HAND & SOUL

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HAND & SOUL「モノ」がたり 44 <一寸法師>


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不幸のどん底にありながらも「凛々しい」少年の姿が忘れられないと前ブログで書いて、待てよ近頃聞かなくなったこの言葉、割合い最近聞いたなと思い返して、バアバの「一寸法師」を評して凛々しいという言葉が使われていたことを思い出しました。

今年もバアバの雛人形はほぼ完売の人気でしたが、5月の端午の節句にも男の子向けのものが欲しいという声が以前からあり、その要望に応えて取組んでいるのが「一寸法師」人形です。
なぜ一寸法師なのか本人に聞いても明快な答えはありません。たまたま家にある古いおとぎ噺絵本に触発されたのかもしれませんし、いかめしい武将や金太郎より、小柄なバアバは小が大を征する一寸法師に共感するところがあったかもしれません。

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つくり方はお雛さまと同じで、1塊の桂の材木を胴体と手に分けて小刀で彫り込んでいきます。この段階でかなりの量のバンドエイドを必要とするのも、ジイジの研ぎのヘルプもお雛さまのときと同じです。彫り上がった人形を着色し顔を描き、手と胴体を針金で連結します。一方で古布を縫ったり刺繍したりして小さな衣裳を何枚かつくります。この姿がジイジのお婆さんの針仕事の姿と重なるのも同じです。衣裳を着せて朱塗りのお椀に入れ箸を1本添え、おむすびのお弁当を背負わせて出来上ります。

3年前に初めての「一寸法師」を、当時住んでいた長岡の画廊で展示したとき、見に来てくれた人の最初の反応が「まあ,凛々しい」でした。

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バアバは二人の男の子を産みました。小さかった時分の子育てでは嘘をつかないこと、自分が嫌なことをヒトにはしないこと、ハンディキャップのある同級生と親しくすることをなどを厳しくしつけていました。きっとやさしさと勇気を併せもつ「凛々しい」人間になって欲しいという思いがあったのでしょう。いまやその二人も四十を超えるメタボぎみの中年男になり果てましたが、6人の孫のうち男の子の三人にはやっぱり「凛々しく」という願いがあって、その思いが知らず知らずに「一寸法師」の姿に表れるのでしょうか。
ふと一寸法師が刀を差していないのに気がついて「刀がないじゃない」と云うと、バアバは「わざとよ」と答えました。バアバは強い男よりやさしい男をお好みのようです。
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by love-all-life | 2010-03-29 10:30 | 「モノ」がたり | Comments(2)

忘れ得ぬ写真

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忘れ難い1枚の写真があります。昭和20年8月に長崎で撮られました。
廃墟と化した焼け跡に立つ少年は背中にこと切れた幼児を背負っています。両親をすでに失った彼は弟の遺体を焼くための順番を待っているのです。

この写真を撮ったのは終戦直後に日本にやって来たアメリカ空爆調査団・公式カメラマン、ジョー・オダネル。
彼の任務は原子爆弾などの成果を記録するためで、一般の市民などを撮ることは禁じられていたにもかかわらずこっそり個人的に撮られた写真の1枚です。
この世のあらゆる不幸を一身に纏ったような少年の前に突然カメラを携えて現れたのは数日前まで鬼畜とされていたアメリカ人でした。その姿が目に入らなかったはずはありませんが、少年は一切の悲しみや惨めさを見せまいと有らん限りの精神力を振り絞って直立不動の姿勢をとっています。その姿からは、人間の尊厳とでもいうような「凛々しさ」が感じられます。こんなに残酷な写真、そしてこんなに美しい人間の姿を見たことがありません。
昭和11年生まれのジイジはこの写真が撮られたとき少年とほぼ同じ歳であったことを思わずにはいられません。
今の日本からは消えてまった、もっともみすぼらしい子供が見せるもっとも崇高な人間の姿と言えるでしょう。

以下は撮影者ジョー・オダネルのコメントです。

佐世保から長崎に入った私は、
小高い丘の上から下を眺めていました。
すると白いマスクをかけた男達が目に入りました。
男達は60センチ程の深さにえぐった穴のそばで作業をしていました。
荷車に山積みにした死体を石灰の燃える穴の中に次々と入れていたのです。

10歳ぐらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。
おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。
弟や妹をおんぶしたまま、広っぱで遊んでいる子供の姿は
当時の日本でよく目にする光景でした。
しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。
重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意志が感じられました。
しかも裸足です。

少年は焼き場のふちまで来ると、硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。
背中の赤ん坊はぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。

