HAND & SOUL

カテゴリ:時事・社会( 77 )

国民主権の謎

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5月3日憲法記念日。朝刊の憲法関連記事に目を通していて、『改憲派 衆院議員8割 有権者は3割』との見出しに「ん?」と目を留めずにはいられませんでした。
内容は「朝日新聞社と東京大学・谷口将紀研究室が昨年末の衆院選に合わせて実施した共同調査では、憲法改正に賛成した人は、衆院選で当選した議員で84%に上る一方、有権者では33%にとどまった。改憲に反対する人は、議員で10%にとどまり、有権者では30%で賛成とほぼ並んだ。」(後略)

さて、そもそも国会議員とは有権者の意思の代弁者として選ばれる人ではないのか。ところが議員は憲法改正賛成といい、有権者はそうは思っていない・・・両者の改憲への意思がこれほど違うのはどこかヘンです。
候補者が有権者を騙したのだろうか?自分の本心を隠して当選したのだろうか?自分の意思の代弁者を見誤るほど有権者が愚かなのだろか?代議員制度そのものに欠陥があるのだろうか?それとも運用の仕方に問題があるのだろうか?

国民主権を定める現憲法をめぐって、国民の意思がないがしろにされかねないこの現象は悪い冗談ではすまされません。政治に暗い当方としては途方に暮れるばかりです。誰かこの謎解きをしてください。

因に5月3日は「ゴミの日」でもあるそうな。有権者の意思がゴミのように扱われないよう願う日かしらん。








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by love-all-life | 2015-05-04 07:53 | 時事・社会 | Comments(0)

百十一歳の日比谷公園

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ときどきバアバの定期検診につき合って新橋の病院へ行きます。ご多分に漏れず3分の医師との面談ために3時間待ちですから患者はよいとしても、付添いの手持ち無沙汰の時間をなにか有効利用できないかと考えてウォーキングに当てることにしました。
歩いてみるとメガポリス東京が意外とコンパクトシティであることに気づきます。銀座、六本木、東京タワーはいずれも適度な散歩コースで、いつも地下鉄の乗り継ぎで戸惑っていたのがアホらしく感じられるほどです。

先日は日比谷公園でした。病院から公園の入口までは日比谷通りをほんの15分ほどです。特別これといった思い出があるわけでもないのに日比谷公園には妙に懐かしみを感じます。多分それは世の中がグルグル変るなかで、ジイジが物心ついてからずーっと変らずあるもののひとつだからでしょう。
久しぶりに訪れた公園は、初冬の陽光が静かに降りそそぎ、木々は紅葉を終えてイチョウだけが黄色い葉を散らしながら彩りを放っていました。ウイークデイの昼下がりであるためか、ベンチに人影を散見するだけで、池のほとりには三脚を立ててカワセミの出現をジーっと待つカメラマンがいたりして、まわりの喧噪に比してまことに穏やかなザ・公園といった佇まいです。

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ずーっと奥まで足を延ばし、桜田門側の出入り口のところで思いがけない発見がありました。
それは古い水飲み場です。説明板を読むと、「この水飲みは、日比谷公園開設当時(明治36年)のものです。・・・また馬も水を飲めるような形に作られており、陸上交通の重要な部分を牛馬が担っていた当時がしのばれます。」とありますから、齢なんと111歳の大古老で有らせられます。その古色蒼然とした風貌から鹿鳴館時代を彷彿とさせ、この場所からそう遠くない鹿鳴館へ馳せ参じるにわか紳士淑女を乗せた馬車の馬もここの水で喉を潤すこともあったでしょう。因に、明治時代の古地図を見ると公園内の道は「車馬道」と表記されています。
大正12年の関東大震災にも耐え残ったのですから、あたり一面が灰塵と化した界隈のなかで立派に生き残った建てばかりの旧帝国ホテルを目撃したに違いありません。
戦時中の金属供出により鋳金製の台や飲み口の壁などが剥ぎとられて痛々しい姿になっていますが、それも今となっては時代の一証言です。

戦後の日比谷公園となるとジイジの思い出と重なる部分も少なくありません。
それまでレコードでしか聞くことのできなかった伝説的な海外音楽家がやって来るようになって演奏会をやるのは決まって日比谷公会堂でした。毎年5月1日にはメーデーの行事で群衆が集い、労働者が消費者になっていく場を提供したのもここでした。そういえば社会党党首であった浅沼稲次郎が刺された衝撃のテロも日比谷公会堂の壇上でした。その後アベックといわれたカップルの聖地ともなったようですが、この頃からこの公園とのご縁はほとんどありません。

こうした歴史的な文化財というものの効用のひとつは、自分がまだ若造のようだと錯覚させてくれることではないでしょうか。明治・大正・昭和・平成と近現代の東京の歴史の中心であり続けて来た日比谷公園は、タイムレスという時空間を体感する恰好のスポットであるように感じられたのでした。









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by love-all-life | 2014-12-13 16:27 | 時事・社会 | Comments(1)

何でバンザイ?

