HAND & SOUL

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運命のカタチ

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朝、何気なく庭の地面に目を落としたら1匹のアオムシを見つけました。
この季節毛虫やアオムシは少しも珍しくないのですが、「オヤ?」と思ったのは、それが今まで目にしたこのない模様のアオムシだったからです。
この手の話を好きでない人にはゴメンナサイ、でも続けます。

しゃがんでさらに目を近づけると、模様に見えるのが、たんに虫の皮膚(?)についたパターンではなく立体的なのです。この種の虫のなかにはヒゲが生えたのや角をもったものなどいろいろ立体的な装いをもっているものがいますが、このアオムシのは背中に黒くて小さなボーリングのピンのようなものが生えたようにゆらゆらゆれているのです。
写真を撮ってパソコンで「毛虫」や「アオムシ」などの図鑑を検索してみたのですが該当するのものがありません。「もしや、新種発見かもしれん」と、家のものに見せたのですが「ウヮー、面白い」「気味悪い〜」と反応はあるものの、一向に正体は分かりません。
そこへ中1の孫娘がやってきて「これ、知っている」と言うではありませんか。「前に図書館で見たけど、この黒いのはハチの卵なの。ハチがアオムシの背中に卵を産みつけて、卵は虫の体液を栄養として育って、全部食べ尽くされると虫は死に、卵は成虫となって巣だっていくのよ。」と説明します。
ついこないだまで教わる一方だった彼女の思いがけない博識ぶりに「へーッ!」と、一同関心しきりです。

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普段このようなアオムシは花壇を荒し回る「憎きヤツ!」であり、見つけては駆除しているのですが、彼(彼女?)にそんな悲運が襲っていると思うと急に哀れに見えるだけでなく、透き通った若葉のような胴体にゆらゆらと黒い飾りものを纏った姿がそんな残酷な命のドラマの舞台であると知ると、見てはいけない事件を見てしまったようなある種の後ろめたさを感じます。
彼は自分のおかれている運命を知ってか知らずか、苦悶の表情はおろかそれらしい動きさえみせずに、ただのそのそと這いずっています。かりに彼が事態を理解しているとしても彼にはそれに抗するいかなる手段もないでしょう。そしてその黒い命の簒奪者はあたかも彼自身の一部のようです。
自分では知るヨシもないが、いつか命を奪っていくもの・・・、ひょっとすると運命の姿とはこんなカタチ?とへんな妄想を誘うアオムシくんでした。









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by LOVE-ALL-LIFE | 2014-05-29 16:40 | 自然 | Comments(0)

ラジオ体操再開

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「春の東雲(しののめ)のふるえる薄明に、小鳥が木の間で、わけありそうな調子でささやいている時、諸君は彼らがそのつれあいに花のことを語っているのだと感じたことはありませんか。」
 岡倉覚三(天心)著「茶の本」の第六章「花」はこのような書出しで始まります。 

5月に入って、今年はバアバを誘って朝のラジオ体操を再開しました。 
朝6時、会場の裏山の神社の境内まで、若い人なら5分もかからない標高100メートルほどの坂道を15分ほどかけて、路上のゴミを入れるビニール袋を片手に、小鳥のさえずりを聞きながらゆ〜っくりゆ〜っくり登ります。頂上近くの曲り角にさしかかると、いつも同じウグイスの声がします。なぜ同じウグイスと分かるかというと一羽は「ホーホケキョ、ケキョ」と鳴き、もう一羽は「ホーホケ」と鳴くのです。片方はさえずりの最後に必ず「ケキョ」がつけ加わり、もう片方は最後の「ケキョ」を省略するのです。二羽を合わせると「ホーホケキョ」が2回となり、帳尻を合わせるところをみるとツガイのようです。 
サクラもツツジも終わったこの時期の野山の木の花といえば可憐な卯の花ですが、ウグイスたちはひょっとすると花の香りについて語り合っているのかもしれません。 

先の天心の文は次のように続きます。 
「人間についてみれば、花を鑑賞することはどうも恋愛の詩と時を同じくして起こっているようである。無意識のゆえに麗しく、沈黙のために芳しい花の姿でなくて、どこに処女(おとめ)の心の解ける姿を想像することができよう。原始時代の人はその恋人に初めて花輪をささげると、それによって獣性を脱した。彼はこうして、粗野な自然の必要を超越して人間らしくなった。彼が不必要な物の微妙な用途を認めた時、彼は芸術の国に入ったのである。」 

獣性を脱したかにみえた日本人ですが、集団的自衛権を巡って70年ぶりに銃声について論議しています。「必要最小限度である」となんとか強引に押し切ってしまおうと躍起になっている首相ですが、ひとたび一発の銃声、一つの命が失われる事態となれば、平和主義などいっぺんに吹き飛んでしまう恐ろしさを彼は身を以て経験していないことが怖いです。
銃声より花、正義より美、で律せられるような世であって欲しいものです。











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by LOVE-ALL-LIFE | 2014-05-17 15:49 | 文芸・アート | Comments(0)

