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HAND & SOUL

逝きし世の面影

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これらは江戸末期に兵庫県豊岡市城崎町でつくられた麦わら細工の皿や小箱です。
先日千葉・佐倉の国立歴史博物館で開催された「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」(注)にシーボルトのコレクションのひとつとして紹介されていたものです。

麦わら細工は、大麦の管(稈…かん)の堅牢性とそのつややかな表情を活かして、暮らしの道具をつくったり飾ったりするもので、昭和の初期までは割合身近に見ることができましたし、箱根の寄木細工やこけしとならんで伝統工芸品としてよく知られた土産品でした。関東では大森の麦わら細工が知られていましたが、いまは兵庫県の城崎で伝統工芸の土産物としての余命を永らえているようです。上の麦わら細工にも「城崎湯嶋 御麦藁細工 美濃屋兵三郎」と印のある包装紙が一緒に展示されていました。
昭和11年生まれのボクの子どもの頃の記憶でも駄菓子屋の店先やオモチャ屋で見かけましたし、ストローは蝋紙やプラスチックのものになるまでは麦わらでした(ストローという言葉そのものが麦わらの意ですからね)。

展示された江戸期のシーボルト・コレクションの麦わら細工をあらためて観ると、「雑貨」の類いと思っていた麦わら細工が、他に展示されている螺鈿や漆器に一歩もひけをとらないクラフトワークであることを再認識するとともに、こんなに美しいものかと驚きます。舌を巻く精緻な細工の技もさることながら、モノとして格調が高いのです、品があるのです。
でもこれらの王侯貴族への献上品でもないし、大金持ちのパトロンのためにつくられたものでもない、ごく一般の庶民が使ったり飾ったりする日用品がこれほど精緻で趣味がよいとはどういうことなのか・・・。それは多分その時代にそういうものを求め、それを使いこなし、愛でる人びとがいたからに違いありません。
こういう推察を後押ししてくれる資料があります。
それは、江戸末期から明治にかけて、すでに産業革命を経て工業化社会へ歩み出した欧米の諸国からやって来た異邦人の眼に映った、後進国日本についての証言を満載した「逝き世の面影」(渡辺京二著 平凡社ライブラリー)です。
証言は国土、自然、人々、暮らし、労働、性、信仰・・・と多岐にわたりますが、まとめると「日本という国は自然が美しく、清潔で、人々は陽気で礼儀正しく利発であり、暮らしは簡素で貧困ではあるが貧しくはなく、みな幸せそうである」といった賞賛の声です。しかしながらまたそれらの声は、われわれがこの150年ほどの間に何を失ってしまったかを明らかにせずにはおきません。

ここで彼らの証言が日用品について触れた箇所を二三紹介しましょう。

「(150年前、スイスの使節団代表として日本を訪れた)アンベールは『江戸の商人街の店頭に陳列された工芸品』には『一貫した調子があること』に気づいた。誰が何といおうと、自分はそれを『よき趣味(ボン・グウ)』と呼びたい、と彼は言う。『江戸の職人は真の芸術家である』。種子屋で売っている包みには、種子の名前とともにその植物の彩色画が描かれている。『これらの絵は何か日本の植物誌のような冊子から写し取られたかと思われるほどの小傑作である』。ところがそれは、畳の上に寝そべって筆を走らせている年端もいかぬ店員の作品なのだ。アンベールはまた,『鉢、盃、台皿、小箱類、漆の盃、瓶、茶碗、上薬をかけた茶瓶』など、『美しい食器類』を器用かつ優雅に使いこなしている人びとを見ると、食事というより、まるで大きな子どもたちがままごと遊びをしているように思えるのだった」。

「『日本の職人は本能的に美意識を強く持っているので、金銭的に儲かろうが関係なく、彼らの手から作り出されるものはみな美しいのです。……庶民が使う安物の陶器を扱っているお店に行くと、色、形、装飾には美の輝きがあります。』彼女(アリス・ベーコン)は『ここ日本では、貧しい人の食卓でさえも最高級の優美さと繊細さがある』と感じた。」

「(日本家屋の欄間について)モースにとって印象深かったのは、それがいずれも『名もなき地方の職人の手になるものだ』ということだった。『遠隔のさまざまな地方の、比較的小さな町や村に、素晴らしい芸術的香りの高い彫刻のデザインを考え、これを彫るという能力を持った工芸家がいるらしいことは、顕著な事実であると同時に注目に値する事実である』。彼は、母国アメリカでの地方の大工がこんな場合どんな仕事をするか考えて、怒りにとらわれた。日本ではなぜこのようなことが可能なのだろうか。それは日本の職人が『たんに年季奉公をつとめあげたのではな』く、『仕事を覚えたのであって』、従って『自由な気持ちで働いている』からだ。日本人は『芸術的意匠とその見事なできばえを賞揚する』ことができる人びとなのである。(中略)すなわちモースは、日本におけるよき趣味の庶民のレベルでの普及こそ、職人が叩き大工でない一個の芸術家的意欲を保持しえている根拠とみなしたのである。文明とはまさにこのことにほかにならなかった。」


冒頭に示した麦わら細工の魅力も、こうしたお互いに美的価値観を共有するというベースがあり、一方に作り手の技への敬意があり、もう一方に自分のつくったもの大切にし、愛でてくれる使い手がいると信ずることができるといった関係があってはじめて生まれるものだと納得します。
まことに憚りながら、われわれHAND & SOULが細々と続けているのも、ここで紹介したような「逝きし世の面影」をたんなるノスタルジーで済ませたくないいう気持ちから発したささやかや動きなのですが。


(注)「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」:ドイツ人医師・博物学者で19世紀に2度に渡り来日したフィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルトは、膨大な日本の自然や生活文化に関わる資料を収集し、ヨーロッパに持ち帰り紹介・展示することに情熱を注ぎ,その後のヨーロッパにおけるジャポニズムの先駆けともなりました。今回の展示は,コレクションから300点ほどを当時の彼自身の展示プランに沿うかたちで展示するものです。
江戸東京博物館で9月13日〜11月6日が開催されています。

麦わら細工写真:「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」図録より
by love-all-life | 2016-09-18 08:21 | 文芸・アート