HAND & SOUL

2010年 11月 01日 ( 1 )

GAMAN の KAKUGO はある?

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正しくは何と言うのか知らないけれど日本発世界語というのがあります。翻訳しようのない日本固有の「こと」や「もの」を横文字で記述するものです。日本の国際化に一役かっている言葉といえます。

古くはFUJIYAMA、GEISHAにはじまって、SAMURAI、HARAKIRI、KAMIKAZEなどとなにやら怖い日本人像をつくり、戦後になるとSUSHI、SUKIYAKI 、TEMPRAなどのWASHOKUのおいしさの発見があり、その後経済成長神話のキイワードとされたZAIBATSU、DANGOU 、NEMAWASHIなどがもてはやされ、最近ではKARAOKE、OTAKU、MANGA、ANIMEなどの文化風土が国際的な顔をもつようになりました。
ここにきてTSUNAMIが国際語になり、KYOTO議定書いらい地球温暖化防止で世界のリーダーたらんとMOTTAINAIを世界共通の価値観にしようとの試みが進められています。

さて、今度はGAMAN(我慢)を国際語にしようとする動きがあるらしいです。新聞報道によると、先頃の「国連地球生きもの会議」で日本水産学会が、水産資源の乱獲をセーブし持続可能な漁業をするために、目先の利益にとらわれないで「GAMAN」することが大切だとの提言をまとめて発表したとありました。

MOTTAINAI にしてもGAMANにしても「うん、そうだ!」と共感はしますが、気持のどこかで一抹のすっきりしないものを感じます。
というのは「勿体ない」も「我慢」も、いまこそそれが大切だというのはその通りなのですが、かけ声をあげているのがこのような生活態度の対極にある暮らしを一向に改めようとしない、アメリカに次ぐ浪費王国である他ならぬ日本だからです。

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真正面に向かい合うにはあまりにも難しい課題も、同じことを横文字にしてしまうことでなんだか気楽に取組めるよような気にさせてしまうところがあり、そのこと自体は決して悪いこととは言い切れませんが、苦い薬をオブラートに包んで飲み下すような、辛いこともできれば気安にお付き合いしたいというような、腰のふらつきを感じてしまいます。
戦中・戦後に徹底的に「勿体ない」「我慢」を強いられ、骨の髄までその辛さを体験したジイジ・バアバ世代は、横文字スローガンの軽ろやかさにどこまで本気かしらとつい「?」をつけてしまうのです。
だってこれらのことを本気で実行しようとしたら、それこそただ事でないKAKUGOが必要なのですから。



<資料>
上:昭和初期の輸出向けGEISHA印鮭缶ラベル
下左:戦後、朝日新聞に連載されたアメリカ漫画「ブロンディ」(チック・ヤング作)から
下右:戦後の焼跡のパン屋(毎日新聞)
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by love-all-life | 2010-11-01 20:39 | 時事・社会 | Comments(0)