HAND & SOUL

カテゴリ:自然( 16 )

庭で見た神の技

今朝、庭で蝉が羽化しているのを発見しました。
この時期、朝起きると庭の木の枝や葉っぱの裏に蝉の抜け殻を見かけますが、通常羽化は人が目覚める前に行うので、羽化の現場に出会うことはめったにありません。

発見したのは8時頃で、庭の作業机のベニヤ板の角で羽化が始まっていました。すでに庭には梅雨開けの朝日がたっぷり射しているなかでの羽化です。多分何かの事情があってこんなこんな時間にこんな場所での羽化になってしまったのでしょう。
まわりには蟻がせわしく動き回っているし、無事に羽化し終えるのは難しいだろうと危惧するも、どうしてやることもできず、とりあえずカメラで記録することにしました。

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近づいて観るとよれて濡れた羽が震えるようにかすかに動いています。

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強い日差しや乾燥に耐えられるだろうか心配なので、ビニールシートで陰をつくってやりました。
やがてうす水色の羽が美しく形づくられていきます。

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創造主たる神の技を目前にして敬虔な気持ちになることを抑えることができません。

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時折ゆっくりと動きながら、、少しづつ薄緑から茶系統の色に変化していきます。

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だんだんアブラゼミだとわかる姿になっていきます。

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カメラを近づけて撮影しているので、彼にとっては危険きわまりない状況のはずですが、
まだ逃げることはできず、ひたすら時間が彼に力を与えてくれるのを我慢強く待っているかのようです。

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ちょっと目を外した間に脱出を試みたのか、羽をばたばたしながら地面に落ちていました。
手で近くの紅葉の幹に置いてやりました。
身体に緑色を残す彼はまだ飛び立つことはできず、ゆっくりと木を登り始め・・・・

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紅葉の幹に取り付けてある鳥の巣箱と幹の間の隙間に身を潜めました。

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おそらくここに隠れることは、非力な彼がいまなし得る最善の対処であるにちがいありません。

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この世に現れて間もない右も左も分からない彼が何故このような適切な行動がとれるのか驚くほかありません。

待つこと小一時間、すっかり茶の鎧兜を纏った彼は元気よく飛び立っていきました。 

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GOOG LUCK!
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by love-all-life | 2016-08-04 21:33 | 自然 | Comments(0)

「時は金なり」?

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北陸新幹線が開通して東京・金沢間が1時間20分短縮されました。
いつまで「より早く」「より便利」を追っかけているのだという声もあるようですが、かって新潟に住んで、いまだに上越新幹線や関越自動車道がいかに大きな福音だったかを、田中角栄への追慕の情を添えて話す越後の人々を知ってるだけに、金沢駅に滑り込む新幹線に手旗を振って歓喜する人々に「そうだろうね」とつぶやいてしまいます。

「時は金なり」はベンジャミン・フランクリンの言葉とされていますが、彼の「Time is money」は、額に汗して働けばそれだけ収入は増えるから時間は貴重なものだという、勤勉を勧め金銭を尊ぶ精神からでたようです。
たしかにより短時間でより多くのパフォーマンスを実現するという動機が近代文明社会を築き上げる原動力であったことは否定できないし、いまわれわれが享受している便利で物質的に豊かな暮らしを築くのに大いに貢献しました。

ところがそうした時間に対する価値観に変化を感じます。
バブルを経て、時を惜しんで稼ぎとった豊かさが幸せに直結するわけではないことに気づいたということもあるでしょうし、最新の新幹線が何としてでも世界最速の時速360キロを超えようなどというコダワリを捨てて最速260キロであることもそのひとつの表れと言えなくもありません。
我が身を振り返ってみても、40代くらいまでは広告業界に身を置き、時を惜しんで動き回り、効率を重んじ、「早さ・便利さの追求こそ幸せへの近道」のお先棒を担いでいたわけですが、今となってはかすかな後ろめたさを伴った思い出の出来事のようです。

