HAND & SOUL

カテゴリ:文芸・アート( 53 )

俗世間 つもりちがい


京都の嵯峨野めぐりのとき、化野(あだしの)念仏寺の寺務所の板壁に張り出してあった
「俗世間つもりちがい十ヶ条」です。

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あまりにもわがコトをズバリ言い当てられていて、グサリとこころに突き刺さりますが、一人で恥じ入るのは口惜しいので、皆さんにも紹介しちゃいます。

このお寺は「化野」と記して「あだしの」と読むのですが、「あだし」とは、はかない、むなしいを意味し、また「化」の字は「生」が化して「死」となり、この世に再び生まれ化けることや、極楽浄土に往生する願いなどを意図している、とお寺のリーフレットにあります。

この地は古来より葬送の地として知られ、何百年の歳月を経て無縁仏と化し、あだし野の山野に散乱埋没していた仏を集め配列安祀した石仏・石塔は八千体にのぼり、この地を訪れた兼好法師や西行も命のはかなさに想いを馳せた詩や詞を残しています。と、これもリーフレットからです。

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それだけに、春・夏・秋・冬、観光情報に踊らされて押しかける無邪気な観光客に、少しは自分のことも見つめてみてはと、己の姿を映す鏡として上の張り紙を掲げたのでしょう。
それにしても、お坊さんというのは名コピーライターです。






 
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by love-all-life | 2012-12-21 22:05 | 文芸・アート | Comments(1)

ラカンさんがそろったら・・・

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先週、晩秋の京都へ行ってたくさんの羅漢さんに会ってきました。

ボクらの歳では羅漢さんというと、 ♪ラカンサンガソロッタラマワソジャナイカ ヨイヤサノ ヨイヤサ ヨヤサノ ヨイヤサ・・・♪ という遊び歌を思い出します。
子供たちが円陣をつくって、上のわらべ歌を唱いながら左隣の所作を次々にまねてリレーする遊びです。何度かやった記憶があります。単純ですが、みなが別々の所作をするので、混乱してつい間違った動作をしてしまい、するともう一度やり直すのです。5、6歳のころだったと思います。
ラカンさんとは何か、いっこうに分からず、ただ、心地よいリズムに気持がはずみ、ラカンさんに友だちのようなすごく身近な親しみを感じたことを覚えています。しかし76のこの歳まで羅漢さんが何ものであるか、まともに考えたことはありませんでした。

今回の旅行で、伏見深草の石峰寺と、嵯峨野の愛宕(おたぎ)念仏寺でたくさんの羅漢さんに会うことができました。
石峰寺の羅漢さんは、近頃とみに有名になった江戸中期の絵師・伊藤若冲がつくったとされるもので、天衣無縫で稚戯に富んだ五百羅漢です。若冲が下絵を描き、石工が彫ったもののようです。
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愛宕(おたぎ)念仏寺は、嵯峨野めぐりの始発点にありました。お寺の起源は鎌倉期ですが、境内にさざめきながら立ち並ぶ1,200体の羅漢さんは昭和56年から10年間に、一般の参拝者によって彫られ奉納された、『昭和の羅漢彫り』といわれる羅漢さんたちです。ありとあらゆるアイディア、ありとあらゆる表情の羅漢さんたちは、とても新参者には見えない古びた趣で愛嬌をふりまき、訪れる人の微笑みを誘います。
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では、羅漢, who?と調べてみると、『お釈迦様の弟子で、悟りを伝承する崇高な修行者』とあり、とてもお偉い方なのです。キリスト教では「聖人」にあたるのでしょうか。聖人というと、なにか近寄り難い崇光なイメージですが、われわれが知っているラカンさんは、煩悩から解放された求道者という実体とは裏腹に、むしろ煩悩を体現しているような、喜怒哀楽をむき出しにしたり、子供のように無邪気に戯れるラカンさんであって、極めて人間臭く親しみ易いイメージです。
イスラム教にしてもキリスト教にしても、神は厳しい戒律を人々に課す厳父のような存在ですが、仏教では、仏門の世界ではいざ知らず、普通の人々には「『南無阿弥陀仏』さえ唱えていればよいのですよ」ととても寛容です。
そのやさしさのせいか、私たちは、良寛さん、一休さん、ダルマさん、エビスさん、と身近に感じる「さん」づけのヒーローをたくさん知っています。これが仏さんの戦略なのかなぁなどと、鎌倉ではあまり意識しないことに気がおよぶのは、「やっぱり、京都だから」なのかなぁと思いました。
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by love-all-life | 2012-12-13 23:02 | 文芸・アート | Comments(0)