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国会の「バンザイ!バンザイ!」を、何がそんなにおめでたいのかと白んでしまうのは、余計者世代のひがみでしょうか。
選挙に勝ってのバンザイならわかりますが、片方は議席数を減らすことがほぼ確実、もう一方は準備不足でよろよろバラバラでのバンザイとは。
議員たちは、これは首相が決めたことだから、首相は国民に決めてもらうためだからと、責任転嫁のかけ声とも思えるし、それとも700億円の国費を使うための威勢づけのバンザイかしら?

首相は、今度の選挙は「アベノミックス解散」だと見栄をきっています。要は金、金、金です。
お金のことしか言わない政治家、お金のことを言っておけば投票すると高を括られている国民。
なんだか悲しくなる関係です。

そこでフッと思い出したのは、いつか見たテレビの旅番組です。
各地の名所をたんに褒めちぎるというのではなく、レポーターが異国の街をぶらぶら歩きながら、ちょっと面白い店を見つけては寄ってみたり、通りすがりの住人に気軽に声をかけたりといった、近頃はやりのスタイルです。

それはアメリカのワシントンDCを訪れるものでした。
ワシントンDCは行ったことがありませんが、ま、すべてが整然としていて、アメリカ国旗がいたるところにチラチラしているようなイメージしかもっていないので、行けなかったことをあまり残念とも思ったことはありません。その番組でも、行っておけば良かったと思わせることもなく経過し、旅の最後はお定まりのホワイトハウスでした。
レポーターがホワイトハウスに近づいていくと、広い敷地を取り巻く鉄のフェンスのまわりに家族連れの観光客が取り付いて中を覗いています。

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レポーターが一組のファミリーに近づいて、10歳に満たないと思われる女の子に声をかけます。

レポーター:「ホワイトハウスをどう思う?」

女の子:「とても白いわ。うーん、お庭の花がきれい・・・。ちょっと古い感じ。」

レポーター:「将来ここで仕事をしてみたい?」

女の子:「・・・ここの人たちがわたしのために仕事をするのよ。」

一瞬周囲が笑いに包まれましたが、う〜ん、この歳にしてこの発言。参ったとはこのことでしょう。
民主主義の先輩アメリカの底力をかいま見た気がしました。

さて、選挙となると「みなさんが主役」と持ち上げられながら、「どこが主役?」の結果を押し付けられきた有権者がバンザイができるのはいつのことやら・・・。
「どんな国民もその民度に見合った指導者しか持ち得ない」というジレンマから脱するにはどうすればいいか、あの少女に聞いてみたいものです。











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by LOVE-ALL-LIFE | 2014-11-23 23:16 | 時事・社会 | Comments(0)

「イスラム国」

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幸福の定義に、「自分にないものを求めるのではなく、いま手にしているものを愛おしむことのできる人は幸せ」という言葉があります。
この言葉をアングルを変えて、「不幸な人はいま手にしていないもの求める」という言い方が成り立つかのような出来事が近ごろ物議をかもしています。平和の国日本の若者の「イスラム国」参加計画です。

何が「イスラム国」建設などという過激な動きを生んだのか、その背景は何か考えあぐねている大人たちをよそ目に、まるで台風接近の高波にサーフボードを抱えて浜辺に向かうかのような気軽さで、これといった大義もなしに、ただ人殺しの場に身を置いてみたいというような乱暴なというか、単純な動機で「戦地」へ出かけていく若者たちがいます。
彼らにとって「平和」や「安全」はあまりにも当たり前の日常なので、空気の存在を意識することがないように、平和であることを有り難く感じることも、改めて求めることもないのでしょう。
一方日本にいる限り「戦争」は彼らの手の届かないものであり、それ故に彼らの目に魅力と映るのでしょうか。