暮らしの上で時間への感覚の変化がどこからくるかと言えば、道を歩いていても若い人にどんどん追い越されるといった肉体的衰えに加えて、それを悔しいととも思わない達観の心理もあるでしょうし、さらに、追い越されても困るような急ぐ用事があるわけでもない身分ということもあるでしょう。しかしそればかりではありません。歳をとるに連れて自然との距離が縮まってきたという感覚があります。山古志を背に控えた長岡で15年ほど暮らした経験や、自然素材を集めたりいじくったりしてモノづくりの作業をするようになったことが大きいと思います。

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海岸で拾った貝殻や流木、小石といった変哲もないものも、時間をかけて眺めるに連れてそれまで見えていなかったいろいろなものが見えてくるのです。
カタチ、色、表面のテクスチャー・・・ひとつひとつを時間をかけて吟味します。そうするとそれらは時間をかければかけるほど、目を近づければ近づくほど、吟味をすればするほど、味わいや深みを増してきます。工業製品では決してこういうことはありません。この不思議はどこからくるのかと考えて得られる結論は、「これらが今の姿になるまでに何十億年もかかっているからなのだ」ということです。途方もない時間をかけて、あらゆる合理性や偶然性をともに包み込んだ究極の姿だから奥深いのです、そして美しいです。「神がつくったから]と言っていいかもしれません。
ちょっと大げさな言い方になってしまいましたが、時間には、たわいもなもの、些細なものを、味わい深さや美しさに変える魔法の力がある。時間はすべてのものを美しくする。「時は美なり」なのです。
だから人だって・・・でも、そう思って見なければ魔法の力は感じられないでしょう。













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by love-all-life | 2015-03-19 22:04 | 自然 | Comments(0)

緑色の裏切り

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前に小ブログで紹介した新聞朝刊の連載の「しつもん!ドラえもん」の問題を解くのは、小学生だった孫娘との朝食卓での儀式のようなものでしたがいまは彼女も中学生。以前のようななじめさはなくなりましたが、最近こんなのがありました。

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問:植物の葉っぱは、太陽の光を使って酸素を作り出しているよ。何という仕組みかな?
というもので、孫娘は「光合成でしょ」とつまらなそうに返事をします。
答えを確認すると、確かに「光合成」が正解ですが、その解説にただならぬことが書いてあります。

答え:「光合成」。植物は光のエネルギーを使い、二酸化炭素と水から自分の体のもとや酸素をつくりだしている。緑色の光は使わず反射するから葉は緑色にみえるるんだ。

ジイジがただならぬことと感じたのは「緑色の光は使わず反射するから葉は緑色に見えるんだ」という件です。
つまり葉っぱは太陽の光のなかから緑色以外の光を吸収し、緑色は必要ないので体に取り込まないで反射するから人間の目に葉は緑に見えるというのです。

あるモノに光が当たると、モノは光のある部分を吸収し、それ以外の光を反射します。人は反射された光をそのモノの色として認識するのです。つまりモノに色があるのではなく、そのモノに当たって反射された光をそのモノの色と感じているというのは事実です。その事実から言えば解説の通りなのです。

理屈はそうでも、植物は太陽光線の赤・橙・黄・緑・青・藍・紫のなかで、最も必要としない色が緑だなんて、なんだか割り切れない気持ちになりません?
だって「緑」といえば、健康の色、エコロジーの色、安全のシンボル、心を癒す色、平和の色、いろいろなイメージがありますが、すべてが好ましいイメージです。それというのも、緑色はすべての生命体の母なる自然を象徴する色と皆が思っているからでしょう。
この誤解というか混乱の原因は、光の色をモノの色と勘違いしていることから生まれるわけですが、もうひとつは「葉緑素」という言葉にあるのかもしれません。
「光と水と葉緑素によって植物は生長する、これを光合成という」と習ってきました。葉緑素という魔法の成分こそが植物を植物たらしめていると思いから、植物=葉緑素=緑色という連想から、上のような緑の数々の好ましいイメージが生まれるのでしょう。ところが、実は葉っぱは緑が一番嫌いな色だったなんて「ありえな〜い」という気になろうというものではありませんか。

なんだか、ある日妻から長年慈しんで育てた子どもが「実はあなたの子ではないの」と打ち明けられた亭主のような割り切れない気持ちです。ま、あまり後味はよくありませんが、こういうのも「目からウロコ」と言うのでしょうか。









