HAND & SOUL

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洟をたらした神

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このところHAND & SOULは周期的に店の半分くらいが本屋さんとなります。
そのとき店を仕切るのは次男の嫁さんのN。自分たちでつくった本や、ぜひ人に読んで欲しい本などを展示・販売するのです。
前回のときに棚に並んだ中から「これ買おうかな」って代金の100円を払おうとしたら、「ヤーダ、これジイジからもらった本よ」と言うではありませんか。「どうりで妙に惹かれると思った」と茶化してみたものの、いよいよ来るべきものが来たかと内心穏やかではありませんでした。

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再び買った自分の本とは『洟をたらした神ー吉野せい作品集』です。
前にいつどういう動機で買い求めたか、どんな内容だったか、吉野せいが誰かなど記憶がまるでないのです。
本を開くと、串田孫一が絶賛の序文を書いていて、頭の隅にこびりついていた微かな記憶にパルスが僅かに届いたような感覚を覚えます。

本書の紹介は作者の「あとがき」の抜粋が最適でしょう。
「1921年(大正10年)菊竹山腹の小作開拓農民三野混沌(吉野義也)と結婚。以後1町6反歩を開墾。1町歩の梨畑と自給を目標の穀物作りに渾身の血汗を絞りました。けれど無資本の悲しさと、農業不況大暴れ時代の波にずぶ濡れて、生命をつないだのが不思議のように思い返されます。
1945年、敗戦による農地解放の機運が擡頭しその渦に混沌は飛び込み、家業を振り返らぬこと数年。生活の重荷、労働の過重、6人の子女の養育に、満身風雪をもろに浴びました。
ここに収めた16篇のものは、その時々の自分ら及び近隣の思い出せる貧乏百姓たちの生活の真実のみです。口中に渋い後味だけしか残らないような硬い木の実そっくりの魅力のないものでも、底辺に生き抜いた人間のシンジツの味、にじみ出ようとしているその微かな酸味の香りが仄かでいい、漂うていてくれたらと思います。」

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苛酷な労働、社会改革運動に身を投じる夫、貧困の中での6人の子供の養育・・・、一方で四季の自然と幼い子供が見せる才能の輝きに生きる希望を繋ぐような暮らしを、農夫の訥弁と知性が絡み合ったような魅力あふれる文章で綴っています。まるで現代生活の裏返しのような暮らしの記録です。
吉野せいはわれわれの親と同じジェネレーションではありますが、語られている時代の多くを共有するジイジとしては、前に読んだかどうかといった脳細胞的記憶をはるかに越えて、心の奥の一番深い部分に潜む魂の記憶といでもいうようなものに直に触れてきて心動かされます。

二度目に読んでも初めて読んだようなフレッシュな感動があるというのは、喜ぶべきことなのか、悲しむべきことなのか・・・。
「最近のことはすぐ忘れるけど、昔のことは忘れないよね」、それでいいんじゃないという心境です。

●第3回目のMARGUERITE BOOKS in HAND & SOULは2月18日(金)、19日(土)、20日(日)に開催します。
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by love-all-life | 2011-01-30 18:42 | 文芸・アート | Comments(0)

よく伝わるということは・・・

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「バベルの塔」の話をご存知でしょうか。
古代バビロニアで、人びとが粘度とアスファルトで天にも届こうという巨大な塔を建設するのを見た神はこれを不遜な行為として嫌い、そこで働く職人たちの言葉をお互いに通じないようにしたために塔は実現しなかったという伝説です。
こんな話を昔、学生たちにコミュニケーションの大切さの喩えとして話していました。異なった技術、異なった考え方も情報を共有することによって大きな事業の達成を可能にするが、その逆は巨大な構造物も瓦解させてしまうというような話です。
ところが昨今のアサンジュ氏の外交秘密情報の漏洩問題、尖閣島のビデオ放映事件などに接していると、情報伝達の容易さが限りなく豊かな社会をつくっていくというような楽観に、神の目がキラリと光ったような気がしないでもありません。

こんな気分でいた矢先、1月19日朝の朝日新聞のOpinionコラムは「ヘーッ」と驚きの連続でした。
毎日お世話になっている@(アットマーク)の生い立ちと、@がもたした政治家の悲喜劇の話です。

