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HAND & SOUL

今朝、庭で起ったこと


朝起きて庭に出ると、小枝に吊るした空のエサ台の下の地面にこぼれたわずかかなエサを探していたスズメたちがパッと飛立って、エサ台に新しいエサが入れられるのを上の枝で待つというのがいつもの日課になっている光景です。

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ところが今朝は一羽だけ残っているのがいます。おやっ大胆なヤツだなと、1メートルほどまでにに近づくと、あわてた風でもなく、こそここそと近くの隅の草むらに身をひそめます。さらに近寄っても逃げないでじーっとしています。怪我をしている風ではないが、どこか身体の具合が悪いに違いないようです。
生け捕りにするのは難しくなさそうだが、生け捕ったところでどう手当するか困るだけだろうし、そうだ、孫が飼っているジュウシマツの鳥籠に入れようかとも思ったのですが、もしこのスズメが細菌をもつ病気だったら、それはできないし・・・、ペットの病院に持ち込むほどの義理があるわけではないし・・・・、ま、少し様子を見ることにしました。
しばらくすると草陰からのこのこ出て来て、動きはやや緩慢ですが、地面のエサを啄んだり、蓮が植えてある瓶に登って水を飲んだりするので、そのうち元気を取り戻すかもしれないと少し安心して,庭で仕事をしていました。
そのうち真夏の太陽がジリジリと照り始めるとそのスズメは強い光線を避けて花壇の草の陰で身をひそめているようでしたが、こちらも仕事に気をとられて3時間ほど彼のことは忘れていました。
お昼近くになって、仕事の手を休めたときにふと思い出して、前いたところを見ましたが姿が見えません。自力で飛立って行ったのかしらと、ホッとしながらもちょっと寂しい気持ちで、さらに花壇の奥まで調べると、一番深い茂みの中にそのスズメが横たわって死んでいるのを発見しました。遺体にはすでにたくさんの蟻がたかっています。
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それは思いがけない大きな衝撃でした。なぜ最初発見した時に彼に死期が迫っていることを見抜けなかったのだろうか、なぜもっと真剣に救う手だてを考えなかったのだろうか、言いようもない悔悟の念と罪の意識を感じました。
心の動揺を抑えながら、今となって当方にできることと言えば、花壇の隅ににささやかなの墓地を作ってやることぐらいですが、そのかわいい小動物の死のことは一日中頭から離れませんでした。

男の平均寿命に達した当方にとって、何かにつけて自らの死を身近な事柄として向き合わざるを得ないことは心得てはいるものの、いざそこにいたるまでに何が起るか、自分自身についてだけでなくまわりの人に対して何をしておくべきかなどもろもろ考えるだけでもコトの大きさ複雑さに気が重くなります。
それに比べて今朝のスズメの死のなんと静かなことか。救急車が走り回るでもなし、体中にビニールパイプがさされるでもなし、苦悩の表情や叫び声ひとつ聞くでもなし、ただひたすら自らの運命を静かに受け入れる姿が何か立派なに思えて、どこか羨望さえ感じてしまいます。これが自然の死の受け入れ方なのでしょう。
生まれてこのかた、自然を浪費し、逆らい、汚し続けてきたヒトの死が、小鳥の死のように自然で安らかにでないのは致し方ないのかもしれません。





# by love-all-life | 2017-08-27 21:29

庭は美術館


「石ころをじっとながめているだけで、何日も何月も暮らせます。監獄にはいって、いちばん楽々ときてきてていける人間は、広い世界のなかで、この私かもしれません」。 
画壇の仙人といわれ、老境に入ってからは自宅の15坪の庭から一歩も出ず、石ころや蟻などを地面に這いつくばるよう観察し描き続けた孤高の画家・熊谷守一のことばです。


私ごとですが、子供時代は敗戦の荒廃なかで育ち、若い頃は何かにつけて素敵なもの、知るべき世界は遥か遠くにあるような気がして、さかんに海外に出ることばかり考えていました。

そろそろ中年を卒業するという時期に得た教職の仕事の関係で新潟に移り住み、遅ればせながら自国の自然の美しさに魅せられて、近辺を歩き回りドライブしまくりました。

後期高齢者となって鎌倉の自宅に戻った近頃は、家から出ることは以前と比べてはるかに少なくなり、何かを求めて出るより、庭の草花や、やってくる小鳥や昆虫やなどを観察して過ごす時間が多くなり、気づくと自分の暮らしも熊谷の世界にちょっぴり近くなったのかなと感じます。


この一週間ばかりの間にうちの庭にやって来た訪問者たちです。
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世の中にこのような昆虫がいることは理解していても、ちょっと微細に観察してみると、わが家の庭がこんなに異様な造形美に満たされているとはうれしい驚きでした。

熊谷守一はこうした生き物の息づかいや彼らが交わす会話までも聞き取っていたに違いありません。









 

# by love-all-life | 2017-08-06 18:30 | 自然

HAND & SOUL「モノ」がたり (129) 「ビーズの指輪」

HAND & SOULの店先に来てしばらく中を覗き込んでから「ここは何のお店?」と聞くお客さんが少なからずいます。
「ま、ご覧の通りですよ」と言うほかないのですが、アクセサリーや、お人形や、部屋を飾る小物類や、バッグや、シャツや、石ころや、小さな家具類などが狭い小屋の中にかなり雑然と陳列してあるので、お客さんとして頭の整理がつきずらいのでしょうか。
もともと商才に縁がないとはっきりと自覚しているジイジ&バアバが勝手気ままにつくったものを並べて、お客さんが「わ〜ッ、カワイイ」と言ってくれればそれがいちばんうれしい報酬だと思っているちょっと変な店なのです。

