HAND & SOUL

カテゴリ:時事・社会( 79 )

生きるために、何でも作った。


「生きるために、何でも作った。」という小さな見出しに目を奪われました。新聞の片隅のその広告は「魂のモノ語り…シベリア抑留展」を告知するものでした。
コピーは「シベリアに抑留された日本人は、飢え、寒さ、過酷な労働と闘いながら、食器、衣類、娯楽用品…などさまざまなモノを作りました。生きて日本に帰る!その希望をつないだ作品の数々をご覧ください。」と続きます。

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1945年、第二次世界大戦で日本の敗戦が決定的になった時点で、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄して宣戦布告をし、多くの居留民を擁し日本軍が支配していた満州地区に攻め込みました。
駐留していた60万人ともいわれる日本軍兵士がソ連軍の捕虜となり、労働力としてシベリアに送られ、零下20度を超える酷寒の地で、食料・衣料をはじめとしてあらゆる物資が不足するなか、劣悪な衛生状態の収容所での生活を強いられ、1割に当たる6万人の抑留者が命を落としたとされます。
終戦時に小学3年であった筆者は戦後間もなく流行った[異国の丘」という歌謡曲を憶えています。この曲はシベリア抑留日本人の間で唄われ、シベリアからの引き揚げ者が、当時まだラジオ放送だったNHK「のど自慢」で唄って評判になりヒットしました。筆者は、その自らを奮い立たせようするようでいながらどこか哀調を帯びたメロディと歌詞を今でも思い出すことができます。
「魂のモノ語り展」の広告を見たとき、自分の体のどこかに記憶として残っている「シベリア抑留」のイメージが蘇り、道具も材料も乏しい環境のもとで、抑留者たちがどのような「モノづくり」をしていたのかに強い興味をそそられ、同時にそれらがどんな「モノ」だったか思い描こうとしました。
そして頭に浮かんだのが、無駄を一切省いた「シンプルこの上ない造形」のイメージです。食べるために、寒さを防ぐために、最小限の道具と材料を、最大の工夫と労力を尽くして、必要最小限の満足を満たすためのデザインといったものです。シェーカーの家具に近いようなものかなというイメージも少しありました。
そして展覧会場の平和祈念展示資料館(新宿住友ビル33階)に足を運びました。

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会場には、シベリアをはじめとして敗戦を海外で迎えた日本人が帰国を果たすまでの過酷な運命を示す写真や解説などの資料が、彼らが命をつなぐために作ったモノたちとともに展示されています。
それらは食器類や手袋や靴下などの衣類などの生活用具ですが、なかには火打石と糸くずの携帯用セットなどという、彼らの暮らしがどれほど不自由だったかを無言で語っているものや、麻雀や将棋の駒といったの遊具なども含まれています。
いずれも、満足な材料も道具も入手困難のなかで、よくもまぁこんなに器用につくったものだと舌を巻く出来栄えですが、思い描いていたシェーカーのモノとは大分異なったものでした。
おそらく彼らにとってそれらの「モノづくり」は、昼間の過酷な強制労働の対極にある、憩いと安らぎをもたらすかけがいのない営みであったろうと想像されます。その証拠が、つくられた用具の随所にみられる遊び心やユーモアのセンスです。
ある手提げ袋に施された刺繍はなつかしい赤提灯か屋台のおでん屋か、いずれ酷寒の地で夢見る極楽の世界でしょう。スプーンの柄にヌードを刻む手の感触に作者は至福の時を味わったのでしょうか。
家畜とそれほどかわらない過酷な日常のなかで、残されたわずかな自由時間に自らの手で「モノをつくる」ことは、彼らにとって人間らしさの証しであり、幸せと安らぎを得る、故国へ帰る希望の灯を点し続ける力の源泉となる営みだったのに違いありません。
抑留民にとってスプーンは命を繋ぐために不可欠な用具です。ところがそこにヌードを刻み込むことで、そのスプーンは単なる食器から生きる喜びをもたらすモノとなったはずです。
ここに「手でつくる」が故に「こころに届く」ものが存在するという関係が生まれるのです。

