HAND & SOUL

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段ボールの上のワンダーランド

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「えっ、これでも春?」というような薄ら寒い曇天がつづくなか、ぽっかりと陽光を得た先週の土曜日、三浦半島で最も高い大楠山の山懐の有機農園で開かれたフォトスタジオのワークショップに参加しました。

フォトスタジオといってもかっての写真館風のものとは打って変わった、米国西海岸のリゾートハウスのような開放的な空間で、若いファミリーが勝手気ままに楽しむ自然な姿をパチパチとデジカメに収めるといった、機材の進歩がもたらしたビジネスモデルで近頃人気のスタジオの3周年記念行事のお手伝いとしての参加です。
当方のお役目は、段ボールの台紙にいろいろな素材を貼付けて絵をつくるコラージュづくりのワークショップの指導です。
70組ほどの参加ファミリーはほとんどが未就学児連れのパパママやおじいちゃんおばあちゃんの小グループで、以前このフォトスタジオで撮影したお客さんたちですが、彼らはまた子どもの成長につれてリピーターとなるであろうお得意さんでもあるわけです。

イベントの企画の段階では「コラージュ? 何それ」といった戸惑いの声もありましたが、「大丈夫、子どもはみんな表現の天才なんだから」と当方が意見を出してやることが決まりました。
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色紙、各種テープ、リボン、新聞紙、、ボタン、種といった用意された材料の他に、子供たちは葉っぱや、小木片や、ドングリなどを周りの自然から探してきてはベタベタと遠慮なく台紙に貼付けます。接着材として用意したボンドも歯磨きのようにひねり出して白い山をつくり、小枝を貼付けるだけではもの足りず台紙に穴をあけて垂直に立ててしまったりと遺憾なく天才ぶりを発揮します。
なかでも3歳のユカちゃん(仮称)は、摘んできたたタンポポの花を台紙に貼付けましたが、そこへミツバチが飛んできて止まって動かず、作品の一部に成り済ましたのには、なんでもありのコラージュの極地を見る思いでした。

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こうした子供たちの奇想天外な発想や大胆さは、教育を受け、分別をもち、社会性が身につき、大人になるに連れて先細っていくのが常です。
小林秀雄は真の芸術家は大人になっても幼児性を失わないものだと言っていますが、天才ならぬ分別臭い凡人が天衣無縫な幼児性を取り戻す、いわば逆教育といったものがあり得るのだろうか、この二律背反を一身に併せ持つとはどういうことかと考えてきて、ハッと「これこそがデザイナーにとって最も大切な資質ではないか」と気づきました。なぜならデザインとは合理性と感性、用と美を、ひとつのもののなかに同時に実現する行為だからです。

段ボールの台紙をワンダーランドに変えてしまった、あの子供たちの才能がいつまでも消え去らずにいて欲しいと祈らずにはいられません。








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by love-all-life | 2015-04-22 11:44 | 文芸・アート | Comments(0)

ある小さなスズメの記録

バアバが買って来た何冊かの本の中から、何気なく一冊を抜き出して読んだら、それが実に驚くべき内容だったので、ご紹介することにしました。
「ある小さなスズメの記録」クレア・キップス著/梨木香歩訳/文春文庫で、副題の「人を慰め、愛し、叱った、誇り高きクレランスの生涯」が示すように、巣から路上に落ちて瀕死の生まれたての小スズメを拾った英国人女性が、家で介抱したことがきっかけで始まった、ピアニストで寡婦のクレア・キップスと障害のある小スズメの同棲生活の記録です。

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後にクレランスと名付けらるこの小スズメは羽と足に障害があり、多分生き延びることはできないとの親鳥の判断で巣から故意に落とされたらしいのです。
自宅の玄関先に赤ん坊が置き去りにされていたら見捨てるわけにはいかないといった気持ちから、クレアはスズメを拾い上げ、温かいフランネルで包み、閉じたままのくちばしにマッチ棒の先端をそっと差し入れて開いたままの状態にし、小さなのどから数分ごとにわずかのミルクをたらし込むという作業を忍耐強くつづけるうちに、スズメは少しづつ命の証しを表し始め、翌日になると餌をねだるまでに回復します。
三日目になると、それまで閉じたままの出目に裂け目ができで両眼を開きました。彼はまだ鳥というものを見たことがなかったので、目前にいるクレアを何の疑いもなしに自分の保護者として自然に受け入れます。
それ以来、彼はクレアの枕の上に置いた古い毛布の手袋の中で眠り、夜明けにチュンチュン騒いでクレアの髪の毛を引っ張って起こしては、朝食をせがむまでに元気になります。

クレアはいずれ彼が元気になったら外へ放してやるつもりでしかが、左の翼が十分に機能しないことが明らかになり、羽をバタバタさせ這い回ったり、ピョンピョンと跳び歩くことしかできないので、野生化への試みは断念せざるを得ませんでした。
そのようにして始まる彼らの日常はこんな具合です。
「彼が自分で食事ができるようになると、すぐに私は安全な部屋の中に彼を残して出かけた。室内の隅には、食べ物とミルクを置いておいた。彼はほどなく私の声や足音、ドアの鍵を開ける音すら聞き分けるようになり、私が帰ると大騒ぎで出迎えた。彼のいる部屋のドアを開けた途端、文字通り飛ぶような勢いでやってきて、興奮気味にしゃべりたてながら私の脚をよじ登り、膝を越え、肩へと到達、最後に私の顎や襟のなかに潜り込むのだった。」

ここまでなら、上手に飼いならした愛鳥と飼い主の関係でも起こりうる話といえなくもありませんが、やがて彼は芸を覚え、ヘアピンを引っ張る綱引きを演じたり、トランプカードを使った手品など演じて、第二次大戦のドイツ軍の空襲下で殺伐としたロンドンの街でちょっとした有名人(?)となり、とりわけ子供たちの人気の的でした。さらに彼は音楽家としての才能を開花させます。ピアニストのクレアが弾くピアノに合わせて歌うのです。それは単なる小鳥のさえずりを越えた音楽的意味のある声でした。

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こうした見せ物的なびっくりするような才能に加えて読む側に感動を呼び起こすのは、クレアとクレランスの感情的、心理的、精神的な関係でしょう。彼らは慰め合い、喜び、疑い、嫉妬し、励まし合う、お互いがお互いを必要とする人間同士のようです。
やがてクレランスは老い、輝いていた数々の能力が失われていき、最後はクレアの手のひらの中で小さな一声を残して12年の生涯を静かに閉じるまでを克明に綴った本書は、奇跡というものの存在証明でもあるかのように感じられます。


ところでわが家では6年来二羽のジュウシマツを鳥籠で飼っています。人を恐れることはありませんが、家人は毎日餌をやり、水を取り替え、ときどき声をかけ、鳥たちは応ずるような応じないような間柄です。
クレアのクレランスについての記録を読んで以来、恐らくこのジュウシマツたちの体内にも秘めた感情、知力、数々の能力が潜んでいるに違いないと思うと、何だか彼らにとても気の毒なことをしているように感じ、彼らは退屈しないのだろうか、嬉しいのだろか、悲しいのだろうか、幸せなのだろうか、考え込んでしまいます。

写真:本書より







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by love-all-life | 2015-04-01 00:03 | 文芸・アート | Comments(0)