HAND & SOUL

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HAND & SOUL「モノ」がたり 49 <椅子でない椅子>


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二本足歩行を始めた人類は、立った姿勢でいると絶えず体重を支えたりバランスをとったりしなければならないので、その負担から逃れるためにしょっちゅう座ります。
この「座る」という行為には、椅子のような道具を使う洋風の「腰掛ける」と、和風に足を組んで床などに「腰を下ろす」がありますが、ネットをみていたらその中間的な「座る」があることを発見、またそのための道具があることを知りました。

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スイスのVitra社が今年のミラノ・サローネで発表した、その名も「Chairless」(写真下)というものですが、もとはと云えばパラグァイのアヨレオ族の風習(写真上)から着想を得たものだということです。
足を組んで座ることを当たり前と思っているわれわれ日本人にとっては「へー、面白いね」くらいですが、何事も道具をつくって解決しがちな西欧人にとっては、「何だこりゃ!」と、道具というものの観念を180度変えてしまうくらいの驚きではないでしょうか。

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実物が手に入らないのでロープを結んで試してみました。なにやら「お縄ちょうだい」みたいな姿になりましたが、なるほど紐1本でずいぶん楽です。長時間でどうか1時間ほどテレビの前に座っていたら、細いロープなので背中が少し痛くなったものの、Chairlessが帯状になっていることにも納得でした。

一枚の布や、葉っぱ、1本の紐や、枝や、骨・・・、先人の知恵に学ぶことはまだまだありそうですね。

参照:
www.vitra.com/chairless/
www.excite.co.jp/ism/concierge/rid_15239/
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by love-all-life | 2010-04-30 18:50 | 「モノ」がたり | Comments(0)

HAND & SOUL「モノ」がたり 48 <アフリカのカゴ>



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「えー、みなさんこれを見てください。プロジェクターで写しますよ、美しいカゴでしょ。実物は後で教壇の方に来て手に取って見てください。
これはアフリカでつくられたものなんですが、ボクはこれを東京のデパートで買いました。売り場に書いてあった、これがつくられたイワクが気に入ったからです。

その話というのは・・・・
ひとりのイタリアのデザイナーがアフリカの奥地を旅していて、ある集落で使われているカゴの美しさに打たれました。ところがそこはまだ文明の光が届いていない奥の奥なので電気も水道もなく、衛生状態がよくなくて、疾患をもった子供たちも多く医者もいません。そんな窮状を見た彼はあることを思いつきました。
アイディアというのは、自分の住まいの近くに電話会社があって、彼はその裏庭に廃品となった電話線が山積みにされているのを知っていたので、その電話線を運んで、集落の人たちがカゴをつくって観光資源にしてはどうかと考えたのです。電話線というのは中に何種類かのキレイな原色のワイヤーが入っているんですね。その色線を使って集落の伝統的なパターンを編み込むというアイディアです。
そうして出来たのがこのカゴです。民芸品の泥臭さとも違う、工業製品の冷たさとも違う独特の美しさです。素材がワイヤーですからとてもしっかりしています。
これは世界各地に輸出されて、かなりの収入を得て、井戸を掘ったり診療所をつくることができ、集落の生活改善を果たしたというわけです。

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このイタリア人がデザイナーでなければ、彼がたとえ集落の窮状を見ても、また近くに電話線が山積みされていることを知っていても、このようなアイディアを思いつくことはなかったでしょうし、文明に取り残された村の窮状が救われることもなかったでしょう。
これはデザイナーだからこそできた社会貢献のひとつの例です。

「美しさを求める心」「人の暮らしへの洞察」「柔軟な発想」、そしてこれからのデザイナーに特に求められるのは「社会貢献の精神」であることを忘れないでくださいね。」

以上は、かってのジイジの「デザイン概論」の授業のひとコマでした。
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by love-all-life | 2010-04-28 09:08 | 「モノ」がたり | Comments(2)

