HAND & SOUL

カテゴリ:文芸・アート( 53 )

逝きし世の面影

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これらは江戸末期に兵庫県豊岡市城崎町でつくられた麦わら細工の皿や小箱です。
先日千葉・佐倉の国立歴史博物館で開催された「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」(注)にシーボルトのコレクションのひとつとして紹介されていたものです。

麦わら細工は、大麦の管(稈…かん)の堅牢性とそのつややかな表情を活かして、暮らしの道具をつくったり飾ったりするもので、昭和の初期までは割合身近に見ることができましたし、箱根の寄木細工やこけしとならんで伝統工芸品としてよく知られた土産品でした。関東では大森の麦わら細工が知られていましたが、いまは兵庫県の城崎で伝統工芸の土産物としての余命を永らえているようです。上の麦わら細工にも「城崎湯嶋 御麦藁細工 美濃屋兵三郎」と印のある包装紙が一緒に展示されていました。
昭和11年生まれのボクの子どもの頃の記憶でも駄菓子屋の店先やオモチャ屋で見かけましたし、ストローは蝋紙やプラスチックのものになるまでは麦わらでした(ストローという言葉そのものが麦わらの意ですからね)。

展示された江戸期のシーボルト・コレクションの麦わら細工をあらためて観ると、「雑貨」の類いと思っていた麦わら細工が、他に展示されている螺鈿や漆器に一歩もひけをとらないクラフトワークであることを再認識するとともに、こんなに美しいものかと驚きます。舌を巻く精緻な細工の技もさることながら、モノとして格調が高いのです、品があるのです。
でもこれらの王侯貴族への献上品でもないし、大金持ちのパトロンのためにつくられたものでもない、ごく一般の庶民が使ったり飾ったりする日用品がこれほど精緻で趣味がよいとはどういうことなのか・・・。それは多分その時代にそういうものを求め、それを使いこなし、愛でる人びとがいたからに違いありません。
こういう推察を後押ししてくれる資料があります。
それは、江戸末期から明治にかけて、すでに産業革命を経て工業化社会へ歩み出した欧米の諸国からやって来た異邦人の眼に映った、後進国日本についての証言を満載した「逝き世の面影」(渡辺京二著 平凡社ライブラリー)です。
証言は国土、自然、人々、暮らし、労働、性、信仰・・・と多岐にわたりますが、まとめると「日本という国は自然が美しく、清潔で、人々は陽気で礼儀正しく利発であり、暮らしは簡素で貧困ではあるが貧しくはなく、みな幸せそうである」といった賞賛の声です。しかしながらまたそれらの声は、われわれがこの150年ほどの間に何を失ってしまったかを明らかにせずにはおきません。

ここで彼らの証言が日用品について触れた箇所を二三紹介しましょう。

「(150年前、スイスの使節団代表として日本を訪れた)アンベールは『江戸の商人街の店頭に陳列された工芸品』には『一貫した調子があること』に気づいた。誰が何といおうと、自分はそれを『よき趣味(ボン・グウ)』と呼びたい、と彼は言う。『江戸の職人は真の芸術家である』。種子屋で売っている包みには、種子の名前とともにその植物の彩色画が描かれている。『これらの絵は何か日本の植物誌のような冊子から写し取られたかと思われるほどの小傑作である』。ところがそれは、畳の上に寝そべって筆を走らせている年端もいかぬ店員の作品なのだ。アンベールはまた,『鉢、盃、台皿、小箱類、漆の盃、瓶、茶碗、上薬をかけた茶瓶』など、『美しい食器類』を器用かつ優雅に使いこなしている人びとを見ると、食事というより、まるで大きな子どもたちがままごと遊びをしているように思えるのだった」。

「『日本の職人は本能的に美意識を強く持っているので、金銭的に儲かろうが関係なく、彼らの手から作り出されるものはみな美しいのです。……庶民が使う安物の陶器を扱っているお店に行くと、色、形、装飾には美の輝きがあります。』彼女(アリス・ベーコン)は『ここ日本では、貧しい人の食卓でさえも最高級の優美さと繊細さがある』と感じた。」

