HAND & SOUL

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HAND & SOUL「モノ」がたり 93 <海岸漁りとモク拾い>


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海岸でモノ拾いをするようになって、もう20年経ちます。ずいぶんあちこちの海岸で漁りました。由比ケ浜から始まって、近辺の三浦の海岸を捜し廻り、駿河湾、遠州灘(藤村のヤシの実につられて)、伊勢志摩、瀬戸内の小島、しばらく住みついた新潟の日本海沿岸をあちこち(ここでの収穫は大きかった)、旅行先のアメリカのヴェニスビーチ(ほとんど収穫なしでした)といった塩梅で、海さえあればところ構わずです。
近頃はビーチコミングなどという言葉が定着して、エコロジーやリサイクルといった言葉のようになにやら今風の趣をもっていますが、ジイジ・バアバたちのそれは、75歳をとっくに超えた後期高齢者が、海岸の吹きだまりでモソモソとうつむき加減になにやら探し物をしているのですから、客観的にも実態も日本語の本来の「ゴミ拾い」の姿です。

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ゴミ拾いと言えば昔「モク拾い」という言葉がありました。この言葉、いまでは知らない人のほうが多いと思うので少し解説します。
終戦後の間もない頃、多くの生活物資が統制品、つまり国からの配給によってしか手に入らなかった時代があり、タバコもそうでした。世の男がほとんどすべてモクモクとタバコを吸っていた時代ですから、少量の配給タバコは貴重品でした。
そこで、吸い終わって捨てられたタバコ(これをシケモクと言います)を拾い集め、燃え残ったわずかな部分を集めて再び紙を巻いてタバコの姿にして売ることを職業する人たちがいたのです。これをモク拾いと言いました。
1メートルくらいの竹棒の先に針をつけて、シケモクを刺しては背負った籠のなかに入れます。ポイと捨てられた吸い止しのシケモクに複数のモク拾いの竹棒がすっと出てくるなんていう光景も珍しくありませんでした。
ついでに言うと、一時はタバコの刻んだ草と紙が別々に配給され、それを自分で巻くのです。タバコ巻き器という不思議な道具も発明され、子供もタバコ巻きの手伝いをさせられたものです。
脱線はこれくらいにしますが、言いたかったことはジイジ・バアバのビーチコミングがいかにカッコイイとはほど遠いかというイメージが少しは伝えられるかなと思ったからです。

先日も久しぶりに沼津の海岸へ行きました。若山牧水が日本で初めて景観保全運動をして残された千本松原が続く見事な海岸線ですが、美しい松林にお尻を向けて台風4号で大量に打ち上げられた漂着物と格闘してきました。
その結果どのような成果物が生まれるやら、それはこれからのお楽しみですが、上の写真はその時漂着物の山のなかから姿を見せた面々です。
炎天下のもと、ずた袋を背負い、腰を屈めた眼前に、時おりこんな愉しい顔が出現するのですから、やめられません。
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by love-all-life | 2012-06-30 00:05 | 「モノ」がたり | Comments(0)

はぐれカラス



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お天気情報が台風4号の接近で注意を呼びかける朝、庭でギャーギャー普段と違うカラスの声がするので見ると、子ガラスが一羽ガーデンチェアの上で啼いています。
毎日うちにやって来てはやっと実をつけたトマトを採っていったり、庭で食事をしているとスキをみてお皿上の食べ物をさらっていく無法者の夫婦カラスが育てていた赤ちゃんカラス違いありません。
巣立ちに失敗し力つきて巣に戻れなくなったもののようです。どこか悪いのか、ケガでもしたのか、声の限りをつくして親に助けを求めています。

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親カラスが時おり近くの枝までやってきますが、子カラスといってもすでに親鳥と同じほどの大きさなので、くわえて連れ帰ることもできず、自力でなんとかするのを見守るばかりです。そうなると近くまで来ても助けてくれない親を恨めしげにいっそう声を高く啼きます。
人が近づいても弱っているのか逃げようともしません。ペット病院へ運び込もうかとも思ったのですが、親も知っていることだし、野生の世界にいらぬ干渉は禁物と、とにかく様子をみることにしました。
夕方になっていつのまにか子カラスの鳴き声もしなり、無事巣に戻れたものと思っていました。

その晩は夜を徹しての猛烈な風雨で、朝になってやっと風も静まり、庭に一面に散った落ち葉と折れ枝を片づけていると昨日の子カラスが植木鉢の隅にうずくまっているではありませんか。
昨夜はとうとう巣に帰ることができずに、あの強い風雨に耐えてわが家のどこかで一夜を過ごしたのです。
あきらかに昨日より衰えた様子で、そばに寄っても頭をこちらに向けるだけで、警戒心を起こす気力さえないようです。
起きてきた孫のE子は、ずる賢く手をやいているカラスが、弱々しく逃げもせずうずくまっているのを見て、可哀想と思う気持と、まだうちにいてくれた嬉しさがない交ぜの興奮状態です。

