HAND & SOUL

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鬼怒鳴門さん



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鬼怒鳴門さんことドナルド・キーンさん(89歳)との出会いはいつだっただろうか。
日本文学にとりわけ強い興味も知識もないジイジがキーンさんを知ったのは多分30歳を過ぎてからではなかったと思います。
当時外資系の広告会社で主にアメリカ製品を売る広告の制作に携わっていて、アメリカで成功したCMをそのまま言葉だけ日本語に直して使うことをクライエントから強要され、日本の消費者にはそぐわないなあと悩んで、日米の比較文化といったことに強い興味をもっていたときでした。日本通のアメリカ人の随筆としてキーンさんが日本人やその暮らしや美意識などについて書いたものを読んで、わかりやすくユーモアのある語り口にすっかりファンになってしまいました。

その後60歳近くなって長岡の大学を仕事場としてみて、それまでともすると海外の風物や動向に向いていた関心が、日本の自然や季節の移り変わりの美しさの再発見に向き、越後の里山の隅々をドライブして回っていたとき、山奥の古い温泉宿の来客記帳録にドナルド・キーンの名前を発見したときは、なつかしい旧友に再会したような無性に嬉しい気持になったものです。
一流の日本文学研究者がメンタルに外国向きの日本人より「日本」をよく知っていて何の不思議もないのですが、つい彼が随筆に、彼を日本文学研究者と知っている人でもいまだに彼に「日本語がお上手ですね」と言うと、苦笑気味に書いていたのを思い出しました。

そして3.11後、多くの外国人が引き波のように日本から遠ざかるのと逆に、祖国を捨て日本人になる決意をもって日本にやってきたドナルド・キーンさんにどれほど多くの日本人が勇気づけられたことでしょう。
彼にとって日本という国は単なる研究対象以上のものであることを身をもって示したのです。
「震災があって、私は今こそ外国人は日本の未来を信じて日本人とともに生きたいという気持ちを示すのは、国籍を得ることだと思いました」という言葉ほど力強い復興支援はありません。
「愛国心」というのは、たんに戦争に勝つことでも、オリンピックで金メダルをとることでも、国歌斉唱や国旗掲揚の問題でもなく、純粋に「国」を「愛する」「心」なんだと気づかせてくれ、それがどんな姿をもっているかそのひとつの実例を示してくれました。

その彼が「率直に言うと、がっかりしています」と震災後の日本の状況に苦言を呈しました。 「日本人は力を合わせて東北の人を助けると思っていました」。ところが「東京は(電気が)明るい。必要のない看板がたくさんある。東京だけではない。 忘れているんじゃないか。まだやるべきことは、いっぱいあると思います」と語ったといいます。
「わたしは今まで、ある意味、日本のお客さんだった」と振り返ったキーンさんは、国籍取得を機に 日本の現状に意見を言うことも考えている。「もしいいことができるとすれば、私のためでなく、日本人のためだと思います」とも。

大いに怒ってください、鬼怒鳴門さん。あなたは最も信頼できる日本人なのです。


写真撮影:関口 聡
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by love-all-life | 2012-04-27 15:39 | 時事・社会 | Comments(0)

魔法のフライパン

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今朝の新聞のコラム「ひと」は興味深い記事でした(朝日新聞4月22日)。「極薄の『魔法のフライパン』で世界デビューする鋳造会社長」錦見泰郎さん(51)です。

三重県木曽岬町の従業員二人の鋳物会社を経営する錦見さんは、バブル崩壊時に大変な苦戦をするなか、「3分の1の価格競争で戦うか、3倍の困難な技術で戦うか」という新聞で見た記事に奮起して、9年研究を重ね、厚さ4〜5ミリが常識とされる鋳物で1.5ミリの「魔法のフライパン」を開発しました。
熱伝導に優れ、焼きムラができない画期性で、有名レストランのシェフから「鉄板、フッ素樹脂に続く第三のフライパン」と絶賛され注文が殺到し、納品まで3年待ちの人気商品になったとの記事です。

おや?と感じたのは、フライパンは肉厚のものがよいとされていたのでなかったかと思ったからです。
というのも65年ほど時代が遡りますが、太平洋戦争終戦後あらゆる物資に不足するなか、ときどきアメリカに移住した母の遠縁からありがたい救援物資が届くことがありました。段ボールの箱を開けるとなかから独特の甘い香りが部屋に広がり、キャンデーや厚手のブリキのオモチャなどが出てくるのです。それらはいずれも当時国内では到底入手できないものばかりでした。無論送られてくるのは子ども向けのものだけでなく、衣類や生活用品などもあります。そんななかに黒々と分厚い鋳物のフライパンがありました。大小あり、大きいものは子どもでは持てないほどの重さがあります。母はそのフライパンをとても自慢にし大事に使っていました。それは母からバアバに引き継がれ、今は次男の家で使っています。

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そんなフライパンをずーっと脇からみてきたジイジは、フライパンといえばなんとなく分厚いものがよいものという既成概念をもってしまったようです。フライパンを自分の道具として使ったことのないジイジには、よいフライパンがどのようなものか評価することはできませんが、その重い鋳物のフライパンは置いてあっても使っていてもどっしりとした貫禄があって、それがあるだけで「私にまかせればすべてうまくいくよ」と約束してくれているような存在感があるのです。