「(日本家屋の欄間について)モースにとって印象深かったのは、それがいずれも『名もなき地方の職人の手になるものだ』ということだった。『遠隔のさまざまな地方の、比較的小さな町や村に、素晴らしい芸術的香りの高い彫刻のデザインを考え、これを彫るという能力を持った工芸家がいるらしいことは、顕著な事実であると同時に注目に値する事実である』。彼は、母国アメリカでの地方の大工がこんな場合どんな仕事をするか考えて、怒りにとらわれた。日本ではなぜこのようなことが可能なのだろうか。それは日本の職人が『たんに年季奉公をつとめあげたのではな』く、『仕事を覚えたのであって』、従って『自由な気持ちで働いている』からだ。日本人は『芸術的意匠とその見事なできばえを賞揚する』ことができる人びとなのである。(中略)すなわちモースは、日本におけるよき趣味の庶民のレベルでの普及こそ、職人が叩き大工でない一個の芸術家的意欲を保持しえている根拠とみなしたのである。文明とはまさにこのことにほかにならなかった。」


冒頭に示した麦わら細工の魅力も、こうしたお互いに美的価値観を共有するというベースがあり、一方に作り手の技への敬意があり、もう一方に自分のつくったもの大切にし、愛でてくれる使い手がいると信ずることができるといった関係があってはじめて生まれるものだと納得します。
まことに憚りながら、われわれHAND & SOULが細々と続けているのも、ここで紹介したような「逝きし世の面影」をたんなるノスタルジーで済ませたくないいう気持ちから発したささやかや動きなのですが。


(注)「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」:ドイツ人医師・博物学者で19世紀に2度に渡り来日したフィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルトは、膨大な日本の自然や生活文化に関わる資料を収集し、ヨーロッパに持ち帰り紹介・展示することに情熱を注ぎ,その後のヨーロッパにおけるジャポニズムの先駆けともなりました。今回の展示は,コレクションから300点ほどを当時の彼自身の展示プランに沿うかたちで展示するものです。
江戸東京博物館で9月13日〜11月6日が開催されています。

麦わら細工写真:「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」図録より
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by love-all-life | 2016-09-18 08:21 | 文芸・アート | Comments(0)

今年は傘が要りそう


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もう昨年になってしまいましたが、ついこの間近所の図書館で特別な思いがあったわけでもなく借出した本に、こんな一節がありました。

「ソロモンは賢者だったと思いますか」。
「怪しいですね。ホロヴィッツさん。しかし老いた者のみが賢者たりえます。これは老人が必ずしも賢者であるということではありませんよ。じっさい若いときに愚かな人間は年取ってもやはり愚かなままです」。
ホロヴィッツが付け加えた。「そして若いころよりももっと馬鹿面で醜くなる」。
「そうとは限りませんよ、マエストロ。トスカニーニ、カザルス、ミロ、ピカソ、ブラック、コクトー、その他多くの芸術家たちは老いたときにいい顔をしていましたよ」。
「そうです、それはまだ彼らが懸命に仕事をしていたからです」とホロヴィッツが答えた。

ホロヴィッツさんとは、言うまでもなくあの稀代のピアニストのことであり、彼に密着取材した音楽評論家デヴィッド・デュバルの著書「ホロヴィッツの夕べ」を読んでいて出会ったやり取りです。
こちらが物心ついてからずーっと老人であったという印象のホロヴィッツ。その彼が「老い」についてどのような考えをもっていたかを知るのは興味深いことです。

80歳で生きるレジェンドとして初来日し、待ちに待った日本のクラシック・ファンの耳に届いた彼の演奏を「ヒビの入った骨董品」と評され、そのことをすごく気にして3年後再来日し、その汚名を注いだ根性の仕事師ならではの言葉です。