何人かの「戦士」が新聞などのインタビューに応じた言葉を拾ってみると、
「戦争に関心がある、気が済んだら帰国する」
「趣味を満足させるために戦闘に参加する。死ぬ気はない。気が済んだら帰る」
「就職活動がうまくいかなかった」
「生きるか死ぬかの勝負がしたかった」
「極限状態で戦いたい」
「思想や宗教的な理由はない。ただ強い相手に力試しをしたかっただけ」
「戦場にいるのは、敵でも味方でも、戦うことを選んだ人たち。それを殺すのがいいか悪いか、問うことに意味はない」

これらの言葉のなんと気軽で、身勝手で、無責任で、想像力や思考力の欠けてることか。「命をかけた自分」に酔いしれた狂気というほかありません。
「戦闘」に身を置いたことはないものの、空襲、焼け跡、近親者の戦死、空腹が人々をどれほど醜く卑劣にするかなど、戦争末期の悲惨を重苦しい時代の空気とともに吸い込んだ子ども時代の体験をもつわが身として感じるのはただ怒りとあきれのみです。

それにしても、なんでこんな若者たちを生んでしまったのだろうか。
70年ほども経って「戦争の実像や悲惨」にも老化現象ともいえる経年疲労およんでいるのではないかという疑念であり、平和を手にすることの困難さや有難味を知っている世代の努力不足という反省であり、それを伝えるアプローチの仕方にどこか欠如しているところがあるのではないかという思いです。
「不幸な人はいま手にできないもの求める」に戻るなら、いま彼らが手にしている「平和」を唱えているだけでは彼らには何のメッセージにもなりません。政治家には彼らの「不幸」が何に発するのかの究明とその解消に真剣に取り組ん欲しいし、大人たちは彼らが求める「魅力」の実態がどれほど醜く歪んでいるかを示す努力を惜しんではならないと思うのです。

写真: 朝日新聞








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by LOVE-ALL-LIFE | 2014-10-13 17:01 | 時事・社会 | Comments(0)

「イスラム国」

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幸福の定義に、「自分にないものを求めるのではなく、いま手にしているものを愛おしむことのできる人は幸せ。」という言葉があります。
この言葉をアングルを変えて、「不幸な人はいま手にしていないもの求める。」という言い方が成り立つかのような出来事が、近ごろ物議をかもしています。平和の国日本の若者の「イスラム国]参加計画です。

何が「イスラム国」建設などという過激な動きを生んだのか、その背景は何か考えあぐねている大人たちをよそ目に、まるで台風接近の高波にサーフボードをもって浜辺に向かうかのような気軽さで、これといった大義もなしに、ただ人殺しの場に身を置いてみたいというような乱暴なというか、単純な動機で「戦地」へ出かけていく若者たちがいます。
彼らにとって「平和」や「安全」はあまりにも当たり前の日常なので、空気の存在を意識することがないように、平和であることを有り難く感じることも、改めて求めることもないのでしょう。
一方彼らは日本にいる限り「戦争」は決して手にすることのできないものであり、それ故に彼らの目に魅力と映るのでしょうか。

何人かの「戦士」が新聞などのインタビューに応じた言葉を拾ってみると、
「戦争に関心がある、気が済んだら帰国する」
「趣味を満足させるために戦闘に参加する。死ぬ気はない。気が済んだら帰る」
「就職活動がうまくいかなかった」「生きるか死ぬかの勝負がしたかった」
「極限状態で戦いたい」
「思想や宗教的な理由はない。ただ強い相手に力試しをしたかっただけ」
「戦場にいるのは、敵でも味方でも、戦うことを選んだ人たち。それを殺すのがいいか悪いか、問うことに意味はない」

これらの言葉のなんと気軽で、身勝手で、無責任で、想像力や思考力の欠けてることか。「命をかけた自分」に酔いしれた狂気というほかありません。
「戦闘」に身を置いたことはないものの、空襲、焼け跡、近親者の戦死、空腹が人々をどれほど醜く卑劣にするかなど、戦争末期の悲惨を重苦しい時代の空気とともに吸い込んだ子ども時代の体験をもつ身としてはただ怒りとあきれしか感じることはできません。

それにしても、なんでこんな若者たちを生んでしまったのだろうか。
70年ほども経って「戦争の実像や悲惨」にも老化現象ともいえる経年疲労およんでいるのではないかという疑念であり、年長者の努力不足という反省であり、アプローチの仕方にどこか欠如しているところがあるのではないかという思いです。
「不幸な人はいま手にできないもの求める」に戻るなら、いま彼らが手にしている「平和」を唱えているだけでは彼らには何のメッセージにもなりません。政治家には彼らの「不幸」が何に発するのかの究明とその解消に真剣に取り組ん欲しいし、大人たちは彼らが求める「魅力」の実態がどれほど醜く歪んでいるかを示す努力を惜しんではならないと思うのです。


