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HAND & SOUL

刺激と感動


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息子の家族がアカデミー賞3部門をとって話題の映画「アバター」を観てきました。帰ってきたときの反応はというと、出かけるときの大騒ぎに比べて、小学生の孫たちは久しぶりにママに映画に連れて行ってもらったことの嬉しさの余韻を残してはいるものの高校生の長男と大人たちの反応は「疲れた・・・」というものでした。
ヤッパリ。
というのも、瞬間的に吉田直哉さんがかって書いていた話が思い出されたからです。

NHK の才能を代表するディレクターで2年前に他界された吉田直哉さんはテレビドラマやドキュメンタリー番組に従来の概念を超越した新しい手法を開発して映像文化の発展に大きな足跡を残した人です。
彼はNHKの最初の大河ドラマ「太閤記」を演出しましたが、その冒頭が当時まだ新しかった新幹線の走りのシーンだったので、番組担当の人たちが何かの間違いと思い一時騒然となったという逸話がのこっています。

デザイナーの矢萩喜従郎さんとの共著で「<映像の時代>を読み解くためのヒント」と副題のついた随筆集「森羅映像」(1994)のなかに吉田さんのこんな文章があります。

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近年映像技術の発達で立体映像を体験する機会も少なくないが、いつも「何のために?」という疑問がつきまとう。そしてそういう映像を見て驚くことはあっても感動するということがないのは何故なんだろうと考えてみた。平凡のようだが、理由はこの世が三次元で成り立っていることにあるのではないだろうか。「洋の東西を問わず絵画の歴史は、身のまわりの三次元の世界をいかにして二次元に写すか、その工夫と苦闘の歴史であった。ところが、科学技術の進展の結果、三次元のまぼろしを現出する方法が出現しはじめた。これは面白い、と立体の映像を創作して提出してみても、それは客にとって有難迷惑なだけなのではあるまいか。二次元で描かれたものから三次元に復元するために大脳を使う、無意識の楽しみすら奪われるからである。」
目でとらえた平面の視覚情報を人間の脳が立体に再構築して読み解く作業が「鑑賞する」ということではないか。立体映像はそういう「鑑賞の楽しみ」を奪ってしまうものではないかと言っているのです。
この話は、アナログ時代の視覚映像の世界に関わってきてたものの、デジタルの大波をサーフするにはもはや体力的に無理と感じていたジイジにとっては我が意を得たりでした。

「アバター」の強烈な視覚刺激シャワーで満身創痍になった息子家族の疲れ切った顔を眺めながら、手のひらに包んだ石の感触で人の心を察し合うという古人の知恵に再び思いを馳せました。
by love-all-life | 2010-03-16 18:00 | 時事・社会