HAND & SOUL

生きるために、何でも作った。


「生きるために、何でも作った。」という小さな見出しに目を奪われました。新聞の片隅のその広告は「魂のモノ語り…シベリア抑留展」を告知するものでした。
コピーは「シベリアに抑留された日本人は、飢え、寒さ、過酷な労働と闘いながら、食器、衣類、娯楽用品…などさまざまなモノを作りました。生きて日本に帰る!その希望をつないだ作品の数々をご覧ください。」と続きます。

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1945年、第二次世界大戦で日本の敗戦が決定的になった時点で、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄して宣戦布告をし、多くの居留民を擁し日本軍が支配していた満州地区に攻め込みました。
駐留していた60万人ともいわれる日本軍兵士がソ連軍の捕虜となり、労働力としてシベリアに送られ、零下20度を超える酷寒の地で、食料・衣料をはじめとしてあらゆる物資が不足するなか、劣悪な衛生状態の収容所での生活を強いられ、1割に当たる6万人の抑留者が命を落としたとされます。
終戦時に小学3年であった筆者は戦後間もなく流行った[異国の丘」という歌謡曲を憶えています。この曲はシベリア抑留日本人の間で唄われ、シベリアからの引き揚げ者が、当時まだラジオ放送だったNHK「のど自慢」で唄って評判になりヒットしました。筆者は、その自らを奮い立たせようするようでいながらどこか哀調を帯びたメロディと歌詞を今でも思い出すことができます。
「魂のモノ語り展」の広告を見たとき、自分の体のどこかに記憶として残っている「シベリア抑留」のイメージが蘇り、道具も材料も乏しい環境のもとで、抑留者たちがどのような「モノづくり」をしていたのかに強い興味をそそられ、同時にそれらがどんな「モノ」だったか思い描こうとしました。
そして頭に浮かんだのが、無駄を一切省いた「シンプルこの上ない造形」のイメージです。食べるために、寒さを防ぐために、最小限の道具と材料を、最大の工夫と労力を尽くして、必要最小限の満足を満たすためのデザインといったものです。シェーカーの家具に近いようなものかなというイメージも少しありました。
そして展覧会場の平和祈念展示資料館(新宿住友ビル33階)に足を運びました。

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会場には、シベリアをはじめとして敗戦を海外で迎えた日本人が帰国を果たすまでの過酷な運命を示す写真や解説などの資料が、彼らが命をつなぐために作ったモノたちとともに展示されています。
それらは食器類や手袋や靴下などの衣類などの生活用具ですが、なかには火打石と糸くずの携帯用セットなどという、彼らの暮らしがどれほど不自由だったかを無言で語っているものや、麻雀や将棋の駒といったの遊具なども含まれています。
いずれも、満足な材料も道具も入手困難のなかで、よくもまぁこんなに器用につくったものだと舌を巻く出来栄えですが、思い描いていたシェーカーのモノとは大分異なったものでした。
おそらく彼らにとってそれらの「モノづくり」は、昼間の過酷な強制労働の対極にある、憩いと安らぎをもたらすかけがいのない営みであったろうと想像されます。その証拠が、つくられた用具の随所にみられる遊び心やユーモアのセンスです。
ある手提げ袋に施された刺繍はなつかしい赤提灯か屋台のおでん屋か、いずれ酷寒の地で夢見る極楽の世界でしょう。スプーンの柄にヌードを刻む手の感触に作者は至福の時を味わったのでしょうか。
家畜とそれほどかわらない過酷な日常のなかで、残されたわずかな自由時間に自らの手で「モノをつくる」ことは、彼らにとって人間らしさの証しであり、幸せと安らぎを得る、故国へ帰る希望の灯を点し続ける力の源泉となる営みだったのに違いありません。
抑留民にとってスプーンは命を繋ぐために不可欠な用具です。ところがそこにヌードを刻み込むことで、そのスプーンは単なる食器から生きる喜びをもたらすモノとなったはずです。
ここに「手でつくる」が故に「こころに届く」ものが存在するという関係が生まれるのです。

まさにHAND & SOULの典型の姿を見た思いでした。


資料:平和祈念展示資料館










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# by love-all-life | 2018-04-21 21:32 | 時事・社会 | Comments(0)