少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。
白いマスクの男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。
この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に初めて気付いたのです。
男達は幼子の手と足を持つとゆっくりと葬るように、
焼き場の熱い灰の上に横たえました。

まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。
それからまばゆい程の炎がさっと舞い立ちました。
真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年の
まだあどけない頬を赤く照らしました。
その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に
血がにじんでいるのに気が付いたのは。
少年があまりきつく噛み締めている為、
唇の血は流れる事もなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。
夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、
沈黙のまま焼き場を去っていきました。

(インタビュー・文 上田勢子)
「写真が語る20世紀 目撃者」(1999年・朝日新聞社)より
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by love-all-life | 2010-03-27 22:28 | 時事・社会 | Comments(3)

情→報→情

引き続きメディア関連で・・・

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上の写真は朝刊を見ている小学2年の孫娘です。

うちの孫はこんなに賢いというところをお見せしようとしているわけではありません。朝日新聞の読者なら知っていますが、しばらく前から朝刊の第一面にほんの小さなコラムで「しつもん!ドラえもん」というのが載っています。e0153357_18261199.jpg
子供向けのクイズで、答えがその新聞のどこかに掲載されているのです。興味をもった子供が答えを探すうちに新聞のすべてのページに目を通すように仕向けられています。
結果としてそれまで新聞なんか見たこともない孫娘の一見賢そうな写真も撮れるということになるわけなのです。

このところネットに押されっ放しのマスメディアですが、マスメディアにもマスメディアでなければできないことがいろいろあるはずで、タワイナイことのようですが、「しつもん!ドラえもん」はそのようなヒントのひとつのように思えます。

e0153357_1943969.jpgその昔、岡部冬彦さんの漫画で「アサヒビールはあなたのビールです!」というコラム型の新聞広告のシリーズがあったのを65歳以上なら記憶しておられる方も多いと思います。ほんのちっぽけな広告ですが、アサヒビールを友だちのように感じさせてしまう不思議な力をもった広告でした。そして半世紀たっても人の記憶から消えないインパクトを保ち続けているのです。
よく言われるように「情報」というのは「情け」を「報せる」または「情け」に「報せる」ことです。つまり心と心を結びつけるのが情報ですが、いま情報といわれているものはどうもそうではなさそうです。パソコンと目、あるいは脳を繋ぐことはしても、心にまで届く情報というのはきわめて少ないのではないでしょうか。
テクノロジーが進化しても人間はそう簡単に進化しないのだから、「情」に届けるためには機械ではなく送り手も「情」をもってしなければならないでしょう。この場合の「情」とはアイディアとかウイットといったものでしょう。

ネットの利点が「早い」「多い」「便利」「自由」と聞いて、おやッ、いつか来た道だなと思い至ります。物質的豊かさを追い求め旗を振り続けたついこの間までのうたい文句とまさに同じではないか。ぬるま湯の快楽に浸っている間にお湯の温度が命に危険なまでに上昇してしまって、あわててもがいている地球人の愚をまたもやくり返すことにならなければよいがと、老婆心いや老爺心ながら思わざるを得ません。
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by love-all-life | 2010-03-26 19:32 | 時事・社会 | Comments(0)

情報化世界

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Googleが中国から撤退するというニュースが驚天動地のできごとのように感じられたのは、情報化社会では一企業が国家と対峙するという構図です。
いまどき巨大市場である中国から企業が撤退を決断するのは余程のことのはずですが、Googleは情報の自由に社運をかけたのか、それともビジネス上の計算なのか・・・、情報が自由に行き交うことが中国政府にとってどれほど具合の悪いことなのか・・・、本当のところはよく分かりません。でも前世紀に国運を分けたのが「オイル」だったのに21世紀は「情報」かと、世の中が変わったんだなぁということはアナログ人間のジイジにもひしひしと伝わってきます。

つい先日のNHKスペシャル「激震 マスメディア〜テレビ・新聞の未来〜」を見たら、いまや若者たちにとってニュースはインターネットから得るものであって、もはやテレビや新聞を情報源とは考えていないことをアメリカの実情と数字をあげて示していました。
番組のなかでマスメディア側の経営者とネット側の若い経営者、ネット評論家、有識者などが討論していましたが、ネット側の発言が元気がよいのに比べてメディア側の発言がいまいち歯切れの悪いのを聞きながら、かってテレビが台頭してきた頃、テレビの影響で本が読まれなくなったことを嘆いて社会評論家の大宅壮一が「一億総白痴化」などと喝破していたことが思い出され、昔は負け戦をしている側ももうちょっと元気だったなぁなどと懐かしく感じたりしました。
討論のなかで若いネット経営者が、今の若者はマスメディアが支配する国とは「別の国に住んでいる」と言ったのは、ネットサービスと国家が対等に争う現実とどこか呼応しているようで、なるほどと思った反面少し不気味でもありました。
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by love-all-life | 2010-03-25 10:33 | 時事・社会 | Comments(0)