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まず@ですが、もとはアメリカ発であることに驚きはありませんが、JISマークや〒のように然るべき権威ある公的機関によって定められたもののように思い込んでいました。
ところが@はボストン近郊の通信技術会社でいまも働くレイ・トムリンソンさんといういちコンピュータ技術者によって40年前に開発されたものなのです。
彼が何度電話をかけても通じない相手にしびれを切らして、相手が対応できる時にいつでも連絡可能な「電子住所」があればよいと創造したのがメールアドレスだったのです。@にしたのはパソコンの「キイボードに並ぶ記号のなかで最も地味でしたから」たまたま選んだだけで、もし@に不都合があれば!でも*もよかったというのです。
いち民間人が考えたアイディアを全世界の人が手紙に切手を貼るように決め事として従うという構図にはちょっと驚くとともに、いかにもネット社会らしい成り行きだなと思わされます。
記事のもう一つの話は、次期米大統領候補の声まであったサウスカロライナ州知事が@のお陰でその地位を失墜する話ですが、くわしくは新聞記事を読んでみてください。


アップルコンピュータが貧乏なコンピュータおたくの二人のアメリカの若者によってガレージで生れたという話にしても、この@の生い立ちにしても、サイバー世界にはいつもどこかに「あっけなさ」があります。そしてこの「あっけなさ」こそネット社会の最大の「強さ」でもあり、かつ「もろさ」でもあるようにも感じられます。
「強さ」とは言うまでもなく、ネットの情報伝達能力における早さ、広さ、安さ、そして自由さでしょう。しかし昨今のネット関連の問題をみていると、「もろさ」も同じ源から生まれてくるのだと思えます。
と云ってもこの「もろさ」はコンピュータ自体やシステムというより、それを扱う側の問題で、新しい技術が開発されたときにはいつもついてまわります。
しかしながらこの情報伝達技術の問題というのは、デジタルTVが開発されたけどいまいち使い方がよくわからないという類いの問題ではなくて、ひょっとするとその影響の広がりや深刻さにおいては原子爆弾をもってしまった人類の問題に匹敵するほどのものではないか、われわれの英知を結集して取り組まなければならないほどのことではないかと言ったら言い過ぎでしょうか。

古代バビロニアでは神を震撼させた人びとの情報伝達の威力が、いまや人類に災いを引き起こしているのを見て神はニヤリとしているかも。



「バベルの塔」ピーター・ブリューゲル 1563年
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by love-all-life | 2011-01-21 17:59 | 時事・社会 | Comments(1)

HAND & SOUL<モノがたり> 64 赤白の廃板

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かって新潟の海岸で漂着物をあさっていると、白と赤に塗り分けた板が流れ着いたのをよく見つけます。海岸では目立つし、岸に流れ着く頃には色もあちこちはげはげになっていていい感じなので拾って帰り、額縁をつくったり、机の天板にパッチワークにして利用したりしました。

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何の板かと思っていたら、信濃川の土手を歩いているとき、工事するときに勾配を決めるために使っているのを見て、土木の測量に関係した特殊な板だと分かりました。ホームセンターでも売っていて、呼び名は「丁張板(ちょうはりばん)」というのだそうです。

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そう気がついてみると土木工事の飯場などによく捨てられています。使い捨てにするくらいなので安価な板なのでしょうが、これが反らないし、適度に柔らかく、とても扱い易いのです。
鎌倉に帰ってくるとき残ったものを運んできたのですが、そろそろ手持ちのものがなくなってきたので、こちらの工事現場などで拾おうと思ったのですがどこを探しても見当たりません。最寄りのホームセンターでも売っていません。考えてみると鎌倉に帰って以来一度も目にしていないことに気づきました。
土木工事などで使う材料や道具も地域によって違うみたいです。新潟は土木王国と言われてきた土地柄ですからあちらが進んでいるのか、逆に昔の流儀を保ち続けているのか、そのへんは分かりません。
こんな狭い日本で、同じ仕事をするのに材料や工法が異なるというのはなんだか不思議な気がします。いつか誰かくわしい人に聞いてみたいものだと思っています。


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こんな話題を持ち出したのも、以前にこの古板でつくった卓上ランプを去年末の展覧会に展示したら、姉妹で会場に来られた方が板の味がいいと云って気に入ってくれて、なんともうひとつ同じものをつくって欲しいとのうれしいオーダーがあったからです。別々のお住まいにそれぞれ同じものを置きたいとのことです。
まったく同じものはできませんよとお断りして、手許に残ったわずかの丁張板をやりくりして、対になるようにつくったのがこの「ヨットのテーブル・ランプ」です。
右側が以前のもの、左が新たに追加作成したものです。気に入っていただけるとよいのでが・・・。
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by love-all-life | 2011-01-18 10:16 | 「モノ」がたり | Comments(0)

心が着くのを待つ

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次男の嫁さんのNが昨年末に星野道夫著の「旅をする木」(文春文庫)をプレゼントしてくれました。
ご存知の方も少なくないと思いますが、星野道夫さんは雄大な大地と原始の自然に魅せられて20代にアラスカに移住し、写真家として各地で活動するかたわら、読む人にこの地球にいることの幸せを感じさせてくれるたくさんの文章を残し、44才でヒグマとの遭遇事故で落命しました。
「旅する木」は星野さんの尋常でない境遇で出会う日常の出来事を、先住民や自然への限りない憧憬と温かい眼差しで描いた手紙やエッセイです。