長年の懸命なパフォーマンスの積み重ねこそが人を賢者たらしめ、いい顔の老人をつくる。
今年の年初の言葉として、実現は難しそうだけど覚えておこう。
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by love-all-life | 2016-01-03 20:16 | 文芸・アート | Comments(1)

「ありがとう、スタルク。」

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鎌倉に住んで50年、といっても30年は東京に勤め先をもつ言うところの鎌倉都民、15年は長岡市民だったということで、市県民税・固定資産税の高さに市民意識が呼び起こされることはあっても、いまだに道で観光客に鎌倉のお寺の宗派を訊かれてもモゾモゾと口ごもる始末です。
やっとこの数年、町内会に顔を出したり、朝のラジオ体操のお仲間ができたりすると、今度は老朽化した建造物の保存活動や、ピースパレードの参加にお声がかかるようになって、横断幕を掲げて市内をねり歩いたりして、鎌倉市民らしい振る舞いがめっきり増えました。

そんなとき地域貢献の絶好の機会が到来しました。市内の小学生にデザインについて話してみないかというお誘いです。
これはNPO法人「子ども大学かまくら」という小学校高学年を対象とした学校外授業で、子供たちにより多面的に考え、応用し、判断する力を涵養しようという試みで、市内の大学教授や専門家がボランティアで授業を行うもので、5年前にスタートしました。学長は養老孟司さんです。
毎年応募者から200名を受け入れ、授業やゼミ実習、体験学習などを行います。当方に与えられたのは「デザイナーになってみよう」という20人の実習ゼミで2時間づつ、3回授業です。

7年ぶりの授業ということで、いささか緊張しながらも張り切って準備をはじめたのはよかったのですが、これがなかなか難物でした。
こちらが伝えたい内容は簡単に決められるのですが、問題は相手が小学生だということです。例えば「デザインは美しさと機能を考えます」と言おうとする時、機能の文字にはフリガナが必要だろうか、そもそも「きのう」という言葉の意味が通ずるだろうか?ではなんと説明する?というような疑問が後から後から出てくるのです。
計画、図案、芸術、情報、環境、快い、感動、新鮮、好奇心、工夫、目的・・・、このような言葉を何気なく使ってしまってよいのだろうか、でないとしたらどう説明するか、でもひとつひとつ説明していたら果たして時間が足りるだろうか、足りるとして、でも子どもたちは退屈するだろうな。こんなことを考えていると暗澹としてくるのです。
改めて小学校の先生というのはたいへんな仕事なのだなあという実感を得るとともに、小学校の先生には教員資格が求められ、大学教授には求められないことが理解できたのでした。

さて、そんな疑念の晴れないままの授業でしたが、子供たちの満足度は未知ですが、こちらの疲れは大学生を相手とするよりはるかに大きかったことだけは確かです。
話の中で一カ所とても盛り上がったことがありました。それは「よいデザインとは何か」という話で、例を示すスライドを見せるほかに、家にあったフィリップ・スタルクのレモン絞り器を持参し子どもたちに示して「これが、先生の大好きなグッドデザインです!」と言ったときです。彼らの目は一斉に輝き、驚き、コメントが相次いだのです。「どうやって使うの?」「どこで売ってるの?」「使いたい!」「飲みたい!」。
お陰で次回の授業では皆にレモンジュースを1杯づつサービスするハメになりそうです。










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by love-all-life | 2015-10-25 22:00 | 文芸・アート | Comments(1)

段ボールの上のワンダーランド

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「えっ、これでも春?」というような薄ら寒い曇天がつづくなか、ぽっかりと陽光を得た先週の土曜日、三浦半島で最も高い大楠山の山懐の有機農園で開かれたフォトスタジオのワークショップに参加しました。

