HAND & SOUL

段ボールの上のワンダーランド

e0153357_11392388.jpg







「えっ、これでも春?」というような薄ら寒い曇天がつづくなか、ぽっかりと陽光を得た先週の土曜日、三浦半島で最も高い大楠山の山懐の有機農園で開かれたフォトスタジオのワークショップに参加しました。

フォトスタジオといってもかっての写真館風のものとは打って変わった、米国西海岸のリゾートハウスのような開放的な空間で、若いファミリーが勝手気ままに楽しむ自然な姿をパチパチとデジカメに収めるといった、機材の進歩がもたらしたビジネスモデルで近頃人気のスタジオの3周年記念行事のお手伝いとしての参加です。
当方のお役目は、段ボールの台紙にいろいろな素材を貼付けて絵をつくるコラージュづくりのワークショップの指導です。
70組ほどの参加ファミリーはほとんどが未就学児連れのパパママやおじいちゃんおばあちゃんの小グループで、以前このフォトスタジオで撮影したお客さんたちですが、彼らはまた子どもの成長につれてリピーターとなるであろうお得意さんでもあるわけです。

イベントの企画の段階では「コラージュ? 何それ」といった戸惑いの声もありましたが、「大丈夫、子どもはみんな表現の天才なんだから」と当方が意見を出してやることが決まりました。
e0153357_11401257.jpg
色紙、各種テープ、リボン、新聞紙、、ボタン、種といった用意された材料の他に、子供たちは葉っぱや、小木片や、ドングリなどを周りの自然から探してきてはベタベタと遠慮なく台紙に貼付けます。接着材として用意したボンドも歯磨きのようにひねり出して白い山をつくり、小枝を貼付けるだけではもの足りず台紙に穴をあけて垂直に立ててしまったりと遺憾なく天才ぶりを発揮します。
なかでも3歳のユカちゃん(仮称)は、摘んできたたタンポポの花を台紙に貼付けましたが、そこへミツバチが飛んできて止まって動かず、作品の一部に成り済ましたのには、なんでもありのコラージュの極地を見る思いでした。

e0153357_11405573.jpg















こうした子供たちの奇想天外な発想や大胆さは、教育を受け、分別をもち、社会性が身につき、大人になるに連れて先細っていくのが常です。
小林秀雄は真の芸術家は大人になっても幼児性を失わないものだと言っていますが、天才ならぬ分別臭い凡人が天衣無縫な幼児性を取り戻す、いわば逆教育といったものがあり得るのだろうか、この二律背反を一身に併せ持つとはどういうことかと考えてきて、ハッと「これこそがデザイナーにとって最も大切な資質ではないか」と気づきました。なぜならデザインとは合理性と感性、用と美を、ひとつのもののなかに同時に実現する行為だからです。

段ボールの台紙をワンダーランドに変えてしまった、あの子供たちの才能がいつまでも消え去らずにいて欲しいと祈らずにはいられません。








[PR]
# by love-all-life | 2015-04-22 11:44 | 文芸・アート | Comments(0)

ある小さなスズメの記録

バアバが買って来た何冊かの本の中から、何気なく一冊を抜き出して読んだら、それが実に驚くべき内容だったので、ご紹介することにしました。
「ある小さなスズメの記録」クレア・キップス著/梨木香歩訳/文春文庫で、副題の「人を慰め、愛し、叱った、誇り高きクレランスの生涯」が示すように、巣から路上に落ちて瀕死の生まれたての小スズメを拾った英国人女性が、家で介抱したことがきっかけで始まった、ピアニストで寡婦のクレア・キップスと障害のある小スズメの同棲生活の記録です。

e0153357_23540476.jpg









後にクレランスと名付けらるこの小スズメは羽と足に障害があり、多分生き延びることはできないとの親鳥の判断で巣から故意に落とされたらしいのです。
自宅の玄関先に赤ん坊が置き去りにされていたら見捨てるわけにはいかないといった気持ちから、クレアはスズメを拾い上げ、温かいフランネルで包み、閉じたままのくちばしにマッチ棒の先端をそっと差し入れて開いたままの状態にし、小さなのどから数分ごとにわずかのミルクをたらし込むという作業を忍耐強くつづけるうちに、スズメは少しづつ命の証しを表し始め、翌日になると餌をねだるまでに回復します。
三日目になると、それまで閉じたままの出目に裂け目ができで両眼を開きました。彼はまだ鳥というものを見たことがなかったので、目前にいるクレアを何の疑いもなしに自分の保護者として自然に受け入れます。
それ以来、彼はクレアの枕の上に置いた古い毛布の手袋の中で眠り、夜明けにチュンチュン騒いでクレアの髪の毛を引っ張って起こしては、朝食をせがむまでに元気になります。

