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HAND & SOUL

義兄の人力ヘリコプター

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「シコルスキー賞」というのをご存知でしょうか?
レオナルド・ダ・ヴィンチが考案したヘリコプターの飛行の原理を実現しようと、アメリカ・ヘリコプター協会が1980年に設立した賞で、ヘリコプターの父とも言われるイーゴル・シコルスキーの名前をとって名付けられました。
「人力で60秒間以上」「一度は3メートルの高さに到達し」「10メートル四方の範囲内に機体を制御する」ことが条件で、賞金は25万ドルです。

何でこんな話を持ち出したかというと、近頃話題の多いドローンなる飛行物体が、6年前に他界した義兄(ということはバアバこと内藤三重子の実兄です)が日大工学部の院生を指導しながら開発し、あわやシコルスキー賞か!というところまでいって注目を集めた人力ヘリコプターと外形が良く似ているからなのです。

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義兄・内藤 晃は、太平洋戦争末期に東大で流体力学を学んでいましたが、空軍士官であった長兄が帝都防衛で戦死したことで戦後は航空の道には進まず、エンジニアとして世界初の自動エンジンの車や、農地での種の空中散布用ヘリコプターの開発に携わったりしていました。定年後になって大学で教鞭をとる傍ら、空への想いは止みがたく人類未踏の夢のヘリコプターを目指しシコルスキー賞に挑んだのです。
義兄が考案した、人がペダルを漕ぐ力で4つのプロペラを回転させ浮力を得る人力ヘリコプターは、現物は相当大きなものですが、彼が書斎でつくっていた模型は、最近テレビなどで見る首相官邸に転げ落ちたドローンと良く似ていました。
義兄の人力ヘリコプターとドローンの間にどのような技術的な関係があるのかないのか当方には皆目見当がつきませんが、そのころ彼はマサチューセッツ工科大学などのライバル・チームがいる研究機関へ講演や会議に出かけたりしていて、彼の研究が相当先駆的なものなのだろうとは感じていました。
彼は2008年に愛妻の名前をとって名付けたYURI-1号で最後の人力ヘリコプターの飛行実験を行いました。機体は実際に浮上し、あわや達成かと興奮しましたが、浮上時間20秒で条件のクリアには今一歩届きませんでした。その後しばらくは受賞に最短距離にありながら2009年に88歳で他界しました。

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その後シコルスキー賞は、義兄の死から4年経った2013年にカナダのトロント大学のチームによって達成されました。
先日NHKのTV番組「サイエンスZERO」でその時の様子を見ることができましたが、受賞者の喜びの弁で「われわれはYURI-1のアイディアに啓発された」と述べているのを知って、当方も何とも言えないような達成感を味わった気になりました。

いまドローンがまるでテロの凶器であるかのように危険視される一方で、新しい産業革命の寵児として「打ち出の小槌」でもあるかのように騒がれてもいますが、科学技術のシーズが研究者の手からうまいカタチで人間社会に引き継がれることの難しさを痛感するにつけても、ひたすら「飛ぶ夢」だけを追い続けた義兄は幸せだったと思わずにはいられません。


写真:NHK映像







by love-all-life | 2015-05-29 10:31 | 時事・社会