HAND & SOUL

カテゴリ:文芸・アート( 53 )

HAND と SOUL

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1冊の岩波文庫が手許にあります。「民藝」という言葉の生みの親、柳宗悦著の「手仕事の日本」という本です。大正から昭和初期にかけて、まだ日本各地に残っていた優れた「手仕事」を、20年かけて自身で歩いて調べ綴った、いわば「民芸の日本地図」です。

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彼はその前書で、「機械によらなければ出来ない品物があると共に、機械では生まれないものが数々あるわけであります。機械は世界のものを共通にしてしまう傾きがあります。それに残念なことに、機械はとかく利得のために用いられるので、出来る品物が粗末になりがちであります。それに人間が機械に使われてしまうためか、働く人から悦び(よろこび)を奪ってしまいます。」「(手仕事は)品物が手堅く親切に作られることであります。そこには自由と責任とが保たれます。そのため仕事に悦びが伴ったり、また新しいものを創る力が現れたりします。それ故手仕事を最も人間的な仕事と見てよいでありましょう。」と書いています。
ここにはバアバがいつも自分の個展のタイトルとして掲げ、いまアトリエ・ショップの名前をHAND & SOULとしている気持ちの根本が述べられています。

「考えるヒト」であるホモ・サピエンスは、アイディアをカタチにする「つくるヒト」ホモ・ファーベルであり、それはいつも手を通じて行われてきました、ほんの200年前までは。

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これは、人間の脳のどの部分がどんな機能を司るかを示した、いわば人間の脳地図です。これを見て気づくのは手や指が他の器官に比べて異様に大きいことです。これは手の役割が脳の働きのうちで非常に大きな比重を占めていることを意味します。脳のエネルギーの大きな部分が手の働きのために費やされているとも言えるし、また手の働きが脳を活性化し刺激を与え続けるとみることもできます。いずれにせよ人間の精神と手の深い関係を可視化したものと言えるでしょう。

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「手仕事の日本」にこんな記述もあります。「そもそも手が機械と異なる点は、それがいつも直接に心と繋がれていることであります。機械には心がありません。これが手仕事に不思議な働きを起こさせる所以だと思います。手はただ動くのではなく、いつも奥に心が控えていて、これがものを創らせたり、働きに悦びを与えたり、また道徳を守らせたりするのであります。そうしてこれこそは品物に美しい性質を与える原因であると思われます。それ故手仕事は一面に心の仕事だと申してもよいでありましょう。」
柳宗悦の文章を借りて、ジイジ・バアバがHAND & SOULに托したモノづくりの気持ちを語ってもらいました。

柳は本書のなかで紹介されている手仕事がどんどん消えつつあることを危惧していますが、出版から60余年を経て事態は彼の危惧をはるかに超えて深刻になっていると言わざるを得ません。
心をこめてつくって、大事に使う。「昔はそうだった」で済まさないようにしたいものです。
HAND & SOULのモノづくりは民芸のような伝承された技の冴えはないかもしれませんが、「つくり手」の悦びや楽しさを「買い手」や「使い手」に伝えたい、そして「手」と「手」をつなぐ絆でありたいと願っています。


カット=芹沢銈介
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by love-all-life | 2010-01-23 09:52 | 文芸・アート | Comments(1)

古典との再会

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いちばん年長の孫のKは高一で、ホルンの演奏家として身をたてたいと夢見ています、というか夢の段階は中学校と一緒に卒業して、いまや彼の夢は芸大で勉強することです。
「音楽では喰っていけないぞ」、「芸大に入るのは針の穴だ」、「趣味にしておいたら・・・」などまわりの心配の一方で、「好きなことをして生きるのがいちばん」、「後悔しないような人生をおくれ」などのエールもあって、本人には悩ましい日々のはずです。

ジイジ・バアバができることといえば、せめて聡明な人生の選択に役立つアドバイスくらいのものだろうと思いますが、口で言うと雑音のひとつくらいにしかすぎないと受け止められそうなので、去年の暮れに何か良い本をプレゼントすることにしました。

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自分が彼の年代に読んで大いに啓発された、ロマン・ロランの「ジャン・クリストフ」がいいと思ったのですが、読んだのは60年近くも前のことなので、果たしていまの彼にどうだろうかと、図書館で借りて来て再読してみました。

