HAND & SOUL

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孫のボランティア



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東北に災害支援のボランティアに出た孫のKが帰って来ました。朝、鎌倉駅から電話があったので母親が車で迎えにいくと言ったら、「いや、歩いて帰る」との返事。普段はちょっとでも荷物があると車の迎えを断ることなど決してないのに、15分の登り勾配を10キロ以上の荷物を持って歩いてくるというのですから、その変身ぶりに「ん、効果あり」とニンマリ。

ホルンに憑かれて芸大を目指したものの、頂点にいたる道は険しくあえなく挫折。1年だけの期限付きで浪人生活の許可を親からとりつけたものの、次のエンジンがいつかかるのやら、アイドリング状態の孫をみて、「被災地のボランティアでも行ってみたらどうだ」と声をかけたのでした。さりげなさを装っていましたが、実はそれなりの深謀の結果なのです。
1年間を後悔と無念にさいなまれてクヨクヨ過ごすのではなく、浪人して良かったと結果オーライにして欲しい。こんな時に被災地のボランティア活動に参加するのは彼にとって絶好のチャンスではないか。
座してホルンを吹くだけでなく、世の中には苛酷な状況に苦しむた多くの人たちがいることを知り、自分のためだけでなく他者のために何かする体験を積み、未知の地で未知の人と出会う。良いことずくめではないかといろいろな理屈はつけられるものの、本心をいうと本当は自分自身で現地に行ってみたいが、この歳では手足まといになるだけともどかしい思いのジイジと、新しい楽器が欲しいが金がなく体力だけを持てあましている孫、この二つをを掛け合わせると、「ジイジが費用を出して、孫が汗を流す」という答えが出てきたわけです。

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孫は友人と二人で、お膳立てができているボランティアのバスツアーではなく、卒業高を通じて自分で調べたルートで出掛けたものの、交通機関を乗り継ぎ、さらに10キロ歩いて目的地に着いてみると、なんとその日と翌日はボランティアセンターが休み。何をするにもバスや鉄道が遮断されていてなす術も無く呆然としていたら、運良く現地で知り合ったボランティアの人の車に便乗することができ、思いがけなく目にすることができた広域の被災地の惨状に息を呑み、残りの日を土砂を被り瓦礫の埋まった畑の整備をしてきたとのことです。

帰宅後、興奮のはけ口を求めてか、スポンサーへの気遣いか、いつもより饒舌な孫の報告を聞きながら、ジイジは子どもの頃の太平洋戦争の敗戦と戦後の記憶と重ねていました。この世は昨日の続きの単調な連続ではなく、ある時とんでもないことが起こって、昨日と違う明日が始まることがあることを知った経験です。そんなことはできれば起こらないに越したことはないが、そういう経験を積むことが人の人生に陰翳を与えるのではないか。
とすれば今回得た衝撃や感動の体験が彼の目指す「音楽」にも影響を与えずにはおかないはずです。

彼がいつの日か自分の息子や孫に、18歳のときの3.11の体験を話しながら、「自然の脅威」とは、「人の絆」とはを語る日がくるのだろうかと夢想しています。
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by love-all-life | 2012-03-24 23:27 | その他 | Comments(1)

20 DAYS AFTER

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それは自然災害のように突然やってきました。
宅配便が届けてくれたamazonの見馴れた段ボール箱を、オーダーの心当たりがないので訝しげながら開くと、出てきたのは異様な東北の被災地の光景に包まれた半田也寸志の写真集「20 DAYS AFTER」でした。
「誰から?」の疑問はどこかへ吹っ飛んで、ひたすら頁をめくり続けました。

この1年間数えきれないほどの被災地の映像を見てきました。どれもがとても信じられないほど痛ましい、悲惨な、驚くべき光景です。しかしこの写真集に収録された写真は、いままでの被災地のどの報道写真からも得られない強烈な印象を見るものに感じさせます。どこからこの異様な印象が生み出されるのか。
その理由の一因が、半田が現地の状況を推察し慎重に選択した、現時点で得られる最高のデジタルカメラの性能によることがあるとしても、それをはるかに超える写真作家としての感性とクリエイティビティの成果であることは疑いありません。

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天地創造を思わせる空の光。被写体はすべて人の痕跡なのに、ひとりも生きた人がいない孤独を通り越した底なしの寂しさ。デューラーの絵を想わせる鋭い現実描写。事実を写し取りながらも現実と思えない被災の真実。