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by love-all-life | 2014-12-27 10:02 | 自然 | Comments(1)

運命のカタチ

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朝、何気なく庭の地面に目を落としたら1匹のアオムシを見つけました。
この季節毛虫やアオムシは少しも珍しくないのですが、「オヤ?」と思ったのは、それが今まで目にしたこのない模様のアオムシだったからです。
この手の話を好きでない人にはゴメンナサイ、でも続けます。

しゃがんでさらに目を近づけると、模様に見えるのが、たんに虫の皮膚(?)についたパターンではなく立体的なのです。この種の虫のなかにはヒゲが生えたのや角をもったものなどいろいろ立体的な装いをもっているものがいますが、このアオムシのは背中に黒くて小さなボーリングのピンのようなものが生えたようにゆらゆらゆれているのです。
写真を撮ってパソコンで「毛虫」や「アオムシ」などの図鑑を検索してみたのですが該当するのものがありません。「もしや、新種発見かもしれん」と、家のものに見せたのですが「ウヮー、面白い」「気味悪い〜」と反応はあるものの、一向に正体は分かりません。
そこへ中1の孫娘がやってきて「これ、知っている」と言うではありませんか。「前に図書館で見たけど、この黒いのはハチの卵なの。ハチがアオムシの背中に卵を産みつけて、卵は虫の体液を栄養として育って、全部食べ尽くされると虫は死に、卵は成虫となって巣だっていくのよ。」と説明します。
ついこないだまで教わる一方だった彼女の思いがけない博識ぶりに「へーッ!」と、一同関心しきりです。

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普段このようなアオムシは花壇を荒し回る「憎きヤツ!」であり、見つけては駆除しているのですが、彼(彼女?)にそんな悲運が襲っていると思うと急に哀れに見えるだけでなく、透き通った若葉のような胴体にゆらゆらと黒い飾りものを纏った姿がそんな残酷な命のドラマの舞台であると知ると、見てはいけない事件を見てしまったようなある種の後ろめたさを感じます。
彼は自分のおかれている運命を知ってか知らずか、苦悶の表情はおろかそれらしい動きさえみせずに、ただのそのそと這いずっています。かりに彼が事態を理解しているとしても彼にはそれに抗するいかなる手段もないでしょう。そしてその黒い命の簒奪者はあたかも彼自身の一部のようです。
自分では知るヨシもないが、いつか命を奪っていくもの・・・、ひょっとすると運命の姿とはこんなカタチ?とへんな妄想を誘うアオムシくんでした。









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by LOVE-ALL-LIFE | 2014-05-29 16:40 | 自然 | Comments(0)

早起きは・・・

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ムクロジという木を知っていますか?「無患子」という字をあてます。みるからに縁起がよさそうです。
これがムクロジの実です。

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夏休みの間、朝、孫に付き合ってラジオ体操をしています。6時に起きて、標高100メートル足らずの裏山に登り、頂上の葛原が岡神社の境内に毎朝集まるお年寄のラジオ体操の仲間入りをするのです。

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ムクロジはその神社の境内にあります。神官さんが樹に貼付けたはり紙には「無患子、むくろじ、・羽子板遊びの玉、・外の皮は洗剤」とあります。
いまが実をつける時期で、樹の下のあちこちに実が落ちています。拾って帰り、皮をむくと中に大きな黒い種が入っています。剥きとった皮を濡らして指で揉むと泡がでてきます。ナルホド、ナルホド。
因みにWIKIPEDIAにお伺いをたてると、英名はなんとSoapberryだそうで、中華料理のデザートにでるライチーと同類でもあり、清涼飲料の原料ともなるとでています。
「無患子」という字からすると、昔の人はもっと隠れたご利益にあずかっていたのではと勘ぐりたくなります。

たまたま知ったムクロジ一本に、これほどの意味やご利益があるとすると、名の知れぬ身の回りの樹木ひとつひとつを調べるときっと途方もないたくさんのご利益が・・・。

TVに日夜映しだされる中東の殺伐とした風景を見るにつけても、豊かな緑の香りを胸いっぱいに深呼吸できる幸せ、やはり「早起きは三文の徳」、ですね。

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by love-all-life | 2013-08-30 13:05 | 自然 | Comments(0)