ラジオ体操再開

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「春の東雲(しののめ)のふるえる薄明に、小鳥が木の間で、わけありそうな調子でささやいている時、諸君は彼らがそのつれあいに花のことを語っているのだと感じたことはありませんか。」 岡倉覚三(天心)著「茶の本」の第六章「花」はこのような書出しで始まります。 5月に入って、今年はバアバを誘って朝のラジオ体操を再開しました。 会場の裏山の神社の境内まで、若い人なら5分もかからない標高100メートルほどの坂道を20分ほどかけて、小鳥のさえずりを聞きながらゆ〜っくりゆ〜っくり登ります。頂上近くの曲り角にさしかかると、いつも同じウグイスの声がします。なぜ同じウグイスと分かるかというと一羽は「ホーホケキョ、ケキョ」と鳴き、もう一羽は「ホーホケ」と鳴くのです。片方ははさえずりの最後に必ず「ケキョ」がつけ加わり、もう片方は最後の「ケキョ」を省略するのです。二羽を合わせると「ホーホケキョ」が2つとなり、帳尻を合わせるところをみるとツガイのようです。 サクラもツツジも終わったこの時期の、野山の木の花といえば可憐な卯の花ですが、彼らはひょっとすると花の香りについて語り合っているのかもしれません。 先の天心の文は次のように続きます。 「人間についてみれば、花を鑑賞することはどうも恋愛の詩と時を同じくして起こっているようである。無意識のゆえに麗しく、沈黙のために芳しい花の姿でなくて、どこに処女(おとめ)の心の解ける姿を想像することができよう。原始時代の人はその恋人に初めて花輪をささげると、それによって獣性を脱した。彼はこうして、粗野な自然の必要を超越して人間らしくなった。彼が不必要な物の微妙な用途を認めた時、彼は芸術の国に入ったのである。」  獣性を脱したかにみえた日本人ですが、集団的自衛権を巡って70年ぶりに銃声について論議しています。必要最小限度であるとさかんにコトを荒立でずに乗り切ってしまおうと躍起になっている首相ですが、ひとたび一発の銃声、一つの命が失われる事態となれば、平和主義などいっぺんに吹き飛んでしまう恐ろしさを彼は身を以て経験していないことが怖いのです。

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by LOVE-ALL-LIFE | 2014-05-17 15:41 | 文芸・アート | Comments(0)

小津詣で

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読書や新聞で、「こころに届く」言葉、「いいな」と思った言葉に出会うとパソコン上にメモして、時々見返しては自戒したり勇気づけられたりしています。 

今朝はこの言葉に再会しました。 
「なんでもないことは流行に従う、重大なことは道徳に従う。芸術のことは自分に従う。」 
小津安二郎の言葉です。 

一見物わかりがよく、折り目正しい紳士のようでいて、こと創作に関することとなると頑固一徹で、誰にも一歩も譲らないという、よく言われる小津のイメージをこれほどよく表している言葉はないのではないでしょうか。できることであれば自分もこうでありたいと共感してメモの仲間入りとなったものです。
 前回のブログでも触れたように、ろくに邦画を観たことがない当方としては、小津安二郎の芸術といっても、なんとなく小津映画の流儀いついてにある程度のイメージをもっているものの、じゃ小津作品の何を観たかと問われたらあまり定かでないくらいですから、当方の共感はかなり自分勝手な想像の範囲を出るものではありません。でも、彼にある種の親近感をもつのは、昭和のそれも早い時期の好ましかった価値観を共有しているように当方が感じるのと、彼の住処がHAND & SOULからそれほど遠くないという縁からでからでしょうか。 

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裏山のウォーキングコースを経て浄智寺から北鎌倉へ通じる道は、かって文人たちが好んで移り住んだ古い鎌倉の趣を色濃くのこしていて、当方の最もお気に入りの散歩道のひとつです。 
浄智寺の裏にあたるところに日本画家、故・小倉遊亀のお宅の門だけが残っていて(写真:下左)、その脇を抜けるトンネルの奥が小津邸跡です(写真:下右)。いまは別の人が住んでいますが、「俺の世界に勝手に立ち入ることは許さぬ」とばかりの構えは、上に掲げた言葉がそのまま入り口に頑張っている感じです。 

北鎌倉駅脇の踏切を跨ぐと円覚寺があり、その境内に小津のお墓があります(写真:上)。急な斜面の中腹に他の墓碑とは趣を異にした真四角な墓石に「無」の一文字が刻まれています。それは小津が生前望んだものなのかどうかは定かではありませんが、彼の端正な生き様や美意識を彷彿とさせ、禅宗の古刹に居心地よさそうです。

最後に小津の言葉をもうひとつ、甥の長井秀行さんが彼を振り返っての言葉です。 
「品行方正でなくてもいいが、品性下劣になってはいけないとよく言っていました。品性下劣なやつはどうしようもないってね。」(朝日新聞 2014.4.26)


















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by LOVE-ALL-LIFE | 2014-05-03 16:51 | 文芸・アート | Comments(0)