HAND & SOUL

カテゴリ:文芸・アート( 53 )

アーツ&クラフツ展

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上野で開催されている「アーツ&クラフツ展」に行ってきました。
会場の入り口に近代デザインの父と言われるウイリアム・モリスの有名な言葉が大書してあります。
「暮らしの中に『役に立たないもの』『美しくないもの』を持ち込んではいけない」

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ウイークデイというのに会場は若い人を中心にかなり混み合っていいました。
モリスの言葉が今も、いや今だからこそ強いメッセージ力をもっている証でしょう。

トレンドだから、欲しいから、買いたいから…、これらはもちろんものを買う立派な理由ではありますが、「買いたい」欲望を満たしたあと、廃棄されるまでゴミ同然に捨ておかれるものたち。
限られた敷地に庭木も植えられないほど目一杯の間数の家を建て、広々と暮らしているかと思えば、次から次へと買い込んだものに場所をとられて住まいの空間は結局ウサギ小屋。
どこか変だと知りつつ、そんな暮らしから抜け出せないわれわれの耳にモリスの言葉は痛撃であると同時に、良寛さんの言葉のような清々しさを感じさせてくれます。

会場には、「暮らすこと」は「美しく生きる」と同意語なんだと言わんばかりに、丁寧に丁寧に考えられ、丁寧に丁寧に職人の手でつくられた作品が、幾ばくかの貴族的臭いを漂わせながら展示してありました。

帰りの電車の中で図録を見ていたら(デザイナーと職人が)「手と手を取り合って、手と心で仕事をする」という言葉に出会いました。

やはり”HAND & SOUL”なんだ!


*図版:アーツ&クラフツ展切符半券、ウイリアム・モリス写真は展覧会図録より
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by love-all-life | 2009-03-28 22:36 | 文芸・アート | Comments(0)

冷えた野菜と、醜い食器

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「冷えきった野菜が醜い食器よりは害がないことを銘記しよう。一方は身体に影響するが、もう一方は心を犯す。」
とは、建築家C.F.A.ヴォイジー(1857~1941)の言葉です。
温かくおいしい料理さえあれば、それがどんな器に盛られているか意に介さないのは精神的堕落だと言うのです。

ちょっとカッコよすぎるような気がしないでもないですが、とても惹かれてしまうのは、安くてそこそこおいしければ,ビニールパックのお弁当でもいいやとしてしまうような暮らしへの後ろめたさを感じているからでしょう。

われわれわれは膨大なエネルギーを使って、便利になること、快適になることを進歩と呼んできましたが、これは「楽(らく)」することへの進歩であっても、決して人間の進歩でないことに気づき始めています。
いくら楽(らく)ができても、楽しいとは限らないからです。

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肉体の「楽(らく)」と、心の「楽(たのしさ)」のバランスということで言えば、1万年前のラスコーやアルタミラの動物壁画や縄文土器を持ち出すまでもなく、原始の人たちの方がはるかにバランスのとれた暮らしをしていたようです。
自らのHANDとSOULで命を守る営みが、同時に美の創造であるような暮らし…これこそが、彼らが単なる哺乳類から「人類」になった証なのです。
いや、生きることが過酷である分、それに抗するべく心の「楽」つまり「美」を求めたのかもしれません。

少しやせ我慢しても美しいモノ、楽しいコトにこだわりたいと思います。


*食器写真、”MONET’S TABLE”より
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by love-all-life | 2009-03-25 20:42 | 文芸・アート | Comments(0)

技とテクノロジー

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青空にコブシがまぶしい陽気でした。

夕方近くぶらっと街へ散歩に出て、ぶらっと図書館に寄ってみました。
以前はたまに利用する程度だったのが、リタイア後は、家に本が溜まらなくて済むことと、経済的理由から、かなり頻繁にお世話になっています。

入り口の柱に「鎌倉鳶(とび)~先達の足跡~」と張り紙があったのでエレベーターで3階へ上る。
閑散とした薄暗い廊下の、衝立て2枚とガラスケース2台に、鎌倉で活動した鳶職の古文書や、大正から昭和初期の写真や纏などの品が展示してあります。

印半纏に脚絆にねじり鉢巻、写真に写ったの鳶の者たちは姿も表情もきりっと締まって見え、彼らが自分の仕事に誇りをもっていたことが伺えます。
展示してある纏や半纏などはどれも洗練された完成度の高いデザインです。
鳶口という極めて単純な道具ひとつを操って不可能を可能にしてしまうような仕事には、一糸乱れぬチームワークと人の技の伝統があり、それらは磨きあげられた様式となり、文化の領域に達していたのでしょう。

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「古くは鳶者(とび)といわれ、土木工事が盛んになった近世初期から、普請場で鳶口を使って大きい材木や石を動かす仕事に携ったことから言う。
集団で行う仕事の音頭をとるために独特の『木遣り唄』が唄われた。云々」と解説があります。

あ、そうか。この人たちの仕事はいまはショベルカーやクレーンと、オペレーターと称する運ちゃんたちにとって代わってしまったんだ。
それにしても荒々しい建設現場に似つかわしくない化粧品のような色彩のショベルカーや、裾だぶだぶのズボンの出で立ちは、それなりの機能性をもっているのだろうが、滑稽というか、粋とか美の感覚とはずいぶん遠いなぁと思う。

機械力に頼ったショベルカーやクレーンの現場からどんな様式や文化が生まれるのだろうか。
マニュアル化された手順と効率主義から生まれるものがお金だけだとすれば、”サブプライム”を対岸の火事と言っていられないかも。

*「鎌倉鳶」資料:鎌倉中央図書館
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by love-all-life | 2009-03-17 21:42 | 文芸・アート | Comments(0)