ、なぜ日本人なのかとなると、コトはそう単純ではないように思えます。
爛漫の桜は一方で、寒く暗い冬からの決別宣言であり、すべての命の再生の象徴であるとする、こころ華やぐポジティブなイメージの反面、ジイジの歳となるとどうしても武士道や旧日本陸軍のイメージと無縁でいるわけにはいきません。パッと咲いて、「潔く散る」桜の姿こそ武士のこころであり、日本軍人の鑑であるとして、若者の命を死へ追い立てる戦争末期の特攻隊に繋がる「桜」のイメージが、モノゴココロがつくかつかいなかの年齢の子供だったジイジのココロにしっかりと刷り込まれてしまっていて、軍服の七つの金ボタンに刻まれた桜を頭の中から拭い去ることは多分一生ないでしょう。

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今日は日曜日、HAND & SOULの小屋の 窓から三々五々と源氏山へ桜を求めて登って行く人々の流れを見ていると、桜の開花が、単に春の訪れを告げたり、戦争への連想を超えるもっと普遍的な何かがあるように思えます。
毎年同じ時期に、同じ樹に開花するとわかっていても、そのときななると思わずハッとしてしまう事件性みたいな趣は他の花にはみられないものです。
長い時の流れの中で詩に唱われ、描かれ、演じられ、意匠に使われ、知らず知らずのうちにわれわれの感性を育む栄養剤として働いているのかも知れません。花がない時期にもわれわれは潜在的に桜と付き合い、ともに暮らしているのでしょう。だから桜の開花についドキッとしてしまうのではないでしょうか。

テレビで盆栽の男性を観たとき、彼がまるでペットを見るような表情で桜花を見ていたのが印象的でした。ひょっとすると桜は、愛犬のように人を幸福にする不思議な力を秘めているのかも知れませんね。

写真:大正〜昭和初期の鎌倉の絵葉書より
by love-all-life | 2013-03-31 22:51 | 文芸・アート