フォトスタジオといってもかっての写真館風のものとは打って変わった、米国西海岸のリゾートハウスのような開放的な空間で、若いファミリーが勝手気ままに楽しむ自然な姿をパチパチとデジカメに収めるといった、機材の進歩がもたらしたビジネスモデルで近頃人気のスタジオの3周年記念行事のお手伝いとしての参加です。
当方のお役目は、段ボールの台紙にいろいろな素材を貼付けて絵をつくるコラージュづくりのワークショップの指導です。
70組ほどの参加ファミリーはほとんどが未就学児連れのパパママやおじいちゃんおばあちゃんの小グループで、以前このフォトスタジオで撮影したお客さんたちですが、彼らはまた子どもの成長につれてリピーターとなるであろうお得意さんでもあるわけです。

イベントの企画の段階では「コラージュ? 何それ」といった戸惑いの声もありましたが、「大丈夫、子どもはみんな表現の天才なんだから」と当方が意見を出してやることが決まりました。
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色紙、各種テープ、リボン、新聞紙、、ボタン、種といった用意された材料の他に、子供たちは葉っぱや、小木片や、ドングリなどを周りの自然から探してきてはベタベタと遠慮なく台紙に貼付けます。接着材として用意したボンドも歯磨きのようにひねり出して白い山をつくり、小枝を貼付けるだけではもの足りず台紙に穴をあけて垂直に立ててしまったりと遺憾なく天才ぶりを発揮します。
なかでも3歳のユカちゃん(仮称)は、摘んできたたタンポポの花を台紙に貼付けましたが、そこへミツバチが飛んできて止まって動かず、作品の一部に成り済ましたのには、なんでもありのコラージュの極地を見る思いでした。

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こうした子供たちの奇想天外な発想や大胆さは、教育を受け、分別をもち、社会性が身につき、大人になるに連れて先細っていくのが常です。
小林秀雄は真の芸術家は大人になっても幼児性を失わないものだと言っていますが、天才ならぬ分別臭い凡人が天衣無縫な幼児性を取り戻す、いわば逆教育といったものがあり得るのだろうか、この二律背反を一身に併せ持つとはどういうことかと考えてきて、ハッと「これこそがデザイナーにとって最も大切な資質ではないか」と気づきました。なぜならデザインとは合理性と感性、用と美を、ひとつのもののなかに同時に実現する行為だからです。

段ボールの台紙をワンダーランドに変えてしまった、あの子供たちの才能がいつまでも消え去らずにいて欲しいと祈らずにはいられません。








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by love-all-life | 2015-04-22 11:44 | 文芸・アート | Comments(0)

ある小さなスズメの記録

バアバが買って来た何冊かの本の中から、何気なく一冊を抜き出して読んだら、それが実に驚くべき内容だったので、ご紹介することにしました。
「ある小さなスズメの記録」クレア・キップス著/梨木香歩訳/文春文庫で、副題の「人を慰め、愛し、叱った、誇り高きクレランスの生涯」が示すように、巣から路上に落ちて瀕死の生まれたての小スズメを拾った英国人女性が、家で介抱したことがきっかけで始まった、ピアニストで寡婦のクレア・キップスと障害のある小スズメの同棲生活の記録です。

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後にクレランスと名付けらるこの小スズメは羽と足に障害があり、多分生き延びることはできないとの親鳥の判断で巣から故意に落とされたらしいのです。
自宅の玄関先に赤ん坊が置き去りにされていたら見捨てるわけにはいかないといった気持ちから、クレアはスズメを拾い上げ、温かいフランネルで包み、閉じたままのくちばしにマッチ棒の先端をそっと差し入れて開いたままの状態にし、小さなのどから数分ごとにわずかのミルクをたらし込むという作業を忍耐強くつづけるうちに、スズメは少しづつ命の証しを表し始め、翌日になると餌をねだるまでに回復します。
三日目になると、それまで閉じたままの出目に裂け目ができで両眼を開きました。彼はまだ鳥というものを見たことがなかったので、目前にいるクレアを何の疑いもなしに自分の保護者として自然に受け入れます。
それ以来、彼はクレアの枕の上に置いた古い毛布の手袋の中で眠り、夜明けにチュンチュン騒いでクレアの髪の毛を引っ張って起こしては、朝食をせがむまでに元気になります。