HAND & SOUL「モノ」がたり 47 <ミニハウス>


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もとはと言えば10年ほど前にシリコンバレーに住んでいた友人宅を訪問した際、連れて行ってもらったパルアルトの街のブティックに飾ってあった、マッチ箱大のアンチックの木の家がとてもかわいらしかったので、お土産にと思って値段をみたらなんと$350! あまりの高さにびっくりして、こんなんだったら自分でつくれると作り始めたのがきっかけでした。

以来バアバの個展などに展示の小道具として飾ると「これ売ってちょうだい」と言われ、いまではHAND & SOULの定番アイテムのひとつになっていて、店の売上げにささやかな貢献をしています。(写真上)

今度はジイジが面白がって、さらにちっちゃなミニハウスをつくってお店のディスプレー小道具として飾っておいたら「これを買いたい」というお客さんがときどきいて、「売り物ではないんです」とお断りしてきました。だって、前回のブログの続きになりますが、このミニハウス、小さいくても大きなものと変らない手間仕事なんです。といってこんな小さいものに高いお値段をつけるわけにいかないし・・・、このサイズからお客さんはきっと100円くらいと思うだろうなと考えるとなんだかバカバカしいような気がして商品にしなかったのです。

ことろが前回のブログを書いていて、やっぱりHAND & SOULには「思わぬ発見!」商品が必要と感じて、ミニハウスに400円と値段をつけて紹介してしまいました。400円が妥当なお値段かどうかはわかりません。お客さんが決めることです。しかし商品として紹介した以上ちゃんと用意しなければとハウスメーカーよろしく1週間かけてつくったのがこれらのミニハウスタウンです。

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ミニハウス (W12×D15×H15mm)  1個 ¥400
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by love-all-life | 2010-04-25 07:58 | 「モノ」がたり | Comments(0)

HAND & SOUL「モノ」がたり 46 <一生の水 5万2千円>


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久しぶりに青山に出たらISSEY MIYAKEの店頭に「EDITION ETTORE SOTTSASS」の文字を大書したポスターが出ていました。
ソットサスと聞いては見過ごすわけにはいかないと店に入って、可愛らしい店員に「ソットサスってもう死んだんでしょう?」って聞いてみたら、三宅一生さんが1997年にソットサスにボトルのデザインを頼んで、デザインはできたのですが技術的な問題で実現できなかったものを、2007年にソットサスが亡くなって彼へのオマージュとして難問を克服して完成させたフラグランスなんだと説明してくれました。

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ジイジにとってエットーレ・ソットサスは、「人生は楽しむものだ」というメッセージを送り続けてくれたデザインの巨人でした。
1960年代に鎌倉の文房具店のウインドーに飾ってあった彼の代表作のひとつ、オリベッティの「バレンタイン」を、タイプライターなど暮らしには全く必要がなかったのに美術品を買うような気持ちで買ってしまいました。
真っ赤なケースにプラスチックがこんなに美しいモノかと感心し、ケースの留め具のデザインに「ウーンすごい」とうなってしまい、それ以来ソットサスは「ザ・ソットサス」になってしまいました。
用事もないのに「バレンタイン」を取り出してはポツリ、ポツリと文字を打ち込みながら G O O D  D E S I G N の意味を噛みしめているような気分に浸ったものす。


さて、L’EAU D’ISSEY/ EDITION ETTORE SOTTSASSに戻りますが、全製品にシリアルナンバーがついた世界で2000本限定の販売となっていて、お値段が¥52,000 です。うーん5万2千円か・・・
昔だったら多分コレクションアイテムとしてなどと言い訳を考えながら買ったでしょうが、いまの境遇では衝動買いは慎むべしと自ら言い聞かせて店を出ました。

値段をつけるというのは難しいものです。とくに一品生産の手づくりとなるとその製品が生まれるまでに作り手が注ぎ込んだ技やアイディアや時間に見合う値段と、自分が買い手だったら支払うだろう値段がまったく釣り合わないのです。でも店をやるとなると少しでもお客さんに買ってもらいたいし、何気なく入ったHAND & SOULで思わぬ素敵なモノを発見!という体験をして欲しいとの念いは募ります。
ISSEIY MIYAKE や ETTORE SOTTSASS といったビッグネームと縁のない店としては、200円のLOVE STONEや400円のMINI HOUSEなども用意してお客さんの喜びの声を期待しているのですが・・・。
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by love-all-life | 2010-04-17 10:30 | 「モノ」がたり | Comments(0)