HAND & SOUL「モノ」がたり 43 <SAN-AI学校卒>


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ジイジとバアバの出会いは1959年。東京オリンピックのはるか前、まだ車社会も新幹線もなく、奇跡の経済成長がまさに始まろうとしていた、まあ別の国のような日本でした。
その年、別々の美術系大学を卒業して就職したのが同じ会社だったのです。
三愛という銀座四丁目の角の婦人専門の衣料雑貨のデパートのような店の宣伝課でした。東京も青山や六本木などはまだ郊外といった感じであちこちに畑が点在しているようなところでしたので、オシャレな買い物というと銀座と相場が決まっていました。
三愛はそんなオシャレの中心地にあったので、宣伝課員といってもお客さんを集める宣伝の仕事より、銀座通りを歩いている若い女性をお店に誘うウィンドウや店内のディスプレーが主たる仕事でした。
伊藤精二さんという課長さんがアート・ディレクターで,2年先輩にはクラマタ・シローさんがいて、1年後輩にはこの1月に他界したグラフィックデザイナーの小島良平さん、商品企画部門には高田賢三、松田光弘さん(NICOLE)など後年名を成した若者たちがいて多士済々した。

お向かいの和光やその先のミキモト真珠店はお金をかけた凝ったディスプレーをするので有名でした。三愛も場所柄負けてはいられないのですが、予算の規模が違うのでなんとか低予算で対抗しなければなりません。
和光の金属製のピカピカのディスプレー台、樹脂成形の小道具、特性のマネキンを使った絢爛豪華が売りのウィンドウに対し、われわれが飾り付けに使うものといえば、ベニヤ板のマネキン、ベニヤの表示板、色紙、切抜き文字、キビガラ、テングス、ヒートン・・・それも一度使って施工業者の倉庫に保管してあるものを再利用するという節約ぶりです。必然的にアイディアや色の取り合わせ、モノの位置関係などお金のかからないことろに時間をかけます。ディレクターの伊藤さんはひとつのハンカチをウィンドウの中に置く場所を決めるのに1時間もかけます。そんな課長さんの空間創造の態度は新人のわれわれにとってありがたいレッスンでした。ジイジは三愛に1年半、バアバは3年しかいませんでしたが、なんだか10年以上三愛で仕事をしていたような気がするねというのが共通の感覚です。三愛という職場はジイジ・バアバにとって創作活動の原体験だったわけです。

50年たっては再びお客さん相手のモノづくりの暮らしに戻ったわけですが、気がつくと手近で安い素材からいかに楽しくて小洒落たモノを生み出すかに夢中になっている自分に、改めて伊藤さんの教えから一歩も出ていないなと実感している毎日です。「課長ッ、ありがとうございました!」

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以前にご紹介した、作りかけのランプに遊び心を加えてお店に置きました。「遊び」は人生を豊かにする最良のクスリであり、人の心を開いてくれるというのも伊藤課長の教えのひとつです。

写真左:ヨット遊びのランプ    巾26cm×高さ40cm  ¥18,000
写真右:流木人形のブランコランプ 巾15cm×高さ42cm  ¥16,000
カット写真:三愛時代に使っていたと同じタイプのベニヤのマネキンをHAND & SOULで使っています。
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by love-all-life | 2010-03-20 18:40 | 「モノ」がたり | Comments(2)

刺激と感動


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息子の家族がアカデミー賞3部門をとって話題の映画「アバター」を観てきました。帰ってきたときの反応はというと、出かけるときの大騒ぎに比べて、小学生の孫たちは久しぶりにママに映画に連れて行ってもらったことの嬉しさの余韻を残してはいるものの高校生の長男と大人たちの反応は「疲れた・・・」というものでした。
ヤッパリ。
というのも、瞬間的に吉田直哉さんがかって書いていた話が思い出されたからです。

NHK の才能を代表するディレクターで2年前に他界された吉田直哉さんはテレビドラマやドキュメンタリー番組に従来の概念を超越した新しい手法を開発して映像文化の発展に大きな足跡を残した人です。
彼はNHKの最初の大河ドラマ「太閤記」を演出しましたが、その冒頭が当時まだ新しかった新幹線の走りのシーンだったので、番組担当の人たちが何かの間違いと思い一時騒然となったという逸話がのこっています。