偶像の姿

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スペインでキリスト像の壁画が修復されたらお猿さんのようになってしまったというので、「史上最悪の修復劇」としていま世界中で話題になっています。ことの経緯は以下のようです。

スペイン東北部のポルハ市の教会の壁に19世紀末に画家エリアス・ガルシア・マルティネスによって描かれたキリスト像「Ecce Homo(この人を見よ)」があります。この壁画の劣化がすすんで、あちこちはげ落ちてしまったのを、地元の信者であるセシリア・ヒメネスさんという80歳のおばあさんが「私がやらなくちゃ!」と教会の許可を得て修復したら、結果はご覧のような原画とは似ても似つかぬキリストになってしまって大騒ぎになりました。

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左が修復前、右が修復後です。(上の写真は傷む前の壁画です)

当初彼女は衣装の部分を修復していたようですが、どうも画家を自認する彼女の創作意欲が修復作業の一線を越えて「私のキリスト様」を描いてしまったもののようです。
教会には苦情が殺到し、市も原状回復に動きだしたところ、意外にもこの壁画の事件が報道されるや話題の絵を一目見ようと、週末には数千人もが殺到する騒ぎになり、そのうちに修復された壁画に人気がでて「元に戻さないで!」と、2万人近くの嘆願書が集まっただけでなく、ネット上でも嘆願活動がはじまり、8月末で1万8千人の署名が集まったというのです。さらに現地ではグッズ販売など壁画フィーバーへの便乗商売も始まるという騒動になっているということです。

古い教会のこのような造作物は文化財として大切に保存されるべきという立場からすればセシリアお婆ちゃんの行為は暴挙以外の何ものでもありませんが、教会員であるセシリアさんにしてみれば、彼女の敬虔な信仰心の支えである貴重な偶像がみすぼらしくなっていく姿を見るに忍びないと、渾身の力を振り絞ったものを、ただ責めるだけでよいものだろうかという気持がしないでもありません。というのも教会は美術館である前になんといっても信仰を育む場なのですから。

そもそもイエス・キリストはどんな姿だったのかということになると、一般的には、色白で、痩せて、長髪の整った顔立ちで、慈悲深く幾分悲し気な西欧人のイメージが思い浮かびますが、写真も肖像画も存在しないわけですから、そういったキリスト像は聖書の記述をもとに、主に中世のヨーロッパの画家たちが創り出したイメージに過ぎません。

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ところで、手許にこれがキリストの実像という顔があります。これは2000年前のユダヤ人の頭骸骨や、3世紀に描かれたユダヤ人のフレスコ画を参考にコンピュータで再現されたキリストの顔だというもので、英国BBC放送のドキュメント番組「神の息子」のためにつくったものだということです。
ずいぶん既製のイメージと異なった、信仰の対象としてはどこか粗野で素朴過ぎる感じがしないではありません。
う〜ん、でもこのキリスト、どこかセシリアお婆ちゃんのキリストに似てると思いません?

所詮偶像というものは崇めるもののこころが生み出すイメージの姿なのです。だから偶像の姿がどんなカタチになったとしてもそれは間違いということはないはずです。とは言いながらそのイメージが新たな信仰を育んでいくのですから、たかが偶像、されど偶像ということでしょうか。
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by love-all-life | 2012-09-12 20:14 | 文芸・アート | Comments(0)

ビーズは語る

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小学5年の孫娘がなかなか本を読まないので,誰もが子供の頃読んでいつまでも忘れない、いわゆる名作といわれるお話くらいは知っておいで欲しいと、図書館からD・デフォーの「ロビンソン・クルーソー」を借りて来ました。
果たして女の子にどうかなという気持ちもあって、借りて来た本のはしがきやあとがきを読んでいるうちに、つい興味をそそられて読み始めてしまいました。なにせこちらが読んだのは大昔、ロビンソン・クルーソーといえば絶海の孤島での文明人のサバイバル物語りというイメージだけが残っていますが、ロビンソンがそこに至る経緯についてほとんど記憶にありません。ちょっとそのことに触れてみます。

