HAND & SOUL

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近頃の小学校事情

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「今日、E子の運動会だけど、行ってみます?」と嫁から小5の孫娘の小学校の運動会のプログラムを見せられました。
ピンク色の小型の変形紙に、あきらかに子供の描き文字とイラストでつくれられた、お誕生会のパーティの招待状のような体裁です。生徒の自主性を重んじる学校の方針なんでしょう。
「こりゃまた、ずいぶんかわいいね」と言ってみたものの、秋の運動会といえば来賓を招いての学校の公式行事だろうに、こんなにくだけちゃっていいのだろうかと、いささか違和感を覚えたのは確かです。

なにせジイジの子供の頃(またもや昔話ですが)は、遠足と学芸会と運動会といえば、学校の3大イベントで、子供たちにとってお正月と同じように待ち遠しくて、前の晩はよく眠れないくらい興奮したものでしたし、運動会の徒競走で入賞してノートをもらうか、鉛筆に終わるかは子供にとって決定的な重大事でした。
子沢山の時代でしたから生徒数も1,000人を超えていましたし、家族構成も3世代居住が一般的でしたから、運動会の応援には家族総出で、場合によってはご近所までが応援にかけつけるといった塩梅で、運動場一杯が喧噪と熱気に満ちていて、一小学校のイベントというより地域が一緒になって応援する大事な催事だったように記憶しています。
ところが今朝のE子にはどこにもそんな気負いはみられません。いつもの給食ではなくママのお弁当が食べられるのと、ママが後から見に来てくれるとの期待感で、ややウキウキしていたかなぁという程度でした。

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買物ついでに、近頃の小学校の運動会なるものを覗いてみようと出掛けました。E子の学校は、以前にも紹介したことがありますが、鎌倉にかって存在した御用邸跡の敷地に昭和9年にできた、なかなか由緒ある小学校で、緑繁る小山の裾に広がる土の運動場は広く、正門の他に2カ所の通学口があります。
家から近い通学口から入ろうとしたのですが、施錠がしてあって入れません。普段は学童の通学時間だけに施錠を解いておくらしいのですが、今日、応援にくる保護者や家族への配慮は必要はなしと学校は考えたようです。児童の安全性の観点から不審者などが入りこむことを嫌ったものと思われます。聞いてみると,普段も生徒が放課後に校庭を使用することは事前の許可がなければ禁止されているとのことです。こんなに広大な広場から子供たちをシャットアウトするとは! 不慮の事故への責任回避が、結果的に子供たちから健全な遊び場を奪っているのです。
正面門へ回って運動場へ入ると、そこはそのときまでジイジが学校の運動会運営について抱いた若干の疑念を一挙に吹き飛ばす、明るい賑わいが弾けていてホッとしました。しかし過保護下の運動会というイメージがすっかり払拭されることはありませんでした。


近頃の小学校がらみの話題といえば「いじめ」ということになりますが、繰返される学校側の隠蔽体質へのブーイングと、最後の最後になっての学校の歯切れの悪い謝罪をTVで観ていて、やりきれない思いに心が沈みます。
なぜ「いじめ」というと学校ばかりが悪者になるのか? 学校を糾弾する厳しい世間の目が学校側をいっそう隠蔽体質に追い込んでいるとしか思えません。
家庭側に問題はないのか? わが子に「非」はないという親の思い込み。たとえ親がわが子に「非」があったと薄々感じても、学校の「非」をいい募れば世間の北風は学校に向けて吹くという風潮がこの問題に真剣にとり組むことを妨げます。
一部の親が言う、親は学校に子供を「人質」にとられている弱い立場という、学校を敵とみなす卑劣な言い逃れに象徴されるように、ことの根本に相互不信があることはあきらかです。

この不信と不信の絡みをどこから解きほぐしていったらいいか、もちろん一言で断じる妙案はありません。
ただ解決の糸口は親の方に、地域にあると思います。少なくとも、そう考えることからスタートすべきでしょう。
とりあえず、親は、地域は、子供の前で決して学校や先生への不満や悪口を言わない、ということから始めてはどうかと思いますが、どうでしょうか。