写真: 朝日新聞








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by LOVE-ALL-LIFE | 2014-10-13 17:01 | 時事・社会 | Comments(0)

積極的平和主義

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昨日、新聞の片隅に「ノーベル賞平和賞、憲法9条急浮上」という記事を発見して、うれしい衝撃をうけました。

ひとりの主婦の発案で、「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会というグループが受賞に向けて熱心に署名運動をしているといことをうっすら知っていましたが、「いいアイディアだな」「すばらしい夢だな」くらいに感じていていました。ところが夢は正夢になるかもしれないというのです。

記事によると、的中率の実績があるオスロ国際平和研究所(PRIO)が、2014年のノーベル平和賞予測で「憲法9条を保持する日本国民」がトップに躍り出たと報じているのです。また「中立や不可侵、平和主義につながる原則を掲げる憲法9条は、軍事的な紛争解決が多用される昨今において重要にもかかわらず、十分に光が当たっていない」とのPRIO所長のコメントも添えられています。(朝日新聞10月4日)

安倍首相が唱える「積極的平和主義」なるものに、ずーっと違和感をもってきました。
なぜなら彼は国家の安全と平和を維持するには仮想敵国からの侵略に対してそれ相応の軍備を蓄え力を保持する「積極的な」姿勢が必要と言います。
そしてこんなことは国際社会では当たり前のことで、このことを束縛する「9条」は変えなければならないとの思いのようです。
たしかにこれは常識なのでしょう。だって世界中の国がそういう発想をもっているからこそ、古今東西、地球上での紛争や戦争が絶えないわけですから。
当方の安倍さんへの違和感は、世界で唯一戦争はしないとの国是をもった国だからこそ主張できる「平和主義」があるはずだ。我が国の指導者にはそれを国連で、サミットで、堂々と主張して欲しい。それは「力」に頼る平和主義であるはずがないと言う気持ちです。

「憲法9条にノーベル平和賞を」はある意味で理想主義かもしれません。でも、いまわれわれが人類の財産としているものはすべて「理想」から生まれたものではないでしょうか。そしてそれはこの世の憎しみ、裏切り、偽りの総量を上回るに違いありません。
もしPRIOの予測が実現すれば、それは日本の子供たち、いや世界中の子供たちに「世界平和とは何か」を考えるまたとない教材を提供するという意味において、未来の世界平和への希望の光となるであろうと思うのです。

ところで、もし予測が実現すれば、安倍さんは日本国民の代表として授賞式にどんな面さげて出席するのかしらん。







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by LOVE-ALL-LIFE | 2014-10-05 13:13 | 時事・社会 | Comments(0)

国家って必要?

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2001年9.11のワールドトレードセンターの同時多発テロ、つづく湾岸戦争・・・。
われわれはなんでも「見える」世界に生きています。
彼方でおこる紛争も2メートルの卑近距離でTVの画像を通じて接することに慣れっこになっています。

それにしても、昨今のように国家間の紛争の実態を毎日リアルタイムで生々しい映像を通して世界中で共有しながら進行するのを目の当たりにするということは、幸せなことなのか、不幸なことなのか。
知ること自体は悪いことであるはずがありませんが、知ってもその事態の改善になにもできない空しさは精神衛生上よろしくありません。

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紛争に無関係な295名の爆死者の散乱する荒野で、調査団の進入を銃を持って威嚇するウクライナの新ロシア派の兵士たち。
「自国の安全のために、相手の国民を殺す」と世界に向けて宣言するネタニエフ首相。続いて血まみれの子供を抱えて右往左往する市民でごった返すガザ地区の病院。
とても、民主主義、人道主義が世界でひろく共有される現代の出来事とは信じられません。
「これは映画ではないのだ」と自ら念をおさずにはいられない情景を、目にしたくないと思いながら、目が離せない毎日です。

