HAND & SOUL

2011年 03月 18日 ( 1 )

3.11

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「あの日」から一週間。
6年前は長岡にいたジイジにとって、3月11日まで「あの日」とは中越大震災が発生した10月23日でした。しかし今や3.11は、2.26や12.8(ジイジにとってはジョン・レノンが暗殺された日ではなく、太平洋戦争勃発の日として)や、終戦の8.15、またニューヨーク同時多発テロの9.11と同様に特別な歴史的な日となりました。これはすべての日本人、そして世界の防災関係者や原子力に関わりをもつ人びとにとっても同様でしょう。

この一週間、ただ呆然とテレビを見、停電時はロウソクの明かりでヤッケをまといラジオを聞き、ほとんど座っていました。そいう意味では生命の安全はあるもののテレビの中の被災者とあまりかわらない姿でした。
6年前の中越地震のときには大学の皆に声をかけ地域の復旧・復興に駆け回った記憶が残っているので、こういう時は何かしなくてはと考えれば考えるほど、いまや自分が非力な一老人であることを思い知るばかりです。

災害時には、年寄りと子供はいつも弱者として扱われます。それはそれで大切なことと思いますし、子供の数が減っている昨今子供が少なくなるのは大いに困りますが、どの避難所でも圧倒的多数のお年寄りが、一挙に老け込んだようにうずくまっている姿には、気の毒と思う一方で本当にこれでよいのだろうかとちょっと気になるのです。
もちろん多くの老人が身体に何らかの欠陥をもっていながらさらに酷い災難を蒙ったのですから、まずは安静にというのが正しい対処ではあるでしょう。でもなかには元気なお年寄りも決して少なくないだろうし、災害時の単なるお荷物となりたくないという気概をもった方もいるのではないか。
自分が年寄りだから分かるのですが、たしかに若者とともに外へ出て同じように動き回ることなどできないのは当然です。しかし戦争を体験したり、戦後の窮乏時代を生き抜き、物資不足の時代に育ってきた世代には、「なにクソ!これきし」といった、近頃はあまり耳にしないやせ我慢精神とでも言うような精神的強がりがあるのではないか、そしてこのやせ我慢精神こそこういう非常事態を切り抜けるテコとなり得るのではないか。
だからといって、瓦礫の野に出て「ヤセ我慢シロー」と叫ぼうというのではありません。今後復旧から復興へと移って行くいく段階で、このような機会に子供たちや孫たちに「節約」や「我慢」「人の身になって考える」など、普段は言ってもなかなか耳を貸してもらえないことを、自分の体験なども話しながら聞かせるというようなことをしてはどうかと感じるのです。

ジイジは小学3年、バアバは5年で終戦を迎えました。6人の孫の二人がまったく同じ歳です。ジイジにしてもバアバにしても戦災や敗戦の時代の記憶は鮮やかに残っています。ということは孫たちもこの地震の体験をそれぞれが老人になっても決して忘れることはないでしょう。
この体験から子供たちが何を学習しこれから先の人生にどう活かすか、これこそ再生日本にとって最も重要なテーマではないか。
そしてここに、これだったら老人ができる、いや老人だからこそできる復興支援のひとつの道があるのではないか、そんなことを考えた一週間でした。
(写真:孫がつくったロウソク立て)
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by love-all-life | 2011-03-18 18:32 | 時事・社会 | Comments(1)