晴天のもと、汗を拭いもせず走り回る若い先生方の笑顔をみての感想です。
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by love-all-life | 2012-09-29 17:58 | 時事・社会 | Comments(0)

HAND & SOUL「モノ」がたり 96 <内藤三重子 誕生>

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前回のブログは、バアバの古い端布のコレクションからTシャツのデザインの素材をいただいた話でしたが、
今回は、そのとき端布のなかから発見したバアバがデザインした古くて、懐かしいプリント柄が出てきたので.その話をしましょう。

バアバは1959年大学を出て就職しました。三愛という前にもブログで紹介したことがある、銀座の女性専門のデパートです。
就職といっても最初はアルバイト扱い。何をどうしてよいのやら分からずうろうろしているバアバに、この新入の女の子にどんな能力があるのか確かめようと、上司の宣伝課長さんがくれた仕事がハンカチのデザインでした。
当時、いまよりはるかに社会的な存在感があった森永製菓が、近く執り行われる皇太子と美智子さんのご成婚の祝賀記念のイベントとして、森永チョコレートにハンカチーフのオマケをつける企画があり、そのデザイン・コンペに応募せよとの命令でした。勝てば大きなビジネスチャンスとなるそのコンペには多くのデパートや繊維メーカーから応募がありましたが、結果はバアバの案が採用となり、同時に正社員の座も確保することができ、新入社員のお手柄ストーリとなったのです。
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バアバは「ワーッ、みせないでー」と言っていますが、53年たったヴィンテージもののハンカチです。
邪気のない、怖い物なしといった軽いタッチと、ご成婚カップルの仲睦まじさの象徴となっていた、軽井沢でのテニスをテーマにしたアイディアが勝因だったのでしょう。バアバこと「内藤三重子」の誕生です。


e0153357_20121275.jpg三愛は、いまで言う情報発信性の強い店で、バレンタイン・セールやパリ祭セールや洋画とのタイアップなど、その頃まだ聞き慣れないイベントを次々と打ち出して注目を集めていました。
まだ戦後の匂いが抜け切らない日本で、人々はアメリカ文明の吸収に躍起になっていましたが、三愛がフラッグ・イメージとしていたのはフランス、それもパリでした。生活再建に一生懸命だった人々にとって、アメリカは日常生活の憧れの対象だったのに比して、パリはオシャレで憧れの対象だったのです。一方の象徴するものが「文明」であるのに比して,もう一方が「文化」であったともいえるかもしれません。
フランス映画が根強いファン層をもっていて、新宿の日活名画座では懐かしのフランス名画に長い列ができたりしてました。
その頃、一度もパリに行ったことがないのに、パリの地図を開いてシャンゼリゼの店を片っ端から1軒1軒名前を挙げることができる男がいました。そんなちょっと変な人がいた、面白い時代でもありました。
文明開化の明治に、日本はヨーロッパ文明のカタチを取り入れることに急で、その根にある精神を学ぶことに疎かったとはよく言われることですが、復興を急いだ戦後でも似たことが繰返されたような気がします。

下のプリント柄は、そんな時代にバアバがパリ祭・セール用にデザインした三愛オリジナルのプリントのサンプル端布です。
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バアバはこれらを見て「よくもまあ、こんなに天真爛漫に描きまくっていたものね」と感慨深気に言いました。
「でも、とても今はできない・・・」とも。
ジイジは「いやいや、あなたは今でも結構天真爛漫ですよ」と、口には出しませんでした。
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by love-all-life | 2012-09-23 20:14 | 「モノ」がたり | Comments(2)

HAND & SOUL「モノ」がたり 95 <Tシャツ物語り>


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Tシャツというものをいつから着るようになったか、どうもあまりはっきりした記憶と結びつきません。

もちろん昔から、白の綿シャツは長袖、半袖、ランニングシャツとあって、子供の頃夏はランニングで遊びまわっていましたが、それらは本来下着であり、下にはステテコが似合うといったもので、アウターウエアーではなく、ましてオシャレとして着るものではありませんでした。

e0153357_71020100.jpg昨今のオシャレ着としてのTシャツを意識させてくれたのは、やはり戦後のハリウッド映画でした。
「理由なき反抗」のジェームズ・ディーン、「欲望という名の電車」のマーロン・ブランド、「アメリカン・グラフィティ」のビッグ・ジョン・ミルナーがTシャツの袖にシガレットの箱をくるりと巻いて持ち歩く姿など、「ん〜、なるほど!」とわけもなく納得して、そういったTシャツを自分が着た姿をジェームズ・ディーンに重ね合わせようと空しい努力をしたものです。