クレアはいずれ彼が元気になったら外へ放してやるつもりでしかが、左の翼が十分に機能しないことが明らかになり、羽をバタバタさせ這い回ったり、ピョンピョンと跳び歩くことしかできないので、野生化への試みは断念せざるを得ませんでした。
そのようにして始まる彼らの日常はこんな具合です。
「彼が自分で食事ができるようになると、すぐに私は安全な部屋の中に彼を残して出かけた。室内の隅には、食べ物とミルクを置いておいた。彼はほどなく私の声や足音、ドアの鍵を開ける音すら聞き分けるようになり、私が帰ると大騒ぎで出迎えた。彼のいる部屋のドアを開けた途端、文字通り飛ぶような勢いでやってきて、興奮気味にしゃべりたてながら私の脚をよじ登り、膝を越え、肩へと到達、最後に私の顎や襟のなかに潜り込むのだった。」

ここまでなら、上手に飼いならした愛鳥と飼い主の関係でも起こりうる話といえなくもありませんが、やがて彼は芸を覚え、ヘアピンを引っ張る綱引きを演じたり、トランプカードを使った手品など演じて、第二次大戦のドイツ軍の空襲下で殺伐としたロンドンの街でちょっとした有名人(?)となり、とりわけ子供たちの人気の的でした。さらに彼は音楽家としての才能を開花させます。ピアニストのクレアが弾くピアノに合わせて歌うのです。それは単なる小鳥のさえずりを越えた音楽的意味のある声でした。

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こうした見せ物的なびっくりするような才能に加えて読む側に感動を呼び起こすのは、クレアとクレランスの感情的、心理的、精神的な関係でしょう。彼らは慰め合い、喜び、疑い、嫉妬し、励まし合う、お互いがお互いを必要とする人間同士のようです。
やがてクレランスは老い、輝いていた数々の能力が失われていき、最後はクレアの手のひらの中で小さな一声を残して12年の生涯を静かに閉じるまでを克明に綴った本書は、奇跡というものの存在証明でもあるかのように感じられます。


ところでわが家では6年来二羽のジュウシマツを鳥籠で飼っています。人を恐れることはありませんが、家人は毎日餌をやり、水を取り替え、ときどき声をかけ、鳥たちは応ずるような応じないような間柄です。
クレアのクレランスについての記録を読んで以来、恐らくこのジュウシマツたちの体内にも秘めた感情、知力、数々の能力が潜んでいるに違いないと思うと、何だか彼らにとても気の毒なことをしているように感じ、彼らは退屈しないのだろうか、嬉しいのだろか、悲しいのだろうか、幸せなのだろうか、考え込んでしまいます。

写真:本書より







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by love-all-life | 2015-04-01 00:03 | 文芸・アート | Comments(0)

野や森のように

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日本男性の平均寿命が80歳を超えました。女性は86.61歳でここ2年連続で世界1位を堅持していて、男性は5位から4位へランクを上げました。
ま、慶賀のいたりと言うべきでしょうが、高齢化が社会問題とされる昨今、少子化、人口減少ががすすむなかで老人の数が減らないとなると、これはGOOD NEWSなのかBAD NEWSなのか微妙なところです。
さらに、父親を78歳で亡くした、現在77歳の当方としては、寿命に若干の猶予があたえられたとするか、あと3年の寿命と覚悟するか、これも微妙なところです。
寿命があと1年だろうが、5年だろうが、いずれそう長くない余命であることにかわりはなく、「人生の価値はいかに長く生きることではなく、いかによく生きることだ」の言葉をよりどころに、残された時間の質にこだわって過ごしたいものだと思っています。
しかしその「質の中身」が何かを明確にするのはそう簡単なことではなく、それを考えあぐねているうちに時間切れになってしまいそうです。