デザイナーの矢萩喜従郎さんとの共著で「<映像の時代>を読み解くためのヒント」と副題のついた随筆集「森羅映像」(1994)のなかに吉田さんのこんな文章があります。

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近年映像技術の発達で立体映像を体験する機会も少なくないが、いつも「何のために?」という疑問がつきまとう。そしてそういう映像を見て驚くことはあっても感動するということがないのは何故なんだろうと考えてみた。平凡のようだが、理由はこの世が三次元で成り立っていることにあるのではないだろうか。「洋の東西を問わず絵画の歴史は、身のまわりの三次元の世界をいかにして二次元に写すか、その工夫と苦闘の歴史であった。ところが、科学技術の進展の結果、三次元のまぼろしを現出する方法が出現しはじめた。これは面白い、と立体の映像を創作して提出してみても、それは客にとって有難迷惑なだけなのではあるまいか。二次元で描かれたものから三次元に復元するために大脳を使う、無意識の楽しみすら奪われるからである。」
目でとらえた平面の視覚情報を人間の脳が立体に再構築して読み解く作業が「鑑賞する」ということではないか。立体映像はそういう「鑑賞の楽しみ」を奪ってしまうものではないかと言っているのです。
この話は、アナログ時代の視覚映像の世界に関わってきてたものの、デジタルの大波をサーフするにはもはや体力的に無理と感じていたジイジにとっては我が意を得たりでした。

「アバター」の強烈な視覚刺激シャワーで満身創痍になった息子家族の疲れ切った顔を眺めながら、手のひらに包んだ石の感触で人の心を察し合うという古人の知恵に再び思いを馳せました。
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by love-all-life | 2010-03-16 18:00 | 時事・社会 | Comments(1)

カマクラある記 8 



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今日は春めいた暖かな陽気になるとの予報だったので、久しぶりに「カマクラある記」にでも出かけようかと考えていた矢先に「八幡様の大いちょうが倒れた!」というニュースが飛込んできました。スワッとばかりデジカメをポケットに八幡様に駆けつけました。

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まだ朝9時、がらんとした境内の中央石段下に古都鎌倉の歴史を見守り続けてきた大いちょうは倒れ、まわりに数人の神官さんたちが右往左往しています。今朝5時頃倒れたということです。
昨夜からの冷雨雪風は春を待ちわびる気持ちにまさに冷や水ではあったものの、とても大木を倒すほどの厳しさではなかったのに、かろうじて余命を保っていた老木にとっては必殺の一撃だったようです。精魂尽き果てたとでも言うように文字通り根こそぎ状態ですが、その根の大部分は腐って周辺の細い根で地面にしがみついていたのでしょう。よくぞ今まで頑張ったというほかありません。大往生として労をねぎらってあげたいものです。

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県の天然記念物のこの大いちょうは言わずと鶴岡八幡宮のご神木であり、鎌倉幕府の歴史を語る時に必ずその名が出てくる日本で最も有名な銀杏です。知られているように3代将軍源実朝の暗殺を企んだ公暁(くぎょう)が身を潜めていたとされているのですから、800年前に既に人が隠れることができる太さがあったわけで、そこから樹齢1,000年という数字がでたのでしょう。もっともこの樹は2代目で、樹齢はたかだか400年という説もあるようです。
ご本体が絶命してしまった今となっては真相は天国に持ち去られてしまったわけですが、でもひょっとすると、これから倒れた材木を用いて科学的に徹底究明することが可能になるのかもしれません。

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いずれにせよ八幡様を訪れる人々にとって鎌倉の歴史をしのぶよすがのひとつが消えてしまったというだけでなく、世界遺産を目論んでいる鎌倉市としても少なからぬ打撃でしょう。
しかしこの大いちょうをねぐらとしていたカラスや、ここを遊び場としていたリスたちにとってはもっと切実で悲しむべき出来事ではあるはずです。                                    
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by love-all-life | 2010-03-10 12:38 | カマクラある記 | Comments(1)

