HAND & SOUL

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HAND & SOUL「モノ」がたり (118) 「50年目の金メダル」

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近頃「50年目」がよく話題となります。言うまでもなく今年が第一回東京オリンピックから50年目だからで、それに関連して新幹線がスタートして50年とか、首都高速が50年目など、都市としての東京がオリンピックを契機にどれほど様変わりしたかをマスコミが取り上げています。

50年といえばかっては人の一生の長さだとされましたが、今では50歳はまだ若手のうちで、寿命のたんなるの通過点にしかすぎないというありがたい世の中です。
実はそのありがたい「50年目」をジイジ・バアバが手を携えて通過することを、人さまからプレゼントをいただいて改めて気づきました。
HAND & SOULを始めて以来親しくしていただいているNさんAさんMさんから「Happy Golden Wedding Anniversary!」なるブックレットをプレゼントにいただいたのです。
以前私たち二人が何10年と溜め込んで捨てられないジャンクを納めた古い旅行カバンをN・A・Mさん(一緒くたにしてごめんなさい)に開陳して見せたことがありましたが、それらを撮影してかわいい一冊のブックレットにまとめてくれたのです。
ページに収められているのは、どれも昔のいつの時点かに私たちの心を捉えた忘れがたい途中駅のようなものであり、いまのモノづくりの栄養素ともなったモノたちなのです。ま、ご覧ください。
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改めてみると、われながらなんと幼稚、なんと外国かぶれ、なんと安っぽいの感が拭えません。だからいままで人の目に晒すのは避けて仕舞い込んでいたのでした。
しかしそれらは、子どもの頃、戦争末期にB29からの焼夷弾投下の中を逃げ惑い、戦後のひりつくようなひもじさを体験した焼け跡世代が、復興期にそれまでの埋め合わせようにガツガツ食べたと同様に心の飢えを満たした栄養源あり、私たちの SOULの一角を成しているモノたちなのです。
クラマタ・シローも田中一光もイッセイ・ミヤケもきっと同じような軌跡を辿ったはずです。もちろんその結果としてのアウトプットの質は別として・・・。

いつのまにか人生の伴走者として集まって来たこれらのモノたちが、いまゴールに近づいた私たちに投げかけるメッセージは「老いたから遊べなくなるのではない、遊ばないから老いるのだ」いというあのバーナード・ショウじいさんの叱咤激励であるかのようです。

PHOTO : NAKAGAWA NORIKO





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by LOVE-ALL-LIFE | 2014-10-31 09:19 | 「モノ」がたり | Comments(0)

「イスラム国」

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幸福の定義に、「自分にないものを求めるのではなく、いま手にしているものを愛おしむことのできる人は幸せ」という言葉があります。
この言葉をアングルを変えて、「不幸な人はいま手にしていないもの求める」という言い方が成り立つかのような出来事が近ごろ物議をかもしています。平和の国日本の若者の「イスラム国」参加計画です。

何が「イスラム国」建設などという過激な動きを生んだのか、その背景は何か考えあぐねている大人たちをよそ目に、まるで台風接近の高波にサーフボードを抱えて浜辺に向かうかのような気軽さで、これといった大義もなしに、ただ人殺しの場に身を置いてみたいというような乱暴なというか、単純な動機で「戦地」へ出かけていく若者たちがいます。
彼らにとって「平和」や「安全」はあまりにも当たり前の日常なので、空気の存在を意識することがないように、平和であることを有り難く感じることも、改めて求めることもないのでしょう。
一方日本にいる限り「戦争」は彼らの手の届かないものであり、それ故に彼らの目に魅力と映るのでしょうか。

何人かの「戦士」が新聞などのインタビューに応じた言葉を拾ってみると、
「戦争に関心がある、気が済んだら帰国する」
「趣味を満足させるために戦闘に参加する。死ぬ気はない。気が済んだら帰る」
「就職活動がうまくいかなかった」
「生きるか死ぬかの勝負がしたかった」
「極限状態で戦いたい」
「思想や宗教的な理由はない。ただ強い相手に力試しをしたかっただけ」
「戦場にいるのは、敵でも味方でも、戦うことを選んだ人たち。それを殺すのがいいか悪いか、問うことに意味はない」

これらの言葉のなんと気軽で、身勝手で、無責任で、想像力や思考力の欠けてることか。「命をかけた自分」に酔いしれた狂気というほかありません。
「戦闘」に身を置いたことはないものの、空襲、焼け跡、近親者の戦死、空腹が人々をどれほど醜く卑劣にするかなど、戦争末期の悲惨を重苦しい時代の空気とともに吸い込んだ子ども時代の体験をもつわが身として感じるのはただ怒りとあきれのみです。

それにしても、なんでこんな若者たちを生んでしまったのだろうか。
70年ほども経って「戦争の実像や悲惨」にも老化現象ともいえる経年疲労およんでいるのではないかという疑念であり、平和を手にすることの困難さや有難味を知っている世代の努力不足という反省であり、それを伝えるアプローチの仕方にどこか欠如しているところがあるのではないかという思いです。
「不幸な人はいま手にできないもの求める」に戻るなら、いま彼らが手にしている「平和」を唱えているだけでは彼らには何のメッセージにもなりません。政治家には彼らの「不幸」が何に発するのかの究明とその解消に真剣に取り組ん欲しいし、大人たちは彼らが求める「魅力」の実態がどれほど醜く歪んでいるかを示す努力を惜しんではならないと思うのです。

写真: 朝日新聞








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by LOVE-ALL-LIFE | 2014-10-13 17:01 | 時事・社会 | Comments(0)