まさにHAND & SOULの典型の姿を見た思いでした。


資料:平和祈念展示資料館










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by love-all-life | 2018-04-21 21:32 | 時事・社会 | Comments(0)

4年に一度の愛国者


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ピョンチャンの冬期オリンピックも、羽生選手が待ちに待った金メダル、宇野選手が銀メダルの結果に大部分の日本人がホっと肩をなで下ろしたことでしょう。

自由時間がたっぷりある当方のような隠居組はテレビの前に座り込み、自分とは別世界の躍動する肉体(もっとも冬期は筋肉の動きまで鑑賞することができませんが)や超人的な美技を堪能しています。
楽しみをそれだけに止めておけばよいものを、毎度のことですが、大きな国際大会となるとマスコミが景気のよいい下馬評で、メダル20個だ、金メダル何個だと騒ぎ立てるものですから、ついその気になって日本選手の技に熱い目線を向けることになりますが、期待をかけすぎて歯ぎしりする場合が多くなりがちです。
外国選手が次々と実力以上の成績を出すなかで、とれると言われていたメダルがとれずにうなだれる日本選手に、メダルを逃してもしかたがないが、せめて自己最高の成績を出せないのか、「なぜ日本人は本番に弱いのだ」などと、可愛さあまって憎さ百倍といった、歪んだ日本贔屓現象をおこしたりしています。
オリンピックに限らずサッカーでも野球でもスポーツの国際試合となると、誰かから頼まれたり強制されたわけでもないのに誰でもがためらいなく愛国主義者になってしまうのはどうしてなのだろう?

自国を愛する気持ちというのは,元を正せばは自己愛から生まれてくるのだ聞いたことがあります。人間だれでもまず自分の幸福を願い、その次に家族や友人の幸福を願う。また他人であっても、自分と共感したり安全や利害を共有し合う人に愛着を感じ、その人たちの幸福をほかの人の幸福より優先し、すすんで犠牲をう払うようにもなる。そういう愛着に包み込まれる大きな単位が国という器であり、その中に帰属することに安心と安らぎを感じるというのです。
この国家への帰属意識は、裏を返せば自らが帰属しない国家と言うものがあって、これと比較したり、対抗意識をもつという意味を含んでいると言うことです。
また「国家」という言葉の定義を調べてみると、「一定の領土と国民と排他的な統治組織とをもつ政治共同体をいう・・・」(ブリタニカ国際大百科事典)とあり、「排他的統治組織」ということばに「対抗意識をもつ」という意味が含まれていることが分かります。この「対抗意識」こそがオリンピックの表彰式で上がる日の丸をみてわれわれが感動する所以なのです。

さらに「排他的」ということばには「対抗」よりさらに強い「敵」というニュアンスもふくまれているように思います。これが「愛国心」の怖さです。古今の政治家が強い支持を得ようと画策するのが[敵」をつくるという手段です。イラクを敵にして圧倒的支持を得た3.11後のG.W.ブッシュ、慰安婦問題の旗を決して降ろそうとしない韓国の為政者、アメリカの回りは敵ばかりと「アメリカファースト」を叫び続けるトランプ。いずれも自分の政治生命を長引かせるために「敵」を掲げることで国民の愛国心を煽ります。教科書にさかんに愛国心をちりばめようとする安倍政権にも同様の危うさを感じざるを得ません。


久しぶりのブログも相変わらずのボヤキ節になってしましましたが、誰でもが愛国心を持っていることは知っていますが、ひとの愛国心は[敵」であって、自分の愛国心は「正義」であるとしないで、ひとの愛国心にも敬意をはらうというようにはならないならないものか?・・・愛国心の対象をスポーツに止めておく以上の妙案はないものでしょうか。








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by love-all-life | 2018-02-18 18:19 | 時事・社会 | Comments(3)

民主主義は民主主義か?