ロビンソン・クルーソーは1632年、イギリスのヨーク市の裕福な家庭に生まれました。貿易で財を成した父親が希望する弁護士にでもなっていたら安楽な生涯が保証されていたのに、子供の頃から世界中を放浪してみたいという考えにとりつかれていて、親の熱心な説得にもかかわらず、家出をして友だちの父親の貿易船に潜り込みます。嵐に遭ったり、海賊に襲われて奴隷として売り飛ばされ命からがら脱出したりして、我がまましたことを後悔したりするのですが、船乗りになりたいという止み難い想いから再び三たびと航海に関わるうちに、貿易船の船長として奴隷の売買に手を染めます。そして南米からアフリカへの航海中に大嵐で遭難し、ただ一人生き残って孤島に流れ着くということになるわけです。
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こんなロビンソン・クルーソーの生い立ちを持ち出したのは、文中に彼がアフリカで商品としての奴隷を得ようと持ち込む品目の筆頭にビーズが挙げられていることを発見したからなのです。
というのも、つい先日観た葉山の神奈川県立近代美術館でいま開催されている「ビーズ・イン・アフリカ」の強烈な印象と、ロビンソン・クルーソーの話が頭の中でスパークしたように感じました。
そうか、ロビンソンのようなヨーロッパの貿易商たちが持ち込んだビーズや銃を得たアフリカの部族の支配者は、その近代武器を使って周辺部族を征圧し捕えて奴隷として売りはらい、自らはビーズで身辺を飾ったというわけです。売られた奴隷は主に南米のさとうきびプランテーションの労働力として酷使され、生産された砂糖がヨーロッパに運ばれ、当時流行となっていた喫茶に欠かせない品としてもてはやされたのです。いあゆる三角貿易です。

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さて、葉山の「ビーズ・イン・アフリカ」は国立民族学博物館コレクションのアフリカ各地のビーズ工芸品を一堂に集めた必見の展示です。首飾り、帽子、衣裳、人形、仮面などに施された多種多様なビーズによる創意工夫、思いもよらない色の取り合わせ、点の集合が生み出すパターンのパノラマは、飾るだけではなく呪術や儀式も含めて人類が「美」といかに深く付き合ってきたかを再確認させられます。
使われているビーズの多くが奴隷貿易を介してベネチアなどヨーロッパからの輸入ガラスビーズであることを「ロビンソン・クルーソー」を再読して知ったいま振り返ってみると、緻密な美のなかに権威、支配、執念、謀略といった影のイメージが含まれているのを感じないわけにはいきませんが、それらを全部含めて「人間と美」の歴史について考えるよい機会あたえてくれた展示でした。
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by love-all-life | 2012-09-05 21:24 | 文芸・アート | Comments(0)

吉田秀和さんを偲んで

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この5月に亡くなった音楽評論家・吉田秀和さんの文章のなかに「彼は息を引き取った翌日に死んだ」という言葉がありました。
指揮者というものは世界最高の名声を得ていても、死後それを保ち続けることはフルトヴェングラーやカラヤンといった例外的な存在を除いてきわめて稀であることをについて述べている文章で、かくも名声を博したカール・ベームが、没後レコードの売上が落ちたことについて、ドイツ・グラモフォン社内でささやかれた言葉として紹介れていたものです。
うーん、うまいこと言うなと感じましたが、このところの吉田秀和さんの死を惜しむ数々の報道などをみて、吉田秀和は「彼は息を引き取った翌日に生まれた」との感があります。
吉田さんは文化勲章をもらった日本を代表する文化人ですし、ここ鎌倉でも故平山郁夫さんなどとならんで地域の文化的風土の支えのひとつとして市民の敬意の対象ではありましたが、音楽評論というジャンルは、自らなにかを創造する仕事に比べて社会的に地味な存在だったという感は否めません。
しかし吉田さんの訃報がかくも社会的事件のように扱われ、追悼のテレビ特別番組まで放映されるに及んで、彼がより巾ひろい人々の意識の中に新たな命を与えらて存在し続けるのではと感じられて、ファンの一人として、喪った彼を惜しむ気持が癒されます。