さらりとチェックするくらいの気持ちで読み出したのですが、やはり古典です。
昔読んだときには、主人公のまだ始まったばかりの人生における悩みや不安、また希望や生きる喜びといったものに大いに共感したこともあって、少年時代の部分のことしか記憶として残っていません。
しかし人生の終着点にさしかかったいま読んでみると、それはさらりと読み過ごすにはあまりにもったいない言葉の宝石箱のようであり、人間の精神と自然と美を包む壮大な世界が描かれていることが感じられます。
前は古典と言う饅頭の皮をかじっただけで、なかのアンコの存在を知らずに読んだつもりになっていたのだということがいまになって分かったのですが、しかし遅すぎたという感想は湧いてこないのが不思議です。
Kが「ジャン・クリストフ」を読んでも、所詮は皮の味だけかもしれませんが、それでも饅頭の存在だけでも知っておくべきだと思っています。

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「ジャン・クリストフ」から、ひとつだけ宝石をつまみ出してみましょう、


『人が要求してもかまわないのは幸福の最小限である。

 しかしそれよりも多くのことを求める権利は誰にもない。

 溢れるほどの幸福・・・・それはただ人が自分で自分に与えるべきものである。』
                               (片山敏彦訳)





風景画:Maxfield Parrish
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by love-all-life | 2010-01-14 20:44 | 文芸・アート | Comments(2)

小泉 均 個展

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昨日は、かっての大学で同僚だったタイポグラフィー・デザイナー小泉均さんの個展「水=みず」を観て来ました。(このタイトル、本当は「水」と「み」に濁点があるのですが、表記できないのでこの表記で許してもらいます。)
このタイトルでもわかるように、小泉さんは「文字」と、自身の美意識に徹底的にこだわります。

多くの美しいアルファベット文字を生み出したスイスのバーゼルの造形大学に留学し、「文字」の背後にある美の精神をしっかり身に付けてきた人です。その彼がバーゼルで何を学んだかをこっそり打ち明けてくれているようなリトグラフと、デザイナーとしての仕事が展示されています。

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展覧会のもうひとつの楽しみはその会場です。地下鉄茅場町駅から2分ほどの、昭和2年に建てられたビルデングまたはビルジングとでも言いたくなるような、小さなビルの1室のアート洋古書を扱う本屋さんのお店の半分がギャラリーなのです。

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重い鉄のドアを開けると、10坪にも満たない部屋には洋古書の匂いと、時間と国境を超越した不思議な懐かしい空気が流れています。
3階のギャラリーの窓の下にはポンポン蒸気が行き交う神田川の分流の亀島川が流れていて、ウォーターフロントを会場に選んだ小泉さんのこだわりがわかり、小泉ワールドが堪能できる仕掛けになっています。


展覧会の後、地下鉄で銀座に出て、久しぶりに銀ブラをして帰ってきました。いつも東京に出るとギラギラ、ザワザワの喧噪に疲れ果てて家にやっとたどり着くのですが、昨日は上質の器で心ずくしのお点前をいただいたようなさわやかな満足感で、ジイジ、バアバともに歩みも軽く家路につくことがてきました。

http//:www.moriokashoten.com
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by love-all-life | 2009-11-17 23:34 | 文芸・アート | Comments(5)

ハチドリのひとしずく

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朝、目がさめてまだフトンのなかでうつらうつらしているとき、頭をよぎるいろいろなことってありますよね。
これから始まる一日の心配ごとが多く、一旦動き出してしまえば何でもないようなことをグズグズと悩んだりします。
ときにはすごくいいことがありそうな予感に、勇気がわいてくるような気持ちになることもありますが、そういうことはめったにありません。

今朝は突然「ハチドリのひとしずく」という童話のことが頭から離れませんでした。心配ごとというのでも、うれしいというのでもなく、なぜかその想いに取り付かれてしまったのです。
もしかしたら昨夜招かれて行った、出版社の「児童出版文化賞」の授賞式の記憶が関係していたのかもしれません。しばらくは、なぜそんな想いにとりつかれたのだろうと考え込んだりもしました。

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この童話、南米先住民に伝わる話に、マイケル・ニコル・ヤグラナスというカナダ先住民族のアーチストがデザインした、とても短くてとてもかわいらしい絵本ですが、内容は結構ズシリときます。
知っている人も多いと思いますが、まだの人にご紹介しましょう。


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by love-all-life | 2009-11-13 16:34 | 文芸・アート | Comments(1)