このように「老いの生きがい」について思いめぐらすなかで、しきりと頭から離れない言葉があります。

「野や森が『善いこと』をするような仕方でゴッドフリートは『善いこと』をした」

これは、最近再読して以来しばしば蘇って来るロマン・ロランの「ジャン・クリストフ」の中の1節です。

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ゴッドフリートというのは、音楽家を目指す主人公のジャン・クリストフの老いた叔父で、貧しく放浪の暮らしをして、ときにふらっと現れては、人生や音楽について悩んだり、傲慢になったりする少年ジャンに、慰めや、勇気づけや、ときには叱責の言葉をあたえます。
その言葉の根源にあるのは「謙虚さ」であり「自然への敬慕」であり、「人間への愛」です。
偶然からゴッドフリートの死を知ったジャンが偲ぶ言葉が上の一文です。

では、「野や森」がする「善いこと」とは何だろうか? 
「彼ら」がわたしたちに押し付けがましく何か仕掛けることはありません。ただ「彼ら」は存在し、ときどきの佇まいを見せ、命の営みを続けるだけです。
なのに「彼ら」がいないと、私たちの心は殺伐とし、淋しく、渇き感じます。
「自然でいる」だけで人に「善い」と感じさせる存在になることができるとしたら・・・
このようなゴッドフリートの生き方は、自分がかって若い頃に探し求めていた「生きがい」とは異なっていますが、いまとなっては理想と思える「老いがい」であるようにに思えるのです。


写真上:THE GREEN UNIVERSE 〜植物の神秘〜 撮影:ヤン・ハフト
写真下:ロマン・ロラン







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by LOVE-ALL-LIFE | 2014-08-07 22:37 | 文芸・アート | Comments(0)

ラジオ体操再開

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「春の東雲(しののめ)のふるえる薄明に、小鳥が木の間で、わけありそうな調子でささやいている時、諸君は彼らがそのつれあいに花のことを語っているのだと感じたことはありませんか。」
 岡倉覚三(天心)著「茶の本」の第六章「花」はこのような書出しで始まります。 

5月に入って、今年はバアバを誘って朝のラジオ体操を再開しました。 
朝6時、会場の裏山の神社の境内まで、若い人なら5分もかからない標高100メートルほどの坂道を15分ほどかけて、路上のゴミを入れるビニール袋を片手に、小鳥のさえずりを聞きながらゆ〜っくりゆ〜っくり登ります。頂上近くの曲り角にさしかかると、いつも同じウグイスの声がします。なぜ同じウグイスと分かるかというと一羽は「ホーホケキョ、ケキョ」と鳴き、もう一羽は「ホーホケ」と鳴くのです。片方はさえずりの最後に必ず「ケキョ」がつけ加わり、もう片方は最後の「ケキョ」を省略するのです。二羽を合わせると「ホーホケキョ」が2回となり、帳尻を合わせるところをみるとツガイのようです。 
サクラもツツジも終わったこの時期の野山の木の花といえば可憐な卯の花ですが、ウグイスたちはひょっとすると花の香りについて語り合っているのかもしれません。 

先の天心の文は次のように続きます。 
「人間についてみれば、花を鑑賞することはどうも恋愛の詩と時を同じくして起こっているようである。無意識のゆえに麗しく、沈黙のために芳しい花の姿でなくて、どこに処女(おとめ)の心の解ける姿を想像することができよう。原始時代の人はその恋人に初めて花輪をささげると、それによって獣性を脱した。彼はこうして、粗野な自然の必要を超越して人間らしくなった。彼が不必要な物の微妙な用途を認めた時、彼は芸術の国に入ったのである。」 

獣性を脱したかにみえた日本人ですが、集団的自衛権を巡って70年ぶりに銃声について論議しています。「必要最小限度である」となんとか強引に押し切ってしまおうと躍起になっている首相ですが、ひとたび一発の銃声、一つの命が失われる事態となれば、平和主義などいっぺんに吹き飛んでしまう恐ろしさを彼は身を以て経験していないことが怖いです。
銃声より花、正義より美、で律せられるような世であって欲しいものです。











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by LOVE-ALL-LIFE | 2014-05-17 15:49 | 文芸・アート | Comments(0)