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長いこと生きているといろいろ得難い経験をするものです。
思わず「え〜マジかよ!」と若者のような声をあげてしまったのが、英国のEU離脱vs.残留の可否を問う国民投票の結果です。その上さらに驚いたのは、離脱の結果が出た直後から、勝った離脱側からの「あれは本心ではなかった」「私の票は無効にして」みたいな後悔の声がなんと400万にのぼりさらに今後増える見通しだというのですから、「ど−なってんの?」と言わざるを得ません。
議会制民主主義のお手本だった英国、理性的でスポーツとスマートなユーモアを愛でる紳士の国で起った騒動だけに、悪い冗談では済まされないインパクトがあります。

そもそもEUとは近代まで政治・思想・文化の面で世界をリードしてきたヨーロッパが,一方で骨肉の争いのような戦争を繰り返し、ついに大量殺人兵器よる二つの世界大戦の壊滅的な悲劇を味わった経験から、人類の英知をあつめて二度とあのような愚かさをくり返さない世界をつくろうという理想をかざして生まれた国際連盟や国際連合などの国際協調の流れのなからヨーロッパをの一つの国とする実験として発展的に機能してきたものと思っていました。

ところが今回の英国の騒動から明らかになったのは、はじめから分かっていたはずの各国の経済的な規模や事情の差異や加盟国に課せられる規制や制約に加えて、移民や難民の流入によって奪われる仕事や格差や治安の問題、さらには現政権への諸々の不満のはけ口として離脱派が勢いを得たということのようです。
それにしても、あまりにも性急で過激な結果ではないかというのが,遠く離れた日本に住むわれわれの率直な印象です。
しかしこの状況ついての我が国の治世者の関心がもっぱらお金の損得勘定に向けられていていささか悲しくなります。
この出来事がこれほどの不安感をわれわれに与えるのは、たんに損か得かということより、われわれが拠って立つ地盤が揺れるような根源的なものであるとどこかで感じるからではないでしょうか。それは民主主義とは何かという問いであり、国民投票というコトの決し方への疑問です。
民主主義というのは言うまでもなく、意見が対立した場合、お互いに議論を尽くし、どうしても折り合いがつかない時は多数決という手段で結論を出すというのが基本的なルールであり、より多くの意見がより正しい判断を下すという信念です。だからすべての国民が投票してコトを決する国民投票は究極の民主主義的な手段でるという考え方が定着していると思っていました。
ところが,今回の英国の国民投票の成り行きをみる限りとても民主主義が正しいカタチで機能したようには見えません。多分投票にいたる前にもっともっと長く深い議論が必要だったのでしょう。

英国人中の英国人ウインストン・チャーチルの言葉によれば…
「民主主義は最悪の政治形態らしい。ただし、これまでに試されたすべての形態を別にすればの話であるが。」
という警句を発しています。
つまり民主主義は他より少しはましな政治形態に過ぎないということなのでしょう。

さて、われわれ日本人は憲法9条とか原発とか沖縄といったなかなか結論が出せない重要な全国民的課題を抱えていています。そしてこれらをいずれは国民投票という方法で決着をつけざるを得ないと考えている人も少なくありません。
それなのに、この参院選で与党の陣営が逃げまくっているのがこれらのテーマについての議論です。やれやれ。
   
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by love-all-life | 2016-07-22 14:38 | 時事・社会 | Comments(0)

政治もデザインもフランスの勝ち!

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むかし図案と言われていたものがシンボルマークやロゴなどと呼ばれるようになり、近頃はもっぱらエンブレムという言葉が流行りになっていますが、さて、これは何のエンブレムでしょう?