ボクは音楽を聴くことはあっても、オタマジャクシはまったくダメ、だから楽器を操ることはおろか歌ひとつまともに唱うこともできません。だから吉田さんの音楽評論はそのごく一部しか理解できていないと思いますが、それでも読書家でもないボクが吉田さんの著書を愛読するのは、吉田さんの文章が、専門の音楽評論に止まらず広く造形芸術の分野や社会現象や相撲や身の回りの暮らしと多岐に及んでいるのと、そのどれもが傾聴すべき意見として訴える力を持っていながら、ひとつひとつの文章が言葉で綴る音楽のような快い響きを持っているからです。
それはあたかも音楽が背後に構成や組立てや論理があるにしても、それらに関係なく人の心に直に働きかけ、心地よい響きとして感じられ、われわれに知的興奮や感動を与えるのと似ています。このことこそが吉田さんが超一流の音楽評論家である証であり、かつ優れた文学者であるとボクには感じられるのです。
このところ図書館で「吉田秀和全集」を1冊づつ借りてきては、ぽつぽつと読むのを楽しみとしています。吉田さんの文章の多くは、かって新聞や雑誌などに掲載された評論が主ですので、ひとつの文が短く、これもボクが吉田さんの著作を好む理由のひとつです。
何かの時間と次の時間に移る狭間に吉田さんの本を開いて一つのチャプターを読む時間は、まるでお気に入りの小径を散歩するような快感を覚えます。そうすると路地の角から見覚えのある白髪の吉田さんがヒョイと現れるのではないかとの期待を抱きながら。
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by love-all-life | 2012-08-08 14:19 | 文芸・アート | Comments(0)

教えることはできない、学ぶことはできる。

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いけ花作家・中川幸夫さんが亡くなりました。享年93歳の老衰ということですから大往生です。
生前の彼とはまったく接触をもったことがなかったのにもかかわらず、このニュースは突然鈍器で殴られたような痛みを感じました。それは日頃「創造」とか「前衛」とかいった問題に接する折りにいつも中川幸夫の言動や作品や存在が、わたしの頭の中や心の奥でモゾモゾと動き始める感じをもってきたからでしょう。

いけ花の世界に疎いジイジは、かっては中川幸夫といっても名前は聞いたことがあっても異端のいけ花作家というくらいのイメージしかありませんでした。
20年近く前に長岡に新設された大学の設立に関わり、デザイン教育を仕事とすることになり、それまで得てきた自分の経験や知識を学生にどのように伝えたらよいかいろいろ考えたり、シラバスをまとめているときに出会ったのが「教えることはできない、学ぶことはできる」という言葉でした。そしてそれを発した主が中川幸夫だったのです。
この言葉は、それなりの情熱と意気に燃えた新米教員にとって、前途にドーンと高い壁が落ちて来たようなショックを覚えたものです。

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なぜだ?との興味から彼について調べ、作品の写真を見るにつれて、ともするとアートの傍流とされがちな「いけ花」の世界に、かくも力強く、斬新で、鋭い表現があるのかと驚きと感動の連続でした。そして彼の生きざまや造形に一貫するのが「厳しさ」であるように感じました。
彼は、流派に属さないことは作品の発表の場がもてないことを意味するいけ花の世界で、流派に属さず、弟子もとらず、ひたすらいけ花を造形の芸術として探求した孤高の前衛であり続けました。
そうか、自分に厳しく、人にも、体制にも厳しい彼の哲学から生まれたのが「教えることはできない、学ぶことはできる」だったのだ。
また彼はこんな言葉を残しています、「天才とは努力し得る才だとの言葉のように、まことの天才は、努力を発見するものだと思います。凡才が容易と見るところ、天才は、何故という困難と抵抗につき当たり、それへいどむ、努力を重ね得る者だからです。」
与えられるものを受け取る訓練しかしていないいまの若者が、どれほど「厳しさ」というものを理解できるだろうか、そして耐えることができるだろうか不安は大きいのですが、新入生の最初の授業はいつもこの言葉から始めることにしていました。