個人と個人では親しくなったり好きになったりできるのに、一方信頼関係を口にしながら実のところは不信をベースにした「利」と「害」の回路でしかつき合えない国と国の関係というのは、根本的なところで「平和」と相容れない性質をもっているのではないか。
国家とは何か? 国家なんかない方がよいのではないか? 世界国家とかユートピアはありうるのだろうか? こんな疑問が頭のどこかに居着いて離れません。
そんな昨夜、NHKの夜9時のニュースで宇宙飛行士の若田光一さんのインタビューがありました。日本人として初めて船長としての重責を全うして帰還した彼の表情もコメントも実にさわやかです。
アメリカ人、ロシア人、日本人をはじめ国籍を異にするチームのまとめ役として、彼が最も心を注いだのがコミュニケーションでした。
自国のためというより宇宙という共通の目標に向けて一体となるのが宇宙船という世界なのだ言う彼の言葉に、国家間の紛争を回避するひとつのヒントがあるように感じました。
それにしても、「日本人として初めて」「世界をリードする日本の技術力」というように日本、日本が連呼されるインタビューを聞いていて、やはり「国」が前へ出るのかとやや複雑な心境でした。








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by LOVE-ALL-LIFE | 2014-07-30 16:32 | 時事・社会 | Comments(0)

文明のバロメーター

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朝日新聞の今朝の1面の『しつもん!ドラえもん』は「日本は、世界でも紙をたくさん使う国だけど、消費量は世界で何番目かな?」で、答えは「日本は三番目、一番は中国、二番目は米国」でした。
かって紙の消費量は文明のバロメーターと言われた時代があり、その頃はなんといってもアメリカがダントツで、日本が二番で、なにがしかの誇らしい気持ちをもったものです。

そんな紙にまつわる思い出話をひとつ。
ジイジが広告会社にいた頃、当時は人気のあったコピーライター職には多くの希望者が殺到しました。入社試験を勝ち抜いて最終役員面接の日の一人の受験者の対応が印象に残っています。
彼は履歴書に海外旅行経験ありと記していました。面接試験管の質問は必然的に、彼の海外旅行の体験や彼が得たものを述べよという感じになります。
彼は待ってましたとばかり、新調の背広の内ポケットから一片の紙を取り出して面接官の前に広げました。そこにはなにやら小さく切った紙片がたくさん貼ってあり、彼はその紙片について話し始めました。それらの紙片は彼が海外で滞在したホテルのトイレットペーパーだというのです。一般に欧州のホテルのトイレットペーパーは日本のものより質素で、日本のように真っ白でなく、パリのホテルののものは幅もせまく、若干色がついていて白さの足りない分をカバーしてるようだとか、ドイツのものは欧州の他の国のものよりやや厚手で白いとか、バンコックのホテルのものは繊維が短く破れやすいとか・・・彼の流暢な語りは尽きません。
相手の意表を突き、興味をかき立て、分析能力を開陳し、プレゼンテーションの場で自らを際立たせるのに成功した彼は、試験管に「VERY GOOD!」をマークさせるに十分でした。30年ほど前の話です。
彼は2年ほどコピーライターとして仕事をした後た、福武書店(ベネッセ・コーポレーション)に去っていきました。

そういえば砂糖の消費量も文明のバロメーターとされたこともありました、紙にしろ砂糖にしろ、健康被害とか環境被害などが取りざたされ、いまや勲章としての輝きを失ってしまいました。
代わって現代のバロメーターと言えば「情報」ということになるのでしょうが、この時代に有為の若者が入社の面接試験で内ポケットからどんな「情報」をとりだして見事なプレゼンテーションをするのか、ジイジには皆目検討がつきません。




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by LOVE-ALL-LIFE | 2014-07-17 10:16 | 時事・社会 | Comments(0)

ボールと鉄砲

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早朝目覚め、「ん?!」まだ「日本×コロンビア戦」やってるぞとテレビをつけました。ちょうど後半戦の開始でスコアは1ー1。一挙に寝ぼけ眼がドングリ眼へ(とはいかないのですが、精一杯見開きました)。
しかし日本は善戦したものの、やはり力の差はいかんともしがたく、結果は1−4、日本のワールドカップは終わりました。多くのサッカーファンはこれで目不足から解放され、これからしばらくは反省好きの日本人のことですから「日本サッカー」の反省点の指摘合戦が繰り広げられることでしょう。
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猛烈なサッカーファンというほどではない当方としても、ハラハラドキドキしながらTV観戦を大いに楽しみました。
「楽しみ」の中心は、言うまでもなく死闘をくりひろげる選手たちの運動能力の高さや目を見張るテクニックですが、また一喜一憂するそれぞれのサポーターの熱狂の情景も楽しく、とりわけ印象的だったのは埋め尽くされた観客席の色彩の豊かさでした。オリンピックの前夜祭などで派手なパフォーマンスがあるものの、何万という群衆が生み出すこれほどの華やかな色彩をかって観たことはありません。南米ブラジルで開催される大会ならではの明るさに満ちていました。
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さて、「楽しみ」というのではないのですが、観戦しながらしきりに思ったことは、「ボールを足で蹴るだけのことで人はなぜこれほど熱狂できるのだろうか」ということでした。
世界のトッププレーヤーのパフォーマンスのすばらしさ、4年に一度、歴史や伝統の重み、国の威信や愛国心などいろいろなファクターが重なった結果なのでしょうが、大部分の観客、スタンドの観客だけでなく世界中のTV観戦者にとって損にも得にもならないのに何故?
これに解答をだすのはそう簡単なことではありませんが、乱暴に言ってしまうとその理由は、人の行動や振る舞いは多くの場合理的な思考によってではなく感情で左右されるという「人間の性(サガ)」ではないでしょうか。
と考えてきてギョッとするのは「もしこれがボールでなく鉄砲だったら・・・」

