HAND & SOUL

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HAND & SOUL「モノ」がたり 52 <白シャツ、大好き!>



白シャツ × 夏とかけて・・・

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ジイジの答えは映画「太陽がいっぱい」(ルネ・クレマン監督・1960年)です。古いですねー。若い方には同じ原作のマット・デイモン主演の「リプリー」がお馴染みでしょうけど。

イタリアのリゾート地を舞台に、金持ちの放蕩息子に腰巾着のように侍る、貧乏でそれはもうすごい美貌の若者トムを演じるアラン・ドロンが素肌に羽織る白のYシャツ姿が何ともカッコよかったのです。
出世作となったこの映画でA・ドロン(まさにはまり役)は、富豪の息子フィリップのそばでは卑しさを隠しきれないトムと、フィリップを殺害して富豪に成り済ますトムを、いずれも白シャツを着て演じ分けていました。というより白シャツのプレーンさ無個性さが中身の「人間」をいっそう際立たせる効果を発揮しているかのようでした。
白シャツ一枚であんなにカッコよくなれるならと、シワだらけの白シャツを物干から抜きとってきてボタンを三つほど外して素肌に羽織ってみたりしましたが、悲しいかな中身の違いを思い知らされただけでした。

バアバは?と聞いたら、映画「ハムレット」(1948年)のローレンス・オリヴィエですって、古すぎーッ。ま、たしかにあふれる気品と内面の苦悩を一身に負う、若きデンマーク王子を演ずるR・オリヴィエには純白のシルクのシャツほどふさわしいものはありませんでした。

お腹でしばれば70年代風、ベルトでローウエストできめれば80年代風、Tシャツやタンクトップと組み合わせれば今風と、纏うことで人はいかようにも自分を演出することができるのが白シャツの不思議です。この白のマジックパワーを先刻心得たバアバは、いまお店の中のシャツを全部白シャツにしてしまおうと企んでいます。

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①Yシャツなんだけど・・・この微妙な差がモノを云う・・といいな。¥8,000
②胴は異常に短く、袖は異常に長く・・・隠すところは出して、出すところは隠して・・・夏だから。¥3,000(ネックレス別)
③ボタンを全部違えたカーディガン・・・あっ、ボタンがない!・・・そんなときも心配ご無用。バアバのボタンコレクションから生まれました。¥5,000
④浜風や、強すぎる冷房・・・冷気を防ぐサマーセーター。¥5,000(ネックレス別)
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by love-all-life | 2010-06-28 14:07 | 「モノ」がたり | Comments(0)

HAND & SOUL「モノ」がたり 51 <甘エテドコガワルイ>


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お店をつくって1年とひと月、この間モノをつくって売ってきました・・・という言い方はどうも気持にしっくりこないものがあります。というのもオマエは売るためにモノをつくっているのかと改めて聞かれるとどうも「ハイ」とは答えるには躊躇しますし、人サマからお金をいただけるような一人前の腕をもっているのかと問われれば「イイエ」と答えるしかありません。つまり未だプロの実力も自覚もないまま、もともとサイドワークとしての趣味の延長でしかなかったモノづくりが、本職がなくなって趣味だけが残ったというのが実情なのです。
それでよく店やっているね、それ甘え以外のなにものでもないじゃないって云われれば「スミマセン」と云うほかありませんが、でも片隅に「甘エデドコガワルイ」という気持もないことはないのです。

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余談ですが、何かモノ(この場合工業製品ですが)を買おうとして気に入ったデザインが見つからない経験は誰にもあるでしょう。世の中にはデザイナーはたくさんいるのに、そして実際にたくさんのデザインが並んでいるのに、自分が欲しいデザインだけがないのはどういうわけなのか、不思議に思ったことはありませんか?
その理由は、企業の中で仕事をしているデザイナーは会社のためにデザインしているからなのです。そして企業はたくさん売らなければならないのが宿命です。そこでデザイナーは自分がよいと思うデザインをする以前に、調査データが示す消費者の好みの傾向と称する数字を尊重するよう叩き込まれます。一見消費者を重視しているようでいて、実際は数字という抽象的な消費者に向けてデザインをしているのです。だから生身の人間の好みに合わないとしてもしょうがないのです。
デザイナーはともすると自分ならこんなモノが欲しいという主張をデザインに込めるどころか、上司の注文や調査データに沿ったデザインを見事にやってのけるのがプロだというように仕立てられてしまうのです。
その結果が、日本製品がデザインで韓国に「すっかりヤラレテいる」という状況です。

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つくり手は「自分が本当につくりたいモノ」をつくり、買い手は「心に届く」から求める・・・
小さな店だから許されるとは思いますが、HAND & SOULの1年1ヶ月はこんな関係がまがいなりにもあったように感じています。ヘタでもいい、ヒトリヨガリでもいい、しかし精魂込めてつくる。これが「甘エテドコガワルイ」という気持の中味です。

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そこで今回も「甘エテドコガワルイ」精神で、杉板の組木パネルのアクセント・テーブルをつくってみました。
タイル状の35mm角のチップのサイズを揃えるのには苦労しました(実際には揃っていません)。揃っていないからピチッと組めません。何度ギブアップしようとしたか知れません。途中で諦めかけたりしたので2ヶ月ほどかかり、ま、しょうがないかという気分で完成ということにしました。


白黒チェッカーのアクセント・テーブル(杉板)w520×d440×h690mm   ¥30,000
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by love-all-life | 2010-06-16 22:18 | 「モノ」がたり | Comments(0)

孤独な漂着物

メキシコ湾でのBP原油流出事故による環境破壊/生態系破壊が深刻な問題となっています。
ジイジは新潟にいて、1997年の日本海でのロシア船籍タンカーの座礁による重油流出事故を柏崎の海岸に流木拾いに行って体験しています。波打ち際のあちこちにへばりついたベトベトのアスファルトの塊のようなものはどんな機械力をもってしても除去できず、結局何10キロにもおよぶ汚染された海岸を漁民やボランティアが悲痛な表情でコツコツとヒシャクで掬い取っている姿が忘れられません。今回の事故はそれとは比較しようもないほど大きなスケールのようで、オバマさんの政治的立場さえ危うくしています。
時を同じくして宇宙の果てまで生活圏にしようとの実験がくり返される一方で、すぐ足元の海底に開いたほんの小さな穴が塞げないとは、科学技術がいかにいびつなかたち進展しているかを象徴する皮肉な話と言うほかありません。

海岸というところは鳥瞰すると開放的な大自然を愛でる癒しの場であるかのようでいて、虫の視点で見ると人間社会の歪みや矛盾を映し出す鏡でもあります。
ジイジ、バアバの流木拾いも決して白砂青松の気楽なぶらぶら歩きではなくて、波打ち際に吹き寄せられたゴミの山との格闘となります。そこはあらゆる傷ついたもの、捨てられたもの、壊れたもの、死んだものの集積場なのです。幸いにして波や風や光といった悠久の自然の力によって浄化されていく過程なのか、醜悪や不潔を感じることはあまりありませんが、どれもどこか寂しさや孤独感をにじませて佇んでいます。


ひとつひとつの「ゴミ」が辿って来た身の上話を聞きとれる詩人の感性があったらなぁと悔やんでいます。

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by love-all-life | 2010-06-07 23:13 | 文芸・アート | Comments(0)