HAND & SOUL

<   2010年 02月 ( 6 )   > この月の画像一覧

HAND & SOUL「モノ」がたり 42 <こころに届け>


e0153357_1222726.jpg









去年インターネット広告が新聞広告を追い抜いたそうです。
テレビ広告が新聞を追い抜いたのは30数年も前ですから、大抵の人にとって広告といえばテレビCMというイメージでしょうが、日本では長年にわたって新聞広告が広告の代表選手でした。世の中の変化とともに広告媒体も変化を続けているわけで、昔アメリカの広告業界に、ボクシングの試合でいつもノックアウトで負ける選手がいれば、彼のシューズの裏側に広告を出せ、というジョークがありました。人の関心の向けられる先に広告が集中するのは当然のことです。
テレビ広告がネット広告に抜かれるのも時間の問題なのでしょう。

しかし広告に使われるお金の量と広告効果は必ずしも比例するわけではありません。何十億円も広告費をかけてもさっぱり売れない商品はいくらでもありますし、小さな広告が人々の話題をさらい大ヒットとなる商品も少なからず存在します。要は広告がどれだけ人のこころに届くかというメッセージの質の問題であり、量の問題ではないのです。

ネットを開くと渋谷の駅前のようにありとあらゆる場所にありとあらゆるカタチの広告がひしめいています。
なかにはオヤッと思わず目を奪われるよな視覚的な工夫をこらしたトリッキーな広告もありますが、でも大体は刹那的刺激であって、こころのどこかに忍び込んで留まったり、行動を起こさせるという類いのものではありません。メッセージの深度が浅いなと感じます。

e0153357_1157231.jpg

















以前に弊ブログ(4月3日)で紹介した、石の感触でこころを通わせる「石文」のように、飾らず、饒舌にならず、プリミティブではあるがこころにストーンと飛び込んでくるような広告、広告クリエイターの諸君、頑張って欲しいな。


「Love Stone」 1個 ¥200から

上カット:昭和初期に人気のあった「スモカ歯磨」の新聞広告
[PR]
by love-all-life | 2010-02-25 12:22 | 「モノ」がたり | Comments(3)

HAND & SOUL「モノ」がたり 41 <陰翳礼賛>


e0153357_05452100.jpg







ジイジは夜コンビニの前を通るときいつも一緒にいる人に、誰も一緒にいないときはこころの中で、つぶやきます「明るすぎるッ」。
店内が非常に明るいだけでなく、店そのものが発光体のように道路にまで光を発散しているコンビニが消費者の欲望喚起とエネルギー浪費の象徴のように見えるからです。
もちろんこのような光の消費はコンビニに限ったとこではないし、明るい夜はわれわれの暮らしの便利さや安全を守っているということは十分承知してはいますが、一方で闇や影といった「暗さ」や「陰翳」がつくり出す世界がどんどん失われていくことにどこか不自然さとある種の怖さを感じます。
物事にはすべて陽と陰、表と裏があって、裏がなければ表は存在しないわけで、すべて表、すべて裏なんていうことは本来あり得ないのに、現代社会は便利だから安全だからと、科学技術の力でなんとか世界を表だけにしようとしているように見えます。

かの「陰影礼賛」の中で谷崎潤一郎は「美と云うものは常に生活の実際から発達するもので、暗い部屋に住むことを余儀なくされたわれわれの先祖は、いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがては美の目的に添うように陰翳を利用するに至った。事実、日本座敷の美は全く陰翳の濃淡に依って生まれているので、それ以外は何もない。」と、住まいから食事までかっての暮らしの隅々にまで入り込んだいた陰翳をわれわれは美にまで高めたことを強調しています。