集団的自衛権の案件をなんとか閣議決定に持ち込もうとする安倍政権の、机上の理屈に理屈の積み重ねにどれほどの意味があるのか疑問を持たざるを得ません。安倍首相は「実戦に持ち込むことはしない」、「きわめて限定的」などと本心を押し隠そうとしていますが、日本の戦力を活性化しようとする本音は隠しようもありません。戦争の匂いで経済を活性化しようという密かな下心があるのではと勘ぐってみたくもなります。
戦争はいつも、敵をつくり、疑心暗鬼を造成し、正義を振りかざし、愛国心を煽る為政者によって引き起こされます。そのきっかけは一発の銃声で十分です。そして、一旦銃の引き金が引かれてしまうと人々は熱狂し、若者は愛国心と憎悪にまみれて戦地へ向かうのです。

熱狂の対象はくれぐれもサッカーボール止まりにして欲しいものです。









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by LOVE-ALL-LIFE | 2014-06-25 13:02 | 時事・社会 | Comments(1)

あめあめ ふれふれ

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関東地方も梅雨入りしたとの報道通り昨日から間断なく雨が降っています。
一両日前から、テレビでは四万十川の濁流の様子や、各地の降りしきる雨の映像を報じながら、大雨による被害への警戒を呼びかけています。
今朝は起き抜けの8時ころ電話が鳴って、孫の中学校での今日の行事が中止になったとの連絡電話が入り、鎌倉市の町内放送のスピーカーが大雨警戒警報を告げています。
これだけ雨への警戒を促されれば誰だって家に閉じこもっているだろうと、いつも長時間待たされる皮膚科医院へ今日こそは空いていると見込んで出かけることにました。
傘、ゴム靴、ジャンパーに身を固め外へ出てみると、雨は降っているものの、「何これ? 雨って、こういうものじゃないの」という程度の小降りでやや拍子抜けです。
往来を歩いている人はいつもより少ないものの、空いていると見込んだ医院の待合室は人で溢れ3時間も待たされてしまいました。

待たされている間つらつら思ったことは「ちょっと脅かし過ぎだな」という感慨でした。
世の中なにごとも「安全第一」で、「危険は遠ざけるもの」になりすぎているのではないかと感じるのです。過保護には「落とし穴」があるような気がしてなりません。
度重なる自然災害から得た教訓としての防災意識の喚起は大切であることに異を唱えるつもりはありません。
しかし今朝の体験から、危険排除がいき過ぎると、この世の自然現象を、危険なもの避けるべきリスクととらえる子供たちが育ってしまうことになりはしないかと心配です。
自然への「親しみ」と、自然への「警戒」のバランスが大切なのではないでしょうか。
まず「親しみ」があって、その経験のなかから「警戒」も身につけるという流れであって欲しいと思うのです。まず「警戒」ありきでは、決して自然に「親しむ」子どもは現れてこないのではないかと危惧するのです。
家の中で窓ガラス越しに雨を恨めしく思ったり、怖いと感じる子どもばかりになるのは悲しいことです。

あめあめ ふれふれ  かあさんが
じゃのめで おむかい うれしいな
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン


かえるのうたが
きこえてくるよ
クヮ クヮ クヮ クヮ
ケロ ケロ ケロ ケロ
クヮクヮクヮ

近頃の児童の教科書にこのような唱歌を見いだすことはありません。
自然を歌い、自然を描き、自然を嗅ぎ、自然に直に触れることで、自然の多面性を身体で覚えていく、その過程で健全な防災意識も身につくと思うのです。










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by LOVE-ALL-LIFE | 2014-06-07 18:32 | 時事・社会 | Comments(0)