HAND & SOUL

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おいしい水でお風呂に入る

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今朝の朝日新聞の「オピニオン・老朽化列島どう生きる」はとても興味深く、考えさせられることの多い記事でした。

近代文明社会は、万人のより快適、より便利、より清潔な暮らしを求めて、電気、ガス、水道、交通、通信などのインフラを整えて維持してきました。しかしいまや橋も公共の建物も老朽化し、このままでは大事故の危険もある、しかしこれらをつくり直す金があろうはずはない、では、どうする? に対するオピニオンコラムです。

わが身を振り返ってみて、75年維持してきた生命システムがどこもかしこも疲弊し、身体のあちこちに故障を意識しないわけにはいかない日々です。神の采配によって細胞の再生産を繰返す生命体でさえ永遠の命はないのですから、まして人工物のすべてに耐用年数があるのは当然で、その時期が「今でしょ」ということなのです。
「コンパクトな自立社会をつくれ」「いっそのこと補修技術で世界をリードしよう」など、三人の発言者に共通しているのは発想の転換が必要ということのようです。

なかでも水道に関する厚生労働省新水道ビジョン策定検討会委員の佐藤裕弥氏の発言には眼からウロコでした。
佐藤氏は、明治20年にスタートした日本の水道は、いまのようなカタチで将来にわたって維持することは難しいと危惧します。老朽化した施設が一斉に更新時期を迎えるからです。いまが過剰な水道施設と水に対する価値観を見直し、新しい「水社会」を練り直すチャンスだと言います。

どうもわれわれは贅沢に水道を使い過ぎているようです。日本人は幸せにも世界でも最上級の飲み水を水道で飲めることをしばしば自慢します。昨今都会のマンションなどではタンクの水を飲まなくてはならず、おいしくないといって浄水器を設けたり、飲料水はボトル入りにするという人たちが増えてはいますが、基本的に「豊かな水の国・日本」というイメージを抱いている人は多いと思いますし、小生もその一人です。
20数年前頃からでしょうか、ボトル入りの水が一般に売り出されたときには、瓶詰めの水に金を払う人がいるなんて信じられませんでしたし、宣伝にのせられた恰好つけ、外国かぶれの無駄遣いと感じたものでした。
ところが佐藤氏によると、「おいしい水で水洗便所を流したり、お風呂に入ったり、庭に打ち水するとは、何という贅沢」ということになります。水道水はコストをかけないもっと質を落とした水で充分、飲み水は家庭の水使用量のたかだか1割以下なんだから、ボトルを買って間に合わせればよいではないか、というような発想の転換が必要という意見です。
この言葉にはどこかレンホーさんの「二番じゃいけないんでしょうか?」的インパクトを感じてしまいました。

私たちはいまいろんな場面で従来から抱いて来た固定観念、イメージ、価値観を一度根本から見直してみなければならない時期にあるのではないでしょうか。次世代から膨大な借金をして「豊ないま」にしがみつこうという発想からどこかで抜け出なければなりません。そしてそのための覚悟を国民に上手に促す勇気と戦略が為政者に求められていると思います。
ところが今の自民党政権ときたら、既成の価値観にバターやジャムを塗りたくっているとしか思えないのですが・・・。


カット:朝日新聞
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by love-all-life | 2013-05-18 23:15 | 時事・社会 | Comments(0)

めでたさも中くらいなり・・・



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登録申請をしていた日本の世界遺産候補のうち、富士山が文化遺産として認められる見通しとなり、一方「武家の古都」をアピールしていた鎌倉は見送られることになりました。
富士山の世界遺産は、日本人なら喜ばぬ人はいないでしょう。それも空缶だらけの自然遺産とてではなく、見た人に精神的インパクトを与えずにはおかぬ文化遺産としての「霊峰富士」が認められたことで、かえってよかったと思う人も少なくないのではないでしょうか。

さて、鎌倉です。
鎌倉は地元でもあり、許諾の行方に強い関心はありました。かなり前から市を挙げて誘致運動をしていたし、自分の住む街が後世に残すべき高い文化価値があると太鼓判を押されるとなれば決して悪い気持ではありません。
しかし一方では、長年住んでいると、細い路地の奥の奥まで舗装され、古くからのお屋敷が次々と取り壊されて跡地が分譲され新建材の家々にとって代わられ、街角に雨後のタケノコのようにコンビニが増えるのを見ていると、「これが武家文化の街?」「これでで世界遺産とは、おこがましい」の念が湧いてくるのを抑えるのに苦労します。
ということで、世界遺産になることを期待する気持と、「なったら、恥ずかしい」という気持が半々だったというのが正直なところでした。したがって、いざ落選となると「ちょっと、がっかり」と「ホッ」というのが半々です。

ところで、世界遺産とは、言うまでもなく後世に残すべき環境や文化を人類の宝物として指定して、世界レベルでみなで守っていこうという試みです。
それに指定されるかどうか一喜一憂の大騒ぎをするのは、地域の名誉という側面もあるでしょうが、実際は観光資源としての価値に大きな影響を与え、地域に莫大な経済効果が見込めるからでしょう。
しかし、もしそれが本当だとしたら怖いことです。世界遺産になって、そこに群れをなして人が集まり、莫大なお金を落として、その地の行政や市民の自尊心が満たされ、商業関係が潤うことがあったとしても、世界遺産にとって多分ロクなことは起こらないでしょう。
世界遺産は現存する人々のためのものではなく後世の人のものなのです。それによって現存する人々が甘い汁を吸えば、後世にはまずいカスしか残らないでしょう。
後世に甘い果実を残そうとするなら、現存する人々は後世の人々の感謝を夢見ながら、そのために汗を流し、空腹を我慢しなければなりません。その覚悟があってはじめて世界遺産を受け入れる準備が整ったといえるのではないでしょうか。
その覚悟と準備ができたとき、再挑戦しようではありませんか。
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by love-all-life | 2013-05-03 00:35 | 時事・社会 | Comments(0)