ラジオ体操再開

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「春の東雲(しののめ)のふるえる薄明に、小鳥が木の間で、わけありそうな調子でささやいている時、諸君は彼らがそのつれあいに花のことを語っているのだと感じたことはありませんか。」 岡倉覚三(天心)著「茶の本」の第六章「花」はこのような書出しで始まります。 5月に入って、今年はバアバを誘って朝のラジオ体操を再開しました。 会場の裏山の神社の境内まで、若い人なら5分もかからない標高100メートルほどの坂道を20分ほどかけて、小鳥のさえずりを聞きながらゆ〜っくりゆ〜っくり登ります。頂上近くの曲り角にさしかかると、いつも同じウグイスの声がします。なぜ同じウグイスと分かるかというと一羽は「ホーホケキョ、ケキョ」と鳴き、もう一羽は「ホーホケ」と鳴くのです。片方ははさえずりの最後に必ず「ケキョ」がつけ加わり、もう片方は最後の「ケキョ」を省略するのです。二羽を合わせると「ホーホケキョ」が2つとなり、帳尻を合わせるところをみるとツガイのようです。 サクラもツツジも終わったこの時期の、野山の木の花といえば可憐な卯の花ですが、彼らはひょっとすると花の香りについて語り合っているのかもしれません。 先の天心の文は次のように続きます。 「人間についてみれば、花を鑑賞することはどうも恋愛の詩と時を同じくして起こっているようである。無意識のゆえに麗しく、沈黙のために芳しい花の姿でなくて、どこに処女(おとめ)の心の解ける姿を想像することができよう。原始時代の人はその恋人に初めて花輪をささげると、それによって獣性を脱した。彼はこうして、粗野な自然の必要を超越して人間らしくなった。彼が不必要な物の微妙な用途を認めた時、彼は芸術の国に入ったのである。」  獣性を脱したかにみえた日本人ですが、集団的自衛権を巡って70年ぶりに銃声について論議しています。必要最小限度であるとさかんにコトを荒立でずに乗り切ってしまおうと躍起になっている首相ですが、ひとたび一発の銃声、一つの命が失われる事態となれば、平和主義などいっぺんに吹き飛んでしまう恐ろしさを彼は身を以て経験していないことが怖いのです。

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by LOVE-ALL-LIFE | 2014-05-17 15:41 | 文芸・アート | Comments(0)

小津詣で

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読書や新聞で、「こころに届く」言葉、「いいな」と思った言葉に出会うとパソコン上にメモして、時々見返しては自戒したり勇気づけられたりしています。 

今朝はこの言葉に再会しました。 
「なんでもないことは流行に従う、重大なことは道徳に従う。芸術のことは自分に従う。」 
小津安二郎の言葉です。 

一見物わかりがよく、折り目正しい紳士のようでいて、こと創作に関することとなると頑固一徹で、誰にも一歩も譲らないという、よく言われる小津のイメージをこれほどよく表している言葉はないのではないでしょうか。できることであれば自分もこうでありたいと共感してメモの仲間入りとなったものです。
 前回のブログでも触れたように、ろくに邦画を観たことがない当方としては、小津安二郎の芸術といっても、なんとなく小津映画の流儀いついてにある程度のイメージをもっているものの、じゃ小津作品の何を観たかと問われたらあまり定かでないくらいですから、当方の共感はかなり自分勝手な想像の範囲を出るものではありません。でも、彼にある種の親近感をもつのは、昭和のそれも早い時期の好ましかった価値観を共有しているように当方が感じるのと、彼の住処がHAND & SOULからそれほど遠くないという縁からでからでしょうか。 

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裏山のウォーキングコースを経て浄智寺から北鎌倉へ通じる道は、かって文人たちが好んで移り住んだ古い鎌倉の趣を色濃くのこしていて、当方の最もお気に入りの散歩道のひとつです。 
浄智寺の裏にあたるところに日本画家、故・小倉遊亀のお宅の門だけが残っていて(写真:下左)、その脇を抜けるトンネルの奥が小津邸跡です(写真:下右)。いまは別の人が住んでいますが、「俺の世界に勝手に立ち入ることは許さぬ」とばかりの構えは、上に掲げた言葉がそのまま入り口に頑張っている感じです。 

