HAND & SOUL

明治は遠く・・・


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「日本に貧乏人はいるが、貧困は存在しない。」


アメリカの動物学者で、大森貝塚を発見したエドワード・S・モースのことばです。
彼は明治初頭に東京大学の初代動物学教授として3回に渡って滞日する間、日本の簡素で清潔で活発な庶民の暮らしぶりや、使用する道具の美しさにすっかり惚れ込み、多彩な品々、陶器、写真などを持ち帰りました。
それらはアメリカのピーボディ・エセックス博物館やボストン美術館の日本コレクションの中核をなしていますが、いま江戸東京博物館でそれらのモース・コレクションのなかから、明治時代に庶民が使っていた日用品の展示を中心とした「明治のこころ」が開催されています。

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江戸末期から明治にかけて来日した欧米人の多くが日本の素晴らしさを語っています。そのなかには珍奇な異国情緒を珍しがるだけのものもありますが、多くは、日本が清潔で、自然は美しく、人々は礼儀正しく、活気があり、笑いを絶やず、幸せそうだと観察しました。
そして何よりも彼らが驚嘆したのは、衣・食・住、暮らしのすべてがまことに質素でありながら、日本人が日常使う道具類にどれも最高度の優雅さと繊細があるということでした。
その一例として、英国の旅行家で明治時代に東北から北海道、関西を旅行したイザベラ・バードのことばを引用すると、
「どの台所用具にもそれぞれの美しさと使いやすさがあり、人々はその清潔さと年季の入った古さの両方に誇りを抱いている。(中略)とりわけ鉄やブロンズでできた薬缶の年季の入った風格と職人仕事のみごとさは、デザインにおいて少なくとも奈良の国立収蔵庫のそれに匹敵するし、形の優美さと仕上げのデリケートさという点で、ナポリの博物館のポンペイ人の部屋にある料理道具を凌駕している」。彼女は京都を訪れて、みすぼらしい小店舗に並ぶ品物の美しさに驚嘆した。「形、色、さらに全体的な効果の点でほとんど欠点がないというのは、好事家が求める高価な品々に限ったことではなく、農家のために作られた家庭用品もまたそうであるのだ。・・・・・最高の美術品とお話しにならぬ安物とが手を携えている」。(「逝きし世の面影」渡辺京二著より)このような賛辞は枚挙にいとまがありません。

18世紀後半からの産業革命で長足の進歩を遂げた西洋社会において、人々は効率や便利さを手にする一方で多量に出回る粗悪な工業製品に、どこかおかしいと疑念や不安を感じ始めていたのでしょう。工業化される前に存在し、いつの間にか忘れ去られつつある、誠実なモノづくりや、それを愛おしんで使う喜びを、彼らは明治の日本人の暮らしに再発見したのでしょう。
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なんでこんな些細なものにこれほど手間をかけて美しさにこだわるのだろうか?と考えてみて、そのような疑問は利潤追求を第一とした産業化社会にどっぷり浸かったいびつな発想から生まれるのだと気付きます。一方でつくり手が技と精魂こめてモノをつくり、もう一方にそれを正当に評価し受け入れる使い手がいて成り立つ関係が130年前にはしっかり存在していたのです。
つくる側と使う側がともに美意識や価値観を共有する社会、これほど真っ当なことはないはずなのに、まるで理想郷のように感じられるとはどういうことか。
世界的にも歴史的にも比類をみない豊かさを実現しているのに、アベノミックス音頭とやらに踊らされてさらなる豊かさを求めて右往左往する日本から、明治はさらにさらに遠くなりにけりの感しきりでした。
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by love-all-life | 2013-09-23 14:54 | 文芸・アート | Comments(0)