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E子が食パンのクズを手のひらにのせてやると、よほど空腹だったのか素直に啄みますが、まだ固形物を食べることに馴れていないのか上手に呑み込むことができません。ついに見兼ねてパン屑を細かく砕いて牛乳で溶かして空缶に入れて前に置いてみました。すると突然親鳥が舞い降りてきたのです。子カラスはこの時とばかり大きな声で叫んで親鳥にすがりつこうとします。ところが親鳥は一瞬子ガラスに注意を向けたものの、なんと缶の中の牛乳パンを食べはじめ、食べづらいとみるや缶ごとくわえて飛び去ってしまったのです。
哀れな子カラスを置き去りにして、なんと薄情で下品な親カラス奴!

その日は結局一日子ガラスはうちの庭でうずくまり、時おり親鳥が近づいたときだけ弱々しくも必死で救いを求める声をあげていましたが、体力を温存していたためか、夕方になってやっと庭木の枝まで飛び上がり、暗くなる頃には姿を消しました。
果たして無事に巣に戻れたかは定かではありませんが、多分・・・と思っています。

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このはぐれ子カラス騒動では、童謡の ♪かーらーす、なぜなくの、からすはやまに、かわいいななつの こがあるからよ・・・♪ とはまったく異なったカラスの世界を垣間みてしまいました。
傷ついたわが子を押しのけて自分の食欲を満たす親鳥の行動をどうみたらよいか。専門知識のない身には短絡に評価できませんが、いずれにせよ、小さな命はなによりも尊いと、甘やかすだけ甘やかす人間とは異なり、あのカラスの子はたとえ子供といえども環境に適応できないものは生き抜くことはできないという厳しい自然の掟を身にしみて知ったはずです。
薄情で残酷にみえても、あの親ガラスは人間の親より賢明なのかもしれません。
とはいえ、あのいたいけない子カラスも、このような苦境をくぐりぬけることで、ずる賢く、無作法ないたずらカラスに成長するとなると少し複雑な思いではありました。

 
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by love-all-life | 2012-06-22 18:28 | カラス | Comments(0)

HAND & SOUL「モノ」がたり 92 <雨音を聴きながら>

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この週末を山に紫陽花見物の人で鎌倉の街が人であふれかえります。かっては北鎌倉の明月院が有名でしたが、近頃は長谷寺や海と紫陽花が同時に楽しめるという成就寺が人気のようです。
空色、コバルトブルーから青紫の透明水彩の絵具を大量にちらしたような眺めは陽もよし雨もよしでお天気に関わりない人出です。
うちにも何本か紫陽花がありますが、日当りの関係で貧弱な花しかつけません。日当りに比較的恵まれたHAND & SOULの脇に一本だけ元気な株がありますが花の色が妙に赤くて瑞々しさに欠けるのがどうも気に入りません。
調べてみると、紫陽花は土壌が酸性だと花は青、アルカリ性だと赤になるとあります。青くするには4月頃から硫酸アルミニウムの液を施すなどと出ています。いまさら手遅れとは思いながらとりあえず台所に余っている食用酢をドボドボとジョウロに注ぎ水で薄めてくだんの株の根元にやってみました。手荒過ぎたかなとの反省もありますが、せめて赤紫くらいに変色してくれればと念じているのです。


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さて、長岡のギャラリーmu-anから、長岡を中心とした若い作家さん達の作品展「雨音を聴きながら」というこの時期にふさわしい企画に参加しませんかとのお誘いがあって、よろこんで混ぜていただくことにして、搬入には久しぶりの新潟への一泊旅行を楽しみにしていました。
ところが会期の直前になってバアバが頭にケガをしてしまって、大事にはいたらなかったのですが、旅行は取りやめて、どうにか作品だけ送って展示を画廊にお願いしてしまいました。長岡時代からのおなじみの面々との旧交を温めることもできず誠に残念でした。


例によってぎりぎりまで制作して、あたふたと梱包・宅配便へ持ち込んだので、スナップの記録しかありませんが・・・
これがジイジの作品です。流木でつくったヒトデやイソギンチャクを船板の上に並べてくださいとお願いしました。

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こちらがバアバの作品で、流木の芯に布やボタンなどで着付けた人形3体です。これは海賊?、これはトナカイ?、これはヒツジ?と聞いたのですが、バアバの答えは「森の妖精よ」ということでした。

