HAND & SOUL

カテゴリ:カマクラある記( 23 )

カマクラある記 23 <東慶寺への散歩+「みたて」展>

小春日和に誘われて久しぶりにバアバと散歩に出かけました。
散歩なんだからだぶらぶら歩けばよいのですが、何かにつけ目的をつくらないと気持ちがおさまらないジイジは、北鎌倉の東慶寺と決めました。東慶寺の境内のギャラリーに展示にされている「みたて」展を見ようというのです。

裏山の登り口にある銭洗弁天は何度期待をかけても肩すかしなので通り過ごして、標高100メートルほどの源氏山を登り、縁結びのご利益で若い女性の参拝者を増やしている葛原岡神社からハイキングコースを北鎌倉側に降りて浄智寺に出、左折して東慶寺へという片道2キロ、往復で4キロ足らずの道のりです。

鎌倉の秋の楽しみ方はお寺と同じように、派手、雅の趣には欠けていますが、じっくり噛み締めれば味わいが深まるといった風で、スターがいるわけではないが、達者な脇役の渋い芸を楽しむといった案配がよろしいようです。
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お目当ての東慶寺ギャラリーでは、京都の花屋「みたて」さんの感性豊かなお正月飾りの展示があり、たった今道すがら楽しんできた自然のディテールをお箸でつまんできて陳列したような、どれもとても清々しく繊細で、日本間のない我が住まいがなんとも悔やまれました。
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Atelier Shop HAND & SOUL
開店:金曜日、土曜日、日曜日 11時〜18時
所在地:鎌倉市佐助2-15-12 Tel:0467-23-0530
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by LOVE-ALL-LIFE | 2014-11-16 12:31 | カマクラある記 | Comments(0)

ベートーベンと玉こんにゃく



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HAND & SOULの裏山の上にある葛原が岡神社は、鎌倉時代末期、北条執権の悪政を糾すとして後醍醐天皇をかついで倒幕を画策した日野俊基が捕えられて悲劇の最期をとげた場所として、鎌倉幕府の盛衰に縁の深い神社です。
われわれが鎌倉に住みついた50年ほど前には、日野俊基の立派なお墓があるわりにはひっそりうらぶれた境内の神社でしたが、その後一帯が源氏山公園として整備され、神社の境内の荒れた雑木林も地元の有志の手によって「こもれび広場」として憩いの場に生まれ変わりました。

この広場で11月2日、3日と「秋の文化祭」が催されました。林の中に設えられた舞台でジャズ、ヨーデル、詩吟、クラシックなどのイベントがあるということで、3日の午後の「森でベートーベンを聴く」というイベントに行ってみました。

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鳥居の脇には、この神社のちょっとした名物になりつつある、山形の農家から取り寄せた玉こんにゃくの屋台も出ています。
舞台の中央に古い(多分昭和初期の)蓄音機を一台に置き、玉こんにゃくの串をサカナにベートーベンの名曲を案内役の解説つきで聴こうという趣向です。

「お年寄りの方は知っていると思いますが、これがレコードです。SP盤といって5分くらいで裏返して聴きます。」
「一曲聴くのに何枚もかけなくてはなりません。だからこのように一冊のアルバム状になっているんです。いま新しいCDをニューアルバムなんて言いますが、それはこのアルバムが語源なんですよ。」

「レコードは手回しのゼンマイ仕掛けで盤を回転させ、鉄の針を乗せて摩擦で音を出します。針は一回一回取り替えなくてはなりません。」
「電気を使わないから、ステレオみたいに音を大きくしたり、小さくしたりできません。みなさん、できるだけ前の方に座って聴いてください。」

と、一同シーンとするなかで、ゼンマイが廻され、針が下ろされ、かすかな音でベートーベンのクロイツェル・ソナタの音が流れ出てきます。
「最初は静かにはじまりますが、もうちょっとすると音が大きくなります...」
などと、相当なクラシック・レコードマニアらしい解説者は、レコード盤と針の取り替えで途切れ途切れになる名曲にみなの関心と集中力をつなぎ止めようと必死です。
というのも、舞台の周囲にはウォーキングを楽しむ人や、子連れのファミリーのざわめき、小鳥のさえずりやときにカラス鳴き声、加えて神社がバックグラウンドとして流す雅楽の音もかすかに混じって、そのなかからベートーベンを聞き分けなくてはならないのですから聴く方もそれなりの努力がいります。
それでも聴衆は文化の日のイベントにふさわしい態度を示そうとの思いからでしょうか、解説者の努力に報いたいという温かい気持からでしょうかみな神妙にレコードに聞き入っている風です。