谷崎に異論を差し挟むわけではありませんが、影や暗黒の文化は何も日本だけのものではありません。
高級だ老舗だと連れていってもらったドイツやフランスのレストランで店内の明かりが少なく、テーブルの小さなキャンドルの光だけで向かい側の人の顔さえよく見えないほどの暗さのなかで食事をしたことも一再ではありません。
ヨーロッパに限らずアメリカでも天井からのライトを煌煌と点けて部屋全体を明るくするのは稀で、トップライトは食卓の上に下げて、部屋の隅々に影をつくり、フロアスタンドやテーブルスタンドを随所に配置して明かりの演出を工夫するというのが一般的のように思います。
もともと天井から電灯を下げるというのは、太陽の代用としての電灯でなんとか昼間に近づけようという努力なのでしょうが、せっかくの夜の暗さをわざわざ昼と同じにしようとするのでなく、昼にはない光と影の空間づくりを楽しみたいものです。

ないことに不満をもつのでなく、あるものを愛することが幸福の秘訣だそうですよ。


ジイジがホムセンターで買ってきた桂の角材でつくったちょっとユーモラスなスタンド・ランプです。

e0153357_0554094.jpg



















「Hug Me」 W280×H450mm  ¥15,000


e0153357_0562082.jpg



















「Nature Call」  W350×H200mm  ¥8,000
[PR]
by love-all-life | 2010-02-21 01:12 | 「モノ」がたり | Comments(0)

HAND & SOUL「モノ」がたり 40 <イワン・チビコビッチ>


e0153357_9431796.jpg





30年も前のことでしょうか、家の裏山にあたる源氏山公園に登る道の脇に鶏のチャボが住んでいました。
近所では、もともとは養鶏所かどこかで飼われていたものが捨てられて野生化したものと思われていました。4羽ほどのグループで昼間は林の中かどこかでエサをあさっているらしく姿を見ることはあまりありませんが、夜は道路脇の3メートルほどの高さの決まった木の枝に並んで休んでいるのです。
ヤッ、鶏は飛ぶことができるんだということを確認することができました。
朝な夕なに時を告げる彼らの鳴き声は佐助の谷戸のサウンドスケープにもなっていました。

ある日、その中の1羽が家にやって来て夕方になっても帰らないのです。翌朝になっても庭でうろうろしています。
どうもリーダー争いに敗れて、失意のうちに群れから逃れてきたのではないかということになり、かわいそうだからとエサをやるうちにうちに居着いてしまいました。
コッコちゃんという名前をもらって結構幸せそうに暮らしていました。
さすがに寂しいらしく、毎日夕方になると庭の端に立って、谷を挟んで直線距離で200メートルほどのかっての住処の方に向かって大きな声で鳴きます。最初のうちは何の応えも返ってきませんでしたが、そのうち仲間からの返答も来るようになったと思ったら、なんともう1羽、これも敗残兵とおぼしきチャボがのこのこやってきました。
チャボですからとても小ぶりなのに、立派なトサカをもち、尾は噴水のように立ち上がっていています。
どこかアンバランスでユーモラスなのでコサック兵みたいだと、イワン・チビコビッチという名前を授けました。

ジイジはチビコビッチ贔屓でさかんに可愛がるので、コッコちゃんは焼きもちを焼いてチビコビッチをいじめ、彼はついには目を突かれて失明させられて片目の海賊の船長みたいになってしまいます。
コッコちゃんは罰が当たったのかチビコビッチの呪いか、そのうちタヌキに襲われて絶命してしまい、ジイジ・バアバは生き物を飼うものが必ず経験しなければならない悲哀を味わうこととなりました。

今の家に住んで45年、アヒル、カメ、ウサギ、ハムスター、文鳥、セキセイインコ、カナリヤ・・・
ずいぶんいろいろな動物を飼いましたが、小さいくせに偉そうに胸を張って歩くチャボの姿には今でも忘れ難いものがあります。

e0153357_9374599.jpg


























今回ご紹介するバアバ作のセーターもそんなチャボの思い出がアップリケになったものです。


フリース・セーター  ¥10,000
[PR]
by love-all-life | 2010-02-12 19:40 | 「モノ」がたり | Comments(1)