残暑お見舞い

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連日35度を超える猛暑が続き、このまま9月を迎えそうな気配です。熱中症による死亡者数が毎日ニュースで報道され、暑さへの予防対策が連日話題になり、電力不足が懸念されるなかエアコンの室内温度設定は何度くらいと教えてくれる親切さです。
高齢化社会がもたらす新たな現象という面や、自然災害でひどい目にあった体験ということもあるでしょうが、どうも社会全体が「親切過剰」で、「安全」に対していささか過敏になり、人々は「過保護」を過保護を感じず、保護されることを権利として主張して当然という風潮です。福祉社会、安心安全社会を目指すとはこういうことなのでしょうか。

昔も熱中症(という病名はなかったにしても)で倒たり死んだ人もいたかもしれませんが、こんなに表沙汰になることはありませんでした。
それだけ人々の暮らしに無神経で野蛮な社会だったのでしょうが、だから人々は自分で身を守る工夫と賢さを持たざるを得なかったのに反して、今は、誰かが気をつけてくれている、面倒をみてくれるということで、皆が肉体的にも精神的にもヤワになってしまったような気がしてなりません。

夏が寒ければこれは異常ですが、暑くて何が異常?というのが昔から生きているジイジの率直な気持です。
日照りの海岸の砂で足の裏をやけどしそうになったり、クラゲに刺されたり、炎天下のなか滴る甘い水に負けじとアイスキャンデーを食べ急いで上あごに痺れる痛みを感じたり・・・これらは輝く太陽の光や熱がもたらす命あるものへの恵みや思いっきりの解放感についてくるちょっとしたオマケとして、全部を含めて「夏」なのだとしてきました。
夕方には路地に打ち水をし縁台を出してステテコに上半身裸のおじさんが団扇片手に将棋を打つというような、自然のなかに上手に身を置く光景は、いまや寅さんの世界か老人のノスタルジーの中だけになりました。

夏だけでなく、とりわけ日本では、春夏秋冬それぞれの季節がもつ固有の気象条件がもたらす風情や美しさを歓迎し、厳しさ辛さも併せて受け入れ、詠い、描き、踊り、言祝ぐ文化を育んできました。
ところが昨今は、辛い面を打ち消す努力ばかりが進歩の名の下にお金と科学技術が注ぎ込まれ、結果的に人々の感性も体力も精神力も萎えてきているのではないかというのがジイジの憂いなのです。
冷房の効いた部屋で冷蔵庫から出して食べるスイカと、炎天下の渓流で冷やしたスイカとどっちが美味しいか、好みはまちまちとしても、どっちが幸せを感じるかということになれば、これは後者でしょう。
自然を相手に保護され安全地帯に身をおいて、痺れるような快感を味わうことはできません。

こんな軽口が叩けるのもお陰さまで健康だからこそ。
皆さまにもくれぐれもご自愛のほどを。


写真:「風神雷神」俵屋宗達
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by love-all-life | 2012-08-24 20:34 | 自然 | Comments(1)

悪魔を呼ぶオリーブの木

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朝、庭に出たバアバが「これ何かしらね?」と言うのでこちらも庭におりて見たら地面に小豆より少し小ぶりの黒い粒があちこちに落ちています。「こりゃ毛虫の糞じゃないか?」と見上げてもオリーブの小木があるだけです。
この鉢植えのオリーブは、知人が引っ越すとき「持って行く先がないからおいていくわ」とわが家へやってきたものです。ケアの仕方もわからないまま適当に水やりをするだけなので、先方もふてくされているのか花をつけることもなく、したがって実もつけることもなく、うちに来てからゆうに10年は経ちます。こちらの不注意もあるのでしょうが、いままで虫などがたかっているのを見たことがありません。
一応と思ってオリーブの枝を仔細に調べてみると、「ややッ」特大の芋虫が枝にしがみついています。6、7センチもあるでしょうか細い枝先がたわむほどの大きさがあり、美しくもあり醜くもある鮮やか柄を纏っています。
6匹ほど見つけたのを金ばさみで摘んでどこかへ放り投げようとして、「ん、待てよ」と、3匹を残して植木鉢にオリーブの枝とともに入れ、ブログに出演してもらうことにしました。