Tシャツを最初に買ったのは多分ニューヨークに行った時でした。でもそのときは、エンパイア・ステイト・ビルやイタリア街やミュージアムショップでお土産として買ったもので、それらのほとんどは当時「安かろう,悪かろう」の代名詞だったMade in Japan製品でした。1967年のことです。

現在手許に残っている一番古いTシャツのひとつは、何回目かのニューヨーで買った「THINK BIG」のシャツです。

e0153357_711067.jpgTHINK BIG STOREはマンハッタンのアップタウンにあった、いまでいえばデザインショップです。その店で売っているのはすべてがBIGなのです。2メートルほどの鉛筆とか、1メートル50センチくらいのクレヨンとか、50センチほどの消しゴム、1メートルの電球、30センチくらいのピル・カプセルなどなど。いずれもモダーンとノスタルジーとユーモアがブレンドされたすてきなグッズで、ニューヨークのアートディレクターのオフィスの壁にでっかい鉛筆が立てかけられていたりしました。
この店でTシャツも売っていましたが、それは小錦でもブカブカの超デカだったので、自分用にお土産品として売っていた普通サイズを買ってきました。Wikipediaで調べたらこの店は1979年から1994年存在したとありますから、80年代の始めに買ったのでしょう。物持ちのよいことです。



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さて、HAND & SOULでもオリジナルTシャツを用意していますが、今回ストライプ・シリーズをつくってみました。バアバが山ほどストックしている端布をひっくり返していていたら、シートが破けたデッキチェアの修理用にCONRAN SHOPで買った縞の布がきれいだったので、それをスキャンして柄にしてみたシリーズです。
Tシャツシーズンが過ぎた今頃じゃ遅いよと言われるのですが、上衣の下から覗かせてもいいし、少々寒くても、「痩せ我慢こそオシャレの極意」などとブツブツ言いながらアイロンプリントシートで絵つけしたものです。
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Tシャツ 1枚   ¥2,000〜¥2,500   (オリジナルTシャツのデザイン・制作承ります)
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by love-all-life | 2012-09-19 14:57 | 「モノ」がたり | Comments(0)

偶像の姿

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スペインでキリスト像の壁画が修復されたらお猿さんのようになってしまったというので、「史上最悪の修復劇」としていま世界中で話題になっています。ことの経緯は以下のようです。

スペイン東北部のポルハ市の教会の壁に19世紀末に画家エリアス・ガルシア・マルティネスによって描かれたキリスト像「Ecce Homo(この人を見よ)」があります。この壁画の劣化がすすんで、あちこちはげ落ちてしまったのを、地元の信者であるセシリア・ヒメネスさんという80歳のおばあさんが「私がやらなくちゃ!」と教会の許可を得て修復したら、結果はご覧のような原画とは似ても似つかぬキリストになってしまって大騒ぎになりました。

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左が修復前、右が修復後です。(上の写真は傷む前の壁画です)

当初彼女は衣装の部分を修復していたようですが、どうも画家を自認する彼女の創作意欲が修復作業の一線を越えて「私のキリスト様」を描いてしまったもののようです。
教会には苦情が殺到し、市も原状回復に動きだしたところ、意外にもこの壁画の事件が報道されるや話題の絵を一目見ようと、週末には数千人もが殺到する騒ぎになり、そのうちに修復された壁画に人気がでて「元に戻さないで!」と、2万人近くの嘆願書が集まっただけでなく、ネット上でも嘆願活動がはじまり、8月末で1万8千人の署名が集まったというのです。さらに現地ではグッズ販売など壁画フィーバーへの便乗商売も始まるという騒動になっているということです。

