HAND & SOUL

ラジオ体操再開

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「春の東雲(しののめ)のふるえる薄明に、小鳥が木の間で、わけありそうな調子でささやいている時、諸君は彼らがそのつれあいに花のことを語っているのだと感じたことはありませんか。」 岡倉覚三(天心)著「茶の本」の第六章「花」はこのような書出しで始まります。 5月に入って、今年はバアバを誘って朝のラジオ体操を再開しました。 会場の裏山の神社の境内まで、若い人なら5分もかからない標高100メートルほどの坂道を20分ほどかけて、小鳥のさえずりを聞きながらゆ〜っくりゆ〜っくり登ります。頂上近くの曲り角にさしかかると、いつも同じウグイスの声がします。なぜ同じウグイスと分かるかというと一羽は「ホーホケキョ、ケキョ」と鳴き、もう一羽は「ホーホケ」と鳴くのです。片方ははさえずりの最後に必ず「ケキョ」がつけ加わり、もう片方は最後の「ケキョ」を省略するのです。二羽を合わせると「ホーホケキョ」が2つとなり、帳尻を合わせるところをみるとツガイのようです。 サクラもツツジも終わったこの時期の、野山の木の花といえば可憐な卯の花ですが、彼らはひょっとすると花の香りについて語り合っているのかもしれません。 先の天心の文は次のように続きます。 「人間についてみれば、花を鑑賞することはどうも恋愛の詩と時を同じくして起こっているようである。無意識のゆえに麗しく、沈黙のために芳しい花の姿でなくて、どこに処女(おとめ)の心の解ける姿を想像することができよう。原始時代の人はその恋人に初めて花輪をささげると、それによって獣性を脱した。彼はこうして、粗野な自然の必要を超越して人間らしくなった。彼が不必要な物の微妙な用途を認めた時、彼は芸術の国に入ったのである。」  獣性を脱したかにみえた日本人ですが、集団的自衛権を巡って70年ぶりに銃声について論議しています。必要最小限度であるとさかんにコトを荒立でずに乗り切ってしまおうと躍起になっている首相ですが、ひとたび一発の銃声、一つの命が失われる事態となれば、平和主義などいっぺんに吹き飛んでしまう恐ろしさを彼は身を以て経験していないことが怖いのです。

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by LOVE-ALL-LIFE | 2014-05-17 15:41 | 文芸・アート | Comments(0)