春になると

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昨日東京へ出たついでに丸善でカレル・チャペックの「園芸家12ヶ月」を買いました。これでこの本を買うのは多分4冊目だと思います。人との話が園芸におよぶと500円ほどの文庫本という気安さもあって「これ、面白いよ」といつも手許にあるものをあげてしまうので、自分が読みたくなる時にまた買ってくるからでなのす。


e0153357_1091152.jpgカレル・チャペック(1890〜1938)というチェコの作家への興味はバアバを通じてでした。それまでは「ロボット」という言葉の生みの親ということくらいしか知りませんでしたが、バアバが何冊か読んでいてその独特のシニカルでユーモアに満ちた世界の虜になっていたからです。

1989年にジイジが会社勤めを辞めたのを機に、シシリーからスタートしてイタリアの街々とウィーンを珍しくゆったりと時間をかけて旅行したとき、バアバがどうしても行きたいというのでプラハも旅程に組み込みました。
共産主義のくびきから解放されて間もなかったプラハは、それまでの西欧の街にくらべてどこか寂しさを滲ませているものの、映画「アマデウス」の舞台となった18世紀のウィーンの撮影ロケに使われた美しい街とモーツアルトの音と香りを堪能することができました。

ところがバアバはそれだけでは満足せず、どうしてもチャペックの家に行ってみたいと言うのです。ドイツ語もロシア語もましてやチェコ語もまったくわからず、何の予備知識もない家を探そうというのですから、バアバはいつも大胆不敵なのです。
本屋さんを探しては店員に「チャペック、チャペック」と言葉をくり返すことしかできないのですから相手も驚いたことと思います。それでもチェコの国民的作家の名前を連呼する日本人にはとても好意的で、ずいぶん時間がかかりましたが、どうにか地図で場所を示してくれる店に出会いました。プラハの郊外の駅まで地下鉄で行って、地図を頼りに中流の上といった住宅地を10分ほど歩いて、ついに表札にチャペック兄弟の名を刻んだ2所帯住宅のような家にたどり着きました。苦労してたどり着いたうれしさに思わず玄関のベルを押してしまいましたが、幸か不幸か誰もいない様子で、もし誰かが出てきたらどうするつもりだったかいま考えると冷汗が出ます。


e0153357_10111995.jpg裏に回ると「園芸家12ヶ月」の舞台となったチャペック兄弟が丹精して庭作りをしていたバックヤードがあります。今は誰が管理しているのか分からないまま、多種の草花が渾然と植え込んである変化に富んだガーデニングをしっかり目に焼き付けてきました。


ジイジが「園芸家12ヶ月」を人に薦めるのにはこんな思い出があるのです。
いずれチャペックの園芸術にしたがって庭づくりをするのがジイジ・バアバの夢であり、春が近づくと本棚から消えた「園芸家12ヶ月」をまた買ってくるというのもこうしたわけなのです。

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by love-all-life | 2010-03-06 10:35 | 文芸・アート | Comments(1)

アメとムチ


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少しずつ増えてきた小鳥のさえずり、垣根越しの紅梅白梅・・・そこまで来ているのは分かっているのに冷たい雨に阻まれてぐずぐずしている春に、サッと扉を開けてやるような気持ちでカレンダーをめくります、3月。

去年の今頃は長年の夢だった、そして多分永遠に夢のままなんだろうなと思っていた、自分たちの作品を置く店の話が、友人の勉強小屋を譲り受けることで現実味を帯び、店の名前も「HAND & SOUL」にしますとブログで宣言してしまった以上もう後には戻れないとオロオロバタバタしていました。

グログを遡ってみると、去年の3月1日は厚木にあるアーリーアメリカンのアンティックショップで仕入れた西洋大鋸にペイントでHAND & SOULの手書の文字を入れて看板をつくっていました。
5月にオープンして、お店屋さんゴッコだ、道楽だと云われながら1年近くたちました。
つり銭の計算間違えをしたりリピーターの顔や名前が覚えられなかったりと依然としてオロオロバタバタは続いていますが、鎌倉の奥のこんな片隅のちっぽけな店にまで来てくれるお客さんには本当に感謝、感謝です。

生まれた店はいまだよちよち歩きとまでもいかないハイハイのレベルですが、ジイジ・バアバにとっては「達者でいろよ、頑張れよ」とけしかけるムチでありアメでもあります。
この店がなかったら楽ではあってもどんなにか退屈な暮らしをしていただろうと考えてみると、とてもかけがえのないもののように思えます。まるで可愛がっているうちに暮らしの隅々にまで影響を及ぼしやがては飼い主の生き方までも支配してしまう、ひょんなことから貰った子犬、そんな感じでしょうか。オシモの世話まで喜んでできるほどの境地までなれるまでまだまだ試練はつづくのでしょう。

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by love-all-life | 2010-03-01 19:32 | その他 | Comments(1)