古い教会のこのような造作物は文化財として大切に保存されるべきという立場からすればセシリアお婆ちゃんの行為は暴挙以外の何ものでもありませんが、教会員であるセシリアさんにしてみれば、彼女の敬虔な信仰心の支えである貴重な偶像がみすぼらしくなっていく姿を見るに忍びないと、渾身の力を振り絞ったものを、ただ責めるだけでよいものだろうかという気持がしないでもありません。というのも教会は美術館である前になんといっても信仰を育む場なのですから。

そもそもイエス・キリストはどんな姿だったのかということになると、一般的には、色白で、痩せて、長髪の整った顔立ちで、慈悲深く幾分悲し気な西欧人のイメージが思い浮かびますが、写真も肖像画も存在しないわけですから、そういったキリスト像は聖書の記述をもとに、主に中世のヨーロッパの画家たちが創り出したイメージに過ぎません。

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ところで、手許にこれがキリストの実像という顔があります。これは2000年前のユダヤ人の頭骸骨や、3世紀に描かれたユダヤ人のフレスコ画を参考にコンピュータで再現されたキリストの顔だというもので、英国BBC放送のドキュメント番組「神の息子」のためにつくったものだということです。
ずいぶん既製のイメージと異なった、信仰の対象としてはどこか粗野で素朴過ぎる感じがしないではありません。
う〜ん、でもこのキリスト、どこかセシリアお婆ちゃんのキリストに似てると思いません?

所詮偶像というものは崇めるもののこころが生み出すイメージの姿なのです。だから偶像の姿がどんなカタチになったとしてもそれは間違いということはないはずです。とは言いながらそのイメージが新たな信仰を育んでいくのですから、たかが偶像、されど偶像ということでしょうか。
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by love-all-life | 2012-09-12 20:14 | 文芸・アート | Comments(0)

ビーズは語る

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小学5年の孫娘がなかなか本を読まないので,誰もが子供の頃読んでいつまでも忘れない、いわゆる名作といわれるお話くらいは知っておいで欲しいと、図書館からD・デフォーの「ロビンソン・クルーソー」を借りて来ました。
果たして女の子にどうかなという気持ちもあって、借りて来た本のはしがきやあとがきを読んでいるうちに、つい興味をそそられて読み始めてしまいました。なにせこちらが読んだのは大昔、ロビンソン・クルーソーといえば絶海の孤島での文明人のサバイバル物語りというイメージだけが残っていますが、ロビンソンがそこに至る経緯についてほとんど記憶にありません。ちょっとそのことに触れてみます。

ロビンソン・クルーソーは1632年、イギリスのヨーク市の裕福な家庭に生まれました。貿易で財を成した父親が希望する弁護士にでもなっていたら安楽な生涯が保証されていたのに、子供の頃から世界中を放浪してみたいという考えにとりつかれていて、親の熱心な説得にもかかわらず、家出をして友だちの父親の貿易船に潜り込みます。嵐に遭ったり、海賊に襲われて奴隷として売り飛ばされ命からがら脱出したりして、我がまましたことを後悔したりするのですが、船乗りになりたいという止み難い想いから再び三たびと航海に関わるうちに、貿易船の船長として奴隷の売買に手を染めます。そして南米からアフリカへの航海中に大嵐で遭難し、ただ一人生き残って孤島に流れ着くということになるわけです。
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こんなロビンソン・クルーソーの生い立ちを持ち出したのは、文中に彼がアフリカで商品としての奴隷を得ようと持ち込む品目の筆頭にビーズが挙げられていることを発見したからなのです。
というのも、つい先日観た葉山の神奈川県立近代美術館でいま開催されている「ビーズ・イン・アフリカ」の強烈な印象と、ロビンソン・クルーソーの話が頭の中でスパークしたように感じました。
そうか、ロビンソンのようなヨーロッパの貿易商たちが持ち込んだビーズや銃を得たアフリカの部族の支配者は、その近代武器を使って周辺部族を征圧し捕えて奴隷として売りはらい、自らはビーズで身辺を飾ったというわけです。売られた奴隷は主に南米のさとうきびプランテーションの労働力として酷使され、生産された砂糖がヨーロッパに運ばれ、当時流行となっていた喫茶に欠かせない品としてもてはやされたのです。いあゆる三角貿易です。