文化の日、口には玉こんにゃくの醤油味、耳にはベートーベンと、まことに不思議なミックス・カルチャーの体験でした。
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by love-all-life | 2013-11-04 12:22 | カマクラある記 | Comments(0)

カマクラある記 11 <小さな秋>

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最後の紅葉狩りは、中越の津南から秋山郷を分け入り奥志賀へ抜ける山林道のドライブでした。全山が錦の秋山郷を抜けて長野県との境をまたぐと、彩度が一段と高まった奥志賀の真紅に息を呑んだものでした。5年前のことです。

新潟から鎌倉に帰って、近辺の木々の色の変化に日々触れているせいか、改まって紅葉狩りに行こうという気も起こりませんでした。
以前このブログで触れましたが、鎌倉の秋は「この色を見よ」というようないわゆる紅葉狩りができる特定のスポットがあるわけではなく、あちこちの社寺の境内や路地の垣根越しに散見する紅葉樹や、枝に残った柿や、路端のひな菊や秋の紫色の花々などが秋の風情を演出するといった、こじんまりした秋です。
今年は台風の塩害などで紅葉の前に葉を落とした木も多く、鎌倉に紅葉だけを目当てに来たのでは期待はずれとなるかもしれませんが、受け身にただ眺めるだけではなく、少し感性を動員して自分なりの「鎌倉の秋」を発見しようとすれば成果は少なくありません。

今朝、しばらくぶりにバアバと朝の散歩をしました。HAND & SOULの裏の山を登り、鎌倉時代からの鎌倉への数少ない進入路のひとつであった化粧坂(その昔、合戦で討ち取った敵武将の首を洗ったのでこの名があるとされます)を反対側へ下り、花の寺として知られる扇が谷の海蔵寺へ寄り、踵を返して北条政子のお墓がある寿福寺の裏山を超えて源氏山公園から帰ってくるという道順でした。
距離にして2キロ半ほどですが、2時間ほどかけて、一枚の落ち葉に全山紅葉の景観を見立てたり、名も知らぬ木の実をかじってみたり、初めての細い路地に入ったりと、幼児の道草のような散歩でした。

今朝見つけた小さな秋の鎌倉です。匂いや、冷気はお届けできませんが、ま、ご覧ください。
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by love-all-life | 2012-11-11 21:30 | カマクラある記 | Comments(0)

久しぶりの「カマクラある記」

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もう9月というのに果てしなく続く盛夏並の暑さ。いい加減にケジメをつけて欲しいとの気持で、8月一杯続けていた朝のラジオ体操を、今日から朝の散歩に切り替えることにしました。久しぶりのカマクラある記です。
由比ケ浜海岸まで約30分、隣り合う由比ケ浜と材木座の浜辺をぶらりぶらりと往復して小1時間、帰路30分と2時間の散歩です。
用事で一二度車で海岸線を通ったことがあるものの、考えてみると今シーズンは一度も海岸へ来ませんでした。以前は半ば義務感のように「夏となれば海」だったのが、さしたる理由もなく海なしで夏が終わってしまうとは、ついついやはりこれも歳か、となってしまいます。いやいや海は若者だけのものではない公共のものなのだから、歳は歳なりの海への接し方というものがあるはずだ。どんな? そういえば「老人と海」なんていう関係が思い浮かびますが、ハゼ1匹釣ったことがない当方には無縁な世界だし、気だてのいい柴犬でも連れて浜辺の散歩なんていうのも悪くないが、万一水を怖がる神経質なヤツがきた日には始末がわるいし、波の静かな浅瀬に仰向けにプカリと浮かんで雲でも愛でる図が歳相応ではないか・・・などと取り留めなく思い巡らせながら、カメラ片手に、パチり、ぶらり、パチり、ぶらり。うん、これでいいのだ。これこそ歳相応というものではないかと自分に言い聞かせます。