HAND & SOUL「モノ」がたり 39 <HAPPY DAYS>



e0153357_2018191.jpg






昨日はHAND & SOULにかわいらしいアクセサリーをつくって置いてくれている旧友のMF子さんが、品薄になった作品の追加を持ってきてくれました。
e0153357_20295763.jpg

彼女は、誰も気にとめないような素材を発見したり、組み合わせたりして「まァかわいい!」と思わず言わせるモノを創り出します。素材は例えば、海岸に落ちている陶片だったり、安全ピンだったり、そのままなら安っぽいビーズだったりします。

e0153357_21134718.jpg





だから彼女のアクセサリーの魅力は高価な宝石や金属の豪華さではなく、センスそのものが輝やいているという種類のものだし、それを身に着けた人を羨望の対象とするのではなく、その人の目の付けどころとアイディアの面白さを廻って楽しい会話を生み出すといった類いのものです。
もひとつの彼女のアクセサリーの魅力(?)はとてもお値段が安いことです。「これでは安すぎるよ」と言うと、「だって、材料費がかかっていないし・・・」と言います。彼女が身に付けている美意識やセンスには長い年月と莫大な投資があったはずなのですが、そのことは不問に付すというのですから太っ腹というか、お人好しというか・・・。
e0153357_2039495.jpg

彼女は会話の名手でもあります。彼女が加わると場のサウンドとノイズと笑い声で賑わいのオクターブが上がりますが、そのなかでいつも際立っているのが彼女の笑い声です。
昨日はそんな彼女につられて、日頃口数のすくないジイジもしばしダベリを楽しみました。話題は「老人になってよいことは何か」でした。ジイジ、バアバの旧友なのですからわれわれほどでないにしても、彼女もどちらかというと「昔は若かった」世代です。

e0153357_204634100.jpge0153357_20502847.jpg





「年とると体力も、気力も、記憶力も、経済力も、力(りょく)と名のつくものはすべてなくなっていくものばかりで・・・何かいいことはないのかしらね」というのが会話のきっかけでした。
「力はなくなっても知恵はあるだろう」とか「若い頃はいずれ死ぬってこと、すごく怖かった。でも死が迫ってきているという現実があるのに、昔ほど怖いっていう気がしない。よくしたもんだね」とか「若い頃はさ、子育てとか、社会的地位とか、将来の見通しとか、いわゆる生きがいといわれているものが、通り過ぎてみるとみんな苦労や心配の種だったってわかる。もうそいう心配をしなくて済む解放感ってあるんじゃない」などなどいろいろ出て、古希を過ぎて経験したことないお店など始めてしまったジイジの結論は「これ以上もう失うものはないと思えば、老人の強みは挑戦できるってことじゃないかな」で、MF子さんの結論は「自由ってことね、そうだ私は自由なんだ」でした。

e0153357_20525217.jpg

こんな会話を午後の3時頃にだらだらとしていても、誰からも何処からもクレームが出ないというのも「老人であることのよさ」なんでしょうか。




アルファベット・ブローチ 1語 ¥500  2語  ¥1,000
ビーズ絵ブローチ     単  ¥600  連   ¥1,200
陶片ブローチ       単  ¥700  セット ¥2,500
(陶片ブローチは2009年5月21日付けのブログで紹介しています)
[PR]
by love-all-life | 2010-02-07 21:32 | 「モノ」がたり | Comments(0)

立春




e0153357_1655280.jpg












朝はふとんから出るのに何度も決心をしなければならないほどの寒さでした。
立春の朝はいつも「えッ、もう立春」って言っているような気がします。

今朝の「天声人語を」もたくさんのウンチクを傾けて春を待ちわびる文を綴っていました。
その文の締めくくりの部分で、氷が溶けたら何になる?というテストで「春になる」と答えた子の話が紹介されていました。
これ、実はジイジも大学にいたころ毎年学生に同じ質問をしていました。えッ、大学生に、と思われるかもしれませんが、べつに科学の話でも,とんち話でもありません。デザインとは何かの話なのです。