このエンブレム、NHK BS1のドキュメンタリー「食料廃棄物ゼロにせよ」を観ていて初めてお目にかかりました。
深刻な格差や資源の枯渇などが問題視される一方で、世界中の食料生産量の1/3が捨てられている状況は許せないと、フランスではすべての大型スーパーに売れ残りの食料品の廃棄を禁じる「食料廃棄禁止法」が制定されました。番組では国が決めたこの思い切った制度に対応して、食品廃棄物ゼロをめざすスーパーやフードバンク、慈善団体などの取り組みが紹介されます。なかでも家庭から出るゴミは食品廃棄の最大のものとして、消費者の意識や,購買行動へのアプローチが示されますが、そのなかで紹介されるのがこのエンブレムなのです。

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このエンブレムは言ってみれば「キズもの」表示です。形の整ったアスパラガスは売れるが、曲がっていたり、キズがあると売れ残ります。そのような「キズもの商品」を値下げして、このエンブレム・シールを貼って「よい味を、無駄なく食べましょう」と呼びかけるのです。
日本でも「キズもの」は安売りの手法として定着していて、なかにはおせんべいをわざわざ割って「キズもの」として販売増進を謀るといった不純な手口もあるようです。
このフランスのエンブレムでは、「よいものを、無駄なく」と呼びかけて、消費者を地球市民とみる視点が、「キズもの商法」とはっきり異なっています。

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デザインは「少々の問題があるリンゴ」を擬人化したものですが、醜さをおかしさ・親しみやすさにすり替えた巧みなデザインで、日本にあふれるカワイイ系、癒し系ユルキャラの幼稚性は感じられなくて、ややシニカルな趣もただよっていて大人の心に触れるユーモアのセンスを感じます。
日本ではこのところのオリンピックのエンブレム騒動で、にわかに「デザイン」が広く一般の関心事となっているのは本来的には歓迎すべきことですが、ことの流れをみていると、公平・公正といった観点に話題が集中し、「デザインの世界も民主主義だぜ」みたいな空気なっていくのには違和感を覚えます。
ま、いまのデザイン界に誰もが認めるようなプロの不在を世間一般が何となく感じていて、そのフラストレーションの現れとみるべきでしょうか。

政治も、市民も、デザインも、「フランスって大人だなぁ」と感じた番組でした。


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by love-all-life | 2016-04-20 18:14 | 時事・社会 | Comments(0)

清貧の政治思想

4月1日。世の中、新しい年度がスタートしました。安倍政権は金さえあれば何でもできると史上最大の国家予算を懐に、安保法施行、国防費増強、ニッポン一億総活躍プラン、同一労働同一賃金と、強くて豊かな国づくりの演出に躍起です。
しかし一旦決めた消費税増税をやるのかやらないのか、そのおずおずした様子をみていると、やっぱり心の奥を支配する想いは「国民」より「選挙」なんだと思わざるを得ません。

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そんな年初の日の朝刊(朝日新聞)のなかで当方の心を捉えたのは前ウルグァイ大統領ホセ・ムヒカさんへのインタビュー記事「清貧の政治思想」でした。(www.asahi.com/opinion)
在任中も立派な大統領公邸を拒み小さな平屋に住み、愛車の1987年製のフォルクスワーゲンを駆る氏の発言は、地球の裏側のどこかの国の政治家に聞かせたい言葉に溢れています。

「『貧しい人』とは、限りない欲を持ち、いくらあっても満足しない人のことだ」

「生きていくには働かなくてはいけない。でもだけでは働くだけでの人生でもいけない。ちゃんと生きることが大切なんだ。たくさん買物をした引き換えに、人生の残り時間がなくなってしまっては元も子もないだろう。簡素に生きていれば人は自由なんだよ」

「私たち政治家は、世の中の大半の国民と同じ程度の暮らしを送るべきなのだ。一部特権層のような暮らしをし、自らの利益のために政治を動かし始めたら、人々は政治への信頼を失ってしまう」

「怖いのは、グローバル化が進み、世界に残酷な競争が広がっていることだ。すべてを市場とビジネスが決めて、政治の知恵が及ばない。まるで頭脳のない怪物のようなものだ。これはまずい」