いつかNHK制作の、彼の制作過程を追ったドキュメント番組を観たことがあります。脊椎カリエスで曲がった体躯でどこへでもヒョイヒョイと出歩く彼の顔からやさしい笑顔が絶えることはありまん。小さな身体からとてつもなく大きな命の表現がほとばしり出ます。90年を超える歳月を経てなおいささかの曇りもない前衛であり続けた彼の姿はひとつの奇跡のようでもありました。   合掌

写真:「花坊主」 1973年
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by love-all-life | 2012-04-17 00:45 | 文芸・アート | Comments(0)

20 DAYS AFTER

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それは自然災害のように突然やってきました。
宅配便が届けてくれたamazonの見馴れた段ボール箱を、オーダーの心当たりがないので訝しげながら開くと、出てきたのは異様な東北の被災地の光景に包まれた半田也寸志の写真集「20 DAYS AFTER」でした。
「誰から?」の疑問はどこかへ吹っ飛んで、ひたすら頁をめくり続けました。

この1年間数えきれないほどの被災地の映像を見てきました。どれもがとても信じられないほど痛ましい、悲惨な、驚くべき光景です。しかしこの写真集に収録された写真は、いままでの被災地のどの報道写真からも得られない強烈な印象を見るものに感じさせます。どこからこの異様な印象が生み出されるのか。
その理由の一因が、半田が現地の状況を推察し慎重に選択した、現時点で得られる最高のデジタルカメラの性能によることがあるとしても、それをはるかに超える写真作家としての感性とクリエイティビティの成果であることは疑いありません。

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天地創造を思わせる空の光。被写体はすべて人の痕跡なのに、ひとりも生きた人がいない孤独を通り越した底なしの寂しさ。デューラーの絵を想わせる鋭い現実描写。事実を写し取りながらも現実と思えない被災の真実。

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半田はこれらの写真を展示した写真展での趣旨で、現地に立ったときの印象を「・・・写真で見た事がある原爆投下後のヒロシマを思わせる様な辺り一帯の光景。異臭を放つヘドロ。海や海産工場から打ち上げられた途方もない量の魚類や人の遺体から発せられる死臭。そしてそれらを貪る海鳥や鵜たちから発生する大量の糞。タンクから洩れ出した大量のガソリンや化学合成物。備蓄してあった穀物や発酵食品。それらが全て堆積し混じりあって発生する例えようもない異臭。涙が溢れてきました。・・・」と記していて、現地で映像作家としての彼の心を最も乱したのが「臭気」であったことを告白しています。半田は五感すべてで感得した被災の現実を、視覚情報のみでどのようにして他者に伝えることができるか悩んだに違いあいリません。
何を切り取るか? どんなアングルで? どんな色で? どんな光で?
これらの設問が彼の感性を通過する課程で生み出されたのが「20 DAYS AFTER」であり、残酷、悲惨、醜悪が、美しくも表現し得るというもう一つの例です。
この写真集は大災害の実体を伝える無数の映像のなかにあって、事実のひとつとしてだけではなく、真実のひとつとして後世の研究者や歴史家の心に残る記録といえるでしょう。

ところで、この写真集はHAND & SOULを通じてお友達になった写真家のNさんからのプレゼントであったことがご本人からのメールで明らかになりました。Nさん本当にありがとうございました。
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by love-all-life | 2012-03-18 20:38 | 文芸・アート | Comments(0)

ボクのおじさん、ベン・シャーン

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葉山の神奈川県立近代美術館で「ベン・シャーン展」を観てきました。なんだか昔ずいぶんお世話になったおじさんに再会したような気分でした。