Q.「氷が溶けると何になる?」
A.「水になります」
Q.「他に?」
A.「???」
Q.「他にないの?」
A.「・・・・」
Q.「何でもいいから言ってごらん」
A.「・・・春になります」
Q.「よろしい!」
こんなやりとりがあります。

こちらの言いたいことは、デザインの世界にはたった一つの「正しい答え」なんかない、たくさんの答えのなから「よい答え」を探すのがデザインするということなんだ、さらに言うとその答えが「人のこころを動かす答え」であって欲しいということなのです。
「よい」の中身は「使いやすい」「美しい」「もっていると心がなごむ」「いつまでも一緒にいたい」そして「環境にやさしい」などが含まれます。


e0153357_16474674.jpg






考えてみると「正しい答え」より「よい答え」「こころに触れる答え」というのは、なにもデザインの世界だけのものではないと思えます。
「正しい」「正しくない」でものごとを律すると、とかくギクシャクした状況が生まれます。その最たるものが戦争です。古今東西どんな戦争も「正義」と「正義」が譲り合わないで起るのです。

世の中、「いいねェ」「これ美しいでしょ」で律したら、もっと平和で心地よくなると思うのですが・・・。
近頃の文科省の顔、そっちに向いているとは思えませんねェ。
[PR]
by love-all-life | 2010-02-04 17:25 | 文芸・アート | Comments(3)

HAND & SOUL「モノ」がたり 38 <雛人形づくり>



e0153357_11424648.jpg







この時期バアバは雛人形づくりに係りっきりです。毎年の個展が迫ってきているからです。

e0153357_11433120.jpg











内藤三重子の雛人形づくりは、まずホームセンターで桂のブロックを買ってくるところから始まります。
木のブロックをいくつかに切り分け、首、手、足と切り出し小刀で彫っていきます。一体分を彫るのに一月ほどかかるでしょうか。この段階でたくさんのバンドエイドと、ジイジの小刀の研ぎの助けを必要とします。

e0153357_11453526.jpg











彫り終わるとそれらを着色しお顔を描きます。当然のことながら、顔の墨入れでバアバ雛の「らしさ」が生まれます。
次に部分部分を針金と糸で連結させます。針金を使うのは手足首の動きをつくるためです。

もうひとつのバアバの雛のこだわりは衣装づくりにあります。通常市販の雛人形の衣装は立派な錦織の十二単などを来ていても、それらは糊で固定されています。しかしバアバの場合は、押し入れいっぱいの段ボールに収集した古布から丹念に選んで、ひとつひとつの衣装を人形のサイズに合わせて全部個別に作って何重にも着せるのです。ですから着せ替え人形のように着脱ができます。

e0153357_11462163.jpg











この時のバアバは、明治17年生まれのジイジのおばあさんが昔障子から差し込む光のなかで縫い物をしていた姿とそっくりです。

e0153357_11474060.jpg

















こうして出来たバアバの雛人形は個展で不思議と(失礼、バアバ)すべて売れてしまいます。
HAND & SOULを開いた当初から、店をもったのだからここでバアバ雛の展示をしたいねという声はあったのですが、すでに前からの約束を鎌倉と新潟のギャラリーにしているので、実現は難しいのです。
「今までお世話になってきたお店をムゲにできません。来年あたりはそろそろ最後となるかもしれないので、自力でしたいと思っています。韓国で習ってきたポジャギや伝統工芸の衣裳入れなどもつくりたいと思っています。」とは、締切りに追われてちょっと弱気と、相変わらずの強気の混ざったバアバの言です。
[PR]
by love-all-life | 2010-02-03 12:12 | 「モノ」がたり | Comments(2)