アヌ・トゥオミネン

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かって教鞭をとっていたデザインの大学で、建築系の学科の1年生の実習科目に「椅子」をつくる授業がありました。デザインを学び始めて間もない学生が、オリジナルの椅子をデザインし実際につくるという課題です。
学生たちがまずぶち当たるのが「アイディアの開発」という壁です。古今東西の歴史のなかで星の数ほどの椅子のデザインが既に存在しているだろうに、さらに今までにないオリジナルなデザインなど果たしてこの世にあり得るのだろうか、そんなもの自分が考えられるはずもないという絶望感にも近い悩みです。
悩んで,悩んで、自分の才能の乏しさに苦しみながら、とにかく締め切りまでになんとかデザインし、馴れない工具と格闘しながら、おそらく生まれて初めての椅子をつくりあげます。
ところができ上がった作品を観ると、どうしてどうしてかなりの数の傑作が並んでいます。学生たちの顔からも当初の当惑となさけない表情はすっかり消え、一様に満足げな達成感を感じている風です。
彼らは「新しいアイディア」に到る道に立ちはだかる大きな壁を通り抜けようとして、よじ上ったり、歩き回ったり、槌で叩いたり、ありとあらゆる努力をしてついに突破する隙間を見つけたのです。そして「新しいアイディア」に到る道は必ずどこかにあるものだということを知り、壁の向こう側の輝かしい世界をかいま見たのです。こうして彼らは「創造」という魔境に魅了されていくのです。

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こんなことが頭に甦ったのは、お気に入りサイトのFさんのブログにアヌ・トゥオミネンというフィンランドのアーティストが紹介されていて、彼女の作品の眩しいばかりのアイディアの輝きに接したからです。
彼女の創造の素材となるのは、毛糸だったり、小枝だったり、調理用具といった日常のごくありふれたものばかりです。つまりHAND & SOULのモノづくりと同じ土俵で仕事をしています。しかしその作品は同じ土俵でこんなパフォーマンスがあり得るのかという新鮮な驚きの連続です。その表現が醸し出す軽み、繊細、上品、ユーモアには「ごめんなさい、まだまだ至りませんでした。」と脱帽する一方で、よし!まだまだやることはあるんだと励まされます。

HAND & SOULのサイトを訪れてくれた皆さんにもぜひ彼女のことを知ってもらいたいと、Fさんの許しを得て、彼女のHPや展覧会のサイト・アドレスをお知らせします。
あとは皆さん自身でお楽しみください。
[ジイジ]

2006年の展示風景 → http://www.art-u-room.com/exhibition_jp/06_10kitchen.html
2008年の展示風景 → http://www.art-u-room.com/exhibition_jp/08-04forester.html
アヌ・トゥオミネン作品 → http://www.art-u-room.com/tuominen/tuominen.html

Anu Tuominen HP → http://www.anutuominen.fi/index.html

写真: Anu Tuominen作品(上)Forest Owner(2008) (下)Color samples for kitchen(2006)
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by love-all-life | 2009-09-29 15:08 | 文芸・アート | Comments(0)

「地べたの景色」 in U.S.A

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前回のブログでカマクラの「地べたの景色」を紹介しましたが、7月に訪れたロサンジェルスのベニスビーチでも、タウンウォッチングをしながら地面へも目配りをして「地べたの景色」を楽しんできました。

ロサンジェルス…車社会の大先輩ですから、海岸の砂浜と公園の芝生以外は道路は当然ながらすべてコンクリート舗装されていますが、面白いと思ったのは、自然であるはずの砂浜や芝生の公園はゴミひとつ落ちていなくて、無味乾燥といえるほどきれいに管理されているのに比べて、舗装された歩道は落書き、表示、広告など種々雑多な表現の媒体になっていてとても人間臭いのです。
となると、こちらの目線は自ずときれいな砂浜や芝生ではなく「汚い」プロムナードへ向けられます。
以下、小一時間の地面ウォッチングでのデジカメ・スケッチです。

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by love-all-life | 2009-09-25 20:21 | 文芸・アート | Comments(3)