ベン・シャーンに初めて出会ったのは芸大の学生時代です。大学に入ったものの将来どんな方向をめざすべきか、もやもやしていた時分に、アメリカの雑誌に掲載されていた彼のイラストレーションをみて大きな刺激を受けたのが最初だったと思います。そのころはまだイラストレーションという言葉はそれほど一般に使われていなくて、挿絵と言われていましたが、その絵はこちらが抱いていたいわゆる挿絵というものとは随分違っていました。絵が文章の解説や絵解きをするというのではなく、それ自身で勝手気ままに表現しているように見えますが、文章だけでもない、絵だけでもない新たなイメージの世界が生み出されるという風です。それはイラストレーションというものの本来の姿に初めて触れた瞬間であったわけです。
アメリカの「サッコ、ヴァンゼッティ事件」やフランスの「ドレフィス事件」といった冤罪事件の存在を知ったのも、社会派としての彼の作品を通じてでした。
その後レコードジャケットのデザインなどで彼の作品を目にすることがあると、その表現に魅せられてジャケット目当てでレコードを買ったりもしました。
独特にデフォルメされたフォルムや、ツヤを押さえた色彩も好きでしたが、何と言っても線の魅力のとりこになりました。なだらかな面をラインがスムースに流れるのではなく、土の道をあるときはよろめきあるときはつっかえながら歩くような、しかし進むべき道は決して外さす流れる線。それは1本の線としても魅力的ですが、集合体として交叉したり並走したりするとき一層ベン・シャーンそのものになります。

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ベン・シャーンがアメリカを代表するアーティストとしての高い地位をゆるぎないものにしたかと言えば、必ずしもそうでもないのはやや意外ですが、それはタブローを中心に展覧会を通じて評価を高めたというより、活動の場がポスターやLPジャケットやエディトリルデザインなど多様だったからかもしれません。今回の展覧会も「ベン・シャーン=クロスメディア・アーティスト」として紹介されているのもそのためでしょう。デザイナーに限りなく近いアーティストという意味で、ジャクソン・ポロックやアンディ・ウォーホールのようなアートの主流とは看做さていないのかも知れません。
日本でもベン・シャーンは画壇でというより、デザイン界でいっそう知名度も評価も高く崇拝者も多いように思います。それは商業資本の手先として大衆迎合の表現が強要されがちなデザインの世界において、人の心にある美や文化への欲求を満たすデザインがあるということを示してくれたのがベン・シャーンであり、デザインがアートの一分野であることを覚醒させてくれ、多くのデザイナーが勇気づけられたからだと思います。

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ジイジは学生時代に買った彼の画集を大切にもっていますが、いまそのページを開くと印刷されたものではないインクのシミがあちこちについています。それらはジイジがベン・シャーンの作画を追体験しようと画集を横に置いて模写したり試作をした痕跡なのです。
ジイジの大学の卒業制作は「イソップ物語り」の絵本だったのですが、いま改めて眺めてみるとベン・シャーンにずいぶんいかれていたのだぁというのがみえみえで、それについてはちょっと気恥ずかしい気持もありますが、ベン・シャーンを教材にしたことについては密かな誇りでもあるのです。その作品が結果的にその年の卒業制作に与えられる「プランタン賞」をいただいたのですから、「Thank you, uncle Ben. 」です。
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by love-all-life | 2012-01-07 17:40 | 文芸・アート | Comments(5)

貪欲であれ、愚かであれ。

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昨日朝メールチェックをしたときには、何事もなかったのに、夕方、一日のとりとめもない作業を終えて、卓上のMacBook Proをスイッチオンしたとたんに場面一杯にスティーブ・ジョブズの胸像写真が現れてドキッとし、横にSteve Jobs 1955-2011 の文字を見た瞬間に事態を理解しました。

個人的に付き合いのない人の死にある種のショックを受けるのは、最近ではオサマ・ビンラディン、古くは三島由紀夫の名が脳裏をよぎります。決して神のように崇拝していたというわけではないのですが、彼らの存在が当方のそのときそのときの価値観や美意識のある部分を支えていたということでしょうか。
スティーブ・ジョブズについていえば、彼の生きざまや言動はつねにカッコよかったし、生み出す製品の革新性も型破りではありますが、 ジイジにとって彼はデザインの存在意義や魅力を具現化したヒーローということになります。

長年デザイン関にわりをもってきた者として、彼の大きさはデザインの力が企業を変え、人々の仕事や生活を変え、世の中を変えることができることを実証した数少ない人物のひとりと思うのです。
最初に手にしたパソコンから現在までMacに忠誠を尽くしてきたのは、コンピュータ音痴でも使える道具という機能面と、すっきりとシンプルなフォルムというデザインの要件を満たしているという以上の何かを感じるからです。それはあえて言えばチャームとでも言うのでしょうか、親しく付き合っていたい友人に対して抱く感情のようなものです。
この気持を適切に代弁してくれている言葉があります。テレンス・コンランがグッド・デザインとは何かを語った言葉です。