日差しが強いとはいえ9月の朝となると、景色全体が薄い紫色のフィルターをかけたような落ち着きを感じます。深い青空に珍しいくらいの大入道雲、澄んだ水、ゴミのない浜辺。真夏の焼け付くような雑踏とはまるで違った早秋の海です。
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朝7時の海岸はまだ海水浴客もまばら。浜辺に並ぶ海の家も日焼けで疲れ切ったような様子で、ぼつぼつと撤去を始めたビーチハウスもあり、これからの日中の混雑を控えてすべてが静かでどこか寂しげです。

鎌倉の海岸浴場というと、昔(われわれが若かった50年ほど前)は、パラソルを立てるスキもないほどの混雑と、泳いでいる自分の手が見ないほどの透明度の低い海水だったにもかかわらず、人々はそういうことには一切構わず大挙して群がってってきたものでした。
あの頃に比べるといまの鎌倉は幾分リゾートらしい体裁を整えたと言えましょう。
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ところで今回びっくりしたのは海岸が一様にエスニック調に様変わりしていることでした。ヨシズに代わってヤシの葉を屋根に葺いたビーチハウスが目につくようになったのはここ数年の傾向ですが、やたらにタイカレーやインドネシア料理のメニュが目につくし、SINGHAというタイビールの広告塔やパラソルが立ち並び、エっ、こことはどこ?と言いたくなるほどです。
昔、コート・ダ・ジュール、いま、プーケット。「西欧からアジアへ」の流れがこんな風になるわけか。
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by love-all-life | 2012-09-02 01:14 | カマクラある記 | Comments(0)

鎌倉佐助のさんぽ市

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HAND & SOULのある佐助地区はジイジ・バアバが50年近く前に住みついた頃は鎌倉特有の低く入り組んで連なる山裾の奥(谷戸といいますが)に、まだ畑地や田んぼがあり、大きなお屋敷が点在し、谷戸の奥に佐助稲荷と銭洗弁天がひっそりと佇む、隠れ里といった趣の閑静な場所でした。いまも佐助に入るにはトンネルを抜けなければならないことがそのことを現しています。

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時が流れ人家が増え、町名も扇が谷から佐助と改められ、道路が舗装され、お屋敷が取り壊されて次々に分譲され、ニューファミリーが移り住むようになって、いくつかのお店もできました。

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佐助という町名は言うまでもなく佐助稲荷からきたのですが、その謂れは、源頼朝が幼少のころ佐(すけ)殿と呼ばれていて、伊豆に島流しされていたとき、枕元に「かくれ里の稲荷」と名乗る白ひげの老人が現れて、いま兵を挙げれば成功間違いなしとのお告げに従って攻め入ったおかげで鎌倉に幕府を開くことができたことから、「かくれ里」なるところを探したら西に小さな祠(ほこら)を見つけ、その場所にお宮を建て「佐助稲荷」名付たというのが佐助稲荷の縁起として記されています。佐殿(すけどの)を助けたので「佐助」というわけで、佐助は鎌倉の起源にゆかりの深い地なのです。

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その佐助も人口が増え、高齢者から若い家族やその子供たちと多様な人々が住むようになったことから、お互いの絆を深め、地域で子供たちを見守ったり、年々増えてきた観光客に対しても魅力的な佐助にしていこうと、小さな地域起こしが始まりました。
いずれも小粒ながら20店舗ほどの佐助のお店が連携して、「鎌倉佐助のさんぽ市」という夏のイベントが二年前から試みられています。
そして三回目の今年からHAND & SOULも参加することになりました。

今年の「さんぽ市」は具体的には、この8月3、4、5の三日間、それぞれのお店にフラッグを掲げ、店の特性に合わせたオリジナルな企画やメニュを用意します。たとえば、紅茶の専門店ではアイスティの入れ方のワークショップをしたり、うなぎやさんではドジョウのつかみ取りをしたり、人力車が特別料金で乗れたりといった具合に、思い思いのアイディアでイベントを工夫して、近隣のお客さんや訪れる観光客にぶらぶら歩きで地域を巡ってもらい、駅周辺の観光客相手の賑わいとはひと味違った、手づくりのサービスで楽しんでもらい、日頃の感謝の気持を表そうおうというものです。