ところが新聞記事によると、薄さこそがよいフライパンの極意だということなのです。
時代が変わると人の求める料理が変るのか、シェフの調理法が変ったのか、本当は薄いものがよいのにいままで技術的にできなかっただけなのか、単に新しいからもてはやされているのかそれは分かりません。多分、厚いもの薄いものそれぞれの持ち味があって、使い手の使い分けこそが料理の極意に繋がるということなのでしょう。もっともあんな重いフライパンでは忙しいシェフの俊敏な手さばきにはなじまないだろうなという気はします。

それにしても「3分の1の価格競争で戦うか、3倍の困難な技術で戦うか」という言葉は言い得て妙です。この言葉に敏感に反応しただけでなく3倍の困難に挑戦し、「努力は人を裏切らない」を実践した錦見さんは賞賛に値します。
中小企業が生き残るには「3倍の強みが必要、2倍では追いつかれてしまう。」と錦見さんは言います、努力を続ける原動力は「好き」という気持だとも。
錦見さんをかくも努力にかりたてた薄いフライパンは彼とってまさに「魔法のフライパン」だったわけです。



錦見さん写真:朝日新聞
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by love-all-life | 2012-04-22 16:50 | 時事・社会 | Comments(0)

教えることはできない、学ぶことはできる。

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いけ花作家・中川幸夫さんが亡くなりました。享年93歳の老衰ということですから大往生です。
生前の彼とはまったく接触をもったことがなかったのにもかかわらず、このニュースは突然鈍器で殴られたような痛みを感じました。それは日頃「創造」とか「前衛」とかいった問題に接する折りにいつも中川幸夫の言動や作品や存在が、わたしの頭の中や心の奥でモゾモゾと動き始める感じをもってきたからでしょう。

いけ花の世界に疎いジイジは、かっては中川幸夫といっても名前は聞いたことがあっても異端のいけ花作家というくらいのイメージしかありませんでした。
20年近く前に長岡に新設された大学の設立に関わり、デザイン教育を仕事とすることになり、それまで得てきた自分の経験や知識を学生にどのように伝えたらよいかいろいろ考えたり、シラバスをまとめているときに出会ったのが「教えることはできない、学ぶことはできる」という言葉でした。そしてそれを発した主が中川幸夫だったのです。
この言葉は、それなりの情熱と意気に燃えた新米教員にとって、前途にドーンと高い壁が落ちて来たようなショックを覚えたものです。

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なぜだ?との興味から彼について調べ、作品の写真を見るにつれて、ともするとアートの傍流とされがちな「いけ花」の世界に、かくも力強く、斬新で、鋭い表現があるのかと驚きと感動の連続でした。そして彼の生きざまや造形に一貫するのが「厳しさ」であるように感じました。
彼は、流派に属さないことは作品の発表の場がもてないことを意味するいけ花の世界で、流派に属さず、弟子もとらず、ひたすらいけ花を造形の芸術として探求した孤高の前衛であり続けました。
そうか、自分に厳しく、人にも、体制にも厳しい彼の哲学から生まれたのが「教えることはできない、学ぶことはできる」だったのだ。
また彼はこんな言葉を残しています、「天才とは努力し得る才だとの言葉のように、まことの天才は、努力を発見するものだと思います。凡才が容易と見るところ、天才は、何故という困難と抵抗につき当たり、それへいどむ、努力を重ね得る者だからです。」
与えられるものを受け取る訓練しかしていないいまの若者が、どれほど「厳しさ」というものを理解できるだろうか、そして耐えることができるだろうか不安は大きいのですが、新入生の最初の授業はいつもこの言葉から始めることにしていました。

いつかNHK制作の、彼の制作過程を追ったドキュメント番組を観たことがあります。脊椎カリエスで曲がった体躯でどこへでもヒョイヒョイと出歩く彼の顔からやさしい笑顔が絶えることはありまん。小さな身体からとてつもなく大きな命の表現がほとばしり出ます。90年を超える歳月を経てなおいささかの曇りもない前衛であり続けた彼の姿はひとつの奇跡のようでもありました。   合掌

写真:「花坊主」 1973年
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by love-all-life | 2012-04-17 00:45 | 文芸・アート | Comments(0)

わが家の桜事情



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春爛漫。今年は冬が長かったせいか暖かい春の日差しがとりわけ有り難く感じられます。桜の開花が例年より3日遅いと聞いて、おや?そんなものか、もっと遅かったのではと思うのはそれだけ春が待ち遠しかったからでしょう。
この時期テレビでは、ワシントンのポトマック河畔や、千鳥が渕などの見事な桜の名所の映像が報じられます。
鎌倉には鶴岡八幡宮の段葛、鎌倉山、源氏山公園、逗子ハイランドなど多少まとまった桜のスポットがありますが、満開の桜の下で賑やかなお酒盛りという風景はあまりみられません。それよりあちこちの社寺の境内や路地で周囲の木々のなかでパッと際立つ桜を楽しみながら、花のミツを求めて集まる小鳥やリスを見ながらブラブラ歩きをしたり、旧市街を巡る山が一斉に芽吹いた木々と山桜の色を交えてやさしくパステルカラーに輝くのを愛でるというのが鎌倉のお花見の流儀のように思います。