クレアはいずれ彼が元気になったら外へ放してやるつもりでしかが、左の翼が十分に機能しないことが明らかになり、羽をバタバタさせ這い回ったり、ピョンピョンと跳び歩くことしかできないので、野生化への試みは断念せざるを得ませんでした。
そのようにして始まる彼らの日常はこんな具合です。
「彼が自分で食事ができるようになると、すぐに私は安全な部屋の中に彼を残して出かけた。室内の隅には、食べ物とミルクを置いておいた。彼はほどなく私の声や足音、ドアの鍵を開ける音すら聞き分けるようになり、私が帰ると大騒ぎで出迎えた。彼のいる部屋のドアを開けた途端、文字通り飛ぶような勢いでやってきて、興奮気味にしゃべりたてながら私の脚をよじ登り、膝を越え、肩へと到達、最後に私の顎や襟のなかに潜り込むのだった。」

ここまでなら、上手に飼いならした愛鳥と飼い主の関係でも起こりうる話といえなくもありませんが、やがて彼は芸を覚え、ヘアピンを引っ張る綱引きを演じたり、トランプカードを使った手品など演じて、第二次大戦のドイツ軍の空襲下で殺伐としたロンドンの街でちょっとした有名人(?)となり、とりわけ子供たちの人気の的でした。さらに彼は音楽家としての才能を開花させます。ピアニストのクレアが弾くピアノに合わせて歌うのです。それは単なる小鳥のさえずりを越えた音楽的意味のある声でした。

e0153357_23571096.jpg









こうした見せ物的なびっくりするような才能に加えて読む側に感動を呼び起こすのは、クレアとクレランスの感情的、心理的、精神的な関係でしょう。彼らは慰め合い、喜び、疑い、嫉妬し、励まし合う、お互いがお互いを必要とする人間同士のようです。
やがてクレランスは老い、輝いていた数々の能力が失われていき、最後はクレアの手のひらの中で小さな一声を残して12年の生涯を静かに閉じるまでを克明に綴った本書は、奇跡というものの存在証明でもあるかのように感じられます。


ところでわが家では6年来二羽のジュウシマツを鳥籠で飼っています。人を恐れることはありませんが、家人は毎日餌をやり、水を取り替え、ときどき声をかけ、鳥たちは応ずるような応じないような間柄です。
クレアのクレランスについての記録を読んで以来、恐らくこのジュウシマツたちの体内にも秘めた感情、知力、数々の能力が潜んでいるに違いないと思うと、何だか彼らにとても気の毒なことをしているように感じ、彼らは退屈しないのだろうか、嬉しいのだろか、悲しいのだろうか、幸せなのだろうか、考え込んでしまいます。

写真:本書より







[PR]
# by love-all-life | 2015-04-01 00:03 | 文芸・アート | Comments(0)

「時は金なり」?

e0153357_21595756.jpg








北陸新幹線が開通して東京・金沢間が1時間20分短縮されました。
いつまで「より早く」「より便利」を追っかけているのだという声もあるようですが、かって新潟に住んで、いまだに上越新幹線や関越自動車道がいかに大きな福音だったかを、田中角栄への追慕の情を添えて話す越後の人々を知ってるだけに、金沢駅に滑り込む新幹線に手旗を振って歓喜する人々に「そうだろうね」とつぶやいてしまいます。

「時は金なり」はベンジャミン・フランクリンの言葉とされていますが、彼の「Time is money」は、額に汗して働けばそれだけ収入は増えるから時間は貴重なものだという、勤勉を勧め金銭を尊ぶ精神からでたようです。
たしかにより短時間でより多くのパフォーマンスを実現するという動機が近代文明社会を築き上げる原動力であったことは否定できないし、いまわれわれが享受している便利で物質的に豊かな暮らしを築くのに大いに貢献しました。

ところがそうした時間に対する価値観に変化を感じます。
バブルを経て、時を惜しんで稼ぎとった豊かさが幸せに直結するわけではないことに気づいたということもあるでしょうし、最新の新幹線が何としてでも世界最速の時速360キロを超えようなどというコダワリを捨てて最速260キロであることもそのひとつの表れと言えなくもありません。
我が身を振り返ってみても、40代くらいまでは広告業界に身を置き、時を惜しんで動き回り、効率を重んじ、「早さ・便利さの追求こそ幸せへの近道」のお先棒を担いでいたわけですが、今となってはかすかな後ろめたさを伴った思い出の出来事のようです。