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さて、なんという名の虫か? 何の幼虫か? ネットで調べて、イボタガという蛾の幼虫であることが判明しました。
幼虫はイボタノキ,モクセイ,トネリコ,ネズミモチ,ヒイラギ,ヤナギなどの葉を食べると書いてありますが、わが家ではオリーブの木に取り付いていました。イタ飯好みの変わり者たちなのかもしれません。

たどり着いた成虫の画面に思わずギョッとしました。
羽根の模様が目を見開いたフクロウの擬態になっていて、大きく見開いた目には強い輪郭や陰翳までついていて、迫力ある形相は歌舞伎の悪役の隈取りよろしく見るものを威嚇します。自らの姿を決して見ることもないのに、どのようにしてこんな悪のイメージを描き出すことが可能なのか、自然が時折見せる悪魔の成せる技としか言いようがありません。
英語名もOwl Moth (フクロウガ)。

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今日採取した幼虫は既に終令幼虫期で、まもなく土中に潜って蛹となり、翌春に成虫となって現れるとのことです。
そんなわけで、植木鉢に土を入れオリーブの枝とともに幼虫を入れ金網を被せて観察してみることにしました。
この連中がうまく育ってくれればという気持と、来春になって強面のフクロウが出現する怖さとが半々の、にわかファーブルとなったわけです。

それにしてもわが家の貧弱なオリーブの木にかくも豊かに命を育む力や、悪魔を呼び寄せる魅力が潜んでいたとは、少し見直してやりました。


成虫写真:イボタガ Brahmaea japonica Butler, 1873より
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by love-all-life | 2012-05-29 00:49 | 自然 | Comments(2)

沈黙の秋


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例年なら今頃が鎌倉の紅葉の盛りなんですが、今年はどこか変・・・、いやもともと例年などという年はないのであって、その年その年がそれぞれ固有の姿をもっていて、それらを統計的に表すのが「例年」と分かってはいるものの、それにしても今年の秋は少し違うのです。
どこが違うといって、普段なら真っ先に紅葉するウルシやナナカマドが9月の台風15号で枝を折られたり葉を落としてしまい、いやになるほどのドングリを庭に撒き散らすコナラも、多くの葉がネズミ色に変色して散ってしまったので、この時期になってもきれいな枯葉色になりません。それだけでなく異常に感じるのが、生き物の気配が乏しいのです。
例年ですと(つい言ってしまいますが)、秋虫の声がすこしづつ下火になると、代わって小鳥のさえずりが姦しくなり、実をつけた木々に鳥たちが集まって来て、リスや、カラスも混じって食料の争奪戦を繰り広げるのですが、今年は太々しいカラスの鳴き声のほかは不気味なほど静かなのです。台風のときの塩害の影響だろうと推測するものの、一夜の塩気を含んだ雨のシャワーだけで、身辺の自然がこれほどまでに敏感に反応するのかと、いつもそこにあって一見不変にみえる自然環境が繊細な感性を秘めて、ちょっとした天候にも一喜一憂していることを再認識します。



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寡黙な秋にどこか不健全なものを感じ、ふと本棚からレイチェル・カーソンの「沈黙の春」を取り出してきて改めてページを繰ってみます。1962年に出版されたこの本は、害虫や病原菌を排除することで人間の生活に福音をもたらす化学薬品が、もう一面では自然均衡の恐るべき破壊分子として作用することを、くり返しくり返し説いています。
この本が世界に強い衝撃を与えて既に半世紀が経っていますが、われわれはカーソン女史の警告を妥当なものとうなずきながらも、さらに放射能まで加えて環境の汚染を重ね続けるというエゴを抑えることができません。

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「『正しさ』の理想は、オーケストラの交響曲だ。それぞれが異なり、もっとも自分らしくしていることによって、美しい音楽を奏でることだ。」という言葉が好きなのですが、自分らしさを肥大化させ、周りとのハーモニーを無視して傍若無人な不協和音を奏でつづける人類を制御できる偉大なマエストロはいつ何処から現れるのでしょうか。
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by love-all-life | 2011-11-27 22:14 | 自然 | Comments(1)

