HAND & SOUL

2017年 08月 27日 ( 1 )

今朝、庭で起ったこと


朝起きて庭に出ると、小枝に吊るした空のエサ台の下の地面にこぼれたわずかかなエサを探していたスズメたちがパッと飛立って、エサ台に新しいエサが入れられるのを上の枝で待つというのがいつもの日課になっている光景です。

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ところが今朝は一羽だけ残っているのがいます。おやっ大胆なヤツだなと、1メートルほどまでにに近づくと、あわてた風でもなく、こそここそと近くの隅の草むらに身をひそめます。さらに近寄っても逃げないでじーっとしています。怪我をしている風ではないが、どこか身体の具合が悪いに違いないようです。
生け捕りにするのは難しくなさそうだが、生け捕ったところでどう手当するか困るだけだろうし、そうだ、孫が飼っているジュウシマツの鳥籠に入れようかとも思ったのですが、もしこのスズメが細菌をもつ病気だったら、それはできないし・・・、ペットの病院に持ち込むほどの義理があるわけではないし・・・・、ま、少し様子を見ることにしました。
しばらくすると草陰からのこのこ出て来て、動きはやや緩慢ですが、地面のエサを啄んだり、蓮が植えてある瓶に登って水を飲んだりするので、そのうち元気を取り戻すかもしれないと少し安心して,庭で仕事をしていました。
そのうち真夏の太陽がジリジリと照り始めるとそのスズメは強い光線を避けて花壇の草の陰で身をひそめているようでしたが、こちらも仕事に気をとられて3時間ほど彼のことは忘れていました。
お昼近くになって、仕事の手を休めたときにふと思い出して、前いたところを見ましたが姿が見えません。自力で飛立って行ったのかしらと、ホッとしながらもちょっと寂しい気持ちで、さらに花壇の奥まで調べると、一番深い茂みの中にそのスズメが横たわって死んでいるのを発見しました。遺体にはすでにたくさんの蟻がたかっています。
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それは思いがけない大きな衝撃でした。なぜ最初発見した時に彼に死期が迫っていることを見抜けなかったのだろうか、なぜもっと真剣に救う手だてを考えなかったのだろうか、言いようもない悔悟の念と罪の意識を感じました。
心の動揺を抑えながら、今となって当方にできることと言えば、花壇の隅ににささやかなの墓地を作ってやることぐらいですが、そのかわいい小動物の死のことは一日中頭から離れませんでした。

男の平均寿命に達した当方にとって、何かにつけて自らの死を身近な事柄として向き合わざるを得ないことは心得てはいるものの、いざそこにいたるまでに何が起るか、自分自身についてだけでなくまわりの人に対して何をしておくべきかなどもろもろ考えるだけでもコトの大きさ複雑さに気が重くなります。
それに比べて今朝のスズメの死のなんと静かなことか。救急車が走り回るでもなし、体中にビニールパイプがさされるでもなし、苦悩の表情や叫び声ひとつ聞くでもなし、ただひたすら自らの運命を静かに受け入れる姿が何か立派なに思えて、どこか羨望さえ感じてしまいます。これが自然の死の受け入れ方なのでしょう。
生まれてこのかた、自然を浪費し、逆らい、汚し続けてきたヒトの死が、小鳥の死のように自然で安らかにでないのは致し方ないのかもしれません。





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by love-all-life | 2017-08-27 21:29 | Comments(0)