感じるこころ

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井上ひさしさんが亡くなった。個人的なお付き合いはなかったが、拙宅と井上さんのお住まいはほんの3分ほどの距離で、鎌倉駅へ出る道は同じなので、よく少し猫背気味に歩く井上さんをお見かけすることがありました。

井上さんがコーヒーをお代わりしながら長時間外を見ながら過ごす姿がなつかしいと、駅近くの喫茶店の主の話が今朝の新聞にでていました。
井上さんが普段どれほどの行動力をもって日常を送っていたかはよく知りませんが、この話からきっと井上さんは「じっと眺める眼と、細かく感じる心」をもっていた人だったに違いないと想像しました。
というのも神谷美恵子さんが書かれた「生きがいについて」の言葉を思い出したからです。
こういう文章です。

「変化や発展というものは、たえず旅行や探検に出たり、新しい流行を追ったりしなくてはえられないものであろうか。決してそうではない。ほんとうは、おどろきの材料は私たちの身辺にみちみちている。少し心をしずめ、心の眼をくもらせている習俗や実利的配慮のちりを払いさいすれば、私たちをとりまく自然界も人間界も、たちまちその相貌を変え、めずらしいものをたくさんみせてくれる。自分や他人の心のなかにあるものもつきぬおもしろさのある風景を示してくれる。わざわざ外面的に変化の多い生活を求めなくても、じっと眺める眼、細かく感じとる心さえあれば、一生同じところに静かに暮らしていても、全然退屈しないでいられる。エミリー・ブロンテは一生ひとりで変化に乏しい生涯を送ったが、あの烈しい情熱と波瀾に富む『嵐が丘』を造り上げる心の世界をもっていた。むしろ精神の世界が豊かで、そこでの活動が烈しいほど、外界での生活に変化を求める欲求が乏しいとさえいえるかも知れない。」

言うところの年金生活に入って2年。大部分の暮らしの場が自宅と家の崖の7メートルほど下の小屋店になってしまっても、ヒマやタイクツを感じることなく毎日を過ごせているのも上の神谷さんの言葉が支えになっているような気がします。
神谷さんは同じ本で、「もっとも多く生きた人は、もっとも長生きをした人ではなく、生をもっとも多く感じた人である。」というルソーの言葉も紹介しています。

「求める人」より「感じる人」、これがこれからの残された時間を過ごすテーマです。

そういう意味で「感じる」超人は熊谷守一でしょう。
彼の言葉、

「私は石ころ一つでも十分暮らせます。
 石ころをじっと眺めているだけで、
 何日も何日も暮らせます。
 監獄に入って、一番楽々と生きて行ける人間は、
 広い世の中で、この私かもしれません。」

「感じる」大先輩に合掌。


カット:熊谷守一
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by love-all-life | 2010-04-13 23:05 | 時事・社会 | Comments(2)

カマクラある記 9 <鎌倉お花見事情>


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鎌倉の桜の名所はどこ?と聞かれたら何処と言えばいいのだろう。八幡様の参道の段葛(だんかずら)や鎌倉山が頭に浮かびますが、段葛は桜並木としては小ぶりだし、鎌倉山の桜並木はすっかり老木になってしまってかっての威勢はなくわが身をみるようでセツナイし・・・、近年はHAND & SOULの裏の源氏山に来る人も結構多いですが、桜の本数といえば知れたものです。本数でいえば逗子との境の逗子ハイランド住宅地内の自動車道の桜並木くらいのものでしょうか。
ということで鎌倉には上野公園や千鳥が渕みたいな満開の桜の下にブルーシートを敷いて「花より団子」といった情景を見る、いわゆる「名所」はないのです。