とは言いながら、店の中にはジイジ・バアバの作品以外にも、人さまからお預かりしている作品もある以上、売れなくても平気と済ましているわけにもいかないのです。
そこで商才のない頭が考え出した「目玉商品」があります。それがここに紹介するバアバがつくる「ビーズの指輪」です。
バアバが長年溜め込んだビーズにいろんなモチーフを組み合わせてつくる指輪で、一晩かかって1個か2個できるのです。バアバはこれを1個200円、2個だと300円と値段を付けをしました。バアバより多少欲の深いジイジが「それじゃ安すぎるよ」と異議をとなえると、それに従うどころか手作りの布製の無料の包装袋に入れると言い出しました。
そう言われたらもうジイジとしては指輪と包装を並べてブログ用の写真を撮るほかなす術を知りません。
当然のことながらこの指輪はいま店のベストセラー商品なのです。喜ぶべきかどうか迷うところですが、 バアバは「お店ゴッコよ」とすましています。・・・ネッ、ちょっと変な店でしょ?

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# by love-all-life | 2017-05-14 18:14 | 「モノ」がたり

81年生

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当ブログの更新が長い間途絶えているので、「どうした?」「身体の具合が悪い?」といった声やら問い合わせ
をいただいています。
いろんな事情があるにはありますが、直接の原因はジイジがお正月に大きな怪我をしたためなのです。
1月2日に冠雪の初富士を愛でようと箱根に行き、老朽ちたデッキの板を踏み抜き1.5メートルほど下のコンクリートの地面に転落してしまいました。腰に激しい衝撃と強い痛みに一瞬「やっちまったー!これで一生車椅子暮らしか」との想いが頭をよぎりました。
救急車で病院に担ぎ込まれ、検査の結果は腰椎の圧迫骨折。ひと月かふた月の入院を宣告されてしまいました。

毎年2月末の「HAND & SOUL展」をギャラリーに頼んで延期してもらい、いくつかの約束をキャンセルし、ひたすら闘病に励みました。といっても当方は何もできないわけで、バアバをはじめ担当医師、看護、介護の方々にたいへんお世話になりました。
マグロのようにゴロリと寝たきりが2週間くらい。なんとか自分でトイレに行きたいと車椅子に座ろうとベッドから足を降ろして驚きました。足に力がなく立てないのです。たった2週間で足の筋肉がすっかり衰えてしまってしまったのです。「人の身体は使わなければ衰える」を実感し・・であれば頭も・・・と心配ばかりが募ります。

この4月でアクシデントから3ケ月。目下コルセット着用ではありますが、お陰さまでほぼ平常に近い暮らしができるまでにまりました。お医者様からは桜の散る頃にはコルセットもとれるよと言われています。しかし全快までには半年かかるとも言われました。でも3月前のマグロ状態にくらべれば天と地の差です。
毎朝のベッドの上での30分ほどのリハビリは欠かしません。やがてやせ細っていた足に筋肉がつき始め、あれができるようになった!これもできた!と、回復という名ではありますが、まるで幼児の頃の成長を追体験するような嬉しさがあります。

桜の満開が待たれる4月、伸び盛りの新しい1年生が生まれます。こちらも残りかすのような老体に幾ばくかの伸びしろを期待して、3ケ月間の春休みを終えて81年生としてカンバックします。







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# by love-all-life | 2017-04-01 11:50 | その他

HAND & SOUL「モノ」がたり (128) 「2016年の終わりに」

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2016年も最後の日となりました。今年はほんとうにいろいろありました。
リオのオリンピック・パラリンピックや日本人のノーベル賞受賞のような明るいニュースもありましたが、大方は嫌なニュースでした。多発する自然災害やテロそしてシリアの内戦のような怖いニュースだけでなく、トランプ氏の次期大統領当選や英国のEU離脱のように世界を不安に落とし入れるニュースにも事欠きません。当方としては今年の文字に「金」が決まったのは嫌なニュースでした。
オバマ大統領の広島訪問、そして安倍首相の真珠湾訪問は歓迎すべきことではありますが、大東亜戦争開戦から今回の「一応のけじめ」とされる75年間が、ちょうど当方が物心ついてから物心が失われつつある今日までの期間と重なり、戦争の重みを測る目安として感慨深いものがあります。

暮れのTVを観ていたら、ニューヨークの街頭でレポーターが道行く人に「今年はあなたにとってどんな年でしたか?」とインタビューしていました。
多くの人が「テロが怖い」「トランプが次期大統領に決まったのは許せない」といった類いの、世界の現状を嘆くコメントでしたが、ひとりの老婦人が「世界にとっては酷い年でしたが、私にとっては素敵な年でした」と答えたのが印象的で、何だかすごく救われた気持ちになりました。

今年のHAND & SOULは、お陰さまでというべきか、力足らずでというべきか、全体として何事もなく平穏な日々でした。気力はあるものの技力が追いつかず、いまいち成果物には物足りなさを感じざるを得ないというのが自己評価です。とはいえ、こうして日々創造的な活動に寄り添って暮らせる幸せさを有り難く感じ、ニューヨークの老婦人に習って「世界にとっては酷い年でしたが、私たちにとっては素敵な年でした」と総括したいと思います。

では2017年が皆さまにとって素敵な年でありますように。
# by love-all-life | 2016-12-31 11:32 | 「モノ」がたり