e0153357_1236224.jpgさて、初参加のHAND & SOULとしては、来店者に自分でなにかつくってもらうワークショップ形式の企画にしたかったのですが、あまりにも店が手狭なので、結局手づくりアクセサリーのキットを販売することにしました。
竹、松ぼっくり、枝やサンゴや貝殻などの自然素材を利用して、誰でも比較的簡単につくれるネックレスやブローチなどのアクセサリーのキットです。完成見本を展示し、材料と作り方の説明書のセットを何種類か用意してお客さんに選んでもらいます。
「誰でもが簡単につくれて、どこにもない、オシャレなモノ」と一口に言うのは簡単ですが、いざ準備し出すと、これがなかなか簡単にはいきません。
既に日程も迫っていますが、まだ「簡単にしようとすれば難しい」という難問に四苦八苦しながらの試行錯誤中です。

ま、とりあえずこんな感じです。
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by love-all-life | 2012-07-20 15:31 | カマクラある記 | Comments(2)

鎌倉佐助のさんぽ市


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HAND & SOULのある佐助地区はジイジ・バアバが50年近く前に住みついた頃は鎌倉特有の低く入り組んで連なる山裾の奥(谷戸といいますが)に、まだ畑地や田んぼがあり、大きなお屋敷が点在し、谷戸の奥に佐助稲荷と銭洗弁天がひっそりと佇む、隠れ里といった趣の閑静な場所でした。どこから来るにせよいまも佐助に入るにはトンネルを抜けなければならないことがそのことを現しています。

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時が流れ人家が増え、町名も扇が谷から佐助と改められ、道路が舗装され、お屋敷が取り壊されて次々に分譲され、ニューファミリーが移り住むようになって、いくつかのお店もできました。

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佐助という町名は言うまでもなく佐助稲荷からきたのですが、その謂れは、源頼朝が幼少のころ佐(すけ)殿と呼ばれていて、伊豆に島流しされていたとき、枕元に「かくれ里の稲荷」と名乗る白ひげの老人が現れて、いま兵を挙げれば成功間違いなしとのお告げに従って攻め入ったおかげで鎌倉に幕府を開くことができたことから、「かくれ里」なるところを探したら西に小さな祠(ほこら)を見つけ、その場所にお宮を建て「佐助稲荷」名付たというのが佐助稲荷の縁起として記されています。佐殿(すけどの)を助けたので「佐助」」なのです。
というわけで佐助は鎌倉の起源になかなか縁起の深い地なのです。

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その佐助も人口が増え、高齢者から若い家族やその子供たちと多様な人々が住むようになったことから、お互いの絆を深め、地域で子供たちを見守ったり、年々増えてきた観光客に対しても魅力的な佐助にしていこうと、小さな地域起こしが始まりました。
いずれも小粒ながら20店舗ほどの佐助のお店が連携して、「鎌倉佐助のさんぽ市」という夏のイベントが二年前から試みられています。
そして三回目の今年からHAND & SOULも参加することになりました。

「さんぽ市」は具体的には、この8月3、4、5の三日間、それぞれのお店にフラッグを掲げ、店の特性に合わせたオリジナルな企画やメニュを用意します。
たとえば、紅茶の専門店ではアイスティの入れ方のワークショップをしたり、うなぎやさんではドジョウのつかみ取りをしたり、人力車が特別料金で乗れたりといった具合に、思い思いのアイディアでイベントを工夫して、近隣のお客さんや訪れる観光客にぶらぶら歩きで地域を巡ってもらい、駅周辺の観光客相手の賑わいとはひと味違った、手づくりのサービスで楽しんでもらい、日頃の感謝の気持を表そうおうというものです。


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さて、初参加のHAND & SOULとしては、来店者に自分でなにかつくってもらうワークショップ形式の企画にしたかったのですが、あまりにも店が手狭なので、結局手づくりアクセサリーのキットを販売することにしました。
竹、松ぼっくり、枝やサンゴや貝殻などの自然素材を利用して、誰でも比較的簡単につくれるネックレスやブローチなどのアクセサリーのキットです。完成サンプルと作り方の説明書と材料のセットを何種類か用意しお客さんに選んでもらいます。
「誰でもが簡単につくれて、どこにもない、オシャレなモノ」と一口に言うのは簡単ですが、いざ準備し出すと、これがなかなか簡単にはいきません。
既に日程も迫っていますが、まだ「簡単にしようとすれば難しい」という難問に四苦八苦しながらの試行錯誤中です。