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by love-all-life | 2012-06-15 18:21 | 「モノ」がたり | Comments(0)

政治家はどこに



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こんな小話があります。

淑女と政治家は正反対の言葉遣いをする。淑女が「No」と言ったときには「May be」であり「May be」と言ったときには「Yes」であり、「Yes」と言ったら、その人はもう淑女ではない。政治家が「Yes」と言ったときには「May be」であり、「May be」と言ったときは「No」であり、「No」と言ったら、その人はもう政治家ではない。

昨日の、野田首相の大飯原発稼動についての原発推進派の旗をもぎ取って振り回したような発言を聞いて、やっぱり小話のなかの政治家かとの思いでした。
管さんが爆死みたいに退場したあと、この人で大丈夫かなと半信半疑で迎えた野田政権ですが、ひょっとすると自らの信念を貫く覚悟の人ではないかとの淡い期待もないことはありませんでした。
選挙を恐れて増税はタブーとする政治にNoを言い、原発に敢然とNoを言う政治家かなとの思いもありました。
それが堪忍袋の緒がきれたような高飛車な物言を原発再開に向けるとはどうしたことでしょう。
増税問題にしても、原発の問題にしても、いずれ増税は必要だろうし、原発だっていますぐ全廃というのは無理だろうと国民はおしなべて冷静に状況を理解していると思います。だから野田さんが野党と身内の両面からの攻撃に耐えてよく頑張っているなと、タテマエはともかく内心では感じている人も少なくないはずです。だからこそ近隣の首長や大阪市長も限定的な容認というとこまでたどり着いたのです。
なのに肝心のところで大見得を切るタイミングと勘所を間違えたとしか思えません。強調すべきは反原発の原則であって、その上でいますぐの全廃は困難だと理解を求めるべきでした。

柄にもなくちょっと力が入ってしまいましたが、とにかくもう一日も早く決着をつけて欲しいというのが多くの国民の本音でしょう。そうでないととんでもない魑魅魍魎の跋扈を許すことになりかねないというのがいまの日本です。

もう一つ小話を、
第一次大戦のころ、ある新聞記者が晩年のクレマンソーに尋ねました。「あなたの知っている最悪の政治家はだれか?」するとクレマンソーが答えました。「さよう。最悪の政治家を選ぶのはじつにむずかしい。これこそ最悪と思ったとたん、もっと悪いやつかならず出て来る」ですと。



ジョーク:阿刀田 高「ジョークなしでは生きられない」から。
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by love-all-life | 2012-06-09 18:21 | 時事・社会 | Comments(1)

老いてますます子供

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ウォルト・ディズニーはディズニーランドをつくったとき、そのコンセプトについて「あらゆる年齢の子供たちのための、地上で最も幸せな場所 (The happiest place on earth) 」だと言ったといわれます。
あらゆる人間のなかに潜む「子供」という普遍性に目をつけてあの巨大なディズニー王国を築き上げたわけです。

新潟にいたころ、お隣の県立近代美術館に毎年巡回されてくる「ジュニア美術展」を観るのを楽しみにしていました。幼稚園児の自由奔放な作品に目を奪われる一方で、小学校高学年、中学と年齢が上がるにつれて、だんだん絵が巧みにはなっても心が奪われる作品が少なくなるのを訝しんだものです。
常識や論理的思考が、絵から「感じる」を次第に消し去っていって、「わかる絵」を指向する結果だろうと推測されます。これが人間が成長するということであり、その道程を一心不乱に辿ることによって人類は今日の世の中の発展、近代化を成し遂げられたとも言えるわけです。
とは言いながらひとりの人間に戻って考えてみると、この道筋が必ずしも「幸せ」を約束してくれたわけではないことは誰もが感じているところです。
しかし「感じる」は実は消え失せてしまったわけではなく、すべての大人の心のなかに押さえ込まれているだけで、ほんとうは表に出たくてしょうがないということを誰よりも敏感に察知した天才がウォルト・ディズニーだったということなのでしょう。

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「わかる絵」が苦手な、ということはいつまでたっても精神的に未熟なジイジは、いまでも子供だましのジャンクを山ほど溜め込んで、時折引っ張り出しては眺めたりいじくったりする時間を楽しむこと幼児の如くです。そしてしばしば作品づくりのヒントを得てもいます。

上の写真はそんな悦楽の時間にスナップショットしたものです。呉越同舟で平和裏になにやら話し合う動物たちの姿はどこかの国の政治家に見せてやりたいくらいで、ジイジは気に入っていますが、家族はそうでもないらしく現在はわが家のトイレに冷遇されて掲げてあります。
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by love-all-life | 2012-06-04 16:31 | その他 | Comments(0)