北鎌倉駅脇の踏切を跨ぐと円覚寺があり、その境内に小津のお墓があります(写真:上)。急な斜面の中腹に他の墓碑とは趣を異にした真四角な墓石に「無」の一文字が刻まれています。それは小津が生前望んだものなのかどうかは定かではありませんが、彼の端正な生き様や美意識を彷彿とさせ、禅宗の古刹に居心地よさそうです。

最後に小津の言葉をもうひとつ、甥の長井秀行さんが彼を振り返っての言葉です。 
「品行方正でなくてもいいが、品性下劣になってはいけないとよく言っていました。品性下劣なやつはどうしようもないってね。」(朝日新聞 2014.4.26)


















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by LOVE-ALL-LIFE | 2014-05-03 16:51 | 文芸・アート | Comments(0)

「背守り」

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久しぶりに銀座に出たついでに、栄養補給にと京橋まで足をのばしINAXギャラリー寄ってみようとしたところ、そこはLIXILとギャラリーと名前が変わってしまっていて、改めて世の流れに疎くなった自分を再認識しました。 
ギャラリーでは「ブルーノ・タウトの工芸展」をやっていて、ドイツ人建築家のブルーノ・タウトが1933年に日本に滞在した折、日本の工芸品にも注目しその足跡を紹介するもので、とても興味深い展示でしたが、 今日の話題は観覧の後、階下のブックショップで入手した「背守り」(LIXIL BOOKLET)についてご紹介しようと思います。 


背守り(せまもり)」をご存知でしょうか? 
当方は知りませんでしたが、「背守り」は日常的に着物を着ていた戦前まで子どもの着物の背中につけた魔除けのお守りのことです。 
大人の着物は背中に縫い目があり、この縫い目に霊力が宿り、背後から忍び寄る魔を防ぐとされていました。ところが身幅の狭い一つ身の子どもの着物には背縫いがありません。そこでわざわざ縫い目を施して、魔除けとする風習が 生まれました。縫い目だけの素朴なもの、吉祥文様をかたどった色とりどりの刺繍、愛らしい押絵のアップリケ…… その造形は驚くほど多彩です。
病や不慮の事故で子どもが命を落とすことが今よりもはるかに多かった時代、健やかな成長を祈って母親が針を運んだ手仕事には、わが子を慈しむぬくもりが溢れています。(説明:LIXIL BOOKLET「背守り」より)
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昭和時代以前、自ら産み落とした赤ん坊の死に直面しなかった母親は恐らくきわめて少なかったでしょう。
貧困と劣悪な衛生環境のなか、過酷な家事労働を負いながら、たくさん生んで、その中の何人かの命をお産の時点で失い、病などで他の何人かを幼いまま失い、やっと生きながらえるわが子へ注ぐかっての母親の慈しみと、豊かで恵まれた医療環境に守られ、出産は最小限で済ませ、自らのための時間を大切にする現代の母親がわが子かけるの慈しみをその軽重で比較するのは無意味としても、その質がかなり異なったものであることを、これらのかわいらしい童子の着物に刻まれた「背守り」の数々をみて感じざるを得ません。
かたや「祈り」であり、もう一方は「あまやかし」であると言ってしまうと現代のママたちから大きなブーイングを浴びそうですが、見るものの心を動かさずにはおかない「背守り」に現れた美しさが、かっての母のHAND & SOULによるものでることに異議をとなえる人はいないでしょう。 

参考:LIXIL BOOKLET『背守り』ー子どもの魔よけー 
子どもの写真:『百年前の日本』小学館

「背守り 子どもの魔除け展」
LIXILギャラリー大阪    3月7日〜5月20日
LIXILギャラリー1(東京) 6月5日〜8月23日






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by LOVE-ALL-LIFE | 2014-03-29 01:12 | 文芸・アート | Comments(2)