そして、
「日本のいまを、よく知りたいんだ。世界がこの先どうなるのか、いま日本に起きていることのなかに未来を知る手がかりがあるように思う。経済も技術も大きな発展をとげた働き者の国だ。結局、皆さんは幸せになれたのですか、と問うてみたいな」


さて、随分ご無沙汰してしまった当ブログですが、HAND & SOULがいまだこの世に存在するかいぶかる向きもお有りかと思いますので、ジイジ・バアバ二人合わせて精神年齢20歳、実年齢160歳のパワーはいまだ健全であることをご報告するとともに、「清貧」という日本語の美しい響きにかぎりない共感を寄せ続けたいと思っています。
この2月末には青山のタンバリンギャラリーにて6回目のHAND & SOUL展を催し、5月の開店8周年を期して、店の外壁の塗装を行い心機一転、あたかも新しいランドセルを手にしたような若やいだ気持ちで張り切っております。
今後ともによろしくお引き立てのほどを・・・・。
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by love-all-life | 2016-04-01 18:35 | 時事・社会 | Comments(1)

舌を刺す

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「舌を刺す」という言葉を知ってる?と家人に聞いたら誰も知りません。
ではとパソコンの国語辞典に聞いても「国語辞書に一致する情報は見つかりません」と相手にしてくれません。
「えッ、そんな馬鹿な・・・腐敗しそうな食べものを口に入れたときにピリっと舌にくる、あの感触だよ」と
言ってみたものの、そもそも近頃では腐敗しそうな食べ物を口にすることなどないのだと気づきました。

そう「舌を刺す」という言葉は少年時代の戦後の食料不足の思い出と直結します。
美味しいもの、新鮮なものなどと贅沢は言っていられません。「食べられれば食べる」というのがあたりまえのことでした。冷凍庫も冷蔵庫もなし、まして賞味期限などいう言葉なんてだれも知りませんでした。
魚はその日その日に魚屋の店頭でハエを追い払いながら買って来たものを晩に食べるのが当たり前のことで、当然日を越すと腐敗が始まります。それでも残った食料を捨てるということは極力しないで食べます。そんなとき母親が「舌を刺したらやめなさい」と言うのです。
だから子どもにとって「舌を刺す」は、自らが下痢や腸チフスのリスクから逃れるための大切なサインであったわけで忘れようもありません。
ちなみにジイジより二つ年長のバアバに聞いたら「知ってるわよ」と、なんでそんなこと聞くのと怪訝な面持ちです。

相変わらずの昔話をもち出したのは、このところの廃棄食品問題のニュースを見聞きする度に、おだやかな気分でいられないからなのです。
廃棄物処理業者が廃品として受け取ったものを食品と偽って流通するのは廃棄物処理法に反するというのです。
それはそうだが、その後の議論がともすると食品安全管理の見地から、このような手口が起らないようにするには、といった方向に動いていくのをみてちょっと違うんじゃないの?と言わざるを得ません。

このような事件を誘発する原因は、かくも大量の食品が廃品業者に流れることだが、何と言ってもその根幹はあまりにも多くの食べ物を捨てるという世の中のあり方が問題なのではないか。
国内で出る食品の産廃は年間250万トンにも及ぶと聞いてもそのスケールの大きさにはいまいちピンときませんが、その一因とされる食品業界の「3分の1ルール」というのを知ると驚きです。
製造から賞味期限までの3分の1を過ぎた商品は小売店へ納品できず、小売店は3分の2を経過した時点で店頭から下げるという商習慣が存在するのです。
賞味期限というのは、知ってのように美味しく食べられる期間という意味で、その食品が食べられなくなる期限ではありません。つまり日本では食べ物は美味しいうちに捨てるというのが食品業界の暗黙のルールだというのです。
捨てられたものを食品と偽って売るのもいけないが、食べ物は美味しいうちに捨てなければいけないというのも、同じように良くないことではないか。
ただ、廃品業者の方は法律に違反するので対処は比較的簡単ですが、一方賞味期限は食の安全、消費者の健康のためといった大義名分があるので簡単に悪者にしてしまうにはためらいます。