HAND SCRATCHED AND BUILD 展

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桃の花の季節となると渋谷神宮前のタンバリンギャラリーでのHAND & SOUL展が恒例となっていました。
最初の年がバアバこと内藤三重子のお雛様の展示だったためで、翌年からジイジも加わって二人で6年続けて画廊の最年長者展示の記録を保持してきました。
昨年のお正月にジイジが腰の怪我をして急遽キャンセルしていただき、今年はぜひと思っていたのですが、一度蹴つまずくとなかなか立ち上がれないのが年寄りのつらいところで、二人揃って遊びに出かける回数より病院に行く回数の方が多くなるとか、理由はいろいろつけられますが、要は「面倒くさい病」にかかってしまったということでしょう。
長年のお付き合いのギャラリーのご好意で「そんなら、グループ展ではどうですか?」とお誘いをいただき、それならと、手許にあるものや、作りかけの作品を慌てて仕上げて参加させていただくことになりました。
お仲間は5人、皆私たちの娘ほどの作家さんたちです。(私たちから見れば世の中の90%の女性は若い女性ですが、失礼…ほんとうの若い女性です)油の乗り切った勢いのあるペインター、版画、陶芸、立体造形と多彩な方たちです。

展覧会はすでに27日から始まっていて3月4日までです。3日の15時からレセプション・パーティがあって作家がみな揃います。もしおついではあればお寄りいただければ嬉しいです。近況報告を兼ねて・・・・

詳しくはタンバリンギャラリーのサイトをご覧ください。
http://tambourinsky.blogspot.jp/2018/02/group-exhibition-hand-scratched-and.html








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# by love-all-life | 2018-03-01 16:49 | 文芸・アート | Comments(0)

4年に一度の愛国者


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ピョンチャンの冬期オリンピックも、羽生選手が待ちに待った金メダル、宇野選手が銀メダルの結果に大部分の日本人がホっと肩をなで下ろしたことでしょう。

自由時間がたっぷりある当方のような隠居組はテレビの前に座り込み、自分とは別世界の躍動する肉体(もっとも冬期は筋肉の動きまで鑑賞することができませんが)や超人的な美技を堪能しています。
楽しみをそれだけに止めておけばよいものを、毎度のことですが、大きな国際大会となるとマスコミが景気のよいい下馬評で、メダル20個だ、金メダル何個だと騒ぎ立てるものですから、ついその気になって日本選手の技に熱い目線を向けることになりますが、期待をかけすぎて歯ぎしりする場合が多くなりがちです。
外国選手が次々と実力以上の成績を出すなかで、とれると言われていたメダルがとれずにうなだれる日本選手に、メダルを逃してもしかたがないが、せめて自己最高の成績を出せないのか、「なぜ日本人は本番に弱いのだ」などと、可愛さあまって憎さ百倍といった、歪んだ日本贔屓現象をおこしたりしています。
オリンピックに限らずサッカーでも野球でもスポーツの国際試合となると、誰かから頼まれたり強制されたわけでもないのに誰でもがためらいなく愛国主義者になってしまうのはどうしてなのだろう?

自国を愛する気持ちというのは,元を正せばは自己愛から生まれてくるのだ聞いたことがあります。人間だれでもまず自分の幸福を願い、その次に家族や友人の幸福を願う。また他人であっても、自分と共感したり安全や利害を共有し合う人に愛着を感じ、その人たちの幸福をほかの人の幸福より優先し、すすんで犠牲をう払うようにもなる。そういう愛着に包み込まれる大きな単位が国という器であり、その中に帰属することに安心と安らぎを感じるというのです。
この国家への帰属意識は、裏を返せば自らが帰属しない国家と言うものがあって、これと比較したり、対抗意識をもつという意味を含んでいると言うことです。
また「国家」という言葉の定義を調べてみると、「一定の領土と国民と排他的な統治組織とをもつ政治共同体をいう・・・」(ブリタニカ国際大百科事典)とあり、「排他的統治組織」ということばに「対抗意識をもつ」という意味が含まれていることが分かります。この「対抗意識」こそがオリンピックの表彰式で上がる日の丸をみてわれわれが感動する所以なのです。

さらに「排他的」ということばには「対抗」よりさらに強い「敵」というニュアンスもふくまれているように思います。これが「愛国心」の怖さです。古今の政治家が強い支持を得ようと画策するのが[敵」をつくるという手段です。イラクを敵にして圧倒的支持を得た3.11後のG.W.ブッシュ、慰安婦問題の旗を決して降ろそうとしない韓国の為政者、アメリカの回りは敵ばかりと「アメリカファースト」を叫び続けるトランプ。いずれも自分の政治生命を長引かせるために「敵」を掲げることで国民の愛国心を煽ります。教科書にさかんに愛国心をちりばめようとする安倍政権にも同様の危うさを感じざるを得ません。


久しぶりのブログも相変わらずのボヤキ節になってしましましたが、誰でもが愛国心を持っていることは知っていますが、ひとの愛国心は[敵」であって、自分の愛国心は「正義」であるとしないで、ひとの愛国心にも敬意をはらうというようにはならないならないものか?・・・愛国心の対象をスポーツに止めておく以上の妙案はないものでしょうか。








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# by love-all-life | 2018-02-18 18:19 | 時事・社会 | Comments(3)

