HAND & SOUL

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HAND & SOUL「モノ」がたり 106  <お飾り、二態。>

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6月20日に、21−21デザインサイトでの「カラーハンティング展」のプレビューショーがあり、会場の入り口にバアバのおひな様が来館者を迎えるという大役を担って鎮座しておりました。
デザイン界のトップランナーのひとりである藤原 大の企画展とあって、少なからずの著名人の顔も見える賑々しさのなかで彼のプレゼンテーションや、何人かの顔見知りと久しぶりの再会の挨拶を交わしたりして楽しい時間を過ごしました。
バアバのおひな様は、藤原さんが3月3日に八ヶ岳でカーラハントした10色の自然の色をベースとしているので、衣装の色も落ち着いたトーンになっていて、江戸時代の古雛と見間違える方もいましたが、顔などのつくりはいつもの三重子雛なので、その組み合わせが面白いと感想を述べる方もいました。4ヶ月の長丁場を無事にお役目を果たして欲しいと願っています。
3時間ほども会場で過ごしたあと、旧知の仲間と食事に出ました。クリエイティブ・ディレクターやアド・ウーマンやインテリアデザイナーたちで、いわゆる業界で働き盛りの中堅どころです。何年も足を向けたことのない六本木の若者が集まる飲み屋に連れていかれたのですが、周囲の喧噪に負けない大声で話を交わすのにエネルギーを使い果たしました。これも何十年ぶりの横須賀線の最終電車に乗っての午前さま。久しぶりに吸った娑婆の空気でした。

以上のような嬉し楽しのバタバタがあって、やっと一息ついて取りかかったのが、遅れ遅れの注文の流木のリースづくりです。ついでにお店に置く作品も同時進行でつくりました。

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リース飾りはクリスマスのオーナメントと看做されがちですが、古代ローマの時代から輝かしい業績や威信の象徴として身に付けて用いられました。いまでは植物などの自然素材を用いた室内の装飾品となっていますが、HAND & SOULでは流木の小枝を組み貝殻などをあしらってつくります。
今回のリースは、沼津の千本松海岸の流木と、長い間にどこからともなく集まった南洋の貝殻や、わが家のイタリアンで中味は家族の胃の腑に収まったムール貝の貝殻などをあしらってつくったものです。
潮騒やウクレレの音にとても似合うんですよ。
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by love-all-life | 2013-06-25 16:25 | 「モノ」がたり | Comments(0)

色狩人

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孫娘が3才の頃だったでしょうか、家族で古い白黒写真を懐かしがって見ていたら、横から「この頃は世の中にまだ色がなかったの?」と質問したのに、一同一瞬あっけにとられ、のち大笑いといったことがありました。ジイジ・バアバが日頃、「昔は違った」「こんなじゃなかった」と言っているものですから、昔は色のない世の中だったのかと思ったようでした。その彼女もいまはもうそろそろ色気も出ようかという6年生です。

私たちは色の中に生まれ、色とともに暮らし、色が消えて死んでいきます。私たちは色なしで生きることはないのに、何か格別の理由がなければほんとんど空気や水のようにその存在すら意識することが稀です。
そんな「色」のひとつひとつにもっと真剣に向き合ってみようと、世界各地を回ってわれわれの環境に存在する無数の色から任意に選択した自然や都市のなかの色を、絵具でパレットの上に再現し、色のもつ意味や役割について改めて考え、さらに創造的な社会づくりのきっかけをつくろうという試みを続けているのがデザイナー・藤原 大*です。
彼はのこの独自デザイン手法を「カラーハンティング」と名付けました。
この6月21日から東京ミッドタウンの21−21デザインサイトで藤原 大のディレクションによる「色からはじめるデザイン『カラーハンティング展』が開催されます。

彼から今回のカラーハンティング展をディレクションをするに当たって、バアバに作家としての参加の依頼がきました。内容は、彼がハンティングしてきた八ヶ岳の自然の色10色をベースにしてお雛様をつくって欲しいというリクエストです。「何でこの時期にお雛様なの?」というバアバの質問に彼の答えは「ハンティングした日が3月3日だったから」でした。
藤原さんからの頼みでは断るわけにはいかないと、バアバはとても張り切って、異例のスピードで制作に励みました。会場がいつもお雛様を飾る場所に比べて各段に広いので、いつもの倍以上ある大きな作品ですが、一昨日、完成品を会場に展示に行ったら、なんと一番乗りでした。

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目下、初日を控えて会場設営で大わらわのはずですが、「カラーハンティング展」がどんな色の世界、どんな提案があるのか、とても楽しみです。


「カラーハンティング展」 www.2121designsight.jp

*藤原 大/1992年、中央美術学院山水画科(北京)留学。94年、多摩美術大学美術学部デザイン科卒業後、三宅デザイン事務所入社。98年三宅一生と共に「A-POC」プロジェクトをスタートさせる。「A-POC」にて2000年度グッドデザイン大賞、03年度毎日デザイン賞を受賞。06年、ISSEI MIYAKEクリエイティブディレクターに就任(〜11年)。08年、株式会社DAI FUJIWARA設立。国内外でクリエイション活動を活発に展開する。京都造形芸術大学、多摩美術大学客員教授。
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by love-all-life | 2013-06-14 14:56 | 文芸・アート | Comments(0)