それにつけても、飢えた幼児がティシュを口にする母子家庭の話、食費に事欠いて1日2食で我慢する多くの非正規雇用サラリーマン・・・・、王侯貴族の食卓と敗戦直後の貧困が同居するこの不条理な社会を生み出したのは誰か?
その責任は国民みんなでシェアすべきものですが、その先頭にいるのが金、金、金のシュプレヒコールのもと、アベノミックスとやらの錦の御旗を振りかざす品のない為政者だとなると、つい「舌を刺す」感覚が蘇ってきてしまうのです。
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by love-all-life | 2016-01-27 00:15 | 時事・社会 | Comments(0)

自然は恵みか災いか

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北関東の記録的豪雨で河川の決壊などにより、またしても自然災害の過酷さをいやというほど見せつけられました。
資源の乏しい日本で唯一といってもいいほどの豊かさを享受している水資源の、普段とは全く異なった恐ろしい姿です。
緑豊かな起伏に富んだ国土、清らかな水の流れ、変化に富んだ四季折々の表情。こういったわれわれが日頃誇りに感じている自然の恵みは、一方でどれも災害の元凶でもあり得ることを再認識させられます。

以前住んでいた米どころの中越・長岡では、5月に入ると田んぼに水を引きます。市街地近くの台山に登って見下ろすと、長岡は見渡す限りの水面が広がって市街地が水にぽっかり浮いたようになり、それはまるでヴェニスのようで、毎年その景色を愛でるのを楽しみにしていました。
ところがマスコミが報じる今般の災害の遠景写真は(こういう見方は不謹慎と思いながらも)、あの5月連休のころの長岡の高地からの眺めとそっくりなのです。
一方は豊かな実りを秘めた希望の水、もう一方は人の暮らしを破壊する災いの水です。
「文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその激烈の度を増す。」とは寺田寅彦の言葉です。
河川の決壊による濁流のなかに点々と沈む数えきれないほどの自動車が、その言葉の今日性を感じさせます。


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一昨日こんなことがありました。
早朝、「すわッ、首都直下型地震!」と一挙に目を覚まし、「な〜んだ…」と、早く目覚めた分だけいつもよりのんびりゆっくりと裏山の神社のラジオ体操へ向かいました。
6時半からの体操は、机の上の携帯ラジオから流れる号令に合わせて老男老女が身体を動かすのですが、この日ラジオはずーっと「マチダ震度5弱、ヨコハマ震度4、・・・」と地震速報をやっていて、6時半になっても一向に終わりません。一同一瞬顔を見合わせました。と、誰かがラジオ体操第一の動きを始めたのです。するとそれ合わせて皆が「カワサキ震度4、チバ震度3・・・」の声に動ぜず黙々とラジオ体操第一、第二を規律正しく無事やり終えたのでした。
自然災害なれした近頃の世相の一こまと言うべきか、百戦錬磨の老男老女ならではの胆の坐りなのか、とても不思議な体験でした。

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自然災害はいつかはわが身に降り懸る。それは多分想定以上のものだろうという覚悟をもちながらも、できる備えはする。今日まで当事者でなかったことを感謝しつつ、自然の恵みも戒めも甘受するということでしょうか。











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by love-all-life | 2015-09-13 20:02 | 時事・社会 | Comments(0)

政治家の言葉

安倍首相が「積極的平和主義」とう言葉を掲げて以来ずーっと違和感をもってきました。
この言葉と抱き合わせに持ち出される集団的自衛権や抑止力という言葉との整合性がつきかねるからです。
ところで今朝の新聞で「積極的平和主義」の提唱者であるノルウェーのヨハン・ガルトゥング氏のインタビュー記事を読んで、ひっかかっていたもやもやがすっきり晴れた感じです。

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「積極的平和は平和を深めるもので、軍事同盟は必要とせず、専守防衛を旨とします。平和の概念が誤用されています。」