今朝、庭で起ったこと


朝起きて庭に出ると、小枝に吊るした空のエサ台の下の地面にこぼれたわずかかなエサを探していたスズメたちがパッと飛立って、エサ台に新しいエサが入れられるのを上の枝で待つというのがいつもの日課になっている光景です。

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ところが今朝は一羽だけ残っているのがいます。おやっ大胆なヤツだなと、1メートルほどまでにに近づくと、あわてた風でもなく、こそここそと近くの隅の草むらに身をひそめます。さらに近寄っても逃げないでじーっとしています。怪我をしている風ではないが、どこか身体の具合が悪いに違いないようです。
生け捕りにするのは難しくなさそうだが、生け捕ったところでどう手当するか困るだけだろうし、そうだ、孫が飼っているジュウシマツの鳥籠に入れようかとも思ったのですが、もしこのスズメが細菌をもつ病気だったら、それはできないし・・・、ペットの病院に持ち込むほどの義理があるわけではないし・・・・、ま、少し様子を見ることにしました。
しばらくすると草陰からのこのこ出て来て、動きはやや緩慢ですが、地面のエサを啄んだり、蓮が植えてある瓶に登って水を飲んだりするので、そのうち元気を取り戻すかもしれないと少し安心して,庭で仕事をしていました。
そのうち真夏の太陽がジリジリと照り始めるとそのスズメは強い光線を避けて花壇の草の陰で身をひそめているようでしたが、こちらも仕事に気をとられて3時間ほど彼のことは忘れていました。
お昼近くになって、仕事の手を休めたときにふと思い出して、前いたところを見ましたが姿が見えません。自力で飛立って行ったのかしらと、ホッとしながらもちょっと寂しい気持ちで、さらに花壇の奥まで調べると、一番深い茂みの中にそのスズメが横たわって死んでいるのを発見しました。遺体にはすでにたくさんの蟻がたかっています。
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それは思いがけない大きな衝撃でした。なぜ最初発見した時に彼に死期が迫っていることを見抜けなかったのだろうか、なぜもっと真剣に救う手だてを考えなかったのだろうか、言いようもない悔悟の念と罪の意識を感じました。
心の動揺を抑えながら、今となって当方にできることと言えば、花壇の隅ににささやかなの墓地を作ってやることぐらいですが、そのかわいい小動物の死のことは一日中頭から離れませんでした。

男の平均寿命に達した当方にとって、何かにつけて自らの死を身近な事柄として向き合わざるを得ないことは心得てはいるものの、いざそこにいたるまでに何が起るか、自分自身についてだけでなくまわりの人に対して何をしておくべきかなどもろもろ考えるだけでもコトの大きさ複雑さに気が重くなります。
それに比べて今朝のスズメの死のなんと静かなことか。救急車が走り回るでもなし、体中にビニールパイプがさされるでもなし、苦悩の表情や叫び声ひとつ聞くでもなし、ただひたすら自らの運命を静かに受け入れる姿が何か立派なに思えて、どこか羨望さえ感じてしまいます。これが自然の死の受け入れ方なのでしょう。
生まれてこのかた、自然を浪費し、逆らい、汚し続けてきたヒトの死が、小鳥の死のように自然で安らかにでないのは致し方ないのかもしれません。





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# by love-all-life | 2017-08-27 21:29 | Comments(0)

庭は美術館


「石ころをじっとながめているだけで、何日も何月も暮らせます。監獄にはいって、いちばん楽々ときてきてていける人間は、広い世界のなかで、この私かもしれません」。 
画壇の仙人といわれ、老境に入ってからは自宅の15坪の庭から一歩も出ず、石ころや蟻などを地面に這いつくばるよう観察し描き続けた孤高の画家・熊谷守一のことばです。


私ごとですが、子供時代は敗戦の荒廃なかで育ち、若い頃は何かにつけて素敵なもの、知るべき世界は遥か遠くにあるような気がして、さかんに海外に出ることばかり考えていました。

そろそろ中年を卒業するという時期に得た教職の仕事の関係で新潟に移り住み、遅ればせながら自国の自然の美しさに魅せられて、近辺を歩き回りドライブしまくりました。

後期高齢者となって鎌倉の自宅に戻った近頃は、家から出ることは以前と比べてはるかに少なくなり、何かを求めて出るより、庭の草花や、やってくる小鳥や昆虫やなどを観察して過ごす時間が多くなり、気づくと自分の暮らしも熊谷の世界にちょっぴり近くなったのかなと感じます。


この一週間ばかりの間にうちの庭にやって来た訪問者たちです。
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世の中にこのような昆虫がいることは理解していても、ちょっと微細に観察してみると、わが家の庭がこんなに異様な造形美に満たされているとはうれしい驚きでした。

熊谷守一はこうした生き物の息づかいや彼らが交わす会話までも聞き取っていたに違いありません。









 

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# by love-all-life | 2017-08-06 18:30 | 自然 | Comments(0)