ま、とりあえずこんな感じです。
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by love-all-life | 2012-07-20 15:31 | カマクラある記 | Comments(0)

絵葉書にみる子供

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前回に続いて「絵葉書で見る鎌倉百景」に因んだ話題です。
絵葉書で鎌倉を懐古するということになると、主な対象は名所旧跡や街の佇まいや建造物ということになりますが、同時に写真に捉えられている時々の風俗や人々の暮らしぶりを垣間みることにもなります。なかでも今回興味をそそられたのは随所に登場する子供たちの姿です。

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[左]は、「鎌倉七里が濱」大正〜昭和初の写真ですが、子供たちは天秤を担いだり、背負子を担いだり子守をしていて、無邪気に遊ぶ子供ではありません。みんな役割を与えられて大人の仕事の分担を引き受けています。
このように演出して撮られた写真のようにも見えますが、子供を点景にした海岸の写真ということなら昨今ならさしずめ岸辺で無邪気に波と戯れる子供といった光景になりそうです。ところが上のような写真にしたのは、カメラマンがこのような情景が七里が浜を代表するにふさわしい絵柄と考えたからに違いありません。
当方の手許にある「百年前の日本」(セイラム・ピーボディ博物館所蔵のモース・コレクション/写真編)をみても、年齢差なく遊び集った子供たちの多くは赤ん坊を背負ったり幼い子の世話をしていたり、また農作業を手伝ったり、親の労働力の助っ人としての子供たちが数多く写っています。
親から勉強を強いられ、すきあらばゲームに夢中になるといった現代っ子と大きく異なった子供の姿がみられます。
[右]は、「材木座海岸の水泳」【神奈川師範学校】昭和(戦前)です。「さすが将来の先生方、褌姿も凛々しく手足がピンと伸びて揃っています」と解説がついています。
この写真をみてまず感じたのは「太った子がいない」でした。そして気持の張りが姿勢に出ている「凛々しさ」です。
思わず以前のブログで取上げた「忘れ得ぬ写真」(2010年3月25日)の、長崎の原爆の焼跡にたたずむ少年の姿を思い出しましてしまいました。
近頃、お祭りで神輿が練り歩く映像などをみても、本来なら担ぎ手はねじり鉢巻で片肌脱いだイナセはお兄ちゃんであって欲しいところですが、なにやら色白でプヨプヨ小太りの若者が多くてどこか気勢があがりません。
日向の校庭で長時間立っていられない生徒や、朝礼を講堂で座って受ける子供たちのことを見聞きすると、どうしてこんなことになってしまったんだろうという思いが拭い去れません。

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[左]は「鎌倉御用邸」です。明治32年に現在の御成町に建てられ、大正12年の関東大震災で被害を受け、昭和6年に鎌倉市に払い下げられました。
[右]は現在の写真で(絵葉書ではありません)、その敷地に昭和8年に鎌倉郡立御成尋常小学校が建てられ、いま孫たちがお世話になっている御成小学校に引き継がれました。正門は御用邸の面影をそのまま残しています。門に架けられている校名は高浜虚子の筆によるものです。
鎌倉駅から卑近の広大な敷地の跡地利用ということになれば、当今なら巨大資本が入って再開発の大型プロジェクトが進みショッピンモールか高級マンションに変ってしまうところでしょうが、小学校(その後、中学校もでき、いまは市役所になっています)を建てるという、将来を担う子供たちへ投資すると決定した当時の行政の見識を感じざるを得ません。

これらの写真をみて感じるのは、子供と社会の関わりの変遷です。
写真からは「早くから社会の一員である自覚を促し」「鍛え」「社会が子供に投資をする」という世の中の姿勢が窺えます。そうして育った子供たちが、日本を世界の一流国(一応)に築き上げたのです。(無謀な戦争もしましたが・・・)
現在はどうでしょうか。子供たちに「できるだけ楽をさせ」「保護し」、思うようにならないと「教育制度が悪い」と嘆いて、責任を誰かに転嫁して自らを省みない親たちの精神構造は、いまの楽な生活が維持できないからと消費税増税に反対し、子や孫に1千兆円の借金のつけを廻そうとする愚考と同根です。


