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HAND & SOUL

4年に一度の愛国者


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ピョンチャンの冬期オリンピックも、羽生選手が待ちに待った金メダル、宇野選手が銀メダルの結果に大部分の日本人がホっと肩をなで下ろしたことでしょう。

自由時間がたっぷりある当方のような隠居組はテレビの前に座り込み、自分とは別世界の躍動する肉体(もっとも冬期は筋肉の動きまで鑑賞することができませんが)や超人的な美技を堪能しています。
楽しみをそれだけに止めておけばよいものを、毎度のことですが、大きな国際大会となるとマスコミが景気のよいい下馬評で、メダル20個だ、金メダル何個だと騒ぎ立てるものですから、ついその気になって日本選手の技に熱い目線を向けることになりますが、期待をかけすぎて歯ぎしりする場合が多くなりがちです。
外国選手が次々と実力以上の成績を出すなかで、とれると言われていたメダルがとれずにうなだれる日本選手に、メダルを逃してもしかたがないが、せめて自己最高の成績を出せないのか、「なぜ日本人は本番に弱いのだ」などと、可愛さあまって憎さ百倍といった、歪んだ日本贔屓現象をおこしたりしています。
オリンピックに限らずサッカーでも野球でもスポーツの国際試合となると、誰かから頼まれたり強制されたわけでもないのに誰でもがためらいなく愛国主義者になってしまうのはどうしてなのだろう?

自国を愛する気持ちというのは,元を正せばは自己愛から生まれてくるのだ聞いたことがあります。人間だれでもまず自分の幸福を願い、その次に家族や友人の幸福を願う。また他人であっても、自分と共感したり安全や利害を共有し合う人に愛着を感じ、その人たちの幸福をほかの人の幸福より優先し、すすんで犠牲をう払うようにもなる。そういう愛着に包み込まれる大きな単位が国という器であり、その中に帰属することに安心と安らぎを感じるというのです。
この国家への帰属意識は、裏を返せば自らが帰属しない国家と言うものがあって、これと比較したり、対抗意識をもつという意味を含んでいると言うことです。
また「国家」という言葉の定義を調べてみると、「一定の領土と国民と排他的な統治組織とをもつ政治共同体をいう・・・」(ブリタニカ国際大百科事典)とあり、「排他的統治組織」ということばに「対抗意識をもつ」という意味が含まれていることが分かります。この「対抗意識」こそがオリンピックの表彰式で上がる日の丸をみてわれわれが感動する所以なのです。

さらに「排他的」ということばには「対抗」よりさらに強い「敵」というニュアンスもふくまれているように思います。これが「愛国心」の怖さです。古今の政治家が強い支持を得ようと画策するのが[敵」をつくるという手段です。イラクを敵にして圧倒的支持を得た3.11後のG.W.ブッシュ、慰安婦問題の旗を決して降ろそうとしない韓国の為政者、アメリカの回りは敵ばかりと「アメリカファースト」を叫び続けるトランプ。いずれも自分の政治生命を長引かせるために「敵」を掲げることで国民の愛国心を煽ります。教科書にさかんに愛国心をちりばめようとする安倍政権にも同様の危うさを感じざるを得ません。


久しぶりのブログも相変わらずのボヤキ節になってしましましたが、誰でもが愛国心を持っていることは知っていますが、ひとの愛国心は[敵」であって、自分の愛国心は「正義」であるとしないで、ひとの愛国心にも敬意をはらうというようにはならないならないものか?・・・愛国心の対象をスポーツに止めておく以上の妙案はないものでしょうか。








by love-all-life | 2018-02-18 18:19 | 時事・社会