夏の終わりに

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先週、夏休み残りわずかの孫たちを連れて、ボロ車を転がして越後妻有・大地の芸術祭に行ってきました。
広大なエリアに350点からある作品を二日で巡るのは到底無理な話で、必然的に小学生でも楽しめそうな田島征三さんたちの「絵本と木の実の美術館」や、日比野克彦さんたちのプロジェクトなど4カ所ほどに絞りました。
二日目の午後にはかなりぐったりの孫たちでしたが、松之山地区の森の学校「キョロロ」に着いたとたんに眼の大きさが3倍くらいになりました。
錆びた鉄板で装った蛇のような建物の「キョロロ」には木工体験工房があって、そこには木の実や小枝などの自然素材が山と積んであって、そんな材料でつくった昆虫や動物たちのオモチャがところ狭しと並んでいます。工具なども自由に使えて、専門の指導員のおじさんが丁寧に技術指導をしてくれるのです。

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子供にとって、人のつくった作品をお行儀良く鑑賞するなどということは苦痛以外のなにものでもなく、なにか面白い作品を見たらすぐに触発されて自分で何か作りたくなってしまうのが自然のなりゆきです。

孫たちは、何を作ろうかいろいろ目移りしたあと、やっと鹿をつくることに決めたのはよいのですが、なにせ経験不足で、材料ひとつ選ぶのも、工具の扱い方も、何一つうまくいきません。指導員のおじさんを頼りに四苦八苦です。
「ボクたちどこから来たの?」、「カマクラからです」と答えたとたんに、子供たちから聞かれたことだけに応えていたおじさんの表情がくしゃくしゃとくずれました。というのもおじさんがまだ十代だった頃、七里が浜一帯の大がかりな宅地の造成のために新潟から出てきて10年間も鎌倉に住んでいたことがあったのです。
「あそこには牧場があってね、牛がのんびり草を食んでいたよ」「エッ、あそこに高校ができたの!」「へー、そんなに立派な住宅地になったのか〜」と、頭は半世紀昔を辿りながら、手の方は子供をそっちのけで、どんどん鹿をつくっていってしまいます。

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できあがった作品は、とても「ボクが」、「ワタシが」作りましたとは言えないような立派な鹿になりました。

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というわけで、夏休みの自由課題がこれでなんとかなるという孫たちの目論みは見事はずれてしまいました。
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by love-all-life | 2009-09-03 17:53 | 文芸・アート | Comments(2)

J. H. 君

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このブログでくり返しているようにHAND & SOULは本当にちっぽけなお店ですが、その商いとなると店のサイズにさらに輪をかけたような小ささです。
「店」は「見せ」なんだと、お客さんとの出会い、触れ合いを楽しむことにしています。
そう割り切ると、店のスケールをはるかに凌ぐ、多様な出会い、思いがけない触れ合いの連続で、金,土、日を楽しむことができます。

J.H.君は今日もやってきました。彼は韓国生まれで、11才でアイオワ州の家庭にアダプトされ、建築を学んで、いまはニューヨークのブルックリンに住んで絵を描いています。ウェブで知った日本人のミニチュア・アートの作家に惹かれて、9月4日までの6週間ほど東京の下町に下宿してミニチュア・アートを学んでいます。
日本語はだめですが小津安二郎のファンの彼は、先週の土曜日に北鎌倉駅で下りて右も左も分からないままハイキングコースを迷い歩いたすえ、閉店間際の店にふらりと姿を現しました。心細くなっていた時ちらりとかわいい赤い家が見えたので、何だろうと立ち寄ったのです。鎌倉やOZUの話をしたり、彼の身の上話を聞いたりしていたら、アッという間に閉店の時間になったので、よかったらまた来週来たらと軽く言って別れたのですが、今日また本当にやってきました。
今回は、彼が旅行の間毎日描き貯めている葉書サイズの作品をもってきてくれました。とてもかわいらしくて、都会的センスで好感がもてました。先週の鎌倉行のあとの作品は小津安二郎のオマージュになっていて、微笑ましい作品でした。長期滞在するならHAND & SOULに置いてもらいたいと思いましたが、来週帰国なので1枚だけ記念に買おうとしたらプレゼントしてくれました。内心は小津安二郎のオマージュものがほしかったのですが、彼も手放したくないだろうと思って遠慮しました。できれば来年また来日したいと言っていたので、その時はHAND & SOULの「モノ」のひとつになって欲しいと思っています。

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by love-all-life | 2009-08-30 10:36 | 文芸・アート | Comments(0)