カット写真:モース・コレクションから
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by love-all-life | 2012-07-11 15:45 | カマクラある記 | Comments(0)

絵葉書で見る鎌倉百景

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図書館で用事を済ませて、カウンターの上に「絵葉書で見る鎌倉百景」という本が置いてあるのに気づきました。手にとってみると、明治から昭和初期にかけての古い鎌倉を写した絵葉書集で、図書館と館員の所蔵資料を掲載したとあり、鎌倉市図書館の開館百周年記念で出版されたものです。
ときどき書物や街の随所で古い鎌倉の写真を目にすることはありますが、これだけまとまったものをみるのは初めてなので購入して帰り、家でページを繰っていていろいろな興味深い発見や感慨がありました。

「絵葉書で見る・・」がなかなかのアイディアだなと思いましたが、いまのように誰でもがメモするように(しかもタダで)写真を入手できない時代には、観光土産として絵葉書が重宝がられたでしょうし、情報伝達のメディアとしての役割も果たしていたのでしょう。古い写真を探し集めたら結果的に絵葉書集になってしまったということかもしれません。

さて、写真の内容をみると日頃なじみの場所が「えッ、昔はこんなだったのか」という驚きや、「あッ、確かにこんなだった」と懐かしむ楽しみがある一方で、「それほど変ってないね」という感慨もあります。たとえば東京の100年前の写真と現状を比べたときの様変わりが感じられるということはありません。もちろん絵葉書なので被写体の多くが神社仏閣だったりランドマーク的景観ということもありますが、言いかえればそれだけタイムレスなアイテムが多いということですし、古都鎌倉といわれる所以でもあるわけです。
ところで鎌倉市はいまあげて世界遺産登録に躍起になっているわけですが、正直、この写真集に写った鎌倉なら文句なく世界遺産登録の賛成に一票投じます。


鎌倉住まいの当方が騒ぐほどみなさんには興味がないであろうことは承知の上で、掲載写真をいくつかご紹介しましょう。
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[左]は、タイトルは「鶴岡八幡宮の櫻」です。参道の段葛が大正6年に整備の許可がおりたとのことですから、この風景は大正期以降のものですが、バスや乗用車がひしめき合ういまの賑わいに比してどこかのんびりした感じです。
[右]は、「七里ケ濱」で明治末から大正初の写真です。江ノ島を遠望し、江の電の線路が通っているところはいまも同じですが、荷馬車を引いている道のすぐ下に現在は国道134号線が通り、環境が一変しました。
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[左]は「鎌倉長谷町ヨリ觀音ヲ望ム」で長谷寺山門に至る道です。近頃人出が増えた長谷の商業区域ですが、このあたりは大仏も近く昔から賑わっていらしいです。賑わいといってもこのような佇まいなら許せる感じ。明治末期から大正初の写真です。
[右]は「KAIHIN-HOTEL, KAMAKURA. JAPAN」。由比ケ浜にあった外人向けリゾートホテルで、大正2年の消印があるカリフォルニア宛に投函された絵葉書です。この広々とした松林はもちろんいまはなく、ずーっと時代が下ってこの跡地にできたテニスコートでは20年ほどお世話になりました。

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この写真集には、大正12年の関東大震災の惨状を写した絵葉書が含まれています。[左]は、ペチャンコになった八幡様の正面の舞殿と楼門が見えます。[中央]は、石の台座が壊れ、30センチほど前へずれた大仏さんです。[右]は、由比ケ浜を襲ったツナミの被害状況です。中央の洋館と思しき建物の円形の部屋かベランダの残骸を留めるのみです。このような災害の記録が絵葉書として流通していたことにとても興味を覚えます。
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by love-all-life | 2012-07-05 20:53 | カマクラある記 | Comments(1)