暮らしの上で時間への感覚の変化がどこからくるかと言えば、道を歩いていても若い人にどんどん追い越されるといった肉体的衰えに加えて、それを悔しいととも思わない達観の心理もあるでしょうし、さらに、追い越されても困るような急ぐ用事があるわけでもない身分ということもあるでしょう。しかしそればかりではありません。歳をとるに連れて自然との距離が縮まってきたという感覚があります。山古志を背に控えた長岡で15年ほど暮らした経験や、自然素材を集めたりいじくったりしてモノづくりの作業をするようになったことが大きいと思います。

e0153357_22005628.jpg
海岸で拾った貝殻や流木、小石といった変哲もないものも、時間をかけて眺めるに連れてそれまで見えていなかったいろいろなものが見えてくるのです。
カタチ、色、表面のテクスチャー・・・ひとつひとつを時間をかけて吟味します。そうするとそれらは時間をかければかけるほど、目を近づければ近づくほど、吟味をすればするほど、味わいや深みを増してきます。工業製品では決してこういうことはありません。この不思議はどこからくるのかと考えて得られる結論は、「これらが今の姿になるまでに何十億年もかかっているからなのだ」ということです。途方もない時間をかけて、あらゆる合理性や偶然性をともに包み込んだ究極の姿だから奥深いのです、そして美しいです。「神がつくったから]と言っていいかもしれません。
ちょっと大げさな言い方になってしまいましたが、時間には、たわいもなもの、些細なものを、味わい深さや美しさに変える魔法の力がある。時間はすべてのものを美しくする。「時は美なり」なのです。
だから人だって・・・でも、そう思って見なければ魔法の力は感じられないでしょう。













[PR]
# by love-all-life | 2015-03-19 22:04 | 自然 | Comments(0)

HAND & SOUL「モノ」がたり (121) 「HAND & SOUL 2015展」

e0153357_21065831.jpg









まず、「ふぅ---------ッ」と一息ため息をつかせてください。
去年の暮れから、展覧会のための作品づくり、搬入、展示、会期中の東京通い、お客さまの応対、搬出、後片付け、売れた作品の荷造りに発送と働きづめでした。さらにお届け先を間違えるおまけまでついてもうクタクタ。
でも来観の方々からいただいたたくさんの暖かい励ましの言葉が杖となって得ることができたこの達成感に、疲れさえ喜びと感謝の気持ちに変わります。「みなさん、ありがとう」「健康ありがとう」です。
ということで、ご無沙汰したブログにやっと手がつけられます。

では「HAND & SOUL 2015展」」の様子をざっとご覧に入ましょう。
いつも展覧会にきてくれて、すばらしい写真を撮ってくれるMMさんの画像をお借りしての展示の一部のご紹介です。
e0153357_21163253.jpg
e0153357_21170239.jpg
e0153357_21172436.jpg
e0153357_21181217.jpg
e0153357_21183493.jpg












[PR]
# by love-all-life | 2015-03-07 21:19 | 「モノ」がたり | Comments(0)

HAND & SOUL「モノ」がたり (121) 「HAND & SOUL 2015展」

e0153357_21065831.jpg









まず、「ふぅ---------ッ」と一息ため息をつかせてください。
去年の暮れから、展覧会のための作品づくり、搬入、展示、会期中の東京通い、お客さまの応対、搬出、後片付け、売れた作品の荷造りに発送と働きづめでした。さらにお届け先を間違えるおまけまでついてもうクタクタ。
でも来観者の方々からいただいたたくさんの暖かい励ましの言葉が杖となって得ることができたこの達成感に、疲れさえ喜びと感謝の気持ちに変わります。「みなさん、ありがとう」「健康ありがとう」です。
ということで、ご無沙汰したブログにやっと手がつけられます。

では「HAND & SOUL 2015展」」の様子をざっとご覧に入ましょう。
いつも展覧会にきてくれて、すばらしい写真を撮ってくれるMMさんの画像をお借りしての展示の一部のご紹介です。
e0153357_21163253.jpg
e0153357_21170239.jpg
e0153357_21172436.jpg
e0153357_21181217.jpg
e0153357_21183493.jpg

[PR]
# by love-all-life | 2015-03-07 21:19 | 「モノ」がたり | Comments(0)