卵の悲哀

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卵の値段は60年前より安いのだそうです。2、3日前の日本鶏卵生産者協会と日本養鶏協会が連名でだした新聞全ページの意見広告で知りました。
1ページ全面の新聞広告といえば、掲載料だけでも千万円の単位の費用がかかるのですから、鶏卵業界としてはよほど世間に言いたいことがあるに違いない、と思って広告で主張している意見なるものを読むと、生産コストの高騰や良質な衛生管理を維持しようとするために経営が立ち行かなくなって廃業に追い込まれる鶏卵生産者が続出している、なんとかこの窮状を理解して欲しいというもので、要は、卵の値段が上がっても勘弁してくださいね、と訴えるものでした。
近頃、何の断りもなく平気で値上げをする業界やサービスが多いなかで、何ともご丁寧なことです。

たしかに卵は安い。家人に聞くと1個10円ほどで、1ダース100円以下でスーパーの目玉商品の定番となっているとのことです。
60年前の大学出の初任給は1万円に充たなかったと思いますが、いまは20万円。多くの物価が60年間で10倍から20倍になっていることを考えると、たしかに卵の卸売り価格が60年前よりも安いというのはいささか異常です。
なぜこんな現象が起きるのかは経済に疎い当方としては分かりかねますが、想像するに、その昔農家の副業として放し飼いの鶏が生む卵を集めて卸すというやりかたから、工業製品みたいな徹底した管理体制での量産品に変ったからでしょう。といってももとはといえば生き物である鶏が相手ですから、コスト切り詰めにも自ずと限度があるということでしょう。

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卵といえば、かって(というのはジイジが子供の頃)は、とても高級な食品であると同時に滋養のある食べ物として貴重がられていました。
小学生時代の仲良しの家にいた女中さんは、生まれてからこのかた殆ど卵を食べたことがなかったので、卵を割るが怖くて上手く殻を割ることができないと、友だちが話していたことが思い出されます。
それほど、卵はそうそう日常庶民の口に入るものではありませんでしたし、体力回復のためにと病人に与えられるので、子供心に卵を食べる病人がうらやましく思えたものです。
もちろん昔が良かったとは決して思いません。生卵が安心して食べられ、オムレツやかに玉が一大決心しなくても食卓に上る今の方がいいに決まっています。

「私たちの仕事って時給10円にもならないわね」とバアバがよく言うのですが、モノづくりは自分自身の楽しみとはいいながら、こつこつと積み上げた手仕事の結果に「あら、高いわね」なんて言われると、機械ならぬ生身の人間の成果物も工業製品も一緒くただなと、ちょっと悲しくなるときがあります。今回の卵の意見広告を見て、鶏卵業者のみなさんがたいへんなのは分からなくもないが、鶏が可哀想だなと感じた次第です。
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by love-all-life | 2013-06-08 20:35 | 時事・社会 | Comments(0)

「苦」あれば、「楽しみ」あり。

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本を読んでいて「『楽する』ことと『楽しむ』ことは違う。」という言葉に出会いました。
う〜ん、なるほど。
親類のように感じていた「楽(らく)」と「楽しい」。改めて見つめ直してみるとずいぶん違いがあるのに気付きます。
比べてみると、「楽する」というのは、「なにも苦労せず、嫌な状況から解放されている」というような感じでしょうし、一方、「楽しむ」というのは、 一般的には「好きなことをして満足を感じる」ことでしょう。
片や「なにもしない」、もう一方は「なにかする」、片や「非生産的」、もう一方は「生産的」というように、言葉の意味することが真反対といえるほど隔たっいてるのは面白いことです。

原始時代の人間は、生きるに必要な衣食住を得るための苦役に明け暮れていました。そのうち苦役の一部を家畜に担わせ、さらに道具を進歩させるとこで苦役から大幅に解放され、次第に「楽」な暮らしができるようになり、現代では科学技術の発達のお陰で、庶民も昔の王侯貴族も及ばないような「楽」な暮らしをしています。
結構な話といえばたいへん結構なことではありますが、果たして結構ずくめな話かといえばいくつかの疑念が湧いてきます。
辛い苦役からの解放を求め来たり、すでにその大部分が成し遂げられているともいえる現代でも、「楽」は望ましいこととして、まるで正義であるかのように、一層の「楽」を追求するのは果たして好ましいことなのだろうかという疑念です。
また、辛いことやリスクはできるだけ避けて、「何もしない」ことが「楽」であり、より「便利」なことが「楽」であるとすれば、これは社会にとって、地球にとって大いに反省すべきことではないかという危惧です。