「イスラム国」

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幸福の定義に、「自分にないものを求めるのではなく、いま手にしているものを愛おしむことのできる人は幸せ。」という言葉があります。
この言葉をアングルを変えて、「不幸な人はいま手にしていないもの求める。」という言い方が成り立つかのような出来事が、近ごろ物議をかもしています。平和の国日本の若者の「イスラム国]参加計画です。

何が「イスラム国」建設などという過激な動きを生んだのか、その背景は何か考えあぐねている大人たちをよそ目に、まるで台風接近の高波にサーフボードをもって浜辺に向かうかのような気軽さで、これといった大義もなしに、ただ人殺しの場に身を置いてみたいというような乱暴なというか、単純な動機で「戦地」へ出かけていく若者たちがいます。
彼らにとって「平和」や「安全」はあまりにも当たり前の日常なので、空気の存在を意識することがないように、平和であることを有り難く感じることも、改めて求めることもないのでしょう。
一方彼らは日本にいる限り「戦争」は決して手にすることのできないものであり、それ故に彼らの目に魅力と映るのでしょうか。

何人かの「戦士」が新聞などのインタビューに応じた言葉を拾ってみると、
「戦争に関心がある、気が済んだら帰国する」
「趣味を満足させるために戦闘に参加する。死ぬ気はない。気が済んだら帰る」
「就職活動がうまくいかなかった」「生きるか死ぬかの勝負がしたかった」
「極限状態で戦いたい」
「思想や宗教的な理由はない。ただ強い相手に力試しをしたかっただけ」
「戦場にいるのは、敵でも味方でも、戦うことを選んだ人たち。それを殺すのがいいか悪いか、問うことに意味はない」

これらの言葉のなんと気軽で、身勝手で、無責任で、想像力や思考力の欠けてることか。「命をかけた自分」に酔いしれた狂気というほかありません。
「戦闘」に身を置いたことはないものの、空襲、焼け跡、近親者の戦死、空腹が人々をどれほど醜く卑劣にするかなど、戦争末期の悲惨を重苦しい時代の空気とともに吸い込んだ子ども時代の体験をもつ身としてはただ怒りとあきれしか感じることはできません。

それにしても、なんでこんな若者たちを生んでしまったのだろうか。
70年ほども経って「戦争の実像や悲惨」にも老化現象ともいえる経年疲労およんでいるのではないかという疑念であり、年長者の努力不足という反省であり、アプローチの仕方にどこか欠如しているところがあるのではないかという思いです。
「不幸な人はいま手にできないもの求める」に戻るなら、いま彼らが手にしている「平和」を唱えているだけでは彼らには何のメッセージにもなりません。政治家には彼らの「不幸」が何に発するのかの究明とその解消に真剣に取り組ん欲しいし、大人たちは彼らが求める「魅力」の実態がどれほど醜く歪んでいるかを示す努力を惜しんではならないと思うのです。


写真: 朝日新聞








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by LOVE-ALL-LIFE | 2014-10-13 17:01 | 時事・社会 | Comments(0)

積極的平和主義

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昨日、新聞の片隅に「ノーベル賞平和賞、憲法9条急浮上」という記事を発見して、うれしい衝撃をうけました。

ひとりの主婦の発案で、「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会というグループが受賞に向けて熱心に署名運動をしているといことをうっすら知っていましたが、「いいアイディアだな」「すばらしい夢だな」くらいに感じていていました。ところが夢は正夢になるかもしれないというのです。

記事によると、的中率の実績があるオスロ国際平和研究所(PRIO)が、2014年のノーベル平和賞予測で「憲法9条を保持する日本国民」がトップに躍り出たと報じているのです。また「中立や不可侵、平和主義につながる原則を掲げる憲法9条は、軍事的な紛争解決が多用される昨今において重要にもかかわらず、十分に光が当たっていない」とのPRIO所長のコメントも添えられています。(朝日新聞10月4日)

安倍首相が唱える「積極的平和主義」なるものに、ずーっと違和感をもってきました。
なぜなら彼は国家の安全と平和を維持するには仮想敵国からの侵略に対してそれ相応の軍備を蓄え力を保持する「積極的な」姿勢が必要と言います。
そしてこんなことは国際社会では当たり前のことで、このことを束縛する「9条」は変えなければならないとの思いのようです。
たしかにこれは常識なのでしょう。だって世界中の国がそういう発想をもっているからこそ、古今東西、地球上での紛争や戦争が絶えないわけですから。
当方の安倍さんへの違和感は、世界で唯一戦争はしないとの国是をもった国だからこそ主張できる「平和主義」があるはずだ。我が国の指導者にはそれを国連で、サミットで、堂々と主張して欲しい。それは「力」に頼る平和主義であるはずがないと言う気持ちです。

「憲法9条にノーベル平和賞を」はある意味で理想主義かもしれません。でも、いまわれわれが人類の財産としているものはすべて「理想」から生まれたものではないでしょうか。そしてそれはこの世の憎しみ、裏切り、偽りの総量を上回るに違いありません。
もしPRIOの予測が実現すれば、それは日本の子供たち、いや世界中の子供たちに「世界平和とは何か」を考えるまたとない教材を提供するという意味において、未来の世界平和への希望の光となるであろうと思うのです。

ところで、もし予測が実現すれば、安倍さんは日本国民の代表として授賞式にどんな面さげて出席するのかしらん。







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by LOVE-ALL-LIFE | 2014-10-05 13:13 | 時事・社会 | Comments(0)