クリプトゾイック

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本を読んでいたら「クリプトゾイック」という言葉に出会いました。
生物学の古い用語ですが、最近では文明のわきで密かに生きることをおぼえ、文明に適応してしまった野生動物たち、たとえばアライグマやフクロウネズミなどの生活形態を表す用語として使われるのだそうです。
身近なところでは、「密かに生きる」とは到底いえないけれどカラスがその代表でしょうし、電話線などを齧って駆除の対象になってしまうタイワンリスや、海岸でくつろぐ観光客のお弁当をかっさらうトンビ、ウチの軒先で巣作りをしてくれないかと恋いこがれるツバメなども、その仲間なんでしょう。
ところで、近頃この時期になるとニュース種になるクマはどうなんだろう?
昨年豊作だったドングリが今年は一転して少なくなったため、人里にエサを求めて現れるとされてますが、かれらからみれば、身近に迫って来た人の生活圏なら比較的楽にエサを確保できることを覚えてしまったからでしょう。大きいし力もあるので、「密かに生きる」というわけにはいかず、ちょっと姿を見せるだけでも大騒ぎになり、猟銃会のにわか猟師の銃弾の犠牲になってしまうわけです。なんとか「クリプトゾイック」な存在でいて、われわれと共生して欲しいと願うばかりです。

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「クリプトゾイック」がヒトの側から自然界をみた用語であるとすると、自然界からヒトを眺めるとどうなるか?
年がら年中子づくりの真似事をし、自らの安全と快楽のために後から後から道具を開発し、資源とエネルギーを浪費しながら決して満足することを知らない、「密かに生きる」と対極にある生き物。近頃の原発事故で安全や快楽のコストがあまりにも高くつくことに気づきながら、生活形態を変えようとしない。自然に適応するより自然を適応させようと空しい努力を続ける生き物「ブンメイジン」ということになるのかしらん。
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by love-all-life | 2011-10-24 08:11 | 自然 | Comments(0)

落ち葉は、汚い? 美しい?

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先日の台風15号の塩分を含んだ強風の影響なのでしょう、落葉樹の葉が色づくまえに、くすんだ緑色に変色しパラパラと落ちてきて、今年は早くも落ち葉掃除の時期となりました。

落ち葉は汚いか、美しいか、毎秋の庭木の落ち葉をどうするか、残しておくか、掃き清めるか、なかなか悩ましいことです。
わが家が人里離れた一軒家だったら、多分落ち葉は散るにまかせて、一面(と言っても猫の額ですが)の錦の絨毯を楽しみたいところです。ところが近隣に人家が迫ると、落ち葉の処理を自分の趣向だけで決めるわけにはいかなくなります。
庭木の落ち葉は、当然のことながら自分の家の敷地内だけに落ちるわけではありません。ましてわが家のように、崖の小高いところに住んでいると、わが庭木の落ち葉は下の路地や隣地に降り注ぐことになります。
隣近所もうちと同じ趣向なら問題はないのですが、大抵のお宅では落ち葉をきれいに掃き清めることが礼儀と心得ています。

昔からのお屋敷が分譲宅地になって新築工事が始まり、騒音に加えてガス工事だ水道工事だと交通規制で少なからず迷惑を被ったあげくに、引っ越してきたら、今度は落ち葉が汚いと陰で苦情を言われては、「じゃ、なんで引っ越して来たの」とこちらも苦情を返したくもなります。
しかし、地形から当方の落ち葉が近隣に飛び散る比率が、他家のものがわが家に飛んでくるより圧倒的に多いとなると、昔と同じ暮らしをしていても近所迷惑をしていることになってしまうのです。

江戸期の俳人鬼貫は、秋の七草ススキについて「心なき人には風情を隠し、心あらん人には風情を顕はす。只その人の程々に見ゆるなるべし」と説いたそうです( 2011.10.2 朝日新聞「天声人語」)。
ススキを落ち葉におき代えれば幾分心も安らぐし、苦役と思えた落ち葉掃除の日課も、自然との戯れのひと時との境地になれれば、人生の持ち時間を少しでも無駄にしないで済むというものです。
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by love-all-life | 2011-10-02 10:23 | 自然 | Comments(0)