自分自身がリタイアして、まぁいわゆる「楽」な身分になって、「自由」になったという実感はありますが、「楽」=「楽しい」という感じを抱いたことはありません。
考えてみると、世の中の大抵の「楽しみ」は「苦しみ」があってのことではないでしょうか。趣味でも、スポーツでも、人生の大きな楽しみとなるようなことには、その前提として必ずといってもいいほど「苦しみ」がついてきます。
苦しい思いをしないで手に入れられる楽しみなんて知れたもので、苦しみが大きければ大きいほど、得られる楽しみも大きいということは誰でもが知っていることです。
「楽」が続くという一見好ましい状態も、それがいずれ「苦しみ」になっていくという感じをもつ高齢者は少なくないと思います。
それは獲得した「楽」ではなく、与えられた「楽」であるせいかもしれません。しかし、長年ストレスの多い勤め人がやっと苦役から解放されて得る「定年後」は、いわば獲得した「楽」でもあるはずですが、それでも早晩ぶらぶら暮らすことが「楽」ではなく「辛いこと」に変ってしまうのです。

自分が天から授かった己の身体的能力、精神力、知力を使わずに休ませておくというのは決して「楽」ではないのです。
身体能力、精神力、知力を成長させようとすれば、そこにはなにがしかの努力が必要ですし、努力にはそれなりの苦痛が伴うものです。しかし苦痛を克服して得られる成果には必ず「楽しみ」がついてくるのです。
こうした感じを老人の戯言としないで、若者に真剣に向かい合って欲しいと思います。
このような「楽しみ」こそが人生を豊かにしてくれる「生きがい」というものだと思うからです。

80才の三浦雄一郎さんの快挙は、「楽」を拒否することで手に入れたまさに究極の「楽しみ」でしょうね。


写真:ミウラ・ドルフィンズ
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by love-all-life | 2013-06-01 23:24 | 時事・社会 | Comments(1)

HAND & SOUL「モノ」がたり 105 <5月の花物語>

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「春の東雲のふるえる薄明に、小鳥が木の間で、わけありそうな調子でささやいている時、諸君は彼らがそのつれあいに花のことを語っているのだと感じたことはありませんか。」


岡倉覚三(天心)は、『茶の本』(村岡 博訳)の「花」章の冒頭の一節にこのように述べて、人は花とともに祝福され、悲しみ、花とともに飲み、食らい、歌い、踊り、戯れ、花からの多くのものを授かる一方、花の命を奪うこで成り立つ花と茶道の関係について、夢のような美しい文章で綴ってます。


4月の桜から始まる花の響宴は5月なって一層賑わいを増します。
この季節、スーパーやホームセンターの店先にこれ見よがしと並ぶ花やハーブの苗鉢の前を素通りするのはなかなか難しく、ついつい今日はペチュニア、次はゼラニウムと持ち帰ることになります。
世の中にはグリーン・サム(Green Thumb=緑の親指)と呼ばれる園芸上手がいて、彼らの手にかかるとどんな植物も園芸雑誌の表紙のように立派に育つのですが、それに比べてこちらは何を植えてもフラストレーションばかりを育ててしまうブラウン・サム。でも、さすがこの一両日のように天候に恵まれると、家の花壇もそれなりに花の園らしい体裁をなしてきます。

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再び『茶の本』の言葉を引用するなら、

「花をちぎる事によって、新たな形を生み出して世人の考えを高尚にする事ができるならば、そうしてもよいではないか。われわれが花に求むるところはただ美に対する奉納を共にせん事にあるのみ。われわれは「純血」と「清楚」に身をささげる事によってその罪滅ぼしをしよう。こういうふうな論法で、茶人たちは生花の法を定めたのである。」

こんな言葉に促されて、前に小ブログ(2013.02.17)でご紹介した、越後・筒石の漁師小屋に放置されていた漁船の板で、庭の花を生ける花器をつくろうと思いたちました。
滅相もなく、秀吉の小田原攻めに従った千利休が、箱根の竹を伐って花器としたという有名な竹の花入れの話がちらっと頭をよぎったのは事実です。

e0153357_834548.jpgつくりはいたって簡単で、細かく切り分けた船板の小片にドリルで穴を穿ち台木とし、試験管を立てただけの花挿しです。しかし、ただ板を切るといっても船板はなかなかの曲者で、表面から見えないところに釘や鉄の鋲が入りこんでいたり、砂を噛んでいたりしていて、製材所に切断を頼んでも工具を傷めるというので断られます。今回もバンドソーで鉄の鋲を切断してしまったので刃が一発でダメになりました。
切り口には錆の色がにじんでいたり、理由の分からない変色の箇所があって、ホームセンターで買う木材とは味わいが大きく違います。この巧まず生まれた風情を活かしたいと思いついたのがこれらの一輪挿しですが、利休のワビに比べれば天と地の差があるのはよくよく承知しています。


船板の一輪挿し 1個 ¥2,000から
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by love-all-life | 2013-06-01 22:37 | 「モノ」がたり | Comments(0)