とは言いながら,この季節にはお花見が目的とおぼしき人の群れが鎌倉中に満ちあふれます。さて、みな何処へ?とこちらもデジカメを携え久しぶりの「カマクラある記」をしました。
群生しているわけではないけれど市内いたるところに桜があります。知識不足で名を特定できませんが、葉をつけた山桜、代表選手のソメイヨシノとおぼしきものから、しだれ桜、それも大きいもの、小さいもの。花弁の大きいもの、小さいもの、色も白から紅まで、まるで地面に散った花びらのように、空から満開の桜をばらまいたかのごとく春らしさを競っています。
花見客はというと、みな何処へ行くというのではなく、ゆっくりと歩みを進めながら出会う桜を楽しんでいる風です。桜+何かを一緒に観るというのが鎌倉流お花見だと思います。桜と若葉の樹々、桜と社寺の屋根の甍、桜と時期を同じく咲く花々、桜と苔、桜と竹林、桜と石畳・・・桜だけを楽しむというのではなく、桜以外のものとの取り合わせの妙を味わいながらの散策は鎌倉ならではのものですし、それは取りも直さず鎌倉そのものを楽しむことになるというわけです。

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4月6日、晴。
裏の源氏山の桜をチェックして→葛原が岡神社→ハイキングコースを浄智寺へ→北鎌倉駅で線路を渡って→円覚寺→建長寺→鶴岡八幡宮→西御門→鎌倉宮、ここでバアバの車にピックアップしてもらって→瑞泉寺→逗子ハイランド→大町→帰宅。
鎌倉にはまだまだたくさんの桜の魅力があるとは思いますが、3時間ほどの個人的な体験レポートです。
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by love-all-life | 2010-04-07 11:28 | カマクラある記 | Comments(1)

HAND & SOUL「モノ」がたり 45 <流木人形>



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バアバはヒトに何かをあげるのが好きです。気に入った柄のシャツなどを見つけると割合い気前よく買いますが、家に帰ってサイズがピッタリでなかったりすると(バアバは小柄なのでピッタリの衣服に出会うことは稀なので)大抵誰かにあげてしまいます。というより買う時点でもうサイズが合わなかったら誰々にあげようと思いめぐらせて、それを楽しんでいる風なのです。だからいくら洋服を買ってもちっとも衣裳持ちにはならなくて、自分はほとんど着た切り雀で過ごしています。
そしてジイジにはワタシくらい衣裳貧乏はいないとボヤクのです。


e0153357_9353265.jpgバアバはモノをあげるだけでなく、シテあげるのも好きです。おいしい食べ物は多くを孫たちに食べさせ自分はいつも最小限ですし、街頭の募金活動を見ると素通りできません。お風呂も一番最後です。
むかし言われていた「滅私」のこころを、少しも卑屈にならずにごく自然に発揮できるのです。













e0153357_9361093.jpgジイジは、バアバこと内藤三重子のモノづくりの根本はこの「あげる」精神だと思っています。
アートとかモノづくりというと普通はいかに自分らしさを表現するかということになりますが、バアバのモノづくりは単なるオレがワタシがといった短絡的な自己表現ではなく、いつも自分以外の誰かが介在しているように見えます。
例えば、新築祝いだったり、誕生祝いだったり、何かのお礼返しだったり、制作の発端が誰かにあげるためにつくることがとても多いのです。
いまHAND & SOULに並んでいるバアバ作の商品の多くの第1号はそうして生まれたものです。
みんなバアバの価値観やライフスタイルや感性から生まれたものには違いありませんが、同時にそれが自分以外の誰かの生活や感性と一体化する願いが込められているのです。






e0153357_10184347.jpg今回取上げた流木人形も、もとは友人である童話作家T.M子さんの作品に触発されて、彼女にプレゼントしようとつくったのが最初です。

日本海や沼津の海岸の波打ち際に散らばっている流木の細かい破片をひとつひとつ形を選んで拾ったものを、手、足、首にして、縫いぐるみの胴体に取り付けた人形です。
人のよさそうな流木人形には「滅私」のこころが少し乗り移っているように見えませんか?








流木人形 (背の高さ 約20cm) 1つ  ¥3,000
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by love-all-life | 2010-04-03 20:09 | 「モノ」がたり | Comments(2)