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そのなかで、アンデス山脈へ考古学の発掘調査に出かけた探検隊の話として紹介されている1節です。

「大きなキャラバンを組んで南アメリカの山岳地帯を旅していると、ある日、荷物を担いでいたシェルパの人びとがストライキを起こします。どうしてもその場所から動こうとしないのです。困り果てた調査隊は、給料を上げるから早く出発してくれと頼みました。日当を上げろという要求だと思ったのです。が、それでも彼らは耳を貸さず、まったく動こうとしません。現地の言葉を話せる隊員が、一体どうしたのかとシェルパの代表にたずねると、彼はこう言ったというのです。
『私たちはここまで速く歩き過ぎてしまい、心を置き去りにしてきてしまった。心がこの場所につくまで、私たちはしばらくここで待っているのです』」。


わたしたちには2種類の「心」があるようです。一つは「ああしたい」「こうなりたい」「これが欲しい」といった願望や欲求で、「気持」と言ってもいいかもしれません。もう一つは「こうあるべきだ」「これは変だ」「正されねばならぬ」などの倫理観や道徳観、自己抑制といったもので、「精神」という言葉に置き換えられるものです

先のシェルパの代表が待っていたのはいうまでもなく後者の「心」です。しかし現代文明社会では前者の「心」が大手を揮って後者の「心」を圧倒しています。人びとの「気持」が大きくなればなるほど技術の力とお金の力に依存してより大きな「満足」を求めます。満足の大きさが発展の尺度となるからです。そして発展の先に環境破壊や飽食による疾病などのリスクがあることに気づいていても発展の目盛りを減じようとはしません。「気持=心」を少し抑え、「精神=心」にウエイトシフトすることが未来の幸せになる。頭で分かっていても実行に移す勇気がないのが現代人です。
ところがシェルパたちのとった態度は明らかに両方の「心」のバランス感覚から生まれていて、自然と共生するための謙虚さと英知を示しています。

正月の新聞に、ノーベル経済学賞の受賞教授がアメリカ人45万人を調査した結論としてのこんな言葉がありました。
『高い年収で満足は買えるが、幸福は買えない』。新聞記事は続けて「幸せ者とは、ちいさな喜びを十分味わえる人、ということになろうか」と。
かって学生たちに、幸福でいることの秘訣・・・「ないことを嘆くのでなく、いまもっているものを愛すること」と語った気持とぴったり重なります。小さなものから、大きな幸せがついてくる。つまりLess is moreなんですね。
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by love-all-life | 2011-01-11 08:53 | 時事・社会 | Comments(0)

2011年 最初のお客さま

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お正月最初の土日はお休みをいただき、晴天の箱根で富士山を見て過ごしました。
昨日がHAND & SOUL今年の初日。
お店の前の落葉を掃き、ポーチ(と言えるほどの広さはありませんが)に少し春の趣をと白と青のビオラの鉢を並べていると、早くも最初のお客さんが駅前のレンタサイクルでみえました。
ずいぶん事情にくわしい方と思いきや、なんと朝神戸を発って新幹線でわざわざ来られた初対面のKさんです。

お母さんがバアバこと内藤三重子の昔からのファンで、家にあった「私の部屋」を見てご自分もファンになったと、1982年春号の「私の部屋」携えて来られました。
暮らしの情報誌の草分けだった「私の部屋」に創刊から、その後続いて発刊された「生活の絵本」にもずーっと多くの頁をまかせられてイラストを描きエッセイ書き長年仕事をしていた内藤三重子としては、当時を語り出したら止まるところを知らずで、Kさんもそんな話をお母さんと一緒に聞ききたかったと楽しんでおられました。
一方Kさんも現在の旅館のお客様係りのお仕事にいたるまでの身の上話をされ、ジイジもつられて昔を懐かしみ、家人がつくった焼きそばを3人で分けて食べ、一緒に近くの銭洗弁天に初詣でをし、4時の新幹線までにできる鎌倉案内を地図で印をつけ、ジイジが手が冷たいだろうと差し上げた大きな軍手の手をふりふりレンタサイクルで帰られました。

こうしてHAND & SOULの2011年がはじまりました。すでに気づいてはいましたが、モノづくりが高じて始めた店ですが、人との出会いのが「店」というものの真価なのだと再確認する幸先の良いスタートとなりました。
Kさん、ありがとうございました。
ちなみに弁天様でのおみくじは「吉」でした。
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by love-all-life | 2011-01-08 09:51 | その他 | Comments(0)