HAND & SOUL

2011年 06月 11日 ( 1 )

カマクラある記 14 <大町へ>

6月のある朝、小町から大町へのウォーキングです。鎌倉の中心地区ですから、名のある多くの社寺、樹木、廻る山々と観光の見どころに事欠きませんが、昭和の後半くらいまでは銅工屋、畳屋、表具屋などの軒先で仕事をする職人を見かける庶民の街でもありました。鎌倉で齢を重ねた勝手気ままな目線でカマクラの重箱の隅を突きます。

e0153357_2375169.jpg
e0153357_2381721.jpg
e0153357_2383278.jpg
e0153357_2384393.jpg

何故か、景色のなかの人工物が、古びて、汚れて、干涸びて、朽ちていく姿に惹かれるのです。こちらが老いたので、同じように老い寂れていくものへの親近感という理由からばかりではなさそうです。
新しく生まれる人工物があまりにケバケバしく、傍若無人で、無神経なのに、日頃から腹立たしい思いをしているので、仕返しをしたいという心理がどこかで働くのでしょうか、なんか「いいな」「面白いな」「美しいな」と感じてしまうのです。

ずいぶん前から、海岸の流木や小石のフォルムや色や表情に興味をもち、美しいと感じ、手元に置き、眺めたりいじくったりしてきました。
かれらは、光と風と波にさらされ、揉まれ、少しづつ少しづつ、気の遠くなるような時間をかけて、気象条件と自然のリズムのなかでつくりあげられた造形物です。ここで自然が施す造形の営みは、人間が行う、早く、安く、大量にという工業生産の原理とあまりにもかけ離れたリズムで行われるので、まるで魔術をかけているように感じられるほどです。
そして、この自然と時間の魔術はなにも海岸の漂着物だけが受ける恩恵ではなく、世の中に存在するすべてのものにもに行き渡っているのだということに気付いて、街の人工物の古びの魅力の理由にも納得がいくのです。

さて、これから始まる自然エネルギーの活用の道。そこではいままで原発をつくってきた、早く、安く、大量にの原理が通用しないことを肝に銘じなければなりません。肝に銘じるというのは、エネルギー開発に関わる政府をはじめとする関係者だけではなくて、利用者にとっても覚悟が求められるということでもあるのです。 

S A V E   E N E R G Y  !
[PR]
by love-all-life | 2011-06-11 23:15 | カマクラある記 | Comments(1)