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さて、葉山の「ビーズ・イン・アフリカ」は国立民族学博物館コレクションのアフリカ各地のビーズ工芸品を一堂に集めた必見の展示です。首飾り、帽子、衣裳、人形、仮面などに施された多種多様なビーズによる創意工夫、思いもよらない色の取り合わせ、点の集合が生み出すパターンのパノラマは、飾るだけではなく呪術や儀式も含めて人類が「美」といかに深く付き合ってきたかを再確認させられます。
使われているビーズの多くが奴隷貿易を介してベネチアなどヨーロッパからの輸入ガラスビーズであることを「ロビンソン・クルーソー」を再読して知ったいま振り返ってみると、緻密な美のなかに権威、支配、執念、謀略といった影のイメージが含まれているのを感じないわけにはいきませんが、それらを全部含めて「人間と美」の歴史について考えるよい機会あたえてくれた展示でした。
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by love-all-life | 2012-09-05 21:24 | 文芸・アート | Comments(0)

久しぶりの「カマクラある記」

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もう9月というのに果てしなく続く盛夏並の暑さ。いい加減にケジメをつけて欲しいとの気持で、8月一杯続けていた朝のラジオ体操を、今日から朝の散歩に切り替えることにしました。久しぶりのカマクラある記です。
由比ケ浜海岸まで約30分、隣り合う由比ケ浜と材木座の浜辺をぶらりぶらりと往復して小1時間、帰路30分と2時間の散歩です。
用事で一二度車で海岸線を通ったことがあるものの、考えてみると今シーズンは一度も海岸へ来ませんでした。以前は半ば義務感のように「夏となれば海」だったのが、さしたる理由もなく海なしで夏が終わってしまうとは、ついついやはりこれも歳か、となってしまいます。いやいや海は若者だけのものではない公共のものなのだから、歳は歳なりの海への接し方というものがあるはずだ。どんな? そういえば「老人と海」なんていう関係が思い浮かびますが、ハゼ1匹釣ったことがない当方には無縁な世界だし、気だてのいい柴犬でも連れて浜辺の散歩なんていうのも悪くないが、万一水を怖がる神経質なヤツがきた日には始末がわるいし、波の静かな浅瀬に仰向けにプカリと浮かんで雲でも愛でる図が歳相応ではないか・・・などと取り留めなく思い巡らせながら、カメラ片手に、パチり、ぶらり、パチり、ぶらり。うん、これでいいのだ。これこそ歳相応というものではないかと自分に言い聞かせます。


日差しが強いとはいえ9月の朝となると、景色全体が薄い紫色のフィルターをかけたような落ち着きを感じます。深い青空に珍しいくらいの大入道雲、澄んだ水、ゴミのない浜辺。真夏の焼け付くような雑踏とはまるで違った早秋の海です。
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朝7時の海岸はまだ海水浴客もまばら。浜辺に並ぶ海の家も日焼けで疲れ切ったような様子で、ぼつぼつと撤去を始めたビーチハウスもあり、これからの日中の混雑を控えてすべてが静かでどこか寂しげです。

鎌倉の海岸浴場というと、昔(われわれが若かった50年ほど前)は、パラソルを立てるスキもないほどの混雑と、泳いでいる自分の手が見ないほどの透明度の低い海水だったにもかかわらず、人々はそういうことには一切構わず大挙して群がってってきたものでした。
あの頃に比べるといまの鎌倉は幾分リゾートらしい体裁を整えたと言えましょう。
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ところで今回びっくりしたのは海岸が一様にエスニック調に様変わりしていることでした。ヨシズに代わってヤシの葉を屋根に葺いたビーチハウスが目につくようになったのはここ数年の傾向ですが、やたらにタイカレーやインドネシア料理のメニュが目につくし、SINGHAというタイビールの広告塔やパラソルが立ち並び、エっ、こことはどこ?と言いたくなるほどです。
昔、コート・ダ・ジュール、いま、プーケット。「西欧からアジアへ」の流れがこんな風になるわけか。
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by love-all-life | 2012-09-02 01:14 | カマクラある記 | Comments(0)