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半田はこれらの写真を展示した写真展での趣旨で、現地に立ったときの印象を「・・・写真で見た事がある原爆投下後のヒロシマを思わせる様な辺り一帯の光景。異臭を放つヘドロ。海や海産工場から打ち上げられた途方もない量の魚類や人の遺体から発せられる死臭。そしてそれらを貪る海鳥や鵜たちから発生する大量の糞。タンクから洩れ出した大量のガソリンや化学合成物。備蓄してあった穀物や発酵食品。それらが全て堆積し混じりあって発生する例えようもない異臭。涙が溢れてきました。・・・」と記していて、現地で映像作家としての彼の心を最も乱したのが「臭気」であったことを告白しています。半田は五感すべてで感得した被災の現実を、視覚情報のみでどのようにして他者に伝えることができるか悩んだに違いあいリません。
何を切り取るか? どんなアングルで? どんな色で? どんな光で?
これらの設問が彼の感性を通過する課程で生み出されたのが「20 DAYS AFTER」であり、残酷、悲惨、醜悪が、美しくも表現し得るというもう一つの例です。
この写真集は大災害の実体を伝える無数の映像のなかにあって、事実のひとつとしてだけではなく、真実のひとつとして後世の研究者や歴史家の心に残る記録といえるでしょう。

ところで、この写真集はHAND & SOULを通じてお友達になった写真家のNさんからのプレゼントであったことがご本人からのメールで明らかになりました。Nさん本当にありがとうございました。
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by love-all-life | 2012-03-18 20:38 | 文芸・アート | Comments(0)

HAND & SOUL「モノ」がたり 89 <ノブレス・オブリージュ>

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NOBUさんとHAND & SOULとの間柄を説明しようとすると It's a long story.ですが、手短かに言うとNOBUさんはHAND & SOULをとても気に入ってくれていて、ジイジ・バアバはNOBUさんの手打ちのうどんの大ファンなのです。

関西に住んでいるNOBUさんからは、お知り合いの赤ちゃん誕生のお祝いや開業祝いなど、折りに触れ何かオリジナルなものをとHAND & SOULに注文がきます。その上年に何度か父上が打ったのスーパー手打ちうどんが届くのです。つまりNOBUさんとの関係はジイジ・バアバの圧倒的な輸入超過となっています。
また、NOBUさんの周りには関西だけではなく湘南を含めて一連のアーチストやパフォーマーたちがいて、お互いにそれぞれの「生きがい」に磨きをかけ合っているのですが、その中心にNOBUさんがいて、皆とNOBUさんの関係も多分ジイジ・バアバとの関係と同じように、NOBUさんの輸出超過ということになっているのでしょう。

そんなわけで、つい先日NOBUさんのお誕生日が近いので、みなでサプライズ・パーティをしようではないかという計画が聞こえてきました。
NOBUさんシンパのひとりであるNから、メッセージ入りの額を贈りたいのでつくって欲しいと連絡がありました。ならばこちらも乗るよとOKしたら、「NOBLESSE OBLIGE」とメッセージを入れたいのだと注文をつけてきました。

NOBLESSE OBLIGEとは「位高ければ、徳高きを要す」、つまり「高貴な人は、それにふさわしい(社会的)義務を果たさなければならない」という意味の仏語で、英語ではNoble Obligationです。
階級制度がまだはっきりあった第一次世界大戦では、上流階級の子弟がすすんで志願し多数の戦死者がでたのは、この考え方が浸透していたからだったとされています。最近では、裕福な企業や個人が公共への寄付や、災害の際に多額の義援金や支援をするのが当然とされるのも、この考え方に発しています。(参考:Wikipedia)

もちろん、この単語がNOBから始るシャレから選んだのでしょうが、それにしても凝ったアイディアだねと訝しがると、実はNOBUさんのまわりにいる若い仲間たちが、みんなが一緒に乗り込んで旅に出かけられるようなバスを買ってくれないかとNOBUさんに要望しているというのです。お仲間の活動の象徴にしたいということらしいのですが、お祝いのメッセージにさりげなくお願いを忍び込ませるとはなかなかしたたかです。
人の良いNOBUお父さんが「オレンジのバス買ってよ」 なんて言われて困ってるのを面白がったり、みんなで旅に出る夢を語り合うというのが最近のお楽しみだとか。ま、それなら太っ腹のNOBUさんにメディチの気分を味わってもらうのも一興だろうと引き受けたのでした。

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この額がオンリーワンである所以はメッセージにあるのですが、もうひとつは中の板にあります。新潟にいたとき出雲崎の骨董屋さんの軒先にあったのを求めたものです。漆の器を塗る時に乾燥用に置く棚板で、漆の汚れが巧まずして面白いパターンを描いているのです。その上に手近な木片をサイコロに刻んで、スタンプでメッセージの文字を押して並べました。
メディチ家に献上するにはとてもじゃないけど貧弱すぎる額ではあることはよくよく理解していますが・・・。
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by love-all-life | 2012-03-13 09:04 | 「モノ」がたり | Comments(0)

食卓一杯の瓦礫

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一昨日、朝刊を開いたら視野一杯に被災地の瓦礫の山が飛込んできました。環境省が瓦礫撤去に国民の理解と協力を求める広告です。

