HAND & SOUL

磔刑のペットボトル



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「美とは存在しているものではなく、それを発見した人の心に生まれるものだ。」とはよく言われることです。
となると芸術家とは、自らのなかに潜む金脈を掘り当てようともがき続けるゴールドハンターであると言えるかもしれません。しかし彼が苦労して掘り出した金塊を、鑑賞者が「なんだ土塊だ」と感じても致し方ないことで、だからと、鑑賞者にとっての金塊にばかりこだわる作家は、もはや芸術家と呼べるかどうか・・・。

「美」が自然に心から生まれるものだとしたら、「美」に接するにはまずは自然体でいることでしょう。「これは有名画家の作品だ」とか「・・億円だから立派な芸術だ」という既製観念から解放されて、自分の気持に正直になることだ、と、自分に言い聞かせはするものの、このことって言うほど簡単なことではなく、禅のお坊さんが解脱するのに座禅を繰返すと同じように、それなりの心がけも必要だとも感じています。
ま、心がけと言っても、当方がすることといえば、庭の落ち葉に目を向けたり、海岸の波打ち際のゴミのなかに何か面白いものはないかと漁ってみたりという程度のことです。


そんな海岸のゴミ漁りで奇怪なモノを見つけました。ペットボトルがたき火の熱で部分的に溶けて、砂や小石と合体した不思議なオブジェと化したモノです。
捨てられたプラスチック類は腐って分解して自然に帰すことながく、いつまでも醜い姿をさらしているので、普段は敬遠しているのですが、これを拾って眺めてみると、悪事を為した者が地獄の業火に焼かれて身悶えする姿にも見えます。まるで無表情な合成樹脂が火に焼かれることで命を得たかのようです。単純に「面白い」と感じました。
額をつくって納めてみると、地球の資源を浪費しまくる人類の罪を肩代わりして磔刑にかけられるキリストのようにも見えてきます。

これをアートワークとするつもりはさらさらありません。「美」とみるか「醜」とみるかも、もちろん人によってまちまちでしょう。所詮は心の問題なのですから。
ただ海岸で「汚いペットボトル」で済ませてしまったとしたら、発見から、いろいろ想像を逞しくして、額に入れるまでに経過した時間に感じたある種の充実感、あえて言えば「幸せ」な感覚は味わえなかったことは確かです。
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by love-all-life | 2013-09-15 17:02 | 文芸・アート | Comments(0)