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さほど広くもないわが家の敷地内にも3本の桜があります。小高い崖の斜面に自生した山桜と、知人が孫の誕生の祝いにと庭に植えてくれた寒桜と思しき小木ですが、この山桜の方が昨年存亡の危機に曝されました。
近年わが家の周辺はかってのお屋敷の跡地が造成され人家が立て込んできました。そのほとんどが小学低学年児童や幼稚園児をもつニューファミリーです。そのうちの道路を挟んでわが家の下のお宅から、崖上の桜は有事の際危険だから伐って欲しいという要望が出てきました。え?うちは40数年ここに住んで、崖崩れや木が倒れるなどのトラブルは1回もなかったのにと放っておきました。そうしたら市の職員が現地調査にやってきて、呼び出されて現場検証ということになりました。道路の上に伸びた枝は伐ったほうがよいかななどと言っています。木を伐ってしまうと今まで根が支えている土が崩れてかえって危険ではないかと反論すると、んー、それはそうだと煮え切りません。結局、もし伐るなら市が費用の半額を負担しますからと下駄をこちらに預けて帰ってしまいました。勝手にこのような条件の土地を選んで移り住んだはずなのにエゴではないかと当方としては憤懣はありますが、有事の際にと言われてしまうと時期が時期だけに、人さまの安全にかかわることなので敏感にならざるを得ません。結局、ん十万円かけて道路の上に伸びている大きな枝をカットしてあとは下の家の了解を得て残すことにしました。
ふと先日テレビの報道番組で、放射能汚染されていない被災地の瓦礫撤去を引き受けるかどうかを問う地方自治体の市民説明会で、うちには乳飲み子がいるので断ってくださいと涙ながらに訴える母親の姿が思い出されました。
崩れた安全神話の反動として、安全への過敏症候群がみられるのではないかという気がしないではありません。自然を求めながらリスクはゴメンというのは、原発は反対だが省エネはゴメンという身勝手さとどこか通じるものを感じます。

そんな経緯があったので、今年は果たして花をつけるかどうか不安でしたが、いつもよりやや少なめではありますがけなげに開花して「ここにも春が来た」を宣言しています。
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by love-all-life | 2012-04-08 23:06 | 時事・社会 | Comments(2)

銭洗い

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HAND & SOULは、店を開ける金、土、日のうち毎金曜日は、物書きで本の虫のである次男の嫁の村椿菜文が自分で選んだ古書を持ち込んで棚にならべ、HAND & SOUL+ BOOKに早変わりします。
出掛けなくても本が買えるし、そして安いので、バアバはときどき棚の本を買っきてます。お酒を売って一儲けしようと花見の場所に出掛けた八ッつあんとクマさんが、自分が飲みたくなって二人でお互いに売り買いをして樽のお酒を全部飲んでしまって売り切れたと喜ぶ、落語「花見酒」よろしく、身内同士で経済の支え合いをしたつもりのようです。

バアバが下の店から買ってきた、田村隆一の「詩人ノート」のページを何気なく開いたら、冒頭から銭洗弁天の話が出てきました。
鎌倉住いの田村隆一夫妻と親しい文士仲間が、銭洗い詣でをしてそれぞれがご利益にあずかり、銭洗信仰のひそかなブームがまきおこったというような話で、詩人や翻訳家やフランス文学者といった、一見金銭と疎遠と思える人たちのご利益への執着がおかしいタッチで書いてあります。本は昭和51年の出版ですから、どんな時代にも銭洗弁天のご利益には何人もあがらえない威力があるようです。

アメリカのクリントン国務長官がまだ大統領夫人だった時期に、お忍びで弁天様に来たことがあり、買物帰りのバアバが偶然家の下の道で一行と遭遇、握手をするという幸運(?)に恵まれたことがあります。先日来日したオバマ大統領は大仏なのに、なぜクリントン夫人は銭洗弁天なのか理由はわかりません。大統領夫人として内助の功を発揮しようとの心遣いからなのか、それとも側近が銭洗弁天を「マネー ローンダリング シュライン」とでも訳したのでしょうか。

HAND & SOULの開店が週末ということもあり、小屋の小さな窓から三々五々と弁天様の坂道を登る絶えない人の流れが見えます。なぜあちらはあんなに繁盛するのに・・・とぼやくつもりはありませんが、年間100万人の参拝者はいささか異常に感じられます。そうしたら新聞記事(朝日新聞3月30日)に「ため込んで安心感 空前のマネー信仰 成熟社会の病理」という見出しに出会いました。
経済音痴のジイジ・バアバ ストアの主としては「あー、やっぱり病気なんだ」と、少しホッとしたような気分になりました。
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by love-all-life | 2012-04-01 10:09 | 時事・社会 | Comments(2)