ビーチコミング

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ビーチコミングという言葉は近頃かなり知られてきていて、実践する人も少なくないようです。
湘南の海岸では落ちているモノよりビーチコマーの数の方が多いなどという冗談も聞かれるほどです。

このビーチコミングで、「何事も過ぎたるは・・・」という体験をしました。

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先日のアメリカ西海岸の旅行で、宿がベニスビーチのど真ん中だったので喜んで、ホテルに着いて早速ビニール袋を片手に砂浜に飛び出たまではよかったのですが、ベージュ色の砂のほかには見事に何もありませんでした。小石も貝も流木も、ましてやシーグラスやペットボトルなど、広い砂浜のどこを探しても何一つないのです。カモメが岸辺にいるところをみると、何かしらの獲物があるのでしょうが、わずかに海藻のかけらを波打ち際に発見するのがやっとでした。
美しい海岸を維持しようとおそらく重機で徹底的に整備したのでしょう。ビーチコミングということで言うならこれこそ究極のビーチコミングの姿なんでしょう。でもなんだか妙に落着かないのです。これはあきらかに不自然です。テーマパークと割り切るほかないような完璧さです。

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ジイジの愛読書、岡倉覚三著の「茶の本」の一節が思い出されました。
ちょっと長くなりますが、読んでみてください。

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『利休はその子紹安(じょうあん)が露地を掃除し水をまくのを見ていた。紹安が掃除を終えた時利休は「まだ充分でない」と言ってもう一度しなおすよう命じた。いやいやながらも一時間もかかってからむすこは父に向かって言った、「おとうさん、もう何もすることはありません。庭石は三度洗い石燈籠や庭木にはよく水をまき蘚苔は生き生きした緑色に輝いています。地面には小枝一本も木の葉一枚もありません。」「ばか者、露地の掃除はそんなふうにするものではない。」と言ってその茶人はしかった。こう言って利休は庭におり立ち一樹をゆすって、庭一面に秋の錦を片々と黄金、紅の木の葉を散りしかせた。利休の求めたものは清潔のみでなくて美と自然とであった。』


制作素材を求めて汚れた海岸を這いずり回って いるジイジ&バアバに言わせれば、この海岸からはなにも生産的なコトや創造的なモノは生まれないだろう、消費あるのみ、ということになります。

ま、幸か不幸か、日本の海岸ではこのようなことが起きることは生きているうちにはあり得ないでしょうけど。
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by love-all-life | 2009-07-27 22:38 | 文芸・アート | Comments(0)

Touch the heart.

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何年も映画館というところに足を入れたことはありませんがビデオはよく観ます。
昨日家人が借りてきたので「おくりびと」を観ました。
オスカーを獲得したときの関係者やマスコミの「あり得ないことが起こった!」みたいな騒ぎっぷりはたいへんなものでしたが、ボクにはオスカーを取ってもなにも不思議はないほどよくできた映画と思えました。

どこが?という話は横に置いておいて、ボクが驚いたのは「石文(いしぶみ)」の話が映画の重要なモチーフとしてでてきたことでした。
なぜなら、この「石文」の話は十年来大学で毎年授業で採り上げてきたからです。
ボクの場合はデザインの講義ですから、映画のような「父子の絆の徴」としてではなく、「情報伝達の深さ」の話です。

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因みに「石文」の話とは、まだ文字というものが一般的でなかった昔、自分の気持ちを伝えるのに、気持ちにぴったりな小石を探し、人に届けてもらう手紙に代わる風習のことです。
石を受け取った人は手のひら中で石の感触を確かめ、丸くてすべすべしていたら送り主の無病息災を想い安心し、とげとげざらざらしていたら、何か良くないことがあったのではないかと気を揉むというのです。


情報伝達の技術(IT)の発達で、情報の量、選択肢、質、正確さ、速さいずれも飛躍的に向上し、使い手にとって昔では考えられないほど便利になったわけですが、その分、情報に接する感性や想像力が鈍くなってきているのではないか、それに比べ、小さな石ころは自分の姿とテクスチャー以外になにも表現しませんが、だからかえって受け手のイマジネーションを引き出し、結果として相手の心の一番深いところに届くのではないか、技術を知る必要はあるが、技術に頼りすぎるのは危険だというのがボクの学生へのメッセージでした。

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人の心に届くモノづくりを心がけたいと思います。
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by love-all-life | 2009-04-03 09:26 | 文芸・アート | Comments(4)