カマクラある記 14 <大町へ>

6月のある朝、小町から大町へのウォーキングです。鎌倉の中心地区ですから、名のある多くの社寺、樹木、廻る山々と観光の見どころに事欠きませんが、昭和の後半くらいまでは銅工屋、畳屋、表具屋などの軒先で仕事をする職人を見かける庶民の街でもありました。鎌倉で齢を重ねた勝手気ままな目線でカマクラの重箱の隅を突きます。

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何故か、景色のなかの人工物が、古びて、汚れて、干涸びて、朽ちていく姿に惹かれるのです。こちらが老いたので、同じように老い寂れていくものへの親近感という理由からばかりではなさそうです。
新しく生まれる人工物があまりにケバケバしく、傍若無人で、無神経なのに、日頃から腹立たしい思いをしているので、仕返しをしたいという心理がどこかで働くのでしょうか、なんか「いいな」「面白いな」「美しいな」と感じてしまうのです。

ずいぶん前から、海岸の流木や小石のフォルムや色や表情に興味をもち、美しいと感じ、手元に置き、眺めたりいじくったりしてきました。
かれらは、光と風と波にさらされ、揉まれ、少しづつ少しづつ、気の遠くなるような時間をかけて、気象条件と自然のリズムのなかでつくりあげられた造形物です。ここで自然が施す造形の営みは、人間が行う、早く、安く、大量にという工業生産の原理とあまりにもかけ離れたリズムで行われるので、まるで魔術をかけているように感じられるほどです。
そして、この自然と時間の魔術はなにも海岸の漂着物だけが受ける恩恵ではなく、世の中に存在するすべてのものにもに行き渡っているのだということに気付いて、街の人工物の古びの魅力の理由にも納得がいくのです。

さて、これから始まる自然エネルギーの活用の道。そこではいままで原発をつくってきた、早く、安く、大量にの原理が通用しないことを肝に銘じなければなりません。肝に銘じるというのは、エネルギー開発に関わる政府をはじめとする関係者だけではなくて、利用者にとっても覚悟が求められるということでもあるのです。 

S A V E   E N E R G Y  !
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by love-all-life | 2011-06-11 23:15 | カマクラある記 | Comments(1)

カマクラある記 13 <坂の下>

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啓蟄より遅れること一月あまり、朝の寒気が緩み、温いふとんへの未練をそれほど感じなくなると、もぞもぞベッドを抜け出してジイジは朝の散歩を始めます。
デジカメと、ケイタイ(時計がわりです)と、ビニール袋(なにか拾うかもしれないので)をポケットに、気の向くままカマクラの路地を歩き回ります。以前は英語の耳ならしに携帯ラジオでFENを聞きながらでしたが、最近は止めてしまいました。これといった理由はありませんが、小鳥の声を聞いたり、すれ違う人と挨拶を交わすに邪魔と感じるようになったからです。こうして暮らしから少しづつ細かいことが削がれていくのも老化ということなのでしょうか。

海岸で石や貝がらや流木を拾うのと同じような感覚で写真を撮ります。路面の面白い表情、生垣のディテール、不思議な色合いの壁、変な看板・・・どれもしょうもないモノばかりです。これらは流木などと違って持って帰るわけにいきませんが、写真を撮ると自分のものにしたような気持になるのです。

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ここ二日ほど由比ケ浜海岸の一番西よりの「坂の下」を歩きました。海岸沿いの自動車道路から一歩入ると、ほんの100メートル四方ほど区域に、昔の漁村のなごりやサーファーの気配や民家が混在する、人がすれ違うのがやっとの路地が家並みを分ける静かな一画があります。このあたりの路地はかっては砂地でしたが、いまはどんな細い小径も舗装されてしまいました。
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ジイジが撮る写真には、そんな坂の下の風情を写し撮ろうという意図はさらさらありません。吹き寄せられた漂着物のなかに「面白い」を漁る流儀で、ひたすら景色の中のディテールを追いかけて楽しむのです。
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6時に家を出て坂の下まで約2キロ。写真を撮りながらぶらぶら歩きで往復すると1時間半から2時間の手ごろなウォーキングです。逆方向へ足早にすれ違う現役たちを横目に、若干の悲哀とともに気ままな身分を確認するひと時であり、これで錆びついた感性を少しでもリフレッシュできればなァという淡い期待もあるのです。


 
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by love-all-life | 2011-04-25 11:03 | カマクラある記 | Comments(0)