「復興を進めるために、乗り越えなければならない『壁』がある。」
新聞紙2ページの見開き一杯に広がるの石巻市の瓦礫の写真が、いままで朝食をとっていた食卓を覆ってしまいました。

この手の映像はもう見馴れてしまったくらい何度もテレビで見ていますが、こうして眼前30センチでじっくりと見てみると、印刷された静止画像なのでテレビと違って凝視がきくだけに、非現実な現実と対峙せざるを得なくなります。被災の現場を肉眼で見た人は多分この何十倍ものインパクトを体験するのでしょう。

全体が木屑の堆積のように見える瓦礫のなかに人の暮らしのすべてがミキサーにかけられたように引き裂かれ砕かれて混在しています。ソファがあります。縫いぐるみのクマがあります。しかしほとんどのモノはカタチをなさず、その素材さえ定かでありません。何百年もかけて人類の英知が築き上げて来た「安全」「快楽」「便利」は、1時間にも満たない自然の力の前に脆くも崩れ去ったのです。そそり立つ瓦礫の山はバベルの塔の再現のようにもみえます。
モノはこわれても人の心は壊れないということを示さなくてはなりません。被害を被った人、被害を免れた人の間に『壁』があってはなりません。
いまこそ、人と人との絆が断たれたことによって崩壊したバベルの塔の故事を活かすときなのではないでしょうか。


近頃は広告の存在感や役割が希薄になったと感じできましたが、久しぶりに一つの広告を前にして、気持を動かされ、考えさせられました。
しかし、この広告は国民に何かを「する」よう呼びかけているのですがら、ただよい広告だったネで済ますわけにはいきません(そう思わせるところがよい広告の証拠なのですが)。
さて、70半ばのジイジにできることはといえば・・・現地で瓦礫撤去のお手伝いといっても手足纏いになるだけだろ
うし・・・、そこで大学受験に失敗した孫に復興支援のボランティア・ツアーに行くことをけしかけ、こちらが費用を負担することにしました。
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by love-all-life | 2012-03-08 11:46 | 時事・社会 | Comments(0)

HAND & SOUL「モノ」がたり 88 <WISH BONEの額>

HAND & SOULから直近の銭洗弁天は、世の中の不景気が後押ししていることもあって、近頃は年間100万人の参拝者があるというのですから驚きです。

100万人といえば半端な数ではありません。しかしHAND & SOULは弁天さまへの参道から脇道を10数メートルほど入ったところなので、お店を覗いてくれる人はほんのわずかです。と言っても4人も入れば一杯になってしまう手狭な店にはこれで充分なのですが、もともと弁天さまに参拝にくる人たちはお金を増やしたいと願ってくるのですから、財布の紐はなかなかゆるめてはくれません。なかにはさっき洗ってまだ濡れた万札を出す人もいますが、ほとんどが9千円以上のお釣りを出すお買物です。
ま、若いお客さんがきてくれて、「わーッ、カワイイ!」「オシャレーッ」って言ってくれればそれで満足という年金暮らしのキリングタイム(killing time)商売ですから、それでべつに文句はないのです。
とは言いながら、この大量の参拝者をHAND & SOULの潜在顧客とみることもできるわけで、少しはうちもあやかることができないかと考え、「そうだ、縁起物がいい」と思いつきました。
そして生まれたのが「WISH BONEの額」です。

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ウイッシュボーン占いというのをご存知ですか?
食べ終わった七面鳥の胸にあたるところにWISH BONEという二股に別れた形をした叉骨(さこつ)があります。それを二人が両方から引っ張ると二つに割れますが、根元がついた長い方をゲットした人の願いが叶うという占い遊びです。子どもが双葉の松葉を引っ張り合って勝負するあのやり方です。
うちでは結構な数の家族が集うクリスマスにターキーを焼きますが、食べ終わった後子供たちはプレゼントの交換に夢中になり、ウイッシュボーン占いのような単純な遊びはに見向きもしません。その時を待っていたジイジは食べ残しのガラのなかからウイッシュボーンをつまみ出し、「へんなモノ」コレクションに加えます。
そんなウイッシュボーンを二つ小さな額に納めてみたのが「WISH BONEの額」です。

近頃は「願い」や「望み」をすぐにお金で解決しようとしがちな世の中ですが、本当に大切な「願い」は往々にしてお金では解決できないぞ、ということを忘れないように掲げておいてはどうかとの念いをこめてみたのですが、考えてみると、これでは弁天さまの参拝者のこころに楯つくことになるわけで、売れるはずもなく、クリスマス以後ずーっと店の壁に鎮座しています。こういうのを武士の商法というのでしょうか。
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by love-all-life | 2012-03-05 13:17 | 「モノ」がたり | Comments(0)