「参院で審議中の安全保障関連法案は、平和の逆をいくものです。成立すれば、日本は米国と一致協力して世界中で武力を行使していくことになるでしょう。そうなれば、必ず報復を招きます。日本の安全を高めるどころか、安全が脅かされるようになります」

「日本外交の問題は、米国一辺倒で政策が硬直していることです。創造性が全くありません。」

「軍縮を訴えているのに、軍縮を実現するために必要な国際問題の解決策を打ち出そうとはしません。」

実に明快で、まさに快刀乱麻です。(全文:8月26日付け朝日新聞<インタビュー>「積極的平和主義の真意」)

政治家の命が言葉であることは言うまでもありませんが、安倍首相は、「中国が攻めてくるぞ」という類いの脅しと、この積極的平和主義にしても、安全保障法案を平和安全法案と言ってみたりといった、「平和飾り」のついた語句を繰り返すばかりです。
それで人々の「安保関連法案」への理解を得ようとしてもそれは無理というものです。




政治家の発した、心に響く、忘れられない言葉があります。

我が国の魂、それは「自然」「愛」です。
「愛」の対象はつねに「自然」に向けられています。
それらは古い伝統や芸術に生きています、そして、現代にも受け継がれています。
しかし、「自然」と「愛」はいずれも傷つきやすく、いつも悲しみと痛みがあるのです。

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 ランズベルギス (リトアニア国家最高議長)









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by love-all-life | 2015-08-26 13:43 | 時事・社会 | Comments(0)

第3回 ピースパレード in かまくら

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「安保関連法案に反対するピースパレードin かまくら」第3回の日程が決まりました。9月6日です。
第1回目の参加者は500人、第2回目は600人、呼びかけ人も697人となり、ますます意気盛んです。

われわれに選ばれた首相がわれわれの意に背く行動をとるとき、それを正すに座して次の選挙を待つわけにはいきません。
いま大きな声を上げましょう。








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by love-all-life | 2015-08-22 08:49 | 時事・社会 | Comments(0)

暑い夏

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どうやら安倍首相にとっては、日本国民の叫びより米国議会での口約束のほうが大切らしい。
安保関連法案について、世論の動向がどうあろうと、自分自身でも国民の理解が進んでないことを自覚していようと、9月の立法化はだけは絶対視する強引さをみているとそう思わざるを得ません。

米国の9.11からイラク戦争までのブッシュ大統領のやり口をみて「あぁ、戦争というのはこうして始まるのだ」と思ったものです。敵をつくり、相手の悪意をねつ造し、恐怖をあおり、正義と愛国心に訴える・・・。でもあのときは(ウソの情報によるものだったにせよ)少なくとも国民の圧倒的支持がありました。
でも今回の日本のゴタゴタでは、議論を重ねれば重ねるほど国民の支持は遠のいていってます。議論を重ね、説得によって国民の心をつかむのが真っ当な政治家というものではないでしょうか。私たちはたへんなリーダーを選んでしまったものです。
次の選挙が待ち遠しいわけですが、それもすぐにはやってこないとなっては、当面できることと言えば、小さくともひとり一人の肉声を結集して、安倍政権が国民の支持を失ったことを世界に知らしめることでしょう。

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ということで、7月11日に「安保関連法案反対ピースパレードin かまくら」に参加しました。
遅梅雨の合間の嘘のような晴天に恵まれて500名のパレードが鎌倉で肉声を挙げました。ボクにとってこのような政治行動は生まれて初めてのことです。子ども時代に戦争末期・戦後の空気を吸ったものとして、もう傍観者ではいられないという気持ちです。
今日、法案は衆議院を通過しました。法案阻止は容易なことではありません。しかし実行委員会ではまだ2回、3回を計画しています。憲法によって不戦を誓った国民の平和を希求する心を世界に示すには「この夏までに」はありません。





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by love-all-life | 2015-07-16 23:40 | 時事・社会 | Comments(0)