「デザインは98%常識であると考えたい。しかしデザインをこれほど面白くやりがいある作業にしているのは残る2%、すなわち「美意識」と呼ばれるものである。98%を達成している製品は大体「よい」ことは明白である。だが残りの2%こそ、製品をまったく別のカテゴリーに引き上げる魔法の成分である。この2%こそが、水準は満たしているというものと、えも言われぬ特別の製品で誰でもが欲しいと思うものとの差を生むのである。
魔法の成分があるだけで、生活の質がずっと改良される。人々がその製品を使うと幸せになり、うれしくなるのは、単にその製品が充分機能を果すからというだけでなく、精神を高揚させ、ただ不満がないというだけでない積極的な喜びを与えてくれるからである。」

この言葉がスティーブ・ジョブズにそのまま当てはまらないのは、彼の仕事が常識を超えることからスタートしているという点でしょうか。
「貪欲であれ、愚かであれ。」と、彼が胸をはって宣言できる所以でしょう。
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by love-all-life | 2011-10-07 09:07 | 文芸・アート | Comments(0)

HAND & SOULの仲間達


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9月21日から「HAND & SOULの仲間達」展が長岡のギャラリーmu-anで開催されます。
ギャラリーmu-anは、ジイジ・バアバが長岡にいたときから親しくさせてただいた長岡の旧家・立見さんの迪子夫人がオーナーをしておられて、わたしたちも今までに何度か展示をさせていただいています。


e0153357_113169.jpg長岡は、その昔、長岡現代美術館という、国内で初めて「現代」と銘うった前衛的なアートの拠点があり、開館と同時にスタートした長岡現代美術館賞は、審査を公開で行うなど大胆な試みをして注目を浴び、受賞者からは、その後の日本の現代アートを牽引する多くの人材が巣立っていきました。(1964〜1968)
その評判を聞いたニューヨークの近代美術館の館長が来館し、その取組みに眼を見張ったそうです。
新幹線も関越自動車道路もできる以前の、東京からみれば日本列島の裏側の米どころに、日本で最も先端的なモダンアートの拠点があったという時機があったのです。
いまでは長岡の市内には、新潟の県立近代美術館や歴史博物館、長岡造形大学など地域の文化を担う立派な施設がありますが、長岡で暮らしていると、街で美術や文化に関心を寄せる人たちには、近代化する街とは別に、長岡現代美術館が「あったこと」、「やったこと」の思い出が遺伝子のように住み着いていて、それぞれの方の地域への誇りや日常の活力の源泉になっていることを感じるときがしばしばです。

ギャラリーmu-anもそのような街の文化の拠点の典型といえます。迪子さんのご主人の順一さんは代々長岡で開業医をされている生粋の長岡ッ子で、人口18万の旧長岡のことを、まるで180人の村の話をするように語ります。
ご自身も作家である迪子さんの周りには越後の大藩・長岡の文化の余韻が漂っていて、アートや文化を愛する人に開かれたサークルとなっていて、さらにそれに魅かれた若者たちが集うというかたちで人の絆が広がっています。実はジイジ・バアバも密に寄せられる蜂のように迪子ネットワークの一端に連なっているというわけなのです。

今回の「HAND & SOULの仲間達」は、ジイジ・バアバが長岡時代にmu-anを通じて仲間になった方、その後のHAND & SOULの仕事に共感してくれた方たちを迪子さんが束ねてくれたものです。若い作家さんや、ライフスタイルが通じ合う方々ばかりのグループ展というカタチです。
いま鎌倉に帰って、老後の生きがいと思って細々モノづくりを続けているジイジ・バアバにとって、この企画のお誘いは、「まだ、ボケさせないよ」という叱咤激励のエールであり、「若い人たちと一緒にいると元気が出るよ」という親心でもあると受け止めました。この展覧会がmu-anの設立4周年の催事であることも、ありがたく感謝しています。
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by love-all-life | 2011-09-13 11:09 | 文芸・アート | Comments(0)